第三話『ビトー』(七)
更新が一日遅れました。申し訳ありません。
頭部を落とされ、動かなくなった魔物を観察する。
大きさ、形は共に人に近く、腕が異様に太い。じゃが、腰から下に足は無く、襤褸雑巾の様な皮膚のなれの果てがまとわりついている。
全体的に赤黒かったのは、皮膚が剥がれている為か。今はもう脈打っていないが、血管の様なものが見えた。
転がった頭部にも毛髪などもなく、口先は犬の様に尖っている。水晶玉のような眼球は既に光が無く、もともとなにも映していない様ではあったが、暗く濁っている。生命活動は停止しているようじゃ。
「説明しましょうか?」
不意に後ろから声を掛けられた。右足の痛みを忘れ振り返ると、ミリャトが立っている。
「……お主、どこに居たんじゃ」
「少し行くところがあるといったでしょう。今、工房に来たのよ」
「……そいつは?」
ミリャトの横には、どこかで見たことのある餓鬼が立っていた。
上等な衣服に身を包み、高貴な身分であることを窺わせている。まだ成人前じゃろうが、その瞳には大人顔負けの力強い意志が込められていた。
「ご存じないの? ネルメ殿下よ」
「ネルメ殿下?」
そういえば、年始めの国王挨拶の式典で見たことがある気がする。かなり遠くからじゃったから、すぐに判別は付かないが。
儂の問いかけにネルメが応えた。
「そうだ。余もまだまだだな。民に顔も覚えられておらんとは」
「王族なんて、そんなものよ。結局、国を象徴する記号に過ぎないの」
ミリャトはかなり不遜な事を言っている。じゃがネルメは気にしている様子もない。
「平和な時代はその方が良いのであったな。だが、これからはそうもいかん」
「これから、とは?」
儂はネルメに向き直り、問いかける。本来は王族の御前、平伏低頭が当たり前じゃが、この緊急事態でそれどころではない。
「そうだ。平和の時代は終わった。迫る戦いの為に、準備をしなければならない」
「どういう事でございましょう」
「まあまあ、説明は長くなるわ。以前お邪魔したときの応接に移らない?」
応接は工房の一角を改装して設えている。儂は同意して、足を引きずりながら二人を応接に案内した。
「散らかっておるが、ご容赦くだされ」
応接内は相変わらず趣味で作った武具や銅像が並べられている。とても王族を迎える場所では無い。
「かまわない。ミリャトも座れ」
ネルメは長椅子に腰掛けると、背後で待機しようとしていたミリャトにも着席を進める。いまいち力関係が分からん。
「ビトー氏だったな。お主も座れ」
ネルメに言われ、儂も反対の椅子に腰掛けた。一気に先ほどの戦いの疲れが襲う。
一息吐いて、ドガーをはじめとした弟子の事を思い出した。
「そうじゃ! 彼奴等を……」
「大丈夫だ。先に保護した」
「保護?」
ネルメは儂が立ち上がろうとするのを遮る様にして言った。
「王都の異変が始まってすぐにミリャトを向かわせた。今は余の隠れ家に匿っている」
「じゃがミリャトが……」
工房に向かうように言ったのはミリャトじゃ。弟子達の無事を知っていたなら、どうしてそれを先に言わない。
「ごめんなさいね。魔物を直に見てもらった方が、話が早いと思って」
口では謝っているが、ミリャトに全く悪びれた様子はない。
美人なのでそう腹も立たない。儂の女好きも度が過ぎとるのう。死にかけたというのに。
「……色々言いたい事もあるが、とりあえずは良いわい。まずは彼奴等が無事なら……」
背もたれに体を預け、天を仰ぐ。
「彼らには後で会わせよう。だが、ビトー氏から彼らに状況の説明をお願いしたい。説明を続けても良いか?」
ネルメの歳不相応な落ち着きに違和感を覚えつつ、儂は居住まいを正した。
「まずは貴方が戦った魔物だが、奴は寄生蛞と呼ばれる魔物だ」
「きせいなめくじ?」
「人型の生物に寄生する魔物だ。細長い線虫のようなものを見たと思うが、あれが本体といえるものだ」
口から吐きかけてきた蟲の事じゃろう。
「寄生された人間は、あのような醜悪な姿に変えられ、他の生き物を襲うようになる」
「じゃああれは人なのですか!」
「安心しろ。貴方の弟子ではない。元は、まず貴方が関わることの無い人間だ」
「そういう問題ではないのですが……。しかし、そんな危険な魔物、聴いた事がありませんよ」
工房に出入りしていた傭兵や騎士達の話にも上がった事はない。火竜などの様な派手さはないが、今回の様な街中に出現すれば、驚異は変わらない。
そんな魔物の話が、彼らの口から出ない事があるだろうか。
「新種だ。マイン領の大森林で発生している事は確認した」
マイン領と言えば、目の前のネルメが失脚した原因の一つだ。儂はそれでネルメがなぜここにいるのか、不思議に思った。
「そういえば、ネルメ殿下は流刑になったのじゃ……?」
「孤島に送られる前に、ミリャトに救出を依頼していた。つまり逃げ出した訳だ。今は王族としての身分も剥奪されている。尊敬は不要だ」
「はあ……」
儂の住む世界とはかけ離れたところでの話じゃ。淡々とそう言われても、はいそうですか、と平民と同じには扱えない。
「まあ、余は気にせんが、慣れるまでは好きに対応してくれれば良い」
「ふふ、年齢も下だし、普段ビトーさんが弟子に接するようにしてくれても良いわよ?」
「そんな事出来るかい! 儂も分別くらいあるわい!!!」
ミリャトが愉しそうに嗤っている。
「話を戻そう。あの魔物の事を我々は寄生蛞と呼んでいる。街中で使われた場合、今回の様な惨事に繋がってしまう」
「まだこの王都にはあんな魔物が……」
「ミリャトがいくつか退治したが、数体、地下に潜伏してしまったものがいるようだ」
「なんと! すぐに騎士団に……」
あんな化け物が街に居ては、おちおち寝れんわい。
至急、王国騎士団に討伐を依頼せねばならん。
「すまないが、騎士団は使い物にならん。先日のゴルゴン兄暗殺の際に、ほぼ全滅している。まあ、元々の数の不足は余のマイン領侵攻失敗のせいなのだが」
「…………」
ネルメの話す内容に、重要な情報が入り込み過ぎていて、脳がうまく拾い上げられない。
混乱して儂は黙り込んでしまう。
「……元々話すこと、と考えていたが、この際だ。先にお願いしてしまおう」
「そうですわね。ビトーさんならやって頂けるとは思いますが」
ミリャトがネルメの隣で、愉快そうにまた嗤う。
緊急事態の魔物がらみで、上げるような嗤い方ではない。
「まあ、ビトー氏が判断することだ。さて、街中にはビトー氏も感じたように障気が渦巻いている」
「……魔物が出現する予兆と言われているものですな」
「そうだ。ゴルゴン兄暗殺に始まった、王都攻撃の一端だ」
「誰かに攻撃されていると? 帝国じゃろうか」
カトレア王国に攻め入ろうとする組織など、大陸では帝国くらいしかあり得ないだろう。
「違う」
じゃが、ネルメは即座に否定した。
「今の状況で帝国が王国に攻める理由は無いだろう」
「では、どこが?」
大陸にはいくつか小国があるが、どれも王国、帝国に太刀打ち出来る規模には無いはずじゃ。国を横断する地下組織の存在も、噂には聞いた事があるが、その存在は怪しいもんじゃ。
「最近、大陸の各国は、ある国への対応に躍起になっていた。知っているか?」
「……知りませんのう」
「中央でも限られた者しか知らないはずだからな。情報統制を敷いていた」
「騎士団連中もそんな話はしておりませんでした」
色々と噂は聴いたが、ここ何年も国内貴族同士の小競り合いしか戦の話を聴いていない。
「まだ大陸各国は国として認めてはいないが……。魔族を中心とした国家が出来上がった」
「魔族?」
魔物とは違うのじゃろうか。魔族とは聞いたことがない。
「魔族とは、我々、人と魔物の中間の様な種族だ。見た目は人と変わらないものも多いが、魔物の特殊機関を有しているものが大半だ。つまり魔法が使える」
魔法とは、魔物が使う特殊技能の事じゃったはず。
「それを魔物と言うのでは?」
「明確な意志があり、組織を成している。魔物と聞いて想像するような、野蛮な生き物ではない」
「その魔族というのが、国を興したと……」
「そうだ。表だっての侵攻はないが、大陸各国に国としての地位を認めるよう、要請が来ている」
「王都への攻撃は、その魔族が?」
儂は横目にミリャトを見る。平然を話を聞くその表情からは、特に感情を読みとれないが、この女は先ほどの魔物を幾体も退治したらしい。
元傭兵とは言っていたが、見た目細腕のこの女が、そんな戦闘力を保有するのか疑問じゃ。この女ももしかすると魔族とやらなのではないか。
「余の罪を弁解する訳ではないが、先ほど言った通り、ゴルゴン兄の暗殺も攻撃の一端と考えている。とにかく人の常識の範疇から外れた攻撃を仕掛けてくる連中だ」
「王国は魔族の国の要請を断ったのですかの?」
「回答は保留にしていたが、ゴルゴン兄は排除派の筆頭だ。兄が亡くなった事で、一気に容認派に傾くだろう」
「ネルメ殿下は容認派なのですか?」
ミリャトが目を薄くして笑っている。
「いいや。余も魔族を脅威と思っている。ただ、事を荒立てるとどうなるか分からなかった為、大きくは動いていなかった。まあ、動いていれば兄と同じ運命を辿ったと思われるが……」
ネルメは青ざめた表情で語る。それは演技ではないじゃろう。
「幸いな事と言えるかも知れないが、余は流刑で死んだこととなった。これから地下に潜伏し、機会を窺う」
「……儂に依頼したいこととは?」
ネルメの今後と無関係ではないじゃろう。
「二つある。一つは、今回のような魔物を使った攻撃への対応。貴方の力ならば、魔物と対等に戦えるはずだ。二つ目は、魔族の国と戦う武器を作って欲しい。騎士団が壊滅した今、戦う力を付け直す必要があるのだ」
武器を作るのは本業じゃ。依頼さえあれば請け負うのが信条。そこに思想を議論するつもりはない。
じゃが、儂自身が戦うのはどうか。今回はどうにか生き延びたが、また戦えるじゃろうか。
「……ミリャトも余に賛同してくれている一人だ。ミリャトからも補足をしよう」
「そうね……」
ミリャトがネルメの言葉を継いで語り出す。
少し不定期になるかもしれません……。