第三話『ビトー』(四)
武器の製造には、現在、二つの製法が伝わっている。鍛造と鋳造だ。
共に過去からの積み重ねを経て、今の工程が伝わっている。
鍛造とは、普段儂がやっておる武器の製造方法。鉄を熱し、とにかく叩く。叩けば叩くほど、鉄は美しい火の花を咲かせ、純粋な鉄に変化していく。それを芯にして周囲を鋼鉄で包んでいくと、堅くて強い剣が出来上がるのだ。
対して鋳造は、熱して溶かした鉄を型に流し込んでいく。叩いて鉄自体を強くする鍛造と違い、その強度はあまり高くない。しかし生産が安易な事から、比較的安価で流通している。
儂の工房が得意とするのは鍛造。作る労力が馬鹿に多い鍛造は、一つの剣を生み出すのに、何百回と鎚を振るう。鋳造の方が効率は良いのじゃろう。だが、出来上がった一振は、自分の息子のように可愛いもんじゃ。
儂は貧民街の生まれじゃが、工房の前棟梁に拾われた。それから、剣を打つことに邁進している。時には寝食を忘れ、打ち込む事に没頭した。
以来四十年、腕を磨き続けた。才能は無かっただろう。だが、前棟梁への恩返しもあり、ただただ剣を作り続けた。前棟梁が死ぬ間際、儂は後を継いだ。この技術はドガー達に受け継いでいきたい。それが前棟梁への最後の恩返しだ。
そう思っていた。
会議室から衛兵に連行された儂は、そのまま牢にぶち込まれた。警察隊の詰め所に連れてこられた時から、ある程度の覚悟はしていたが、訳の分からない審問の後、すぐに罰を受けた。
なにに対する罰なのか。
ゴルゴン殿下の事は理解したが、それが儂の打った剣が引き起こした事というのは、到底納得出来るものではない。だが、それを議論する機会は得られなかった。
会議室で最後に見た連中の表情は、まるで仮面のようじゃった。
儂は自らの両腕を見る。いや、見ることは出来なかった。
肘から先はもう無い。最近妙に力が強かったから必死に抵抗をしたが、数十人に押さえ込まれれば、それも叶わなかった。目の前に見知った剣が振り下ろされ、両腕が切断された。良い切れ味だった。警察隊にも剣を卸していたから、儂が打った剣かも知れない。
「なにがどうなっとるんじゃ……」
一応の治療はしてくれてはいる。失血で儂が死ぬ事までは、連中も望んでいなかったのじゃろう。血は止まったが、それで腕が生えてくる訳でもない。
「あの巨剣が打ち納めか……。まあ、仕事としては悪くなかったの」
ふう、と牢屋の土壁を見遣る。光の無い牢内では、なにも見ることが出来ないと思っていたが、妙に視界が良かった。腕が無い事もいやでも目に入ってしまうが。
「うっ!」
突然、身体が痙攣し胃の内容物がこみ上がってくる。喉を焼かれながら、黄色い液体を吐き出す。
「うげえっ!」
もう吐くものはなにも残っていない。牢屋の床は既に、何度も繰り返された嘔吐物で汚されていた。気持ちを落ち着けようと、工房の事なんかを思い出していたが、駄目じゃ。
なぜ。なぜ儂が腕を奪われなければならない。
これまで磨き上げてきた技術は両腕にこもっている。その腕を奪われた。殺されるよりも、心を抉る所行じゃ。
「はあ、はあ、はあ……」
儂は牢獄から吼えた。
腹の底から呪詛の言葉を吐き散らす。ゾイデル、ノゴリオ、メルカトル。突然雰囲気が変わった最後のあの時、なにが起きたのかは分からないが、奴らには相応の報いを受けさせてやる。
「……が、ひゅー」
嘔吐で傷ついた直後に叫び続けた事で、喉がいかれたようじゃ。痛みに喉を押さえる。
「ぐっ……」
目の前が白くなりうつ伏せに倒れ込む。激痛に耐えかね、儂は気を失った。
ふと気が付くと、白い空間に居た。
見渡してもなにも無い。本当になにも無い空間が広がっている。
「ここは……?」
確か絶望の淵、牢獄に居たはずじゃ。続く吐き気と奴らへの憎悪に、気を失った事を覚えている。
心なしか、意識がぼんやりとしている。
「夢、かの……」
よく飲みすぎた翌朝は、このような夢を見ていた気がする。思えば、ミリャトが現れた日の朝も、こんなことがあったような。
あの日からの事がすべて夢であったなら。そう思って儂は顔を両手でこすった。
「っ!!!」
両手が、ある。目を見開くと見慣れた、鎚のたこが無数にあるごつごつとした儂の手のひらじゃ。
自然と目から涙があふれる。
「おお、お、お……」
嗚咽がこみ上げる。やはり夢かもしれない。それでも自分の手と再会出来た喜びが体中を満たす。
儂は暫くの間、手のひらを頬にあて、泣き続けた。端から見れば、自分の手に頬ずりをして泣くおやじじゃ。さぞ、滑稽じゃっただろう。それでも自らを押さえきれなかった。
「夢でも良い……。もう一度……、会いたかったぞ!」
自らの手に語り掛ける。儂の技術はこの手にすべて納めてある。この手こそが儂と言っても過言ではない。
『取り込み中、申し訳ないが……』
突然、声が響いてきた。硬質で無機質な、まるで金属のような声じゃ。
儂は顔を上げる。見渡しても声の主は見あたらない。
「なっ! 誰じゃ?!」
これは儂の夢ではないのか、と儂は混乱する。
『誰、と尋ねられると困るのだが……』
堅い声は、あまり困った雰囲気を感じさせずに言った。
「……まあ、夢じゃろうしな。誰でも良いわい」
『……反応は様々だな。少し話を良いか?』
誰と比べておるのか。声の主は分からんが、自分の夢で他者と会話するのも新鮮じゃの。
「別にすることも無いしの。なんじゃ?」
『頼みたい事がある』
「頼み事?」
『そうだ。少し私の思惑とずれた状況になりつつある。軌道修正をしたい』
なんじゃ、思惑とは。境目の曖昧な空間で麻痺していた、あやふやな意識を少し覚まして考える。
「ちいと待ってくれ。やっぱり、お主誰じゃ?」
『……まあ、別に隠す事では無いのだが』
そう言うと、白い空間から見事な兜が現れた。外側を良く磨かれているだけではない。浮き出ている曲線や装飾も、並の職人の技術力では再現出来ない。まるで神の業じゃ。
「これは……」
『どうした?』
兜から声が聞こえると、面がねの奥の暗い炎がちりちりと瞬いた。
「素晴らしい腕じゃ……」
『私の兜かね? それはありがとう。人間にもこの見事さが解るのか』
使われている金属も、儂では想像もつかん。普通の鉄では無いじゃろう。白銀なら、と思うが、触れていなくとも、その頑強さが伝わってくるような兜じゃ。白銀なんてものでは、その強度は出せん。
「触っても……、良いかね」
兜の奥の闇炎が、強く輝く。それは頑なな拒否の感情を感じさせた。
『調子に乗るな。私の兜に人間風情が触るなど、許される訳がないだろう』
普通だったら、恐怖に動けなかったかもしれん。それほどに、兜から発せられる声には、強い威圧感を感じさせるものがあった。
じゃが、儂は自分の欲求を押さえられんかった。
「頼む!」
その場で膝をつき、頭を地に擦り付ける。今ここで、この叡智に触れなければ、儂は職人として、一生後悔をするかもしれない。
「ほんの……、ほんの少し触れさせてもらうだけで良いのじゃ! これほどまでに見事な兜は金輪際見ることは出来ないじゃろう。最後の機会かもしれん。触るだけでも儂の職人としての技術は、一段、上に昇る事は間違いない。その一端に触れるだけで良いのじゃ!」
儂は必死に頼んだ。もはや夢かどうかなど、どうでも良い。今ここで、目の前の奇跡に触れたい。儂にはその感情しか無かった。
『…………』
兜からの声は無い。しかし、何かを悩んでいるようにも見えた。
「さっき、頼み事と言ったな! 何でもしよう! その兜に触れる事が出来れば、儂はお主の言うことを何でも聞く!」
『……貴様には、強い剣を作ってもらう』
「剣! 儂の本業じゃ! 依頼されればなんでも作ろう!」
『……これまで貴様が作ってきた生ぬるい剣ではない。本物の、強い剣を作れ』
兜は儂の人生を全否定している。じゃが、憤怒は起きない。目の前に明らかに儂の技術を凌駕する実物があるのじゃ。その言い分を認めざるを得ない。
「頼む! その兜に触らせてくれれば、儂はもっと強い剣を作れる! その技術に触れされてくれ!」
もう、無心じゃった。まだ自分の技術は高められる。工房で培ったものは無駄ではない。この技術を自分のものにする為の、土台だったのじゃ。
『その為に必要であれば……。触れる事を許そう』
その言葉と同時に、儂は兜に手を伸ばした。しかしその手つきは乱暴なものでは無い。宝物に触れるように、最大の敬意と、未知の技術に対する畏れと、様々な感情がないまぜになって、指先を触れさせた。
「ああっ!」
儂の頭の中に、兜の感触が流れ込んでくる。それは、これまでの発想を全て打ち壊すような、衝撃的な感覚だった。
堅い。表面はなににも傷を付けられないような、強固さを持っていた。しかし、その内側には、指が沈み込むような感覚に襲われる柔軟さを内包していた。より堅く、強い芯を産みだそうとしていた、儂のこれまでの鍛錬を全て否定する、清流のような感触じゃった。
「これか! これが足りなかったのか!」
儂が鍛造の限界を感じていたのは、これじゃったのか。どこまで鉄を鍛え上げ強くしても、最後に来るのは衝撃に対する反動だった。決してそれが弱かった訳ではない。じゃが、どこまで堅くしても、儂の鍛えた剣は、使えば使うほど消耗していくものじゃった。
延びがない。そう感じていた。
じゃが、流れるような柔らかさ。これがあれば、一振の剣が生涯強く成り続ける。打って終わりではない。使えば使うだけ、なじむ。この感覚が必要だったのじゃ。
じゃが。そこまで至って、儂は滂沱と涙を流した。
『どうした?』
「……残念じゃ。この感覚を使いたい。剣を打ちたい」
『そうしろと言っている』
「この夢ではな……。じゃが、現実の儂はもう腕がない。言葉通り、両腕を失ってしまった。この技術を自らの手で再現したかったのう……」
もちろんドガー達、弟子達を鍛えてこれを伝えることは出来るだろう。この兜の依頼も、そうするつもりじゃった。じゃが、自分の腕でこの技術を使いたい。この感情は押さえられんかった。
『腕ならば、再生しているだろう』
「じゃから夢では……」
『その程度問題ではない。元々、貴様の腕は再生させるつもりであった。この空間は貴様の思う通り、夢だ。だが、目が醒めれば両の腕を与えることは出来る』
「そんな事出来る訳が……」
戦いに近い職業柄、様々な騎士、傭兵達を見てきた。じゃが、そんな奇跡は見たことはなかった。
『貴様が剣を作ると言うのならば、そうしてやろう』
とても信じられん事じゃ。じゃが、既に儂の想像を上回るような技術を見せつけられている。それを信じない理由はなかった。
「おお! まだ打てるのか! 剣が……、剣を!」
儂は自らの腕を引きつけ、まじまじと見る。力があふれ出てくるような感覚がある。これであれば、より強く、より繊細な鎚捌きが出来る。
「早く打ちたい! すぐにこの感覚を試したい!」
『ああ、私としても目が醒めたらすぐに取りかかってもらいたいと思っている』
「もちろんだ!」
『……だが、』
兜はそこで言葉を区切った。
『だが、先ほど言った通り、少々私の思惑と外れた動きが見える。十分に気を付けろ』
「そう言えば、なんじゃ、お主の思惑とは」
『貴様が知る必要はないが……。言葉の通り剣を作りたいのだ』
「なぜ儂に作らせる? お主の兜を作った職人に作らせれば良いじゃろう」
『この兜を作った職人はもう居ない。貴様の、人間の力で生み出す必要がある』
「それは残念じゃ……」
さぞ名の通った職人だったじゃろう。生きておれば、師事したかった。
『それを貴様が作り出せば良い』
「望むところじゃ。それで、なにに気を付ければよいのじゃ」
剣を打つことは出来る。じゃが、儂はそれ以外はからっきしじゃ。
『分からん。なにかが起きているようではあるが……。ミリャトという女が居ただろう』
兜からあの女の名前が出てきた。思えば、儂が両腕を失ったのも、あの女が元凶と言えなくもない。
「……あの女はなんなんじゃ」
『貴様の敵ではない。あいつに助力を仰げ』
「大丈夫なのか?」
直接なにかをされた訳ではないが、あれから、さんざんな目に会っている。
『ふん、貴様等からしたら私だって信用に足るのか?』
兜は少し稚気を含んで言った。確かに、怪しさはこの兜の方が上をいっている。
「それもそうじゃの。まあ、良い女だったし、もう少しお近づきになるか」
儂は舌なめずりをして、女を想像した。
『貴様は人間の生殖期間をとうに過ぎているのではないのか?』
「人間をなめてもらっては困るの。男はいつになっても、良い女を求めるもんなんじゃ」
兜から明らかなすげさみの視線が飛ぶ。正体は分からんが、人外の存在と思われる。魔物かも知れない。そんな存在からも、そんな感情を向けられるとはのう。
『まあ、貴様の感情などどうでも良い。うまくやれ』
それについては好きにさせてもらおう。
次第に意識が遠くなる。兜が消え、白い空間がさらに曖昧になる。
「……うう」
気が付けば暗闇の牢でうつ伏せに横たわっていた。
「夢……だったのじゃろうか」
儂は、両腕で身体を起こす。
ある。腕がある。
「夢じゃ……、ないのう」
もう一度腕の存在を確かめ、両手のひらで自分の頬を叩いた。その頬は、止めどなくあふれる涙に濡れている。
これは新しい出発だ。遙かに上の技術を見せつけられた。それに追いつき、追い越す。
職人として、新しい目標が出来たのだ。
「あら、起きたの?」
「ぎゃ!」
見ると牢の鉄柵を背もたれにして、ミリャトが座っている。肩越しに儂を見ていた。久し振りに見たその横顔は、やはり彫刻のように美しかった。
「……お主、どうしてここに」
兜はミリャトに頼るように言った。じゃが、おいそれと信用はしがたい。
「色々と問題が起きてね。急いで戻ってきたのよ」
「なにが起きたか分かっているのか」
ゴルゴン殿下の事に、ネルメ殿下の事、儂の腕もそうじゃ。
「まあ、だいたいね。それで貴方に改めて注文を出したいと思って」
ミリャトはこの場に似つかわしくない、楽しげな口調で言う。
夢の兜の事は聞きづらい。儂の腕も戻っている。
「今度はなんじゃ」
「ゴーレムの剣はもう良いわ。私もそれほど乗り気じゃなかったし。改めて剣の発注をしたいの。貴方のこれまで作ってきた剣程度じゃなく、もっと強い剣を」
ミリャトは兜と同じ事を言う。
「良いぞ」
「あら、私、結構失礼な言い方をしたつもりだったのだけれど」
「儂もちょうどそう思っていたところじゃ。もっと強い剣を作りたいのじゃ」
「……ふふふ。そう、じゃあお願いね」
そう言うと、ミリャトは立ち上がった。形の良い胸が豪華に揺れる。
「ちょっと用事があるから、私は別行動をするわね」
「それは良いが、ここから出してくれんかのう」
「情けないわね」
ミリャトは妖艶に微笑むと、鉄柵に触れた。
「でも、この程度の檻なら大丈夫よ。力の使い方を覚える為にも自力で出なさい」
儂はつられて檻を掴む。少し力を入れると、腕に何かが流れ込むような感覚があり、少し腕が膨らんだ気がした。
「それと……」
ミリャトが少し真面目な表情に変わった。
「工房に戻って。少しきな臭いわ」
「工房?」
確かに、ドガー達は大丈夫じゃろうか。あの警察隊の隊長の、儂を連れてきた時の様子からは少しは信用出来そうじゃったが、会議室でゾイデル達の様子が急に変わったのが気に掛かる。
「なにか知っているのか?」
「私は王都に戻ってすぐここに来たから……。でも、王都全体がおかしな様子だったわね」
ミリャトはそう言って、それじゃまた、と手を振りながら消えていった。看守等は居ないのだろうか。
「どちらにしても、工房に戻らん事には剣も打てんしの」
儂は鉄柵に手を掛け、無造作に隙間を広げた。
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