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第三話『ビトー』(一)

 おおう、昨晩は飲み過ぎたか。頭が割れるように痛い。まるで金床を叩く鎚の直撃を喰らったかのようだ。

 儂は頭を押さえながら、部屋の隅にある水甕に近づく。


「お、おえぇぇぇ」


 甕の中が、見るも無惨な状況になる。

 最近仕事が来ないからと、やけになって飲みすぎた。


「……ちくしょう、顔も洗えねえ。おおーい! 誰か居ねえのか!」


 今が何時か分からないが、弟子の一人でも居るだろう。しかし、儂の上げた大声に反応を示すものはなかった。


「なんだ! おい!」


 もう一度叫ぶが、誰も来ない。どうなってやがる。

 大声で弟子達への文句を吐く。少し気が収まってきた。

 儂は仕方なく、自分で新しい水を汲むべく外に出た。裏庭にある井戸に向かう。


「自分でやんのも久しぶりだな。……それぃ」


 井戸につるべを落とす。一寸の間を置いて、着水した音が聞こえた。


「……んん? なんか変な音がしたな」


 何か堅いものに当たった音が混ざる。水かさが減って来ているのか。


「まあ良い。……よっこらせ!」


 勢いをつけて桶を引っ張る。


「おうぅ! ぐえっ!」


 想定よりも勢いがつき、井戸の底から桶が飛び出す。

 桶は大砲の砲弾の如き勢いのまま、儂の顔面を直撃した。頭の痛み以上の激痛に襲われる。


「ぐああぁっっっ! ぢぐじょう! なんだぁっ!」


 儂は鼻を押さえながらもだえる。


 しかし、しっかり水は汲めていたようだ。うまく地面に落ちた桶には、たっぷりとした水が溜まっていた。

 鼻を冷やす意味も含め、頭から水をかぶる。まだ朝だろうが、もう気温は十分に上がっている。全身水浸しになるが、寒くはない。


「ぶふうぅ」


 やっと頭が動いて来やがったわ。


 鮮明になった思考で、昨夜の事を思い出す。

 確か、いつも通りに酒場でエールを煽っていた。最近、嫌な仕事が続いていた事もあり、少し限度が過ぎた飲み方をしたかもしれん。


「しっかし、あいつらはどうしたんじゃ!」


 弟子達は通常、儂の居る母屋の横にある宿舎に待機している。

 まだ街は動き出したばかりの、朝の気配をまとっていた。いつもなら、今頃は朝飯の準備をしているはずだ。


「……工房か?」


 少し寝過ぎたのかもしれん。

 工房の炉に火を入れるのも、弟子達の仕事だ。

 儂は一旦母屋に戻り、ずぶ濡れの寝間着を脱ぎ捨てて作業着に着替えると、工房に向かった。


 工房は母屋の裏手にある。近づいても金床を叩く音は聞こえない。


「おぉい! 誰か居ねえのか!」


 工房の扉をぶち抜くような勢いで開けながら、中に声を掛ける。どうにも起きてから力加減がうまくいかない。

 工房に入ると、やはり炉に火が入っている。


「ビトーの親方!」


 工房の奥から儂の名前を呼びながら、弟子の一人、ドガーが駆けてきた。


「ドガー! 何してやがった! 呼んだらすぐに来い!」


 ドガーは儂の怒号に、直立不動になる。脂汗を流しながら答えた。


「申し訳ありませんっす! 朝からお客さんがいらっしゃって、対応してましたっす!」

「客?」


 こんな朝早くから客が来ていると、ドガーは言う。


「誰だ」

「そ、それが、王家の方の御使いっす……」

「王家だとぉ?」


 この国で王家といえば、カトレア家しかありえねえ。

 儂は、うちの工房は王都で一番の技術を持つと自負している。だから王国騎士団からの注文だって貰っていた。

 だが、王家の注文ってのは初めてだ。


「誰だ」

「はいっス。ネルメ殿下の使いでミリャト様だそうです」


 ネルメ殿下といやあ、一年ほど前のマイン領とかいう地方貴族の反乱で、王国騎士団をほぼ全滅させて帰って来たぼんくらだ。

 確か、戻ってきて王位継承権を剥奪されるかって瀬戸際に追い込まれてたが、画期的な技術を開発して、お咎めなしに落ち着いたとか。

 まあ、国王陛下の我が子可愛さだろうって、酒場でも酒の肴に上がっていた。


「ミリャトってのは聞いた事がないな? 家名は聞いたか?」

「リカレ……? いえ確かリカルミスって言ってたっす」


 ミリャト・リカルミス。儂は口の中でつぶやくが、聞いた事のない名前だ。じり貧とは言え、王家の名代。無名の貴族ではないはずなんだが。


「知らねぇな……。それで要件ってのはなんなんだ」

「武器を作って欲しいそうっす」

「馬鹿やろう! うちは鍛冶屋だぞ! 当たり前だろうが!」

「うへっ!」

「変な声上げてんじゃねぇ! 何の武器だ」


 ドガーは腕は悪くないんだが、いまいち要領が良くない。儂はこいつと話してると、つい怒鳴り声を上げちまう。


「それが聞いても良く解らなくて……。親方、直接聞いてもらえないっすか?」


 ドガーは、弱り切った顔で儂を見ている。

 だが儂は同時に疑問を持つ。ドガーは鍛冶の腕だけは良いんだ。そのドガーが、聞いても解らない武器の注文なんて、あるだろうか。


「おめえが解らねぇ? 何だそりゃ」

「だから解らないんすよ。美人なんすけど、なんか得体が知れないし、師匠、お願いしやすよ!」


 ドガーの言葉で、儂はミリャトという人物に俄然興味を持った。


「美人だと? ……分かった。儂が聞いてやる」


 ドガーは安心したような表情を浮かべる。


「ありがとうございます! 今、応接室でお待ちいただいているっす!」

「おめえも来んだよ! 行くぞ!」




 応接は工房の奥、無理矢理部屋を付けたような場所にある。というより、本当に後から設えたのだ。

 職人なんて、己の腕と設備さえあれば仕事は出来る。この工房を建てた時は、客が来るなんて、まったく頭になかったわい。


 商談を、騒音激しい工房の中でやる訳にもいかず、結局新しい部屋を造った。

 元々物作りの専門家が集まってるんだ。そんなに手間じゃなかったわ。

 ただ、設計に関わった全員が自分の色を出そうと特色ある内装にした為、部屋の中はかなり混沌としたものになってしもうたが。


「おう、待たせたの」


 儂は無駄に凝った、ごてごての装飾がなされた扉を開けた。見た目は重々しいが、開閉は滑らかだ。計算をし尽くされた蝶番は、大した力を入れる必要なく扉を動かした。


 部屋の中は、職人達が手なぐさみに作った実用性度外視の武器が、壁中に立てかけられている。様々な輝きを放つそれらは、まるで宝石のようだった。

 その他にも、芸術家魂を刺激された職人による銅像などが立ち並ぶ。職人が男ばかりだからか、女性像が多い。

 皆、想像しうる限りの美人を作っている。美女に囲まれたその光景は、さながら男の夢を具現化したようだった。


 そんな中、あろう事か来客用の長椅子に腰掛けるように設置された女性像があった。

 出来は素晴らしい。ここまでの技術を持つ職人がいただろうか。

 この世の美を集約したような姿は、見るものを釘付けにする。

 儂も一瞬見惚れてしまったほどだ。


「誰じゃ! こんなと、ころ、に……」


 儂は反射的に怒鳴るが、そのまま固まってしまった。


 これほどまでに驚いた事が、人生であっただろうか。その銅像は椅子から立ち上がると、儂に向かって会釈をしてきた。


「お初にお目にかかりますわ、ビトー様。私はネルメ殿下の名代として参りました。ミリャト・リカルミスと申します」


 儂は驚きのあまり、思考を停止していた。

 天使を思わせる完全なる美を従えたそれは、銅像ではなかった。生きている女だったのだ。


「な、あ、う……」


 うまく言葉が出て来ない。息をするだけで精一杯だ。


「お、親方! 大丈夫っすか!?」


 後ろでドガーがなにか言っているが、頭に入って来ない。


「どうされました? ビトー様?」


 ミリャトと名乗る女が、小首を傾げる。その仕草だけでも、儂は昇天しそうになった。


「いっ! いや、なんでもないわい……。はあっ、はあっ、……ふうぅぅ!」


 とにかく大きく肩で息をして、気持ちを落ち着かせる。

 なんちゅう美女だ。その存在自体に甘い香りが漂うようだった。

 どうにか落ち着いてきた理性を、渾身の力で全面に出す。

 儂はわざとらしく、ごほん、と咳払いをした。


「お、おまえさんがミリャトさんだな? 弟子から話は聞いた」


 先ほど名乗られたにもかかわらず、確認をしてしまった。


「はい。よろしくお願いしますわ、ビトー様、でしたわよね?」


 ミリャトが覗き込むように上目遣いで、儂に尋ねる。その姿も反則級の美しさだった。


「そ、そうじゃ。この工房の代表をやっている、ビトーという。立ち話もなんじゃ、座りんさい」


 儂は、未だ立ったままである事に気が付いた。ミリャトに、長椅子に座るように促す。

 ミリャトは優雅に腰掛けると、妖艶な仕草で脚を組んだ。座った反動で、大きく形の良い双丘が柔らかそうに揺れる。

 その姿は、一枚の美しい絵画のようであった。

 儂も女と反対側の椅子に腰を下ろす。椅子は少し湿った軋みを上げ、儂を受け止めた。

 正面から見た女の瞳は、濡れたような光を放ち、儂を捉えている。


「ドガーから聞いたが、武器の注文じゃったな」

「はい、そうですわ」


 女が喋るたびに、ここまで甘い香りが漂う。

 美人とはいえ、儂の歳でこんなにも感じるとは。ドガーが怯えるのも頷ける。あいつは女っ気がないからな。


「す、済まんが、堅苦しい言葉は無しにしてくれ。儂の事も、様はいらん」


 この容姿で畏まられると、変な気分になる。


「では、お言葉に甘えるわ。私もこの方が喋りやすいしね」


 少し崩してくれた方が、普段娼館で会ってる女達みたいで気楽になる。

 儂は気を落ち着けて、改めてミリャトを真正面にとらえた。


「それで良い。……それで、馬鹿弟子が注文の中身を理解出来なかったみたいでな。もう一度、説明してくれんか」


 後ろに立つドガーが、恐縮して硬くなるのが分かる。


「もちろんよ。少し突飛なお願いだから、混乱されてしまったのね。……ごめんなさいね」


 ミリャトは謝罪の言葉をドガーに掛ける。

 ドガーはミリャトに苦手意識を持ってしまったようで、脂汗が滝のように流れる。


「いえ、自分の勉強不足っす! 申し訳ないっす!」


 ドガーは天井を凝視し答えている。


「それで、どんな武器なんじゃ?」


 儂はミリャトに水を向けた。


「剣よ。でもただの剣じゃなくて、ゴーレム用の、大きいものが欲しいの」

「ゴーレムに剣?」


 剣は使う者の技量が強く出る。単純な命令しか受け付けないゴーレムでは、使いこなせないはずじゃが。


「ええ。今、王国騎士団に代わる新しいゴーレム部隊を編成中なの。それで使われるものよ」

「王国騎士団は、確か……」

「ええ。この間の貴族の反乱で、ほぼ壊滅したわ。それで急遽再編しているの」


 なぜかミリャトの言葉に稚気が混じる。


「儂は騎士様の事は良く知らんが……。しかし、ゴーレムに剣など扱えるかね」


 儂は武器を作るだけだ。その後の使い道までは、興味は持たん。だが、まったく意味のないものを作る気は起きない。


「これは機密事項なんだけど……。ネルメ殿下の開発された技術で、新型のゴーレムを建造中なの。そのゴーレムであれば、剣を使う事が出来るはずよ」


 剣を振るうゴーレムというのは聞いた事はないが、ゴーレム創造技術については、儂は部外漢。それについては議論出来ない。

 とりあえず、剣を扱える前提で話を進めた。


「ゴーレムのう……。そうすると、かなりの大きさになるか」


 ゴーレムの身長は、騎馬した騎士達を軽く上回る。その剣となれば、生半可な大きさでは足りないじゃろう。


「ええ。……そうね、この部屋の天井くらいの長さは欲しいわね」

「大きいの! 何本くらいじゃ? 鉄の在庫が心許ない」


 その長さに耐えられる強度を保つのならば、普通の長剣の十数倍は鉄が必要になる。


「千本は欲しいわね」

「せん?!」


 儂は声を裏返させて叫ぶ。勢いで立ち上がり、椅子が倒れそうになる。

 通常の剣であれば、万単位の量だ。


「出来上がるごとの納品で良いわ。まずは百くらいね。支払いは十本単位で前払いするわ」


 それでも捌き切れるか分からない。


「発注はうちだけか? 納期によっては間に合わんぞ」

「ゴーレムの事は機密事項なのよ。あまり広めたくないから、まずは貴方のところだけ。納期は任せるわ。出来るだけ急いで欲しいけど」


 確かに王都で一番の工房である自負はある。儂の工房にまず声が掛かるのも、納得は出来る。

 だが、まるで戦争準備のような注文を受け切れるか。

 儂は、椅子を直して座った。


「……材料の確保からだな。最初の百本でも設計含めて三カ月は欲しい」

「まあ、仕方ないわね。……貴方ならもっと早く打てそうだけど」


 ミリャトは意味深な笑みを浮かべて、儂を見ている。

 本当に官能的な女じゃ。


「ちょうど騎士団からの注文もなくなってたからの。最優先でやってやろう」

「ありがとう、お願いね。材料は私の方でも手配を始めてるわ。納品状況に応じて、供給するわね」

「おう! 任せろい!」




 その日から、儂は巨剣の製造に取り掛かった。


 設計は一週間ほどで終わったんじゃが、とにかく打つのに時間が掛かる。

 剣が自重に耐えられるように、芯を強くしなきゃならんのだが、普通の鎚では鍛打範囲が狭すぎて効率が悪い。

 儂はだんだんと鎚を、より大きく、重いものに替えていった。




「ビトーの親方、さすがっす!」


 ある日、ドガーが感極まった声で叫び出した。その後ろでも、他の弟子達が驚愕の表情を浮かべている。


「なんじゃい」

「なんだもなにも! そんな鎚、どうやって持ち上げてんですか!?」

「あ?」


 言われて鎚を改めて、いまさらに驚いた。

 確かにでかい。頭の部分だけで、儂の腰くらいまである。

 徐々に大きくしていたので自然に使っていたが、我ながら良く扱えているものだ。


「おめえらは根性が足りんのよ」


 そういやあ、この注文を受けた日から調子が良い。夢中で鎚を振るっている。


「……ふう、今どれ位出来上がったんじゃ?」

「ええと……、八十っすね!」

「おお、すげえじゃねえか!」


 まだひと月も経っていない。驚異的な早さだ。


「親方がほとんどやっちまってますからね! この巨大な鉄芯を、ここまで打ち込むなんて……。ありえないっす!」


 ドガーの言葉に、他の弟子達も頷く。

 儂は良い気分になるが、それで鉄打ちが狂う訳にもいかん。

 努めて厳しい顔で、弟子達を怒鳴りつけた。


「おめえらが頼りねえから、儂が全部やってんだ! おらっ! しっかり合いの手を入れろ!」

「は、はいっす!」


 こうして、ほぼひと月で最初の納品百本が打ち終わった。


毎週日曜日の夜に更新します。

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