裏三話『私兵団』(四)
村の避難はすぐに完了した。元々住民が少ない村である。男達が残る事を考えると、それほど避難すべき人数が居ない。
ゲイルは村を離れて行く行列を眺めていた。
「少ねえな……。昔はもっと居たって事か」
「そうです。住んでいる儂が申し上げるのもなんですが、ここは住みづらい。段々と人が出て行きました」
隣で村長が答えた。年齢的に戦える事はないだろうが、村の行く末を間近で見たいと希望した。
「それにしちゃ、昨日は外で宴会したな。人数が居た頃は集まったりしなかったのか」
「大人数が集まれる施設というのは、建設を禁止されてましての。人が集まると、良くない事を考えますから」
「なるほどね」
ゲイルは不思議な気持ちになっていた。こうして話していると、気の良い御老候と世間話をしているような気しかしない。本心はどうか分からないが、この村に今住んでいる人々が、本当に王国にとって脅威になりうるのか。
私兵団に入って様々な所で、様々な人々を助けてきたゲイルにとって、目の前の老人は同じく助けるべき人という括りでしか考えられなかった。
「さあ、私兵団の方々は夜までお休みください。まだ時間がありますから」
「……ああ、そうさせてもらうわ」
ミグロウは村の広場で愛用の短刀を磨いていた。力の無い彼にとっては、速度で勝負する短刀が性に合っていた。
「あれは勝てないねぇ」
昨日遭遇したドラゴンを思い出す。普段おしゃべりなミグロウだが、ドラゴンと面と向かっている間、ただの一言も発する事が出来なかった。
一方で、オルグは交渉をしている。共に私兵団として戦ってきたミグロウにとって、その差は衝撃的であった。
「ここまで違うもんかね。僕は今まで何をやっていたんだろうねぇ」
ここ数年でも、私兵団の面子はしばしば入れ替わっている。魔物と積極的に戦っている集団である、死も珍しい事では無いのだ。今日の戦いで誰かが死ぬかも知れない。それはミグロウかも知れないし、オルグかも知れないのだ。
「僕なんかは良いだろうけどね。オルグが死んじゃったら、この私兵団は大丈夫かな……」
ミグロウは、私兵団はオルグが纏めてきた集団であったと思っている。事実、オルグはマイン領の魔物への対処を専門とする、討伐騎士団の団長を長く努めていた。私兵団の最古参である。
短刀は既に十分に磨かれていた。だが、ミグロウは夢中で磨き続けた。その姿はまるで、自らの中にある不安を擦り取ろうとしているようであった。
オルグは村を歩いていた。
村を出歩く人影は無かった。それはそうだろう。あと数刻でドラゴンが攻めてくるのだ。
「おそらく、ドラゴンは我々が魔法を使える事に気が付いた」
その直後に村を襲うと宣言される。つまり。
「我々が村に居る事自体が、ドラゴンにとって避けるべき事なのか」
ドラゴンの討伐命令を受けた時、オルグは心の奥底では嬉しかった。領民を守る、マイン候ゆかりの者を守る、それはオルグの存在意義を示す上で、重要な事であった。それを求められている事も分かっている。
一方で、一人の戦士として、より強力な存在と戦いたい。そのような欲求も持っている。もちろん戦士としては当然の感情である。魔法を使うとはいえ、日々剣に磨きを掛け、自分を高め続けているのだ。それを発揮する場を欲しがる感情を抑える事は出来なかった。
マイン候に魔法を使う、魔物の器官を移植する事に協力を求められた際、オルグは瞬時に了承した。マイン候への忠誠もあったが、自らの強さを求める心がそれを後押ししたのは間違いが無い。
魔法を使う効果は大きかった。間違いなく、今のオルグは前のオルグよりも強い。
だが、オルグ達の存在によって守るべき者達に脅威が迫っている。
「なんの為に強くなりたかったのか……」
オルグは騎士の家系に生まれ、騎士として生きてきた。王国にいる騎士は剣を捧げている王家、貴族への忠誠よりも、民への忠誠を重んじる。過去、王国内で起こった内乱の影響なのだが、それは騎士として生きる全ての者に共通する認識であった。
「……む?」
悩みながら歩き続けていると、強い視線を感じた。速度を落とすと気配も一定の距離を保ちながら付いて来ている。
オルグはそれほど大きくはない村で、唯一裏道と思える一画に向かった。
路地に入ると、すぐに自らの魔法を発動させる。
オルグの身体が周囲の背景に溶け込むように消えていく。全身の皮膚に移植した暗殺蛇の色素が、背景に合わせた変色を始めたのである。
更に魔法を使う際に発せられる瘴気が、オルグが着用している鎧にまでその効果を発揮する。
そうして息を殺して暫時待つと、裏道に少年が入ってきた。オルグを探すように、首を左右に振っている。
昨夜、宴会でオルグを凝視していた少年であった。何度かこの村に来ているオルグも、面識が無い。
少年はオルグを見失った事が分かると、その場にへたり込んだ。
「撒かれた……」
実際にはすぐ近くにオルグは居るのだが、少年はそれに気が付かない。
少年が何か独白をするかもしれない、とオルグはしばらく様子を見る事にする。
だが、少しの時間座っていると、少年は立ち上がり来た道を戻り出した。
少年が路地を出た事を確認して、オルグは魔法を停止させる。明らかにオルグを追いかけていた。だが、全く身に覚えがない。
少し考え、オルグは裏道を出ると、少年に追いつき声を掛けた。
「少年」
「わっ!」
少年は驚き後ろを振り向く。オルグである事を認識すると、再び前を向き走り出した。逃げようとしている。
「……待て」
オルグは大人の男と比べても巨漢である。しかも戦士として一等級だ。子供の走りで逃げ切れるものではない。
事実、数歩も走って少年はオルグに襟元を捕まれた。
「なぜ逃げる?」
「…………」
少年に問いかけるも、返事は無い。オルグの顔をまっすぐから見据え、睨みつけていると言ってもいい。その瞳には強い想いが籠もっている。
「俺の事を知っているのか?」
一方でオルグも百戦錬磨の戦士である。その程度の重圧に気圧される精神は持っていない。
「何か言いたい事があるのならば、今言っておいた方が良い。今日の夜にはドラゴンがこの村を攻めてくる」
「…………」
「生き残れるかどうかは、分からない。今しか聞けないかも知れない」
オルグとて死にたい訳ではない。だが、魔法を使う者として、魔物の強さは身を持って分かっている。討伐には常に死の覚悟を持って望んでいる。しかも今回の対象は昨日遭遇したドラゴンである。まず生き残れない、そんな感情を持っていた。
そんなオルグの思いが伝わったのか、少年が口を開いた。
「……父ちゃんを殺さないで欲しい」
「父ちゃん?」
過去、この村に来た際に会った事があるのだろうか。何人か顔見知りは居るが、オルグが殺す事はないだろう。
「誰の事だ?」
「ドラゴンだ」
少年はそう言うと、オルグの手を振りほどいた。そしてオルグに向き直る。
「今日の夜攻めてくるドラゴンが俺の父ちゃんだ!」
オルグは混乱した。少年の言葉の意味を考える。
「……説明しろ」
少年は感情的になりながら、オルグに語り出した。
少年は村では新参者であった。元々王国に対して反乱の可能性がある者達が集められた村である。王国内で生き易いとは到底言えない暮らしをしてきた。しかし、そうは言っても三百年も前の話である。今は人数も少なく、反乱を起こそうとなど、考えてもいなかった。
だが、周囲の人間がそう思えるかは別の話であり、迫害を受ける事もあった。その為、行き場のない人間の溜まり場としての側面も持ち合わせていた。
少年は一年ほど前にこの村に流れ着いた。オルグが知らない筈である。
村に着いた時は一人であった。居場所を失った子供が村に来ることは希にある。村は食糧も相応にあるので、そういった子供を受け入れていた。
少年は村で生活を始めたが、親の事は言わなかった。村人も聞かない。言えない事情を持つ子供も多くいたため、それは問題では無かった。
「孤児のお前がドラゴンの子供だと?」
「そうだ! 父ちゃんはドラゴンになったんだ!」
少年の生まれた村は、ここから西に行った所にあった。この村と同じく、王国が建てられた際に造られた帝国民の村である。
だが、五年ほど前に消滅している。
「ドラゴンに襲われたんだ」
村は壊滅的な被害を受けた。しかし少年の父親である村の戦士が、勇猛に戦った。
「その時、父ちゃんはドラゴンの中に入っていった」
喰われた、のだろうとオルグは当たりをつけた。ドラゴンの食性は知らないが、あの巨大さである。人間をひと飲みしても不思議ではない。
「そしてドラゴンは大人しくなって……。それ以上は暴れないで、居なくなったんだ」
子供が父親の死を受け入れられず妄想をしている、と断定しても良い依田話である。しかしオルグの頭の片隅に、昨日ドラゴンと話した時の事が思い出される。
人間から見れば同じ。
あの言葉の意味はなんだったのか、オルグには分からなかった。少年の話と関係がある事なのか。
「……話は分かった」
「じゃあ!」
「だが、ドラゴンが攻めて来るのだ。村を守る為、戦わない訳にはいかない。この村でなければ暮らせない人々が居るのだ」
村人が街に逃げ込む訳にはいかない。それほど根深く王国建国時のわだかまりは残っているのだ。
オルグは民を守る為に、騎士に、そして私兵団になったのだ。
「ドラゴンと会話が出来るのであれば、確認する。その上で判断しよう」
「…………」
「村を守る、それが我々の目的だ。ドラゴンが話して分かるのであれば、戦う必要はない」
少年が納得したのかは分からなかった。だが、オルグのその言葉を聞いて、俯いたまま背を向けて歩き出した。
「おい」
その背中に向かって、オルグは声を掛ける。少年は立ち止まる事は無かったが、構わず言葉を続けた。
「どちらにしてもドラゴンは強い。我々が勝てるとは限らないだろう。お前も避難しておけ」
返事はなかった。オルグは、おそらく少年は避難しないだろうと考えていた。
そのまま、少年の姿は見えなくなった。
誰も居なくなった通りを見つめ、オルグは夜を待った。
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