裏三話『私兵団』(三)
ドラゴンは巨大な羽を広げて、空中に静止している。どこかの蝙蝠みたいに忙しなく羽ばたかせたりはしなかった。まるで、そこには足場があるかのようである。
『そう、急くな』
ドラゴンはオルグの思惑を理解したように言葉を発すると、そのまま私兵団の前まで降下した。着地の際も砂埃ひとつ上げない。この空間全てを支配しているかのようである。
「麓から少し南に向かった所に、我々が懇意にしている村がある。その村から、ドラゴンの、貴方の討伐依頼があった。村に近寄るのを避けてはくれないか」
オルグが代表して交渉をする。さすがは、私兵団を纏める者であった。ドラゴンの発する威圧に飲まれながらも、自我をしっかりと保っていた。
『ドラゴン……? ああ、人間から見れば全て同じか』
「なんの事だ?」
ドラゴンが少々怪訝な雰囲気を醸し出す。だが、私兵団にはドラゴンの思惑は理解出来ない。
『いいや、こちらの話だ。……こちらのな。さて、村というのは人間の集落だな。ここからでもたまに視界に入る事がある』
こんな辺境に、他に村はない。ドラゴンが言っているのは間違いなく昨日私兵団が泊まった村である。
「そうだ。我々人間には、貴方のような魔物は脅威なのだ。村の人間が安心して暮らす事が出来るよう、近づかないで欲しい」
『なぜ人間の都合を考える必要があるのか分からないが……。私はしばらくこの地に留まらなくてはならない。』
「なぜだ?」
この魔物を百年も放置しておく訳にはいかない。オルグはそう考え、ドラゴンがここに居る理由を確認しておきたかった。
『私の支配域を守る為だ。今、お前達の世界で起きている戦争が私に影響を及ぼす事は防がねばならん』
「戦争? 王国と帝国の事か」
カトレア王国は帝国から独立して三百年、事あるごとに衝突を繰り返している。ここ十年ほどは大規模な戦闘は起きていないが、王国民にとって戦争と言えば、相手は帝国の事であった。
しかし、ドラゴンの答えは、オルグ達の想定していたものではなかった。
『そのような人間同士の争いに興味はない。魔族の事だ』
「魔族?」
私兵団の面々は、魔族という言葉に聞き覚えはなかった。
魔族、とは魔物と同じく魔法を使いながら、意志を持った生物である。大陸に人間が入り込む以前から存在していながら、人間との関わりがなかった為、露呈することは無かった。オルグ達が知らなかった事も当然である。
だが、ドラゴンは無知の人間を啓蒙する為にここに居る訳ではない。それについて説明をする事はなかった。
『知らなければそれで良い。私がここから動けない事に変わりはない』
「……それでは、村の安全を保証してくれないか」
戦って勝てる相手ではない事はオルグ達にも分かっていた。最大限の譲歩を引き出すしかないのである。
『人間が道端を歩く蟻に興味を示すのか? 村という集落について、私の認識が及ぶ事はない』
積極的に攻めては来ないが、特段配慮もしないということだ。それはオルグ達にとって良い回答ではない。
「それでは困る。我々は安全が欲しいのだ」
『そのような事は知らないと……。む、貴様ら、本当に人間か?』
ドラゴンがねめつけるような視線を向けた。私兵団の魔法の力に気が付いたのである。それはドラゴンが危惧している魔族の特徴と酷似しているのであるが、オルグ達にそれは分からない。
『……ぬ。なるほど、人間とは面白い事を考えるものだ。だが、これは良い状況ではないな』
ドラゴンは一人納得して、話を戻した。
『人間よ。私がここにいる限り、貴様達は幾たびもここに来るのか』
「そのつもりだ」
『村を守る為か』
「そうだ」
本音を言えば、オルグでさえドラゴンと対峙するのは避けたいと考えていた。魔法使いの戦闘力でさえ、遠く及ばない存在であることが、肌で分かるからである。
『ふむ。では明日の晩、村を焼き払う事にする』
「なっ! なぜだ!」
つい先ほど、興味がないと言ったばかりである。私兵団は困惑した。
『逃げるなり、戦うなりはお前達に任せる。こうして話した縁だ、避難する時間は与えよう』
「どういうことだ」
なおもオルグは問いかけるが、ドラゴンは宙に浮かび上がると雲の上へと消えていった。存在感は未だ感じる事から近くに居るとは思われるが、どこかまでは判別が付かない。
「どうするんだ?」
ゲイルがオルグに問いかけた。だが選択肢がない事もまた分かっている。
「村に戻る。避難させて我々で迎え撃つしかあるまい」
オルグはそう言って、来た道を戻りだした。
「勝てるのかなぁ。あんな化け物」
ミグロウが明るい声で言うが、その表情は浮かない。ゲイルもぼやきたい所であった。
村に戻ると、オルグは村長に状況を説明した。だが、村長から返ってきた言葉は意外なものであった。
「状況はわかりました。ですが、村の者は避難しないでしょう」
「どういうことだ?」
ゲイルが意味が分からず聞き返す。
「女、子供はもちろん避難させます。しかし村の男達は、貴方方と一緒にドラゴンを迎え撃つと思います」
「確実に死んじまうぞ」
直接会ったゲイル達には、ドラゴンの脅威が痛いほど良く分かった。自分達でも生き残れるとは思えないのだ。村人が無事で済むとは思えなかったのである。
「分かっておりますが、問題は幾つかあります。一つには旅の間の食糧です。備蓄はありますが、携帯食には向いておりません。道中の村人全員分をまかなう事は出来ません」
街であれば、調達出来るであろうが、この村は自給自足が基本である。十分な食糧が確保出来ないのである。
「もう一つ、受け入れ先がありません。我々がどうしてこのような場所に村を構えているかは、ご存じですか?」
ゲイルはこの村に来たのは初めてである。その理由は知らなかった。確かに、こんな住みづらい所に固執する理由が分からない。
「知らねえ。皆は知ってるのか?」
ゲイルは私兵団に水を向けた。ミグロウが言いづらそうに答える。
「……この村は、王国建国の際に造られたのさ。敢えてこんな場所に村を造るよう命じられてね。わかるでしょ」
カトレア王国は帝国から独立して建国した。つまり独立前は帝国領だったのである。上の方で勝敗が決まったからと言って、そこに住む住民が明日から別の国に属するという事を簡単には受け入れられない。
依然として帝国支配を希望する住民も、少なからず居たのだ。
この村はそのような住民を隔離する場所として造られたのである。
「いや、もう三百年前の話だぞ?」
当時は相当の住民が居たが、一人、また一人と去っていき、今の村の規模になっている。逆に言えば、未だにここに残るという事は、先祖代々王国の支配を受け入れられない人間達なのだ。
「……王国騎士団の応援も期待出来ません」
距離的に明日の夜には間に合わないという事もあるが、避難中も支援は受けられないのである。避難しても、のたれ死にするのが目に見えていた。
「それでマイン候と繋がってんのかよ」
マイン候は公言していないが、反王家の姿勢である。ゲイルは以前それを聞いた事があった。魔物退治を騎士団に頼めないこの村にとっては、マイン候は距離的に離れているとはいえ、頼れる唯一の武力保有者なのである。
「どうする、団長」
村人の決意を堅いとみたゲイルは、オルグに問いかけた。
「……我々のやる事は変わらん。明日、ドラゴンを迎え撃つ」
オルグは決意を秘めた瞳で、ビオルエン山脈を睨みつけた。
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