裏三話『私兵団』(二)
ゲイルは、割れるような頭の痛みに目を醒ました。
飲み過ぎである。
無意識に頭を取ろうとするが、もちろん取れない。頭を押さえながら、寝床から這いずり出た。
「ミ、ミグロウ……、生きてるか……?」
同じ部屋に寝たはずの同僚に、生死を確認すべく声を掛ける。部屋の隅で毛布が動いた。
「……う、ううう」
うめき声が聞こえる。この世の全てを呪うようなその響きは、戦場であれば、即時に身構えていただろう。
ゲイル達がうめきあっていると、爆音を上げて扉が開いた。あまりの勢いに蝶番から扉自体が外れんばかりである。
「起きろ。出発の時間だ」
瀕死の扉の向こうには、仁王立ちになったオルグが居る。
「……うす」「……はい」
まだ外は暗い。陽が昇るには、まだ時間があった。今日は一気に山脈を攻略しなければならない為、明るくなる前に出発しなければならないのだ。
オルグの洗礼により一気に覚醒したゲイルとミグロウは、手早く身支度を整えると集合場所の村の広場、昨夜宴会した場所に向かった。オルグ、ローミーン、モリオは既に集まっている。
「いや、すんません」
「おはよぅ」
形だけでも頭を下げるゲイルを横目に、ミグロウは全く気にした素振りも見せず、三人に合流する。三人も気にした様子はない。
「行くぞ」
短く言って、オルグが先頭を切って村を出る。先に来ていた三人はあまり細かい事を気にしない質であった。
「団長……」
私兵団が村から出て少し歩いていると、モリオが団長の横に行き話し掛けた。
「どうした」
「村から我々を追跡している者がいます」
「追跡?」
彼らは別段悪事を働こうとしている訳ではない。魔法を使うという、非常識な事を内包しているとはいえ、村とは協力関係である。今更、私兵団を調べる事がある筈はなかった。
「足音が一定の距離で聞こえてきます。この時間にこんな場所です。我々を尾行していると考えるのが、相応かと」
モリオの聴力が足音を捉えている。野伏などは彼らの前ではなんの役にも立たない。
「なぜだ?」
オルグは疑問を持った。私兵団を調べる者がいるのであれば、村への道中も尾行していなければおかしいからである。モリオが旅の間なにも言っていなかった事から、尾行者はそのときは居なかったのだろう。
小さな村である。部外者が潜入していたというのも考え難かった。
「……わかりません。足音からは、かなり小柄な人物です。一応、お気を付け下さい」
「……わかった。皆も聞こえたな?」
私兵団は一同、了解の意を示す。魔法の使える彼らに勝てる人間はそうは居ないと思いながらも、警戒はするに越したことはない。
尾行者の事を気に止めながら、少し行軍を早めて山脈の麓に向かった。モリオが定期的に足音を聞いていたが、しばらくすると彼らの速度に付いてこれなくなったようである。足音は聞こえなくなった。
目の前に、ほぼ垂直と思われるような絶壁が姿を表す。それはまるで、この世とあの世の境目を表現する為に神が引いた境界線のようであった。
「どうするんですかい? この崖」
「登る」
ゲイルの絶壁を前にした呟きに、オルグが短く応える。
「はあ、登る……。いや、無理じゃねえか? 足を掛ける所もありゃしないぞ?」
「じゃああん」
ミグロウが独特の勿体付けをして、小さな金属片を取り出した。
「なんだ? そりゃ」
「登山釘だよ。これを岩肌に突き刺して足場を造るんだ」
確かに金属片の先端は尖っていた。それが何枚も連なって、紐で結ばれている。
「お前が先に上まで行って、引っ張りあげてくれりゃ良いじゃねえか」
ミグロウは空を飛べるのである。
「え? 無理だよ。疲れちゃう」
「疲れるくらいなんだよ。そんなちまちまやってたら、日が暮れて……」
二人が言い合っている後ろで、岩を叩くような音が断続的に響いている。振り返ると、残りの三人が登山釘を使って遙か上に登っていた。
「……わかったよ。ほら行くぞ」
ゲイルはミグロウから登山釘を受け取ると、壁に突き刺して登り始めた。
ゲイルは理解していなかったが、ミグロウの飛行は、基本的に滑空で空を飛ぶ。つまり段差の無い所から、垂直に上昇するのは困難という事である。
その為、ミグロウもゲイルと同じように登山釘で登っていた。体重が軽い分、皆ほどの苦労はしていない。
途中、ゲイルが足を滑らせてあの世に直行するか、という場面があったが、私兵団は無事登り切った。既に差していた登山釘が、抜けずに体重を支えた。紐で複数の釘を連結しているのは、この為である。
「ふう。少し疲れたな」
ゲイルは崖を登り切って一息吐いた。ここからは、しばらくなだらかな勾配が続くようである。
「なんか、空気が重いな」
高度があるせいなのか、山の中は空気が良くないようである。マイン領の大森林で吸い込む空気を思い出す。
「瘴気が濃いからね。そのせいだと思うよ」
瘴気は魔物が活動する際に濃くなる、空気中の毒素だ。慣れてない人間が吸い続けると、意識を失ったり、最悪死に至る。
「……ドラゴンが居るんだもんな。瘴気も濃くなるか」
瘴気は、私兵団にとっては普通の人間と違い、毒素とは違う側面がある。毒であることは間違いないが、魔法を使う際に体内で消費する気、魔力と彼らが呼んでいるものが、瘴気によって回復するのだ。更に体力の回復も促す。
少し休憩して、進行を再開する。
そこから数刻歩くと、ドラゴンの巣穴と呼ばれる台地である。
「それで、ドラゴンが居たとして、どうやって討伐するんだ?」
ドラゴンは最強の呼び声が高い魔物だ。もし傭兵組合で対処するのであれば、国中の傭兵を呼び寄せて特別部隊を編成するだろう。だが、ここにいるのは、魔法使いとはいえ私兵団の五人だけだ。
「これまでドラゴンと戦った事はない。どう出るかは相手次第だな」
「最悪、村まで来なければ良いからね。対話が出来れば、説得という手もあるかなぁ」
ドラゴンと遭遇し生き残った者が言うのは、ドラゴンは会話が出来るというのだ。
ドラゴンを魔物に分類して良いか、議論の焦点はここにある。ミグロウは軽く付け足すが、魔物と会話、なんて事は通常考えない。
『お前らが私兵団か』
突然、彼らの上空から声が降ってきた。それと同時にものすごい重圧が身体に掛かる。ゲイルは体中の力を振り絞って、どうにか首を上に向ける。
まるで城である。
初めてそれを見た時、ゲイルはそんな印象を持った。それを表現するのに、他の適当な生き物が思い浮かばかった為だ。建物、それも庶民の暮らす小さな家ではない。壮大な大きさを持ちつつ、その内面に堅牢さと優雅さを封じた風格が溢れ出ている。
翼を開いて宙に浮いているようだが、羽ばたいている様子はない。己の存在を顕示する為に広げているのだろう。
太陽を覆い尽くすその巨体は、漆黒に包まれている。本来は燃えさかる炎のように赤いのだが、太陽を支配するが如く逆光になっている為、影になってゲイル達には良く見えないのである。
ただ、私兵団の存在意義を試すような熱が吹き付けてくる事で、感覚としてそれが赤いのだという事が分かるのだ。
「そ、そうだ」
普段冷静なオルグも、さすがに声がうわずっている。他の面々は息を飲むばかりで、声を発する事が出来ない。
『なにをしに来たかは分かっている。だがこちらの都合というものもあってな。すぐにはこの場所から移動は出来ん』
「……少し待てばいなくなるのか?」
なぜかドラゴンは私兵団の目的を把握しているようであった。その存在を目の当たりにして、オルグは出来れば戦う事を回避したいと考えていた。少し待つだけで居なくなるのであれば、その言葉に従いたいのが本音であった。
『ああ……。少々、別に問題が起きてな。なあに、今回はそれほど掛かるまい』
「我々も無駄に戦いたい訳ではない。どれほどで去ってくれるのだ?」
『前回は三百年ほどであったが、今回は動きが早い。百年もあれば十分だろう』
「…………」
ドラゴンの寿命から来る時間感覚のずれであるが、オルグ達人間にとっては、その時間は、すぐ、とは言い難かった。
オルグは目の前の脅威とどう向き合うべきか、思案していた。
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