エルダーの事情
調印式と歓迎式典の後に行われる晩餐会の前に、少し時間があった。
この間にみな、昼の正装から夜の正装に衣装を変えるのだ。
出席者はみなそれぞれの客間に戻り、エルダーも自室に戻っていた。
「おい、お前知ってたのか?」
側にいたカロンに尋ねると、カロンは意味が分からなかったようで首を傾げている。
「ディアテナ王女だよ」
この抜け目ない側近が、リーナの正体に気がついていないはずは絶対にない。
するとこの側近は、ああと短く頷くと持っていた書類にまた目を戻し、
「晩餐会では、お嬢様と踊られますか?」
と尋ねてきた。
あほか。
踊れるか。
王太子の婚約者にダンスを申し込むバカがどこにいる?
「旦那様は人はいいのですが、無駄に年を取ってしまったようなところがございますからね……。これでも私は心配しているのですよ」
はあ、と人の顔を見てこれ見よがしにため息を吐いて見せる。
「破れ鍋に綴じ蓋――とでも申しましょうか。旦那様とお嬢様は存外お似合いではないかと、私は思うのですが」
「はあ!?
おいおい、王女の年を考えろ。あっちはまだ18歳。しかも髪を結って化粧していなければ、18にすら見えやしない。
で、こっちは婚期を逃した40男だ。
どこがお似合いなんだ。まったく……」
そうエルダーがぼやくと、カロンはにんまりと人の悪そうな笑顔を浮かべている。
「お嬢様の護衛が、並みの手練れではないのは気配で感じておりましたから。王族に連なるお方だというのは分かっておりました。この時期、あの場所にそれだけの方が顔を出すとなれば、もちろん王女殿下であることは容易に推察できますが?」
まるで旦那様は本当に気がついておいででなかったのですか!? とでも問いたげな顔だったので、エルダーはグッと言葉を飲み込んだ。
彼は、まるで気がついていなかったのだ。あの瞬間まで。
「それに、独身は旦那様のポリシーではなかったのですか? 遊び人を気取って、そこここのご婦人方にお声をかけていたのはどこのどなたです?」
そう言われると、エルダーも痛い。言い返すことなどできずに恨みがましい視線を送ると、カロンは涼しい顔をしながら書類を見ていた手を止めた。
それから右眉がぴくりと小さく動くと、おや――と小さく呟いて、旦那様、と妙に生真面目な声でエルダーに向かった。
「私としたことが、失態です。旦那様、城の西に広がる森の警備が手薄ですので、南の城壁の警備兵の手勢を少し割きます。南の城壁には、王国騎士団が指揮を執って王族の警護に当たっていますから、辺境騎士団の小隊を西の森に向かわせます。よろしいですね?」
一応腐っても辺境騎士団の団長という肩書のエルダーだ。いいようにしろと片手をひらひらと振って、問題ないと返した。
「まあ、それにしても私は嬉しく思いますよ。ご婦人方にお声をかけて遊ばれていても、女性には興味のなかった旦那様が、そこまで心を乱すなんてあまりない事ですからね。
それに、代々ネーンドルフ辺境伯であるディッセル家はこのヴァーデル王国の中でもかなり歴史のある名家なのですから、王女殿下の婚約者候補として、遜色もないと思いますけれど?」
それだけ言うと、カロンは「旦那様、私騎士団の方へ警備の手筈を整えに参ります。しばらく席を外させていただきます」と言って一礼すると部屋を後にした。
一人残されたエルダーは両腕をソファの背に広げ、ずるずるとだらしなく座り込むと天井を仰いだ。
確かに生まれもった地位は高い。聖騎士の一人だし、武官としても最高位に位置している。
それなのに、王女殿下の婚約者候補として名前が出なかったのは、彼がリーナの父である国王と不仲だからだ。
リーナの祖父である先代国王とエルダーの父である先代ネーンドルフ公は確かに友情で結ばれていた。今なお色あせないほど、二人の絆は固い。
しかしその息子同士は、全く正反対の性格をしていた。
二人が顔を合わせたのは、エルダーが社会勉強と称して騎士団に放り込まれた時だった。
王子と領主の息子という二人は、同じ舞台に配属され、共に騎士官としての道を歩んだが、その考え方は正反対だった。
任務とあれば、どんな境遇でも己を顧みない筋肉バカのエルダーと、頭脳を使って人を動かし、自分は安全な場所から采配を振るうだけの王子はそりが合わなかったのだ。
その考え方の差は大きな差を生んで、王子が騎士団の最高位につくと、エルダーは王子のやり方についていけなくなり、次第に一線から退くようになった。
そのまま二人の溝は広がり、修復しないまま王子は国王になり、エルダーは領主となった。
しかし領主となったエルダーは己に与えられた地位に見合う仕事を淡々とやるだけで、国の中枢からは遠ざかり、領地の経営の方にもっぱら力を入れ出したのだ。
したがって、ネーンドルフ領は交易に国境警備にと一国に比肩するだけの力を持つようになり、さらに国王からは疎まれるようになってしまった。
「やっぱり、無理だよなあ」
あいつの娘だもんなあ。
独り言は空しく部屋にこだましている。