理想の王子様
正直、衝撃だった。
隣国の王太子、男前だ。あれならば、大概の女性はぽうっと頬を赤く染めるだろう。まして恋に不慣れなリーナのことだ。
きっと心奪われるはず。
それでいい。
あの子が幸せになるのなら、それで十分じゃないか。
そう思うのに、リーナの笑顔を思い出す。
リーナの驚いた顔を思い出す。
リーナの少しさびしげな顔を思い出す。
――なんだこれは。
俺は仕事中だ。
ぶんぶんと頭を振ってから、今は調印式の真っ最中だということに気がついて、取り澄ましながらエルダーは必死に自分に言い聞かせる。
目の前で、やけにきらびやかな隣国の王太子がリーナの手に口づけてようが、領主の俺は、それを見守り、両国の発展を祈る立場だ。
目の前の王子が金髪碧眼で、リーナが理想だって言っていた王子様の姿ドンピシャだろうが、そんなの気にする立場じゃない。
エルダーは必死に自分に言い聞かせていた。
そうだ。俺はこれまで自分の地位をいいように、適度に女遊びをしてきたじゃないか。遊びなら、人妻が一番。もしくは高級娼婦。
周りには早く伯爵夫人をと急かされていたが、どこ吹く風で遊んできた。
調印式を取りまとめながらも、つい気になってしまいちらちらとリーナを見てしまう。
そのたびにリーナと目が合うのは、エルダーの気のせいではないだろう。
おや? とも思いながら、それ以上どうすることもできずにどちらともなく目を逸らした。
王太子と国王陛下がそれぞれの証書に署名をし合い、お互いの印を宣誓書に押し、固い握手が交わされた。
同盟の調印式は滞りなく行われ、国王が高らかに同盟の締結を宣言した時、人々は歓喜の声を上げていた。
調印式が滞りなく済むと、次は歓迎式典だ。
今度は城内の広間に場所を移し、出席できるのは王侯貴族だけに限られる。
皆、広間へ移動していった。エルダーは領主として、王太子殿下を接待する。
「さあ、王太子殿下、こちらへ」
エルダーが声をかけると、王太子は無駄にキラキラした笑顔を、中年男のエルダーにも向けてきた。
「これは、ネーンドルフ辺境伯。私のわがままで、調印式をこちらの地でとお願いしてしまったが、つつがなく準備をしていただき、ありがたく思います」
礼儀正しくエルダーにも握手を求める王太子は、やはりそつのない男のようだ。
エルダーも領主としての威厳を損なわないように、微笑してそれに答える。
男二人がほほ笑み合ってる図なんざ、気持ち悪くて仕方ないもんだ。
心の中で悪態をつきながらも、王太子の姿勢のよさや先ほどのそつのなさから、次代の王としては及第点だろうと他人事ながら考えていた。
こりゃ、完璧な王太子だな。
リーナを預けるのに、これほどふさわしいと思える人物も他にいないだろう。
大国の次期国王陛下。リーナは正妃だ。
今まで亡き者として扱われていたリーナだが、正妃ともなれば重さも増す。リーナの素直さが生かされれば、きっと朗らかでいい正妃になれるだろう。
隣国で大切に皆に傅かれ、夫となる王太子に大切にされれば、彼女もきっと隣国に馴染んでいく。
完全に俺の出る幕は、ないだろうな。
たった一日数時間だけの相手だ。嫁いでいけばすぐに忘れるほどの小さな思い出だ。
それなのに、少しさびしいのは花嫁の父の気分も含まれているのかと自嘲していた。
王太子を広間の席に案内する。
一番上座は、中央の国王陛下の椅子。その右隣にディアテナ王女。王の左側にはディアテナと向かい合って王太子殿下。
エルダーは王女の隣の席だった。
よりによって、こんな時に。
誰だ、席順考えた奴。
カロンに任せきりにするんじゃなかったと、後悔して深いため息を吐いて隣に腰かけた。
リーナはさっきとは衣裳を変えておらず、白の豪華なドレスを着ており、きゅっと口を結んだまま正面を見据えていた。
その横顔に、エルダーはほっとするようななぜかさびしいような心持になった。
それでも知らないふりは出来ずに思わず声をかけてしまった。
「よかったな、王太子殿下が理想の王子様で」
エルダーが小声で正面を向いたまま、リーナにだけ聞こえるように呟いた。
すると、リーナは弾かれたようにエルダーの顔を見る。
その勢いに、エルダーは思わずリーナの方を向いてしまい、二人は向かい合う形になった。
リーナの顔は、驚くほど青ざめていた。
どうして彼女がそんな顔をしているのかわからず、ごくりと一つ息を飲んで彼女の顔を凝視する。
リーナは長い睫毛を伏せるように、下を向くとぽつりと呟いた。
「……私の王子様は――じゃないわ」
ぽつりとそうつぶやいた言葉は聞こえずに、尋ね返そうとした。
「リ――」
リーナと言いかけたと途端、どっとどよめきが起こり、エルダーに話の鉾が向けられたので尋ね返すことは出来なかった。