祭りの後
一人残された私は、ベンチに座って空を仰ぎ見た。
広場は相変わらずの喧騒に包まれており、目の前を走りすぎるカップルをなんとなく目で追ったりしていた。
年甲斐もなく――か。
今年で40近い自分が、あれぐらいの子を可愛いなどと思うのは、やはり年甲斐もない。
あんなに真剣にワルツを踊ったのはいつ振りだろうか。リーナの懸命に踊る姿は微笑ましくもあった。
両手いっぱいにキャンディを抱えて抱えきれずに困ったようにこちらを見るリーナの顔は、とてもかわいらしかった。
もっと困らせてみたくなった。
代わりに持ってあげると、ほっとしたように表情を崩してから、こちらを見てふっと笑った。その笑顔が安心しきった顔だったから、こちらも自然とほほ笑んでしまった。
そんな時間を持ったのは、いつ以来だろうか。
二人で過ごした時間は、思いのほか楽しかった。
そうだ。楽しかったのだ。
「旦那様、思い出し笑いというのはうすら気味の悪いものですよ」
突然背後から声をかけられて、驚いてつい振り返ってしまった。
「お前、驚かせるなよ」
無表情のまま背後に突っ立っていたのは、側近のカロンだった。
「見つかっていたか」
「ええ。私のほかにも、もう一人、お二人の姿を追っていた者がありましたが……」
カロンは横目でこちらを見ると、そのもう一人がいたであろう場所を視線で示した。
ベンチから約5メートルほど離れた楡の木がそこにはあった。
「殺気の主か……」
あの時、一瞬ものすごい殺気を感じた。
「お連れ様の、従者のように見えましたが」
「ああ、アンデロというらしいな」
すると、カロンは動きを止めて、何かを考えるように口元に手を当てた。
「―――私は、追跡にはかなり自信があるのですが……」
「ああ、お前ほど気配を消して人を尾行する能力がある人間を、俺は知らんな」
その返答に、カロンは満足したように小さく頷く。
冗談でもお世辞でもなく、カロンは騎士団の中でも特殊な訓練を受けており、密偵、諜報、暗殺、お手の物だ。そこを真人間に改心させてやろうと、側近に取り立てたのだが、未だに今の仕事は向かないと恨み言を言われる始末だ。
「その私に、気が付いておりましたからね。彼は」
悔しそうに唸りながら、カロンが呟いた。
そりゃ、相当なもんだ。正直カロンの上を行く人物を、自分は見たことがない。
「そんだけの手練れが付いてるリーナは、一体何者なんだ?」
私たちのそんな疑問は、すぐに晴れることになる。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
アンデロと共に城に戻ると、どうやら侍女のカーナは上手く他の侍女たちを遠ざけてくれていたようだった。
「姫様、お戻りが遅いのでどうなさったのかと思いました」
泣き出しそうなカーナの顔を見て、悪いことをしてしまったな、と反省する。
「私は大丈夫よ、アンデロがいてくれたから」
そういうと、隣にいたアンデロは口を真一文字に結んだまま、カーナから目を逸らしたまま頷いた。
アンデロは任務以外の時は、極端に無口で人と目を合わせなくなる。一旦任務となれば、どんな人格にも自由自在に変化するのに。おかげでアンデロのホントの性格は、未だ持ってわからないのだけど。
カーナは私の顔を見て、ほっとしたように笑顔を作ってみせる。泣き出しそうな顔から無理に笑顔を作ったものだから、目尻が歪んでいる。
「楽しい夜を、過ごせましたか?」
カーナに問われ、さっきまでの楽しい時間が、胸の中によみがえってきた。
私を見て微笑むエルダーの優しい笑顔。
あれなあに? と尋ねるたびに、ここでちょっと待っていて、と言って買ってくれた食べものや、道で売っているキャンディを山のようにプレゼントしてくれた。あれは、エルダーが後で私の屋敷に届けさせるからと言って、メッセンジャーに言付けしていたけど、結局どうしたんだろう。とうとう私の居場所を伝えることはなかったから。
今頃おうちへ届いたキャンディの山に、苦笑しているのかしら。
そう思ったら、自然と笑ってしまう。
エルダーと踊ったワルツは、ダンスの先生と踊るよりもよっぽど楽しかった。エルダーのステップは完璧で、まるで自分の体に羽が生えたように軽やかにステップを踏むことができたの。あんなこと、初めてだった。
そうよ、エルダーと過ごした時間は、とっても楽しかったの。
今までの、どの時間よりも。
「ええ、カーナ。私、今までで一番楽しい夜を過ごしたの。
夕暮れに映える街の明かりだとか、夜になっても変わらない街の喧騒だとか、人の笑顔だとか、初めて見たの。
あんなに明るくて賑やかだったの、初めてなのよ。私まで楽しくなったの。アンデロとも踊ったのよ。私たち、周りの人から褒められたの。
でもね、エルダーと踊ったワルツはとても素敵で、一生きっと忘れないわ」
思い出すと、胸の奥がふんわり暖かくなった。
エルダーの名前を聞いて、カーナが訝しげな顔をした。
「おや? どなたかとお過ごしになられたんですの?」
「ええ。とても素敵な紳士だったのよ」
その言葉に、カーナも訝しげな顔を少しだけ緩めた。
「あら。姫様がお褒めになるなんて、金髪碧眼の素敵な王子様でも現れたのですか?」
「ううん。物語の中の王子様は、金髪碧眼で、とても素敵な方々が多いけど、実際の王子様は全然違うのよ。
もっととてもお年が上で、でもね、とても素敵なの。
黒髪で、黒い瞳の、とても素敵な紳士なのよ、王子様って」
金髪碧眼の王子様が素敵だと思っていたけど、エルダーの方がとても魅力的だった。歳はきっとお父様と近いだろうけど、そんなことは感じさせないし、何より私を恋人として扱ってくれたの。
少しくすぐったいような、不思議な時間。あんな時間をくれるのは、王子様しかいないもの。
そうよ、エルダーは王子様なんだわ。
明日、お会いする王子様がエルダーだったらいいのに。
カーナにそう言うと、カーナは少しだけ寂しそうに笑った。
そうですね、そうだとカーナも嬉しいですわ。
そう微笑むカーナの顔は、なんだかやっぱり寂しそうだった。