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邂逅

 広間の賑やかさを聞きながら、エルダーは一服した。

 給仕の人々がトレイを持って慌ただしく行き来している。それをぼんやり眺めてからゆっくりと視線を夜空へ移した。


「エルダー……様」

 背後からカツンと床の鳴る音が聞こえ、エルダーは振り返った。そこに立っていたのはリーナだった。


「これは、ディアテナ王女殿下」

 持っていた煙草を慌てて灰皿に押し付けると、ぱっとフロックコートを叩いて灰を落とした。こちらを見ていたリーナは少しだけほっとしたような面持ちになり、エルダーの目の前に立つとじいっと顔を見つめ、何も言わずに俯いた。


「いや、まあ。とりあえず驚いたよ。リーナがディアテナ王女だったとは」

 とりあえず周りに誰もいないのを確かめ、リーナに語り掛ける。その言葉に、リーナは弾かれたように顔を上げた。

 

 ぱっと目に飛び込んできたリーナの表情は、眉根を大きく寄せて今にも泣くのを堪えているようで、エルダーはなぜリーナがそんな顔をしているのかわからなかった。


 リーナが小さく頷く。

 彼女が頷いたことに少しほっとしたエルダーは言葉を続ける。


「一晩だけ、いい夢見させてもらった。お前がどっかのただの貴族の家の娘だったら、今からでもかっさらって、ネーンドルフ辺境伯夫人にできたかもしれんな」

 あははと笑いながらエルダーが言うと、リーナの目が大きく見開かれた。しかし彼女はすぐに俯いてしまい、伏せた睫毛の先に見えたのは、大粒の涙だった。


「わわわ、おいおい。どうした!?」

 突然の涙に、エルダーは戸惑う。自分でも間抜けな声だと思うが、どうしようもない。とりあえず泣いているリーナを宥めようと、慌てて胸ポケットから見えているハンカチーフを差し出した。


 リーナはそれを黙って受け取り、ぎゅっと握りしめた。


「涙を拭いた方がいい――って、王女殿下に向かってそんな口をきいたらいけないな」

 気安く話しかけてしまうのは、ディアテナ王女よりもリーナの印象の方が強いからだ。見た目は全然違うのに。昨日のリーナの姿を思い出し、女は化粧で化ける――ってほんとだな、としみじみしてしまう。

 リーナは泣きながら、首を横に振る。


「いいの! エルダーはいいの。普通に話してくれて、構わないの!」

 リーナがぎゅっとエルダーの服の裾を掴んだ。


 初めて顔を合わせる婚約者に、リーナも困惑しているのだろう。

 エルダーは宥めるように、近くにいたウエイターから飲み物をもらうと、リーナに差し出した。しかし彼女は首を横に振るだけで受け取らず、仕方なくテーブルの上においた。


「まあなんだ。お前の事情は少し、聞いた。

 よくある政略結婚で、嫌になるな」

 自分でもうまく笑えていないのは分かっているが、笑い話にしないとやってられないだろうと、努めて明るく言った。


「あの王太子なら、上手くいくんじゃないか。王子様然とした容姿に、そつのない行動。なかなかできた男のようだな。

 物語の中の王子様のようじゃないか。正にリーナの理想ぴったりだな」


「……意地悪」

 ぽつりとリーナが呟いた。エルダーはそれを聞き取れずに、「なんだ?」と聞き返す。


「私の王子様は、金髪じゃないわ! 青い瞳でもない!!」

 

 目の前のリーナはキッとエルダーを睨み付けている。エルダーはもちろん訳が分からず、動揺していた。

 だって、昨日は金髪碧眼が理想の王子様だと、言っていたじゃないか。だから、俺はリーナの理想の相手が王子様でよかったなって、本気で思ったんだぞ。

 そう心の中で反芻する。


「昨日、お前が言ったんじゃないか!」

「そうよ! 言ったわよ。あの時までは、私の理想の王子様はそうだったんだもん。

 ……でも、違うの。違ったの。王子様は見た目なんかじゃないって……」


 俯いたままそう言うリーナの言葉にエルダーは固まった。


「――え?」

 そう言われても、エルダーには訳が分からない。

 ちょっと待て、それって……。

 もしかしたら――という思いが頭をよぎる。だけどそれを言葉にしてしまったら、引き返せなくなってしまう。

 そこまで考えてから、エルダーはようやく気がついた。


 ――どう考えても俺はすっかりリーナに惚れてるじゃないか。


 昨日から考えるのはリーナのことばかり。リーナがディアテナ王女だと知ってからも、彼女のことばかりを考えている。

 それって、世間一般では恋というのではないだろうかと、エルダーはようやく思い至った。


 まさか!

 いや、でも……。


「もう! どんだけ鈍いのよ!!」

 

 目の前のリーナのその一言で、エルダーの考え全部がふっとんだ。


「え? ええ!!!?」


「あのねえ、私のとっても昨日は夢みたいな一夜だったの。

 綺麗な思い出にして、時折懐かしめればそれで幸せだと思ってたの。

 でも、また会っちゃったら、また話をしたくなるじゃない。あなたのこと、もっと知りたくなるじゃない」

 

 そうリーナに捲し立てられて、エルダーは思わず後ずさってしまった。


「ちょ、ちょっと待て!」

 思いっきり想定外だ。

 さっきまでのディアテナ王女は慈悲深い笑みを湛えて、国王の隣にいたじゃないか。あの時は、完璧な王女様だったのに。


「何よ!」

 なぜか逆切れされて、エルダーは心の中で、ええ!? っとツッコみ返す。


「何って、何……って、何……いや、そうじゃない! ずいぶんイメージが違うぞ。詐欺だ!」

「失礼ね。詐欺とは何よ」

 ふいっと顔を逸らせたリーナの頬はずいぶん赤くなっている。真っ白に塗られた顔よりも、よっぽど健全だろうとエルダーは考えていたのだが。


「だって、さっき王太子殿下と踊ってた時は、ずいぶん見惚れてたじゃないか! 頬なんか赤くして、見つめ合って笑いあって、踊ってただろうが!」


「そりゃね、仕事だもの。王太子相手に、仏頂面してたらまずいでしょ、いろいろと。それに、あなたのことなんて見つめてみなさいよ。周りが変に思うでしょう!?

 私とあなたは田舎育ちの王女と、国境近くの辺境伯。にこにこし合ってたら、知り合いなのか詮索されるでしょ!? そしたら、昨日のあなたのご婦人に振られたシーンから説明しないといけないわよ。

 ご婦人に振られる領主って、どんなよ!? 呆れられるわよ!!」

 おおい、とツッコみたくなったエルダーは努めてそれを押さえる。ここで言い返したら、俺の負けだ。そう思い、しぶしぶと反論を飲み込む。


「ちょっと待て。何で俺たち言い合いしているんだ?」

 呆れたようにそうつぶやくと、リーナもふと眉を下げた。


「……」

 二人とも言葉を失うと、バルコニーの向こうに広がる森からリーンと鈴を鳴らしたような虫の声が聞こえていた。


「ディアテナ王女の政略結婚の相手は、あの王太子殿下なんだろう?」

 秋口の風は、袖のないドレスを着ているリーナにしたら少し寒いだろう。エルダーは自分のテイルコートを脱ぐと、そっとリーナの肩にかける。上着をかけられたリーナは戸惑いながら、返そうと手をかけたので、それを手で制する。


「着ていなさい」

 その口調が、ようやくいつもの自分のようだと思うとおかしくなる。そうだ。なぜ自分は年も離れた少女相手にむきになっているんだ。虫の声と涼やかな空気に触れて、頭がだんだん冷えてきた。


「君の事情はいろいろと聞いている。

 陛下が年若い令嬢を新王妃に迎えようとしていることも知っている。だが、君は、私の事情を知っているのか?」

 まるでいつもの執務の時のような口調に戻っていた。


「エルダーの、事情?」


「そうだ。私はネーンドルフ辺境伯だ。このあたりの領主も務めている。確かに身分家柄をとっても君の婚約者に名乗りを上げてもおかしくはない。

 しかし、なぜ名前が挙がらなかったか、分かるか? そりゃ、歳のこともある。22才も離れていたら親子と変わらない。現に、君の父上と私は同じ年だ。

 だが、それだけではない。私は以前、社交界に出なかった理由を話しただろう?」


「ええ。苦手な上司がいるって……」

「そうだ。それが、君の父上だよ」

 その一言に、リーナははっと口を押えた。


「もしかして、長年姿を現さない聖騎士様って……」

 リーナにも思い当たることがあったのだろう。さっきの調印式では騎士よろしく、聖騎士の正装の騎士服を着ていたのだから。ひときわ輝く勲章は、聖騎士しかつけられない。聖騎士に贈られる勲章は誰が見ても一目瞭然だ。


「そうだよ。それが、私だ。

 だから、私が君に降嫁を申し入れても、君の父上である国王陛下は首を縦に振るわけがない」


「そんなこと――」

 リーナが言いかけた時、広間へ続くガラスの扉が開かれる音がした。エルダーは素早く手を振ってリーナの言葉を遮る。リーナはその意図を察したようで口を閉じると、そっと肩にかけていた上着を外した。


「ディアテナ王女殿下、こちらにおわしましたか」

 その言葉とともに姿を現したのは、王太子だった。


「これは、王太子殿下」

 リーナが王太子にそう声をかけると、こちらへ向く。持っていた上着を差し出すと、すぐに今までとは全然違う笑顔を浮かべてエルダーを見つめた。


「ネーンドルフ辺境伯、お付き合いいただき、ありがとうございました。

 気分も治りましたし、こうして殿下がお迎えに来ていただいたのですから、もう大丈夫です。お借りした上着を、お返しいたします」

 今まで人を怒鳴りつけていた顔とは違う、上品な笑顔を顔に張り付けてリーナは微笑む。

 

「御気分がすぐれなかったのですか」

 リーナを心配そうに見つめる王太子に、リーナは「少し」と言ってほほ笑みかける。

 

「ですが、こちらで風に当たっていたネーンドルフ伯にお気遣いいただき、少し良くなりましたの。ご心配かけたようで」

 完全に被った猫の幻が見えそうなほどだった。


 ……。

 女は化ける。

 その言葉の意味を噛みしめるエルダーだった。


 王太子がリーナの背中に手を添えて、中に促した。促されるままに広間に戻ろうとするリーナが少しだけ、エルダーを振り返った。しかし、王太子に何やら話しかけられると、王太子の顔を見てそのまま広間に入っていった。


 一人残されたエルダーは、再び煙草に火をつけると、ゆっくりとその煙をくゆらせた。

 立ち上る煙を眺め、


「――破れ鍋に、綴じ蓋ねえ」

 と、さっきカロンに言われた言葉を思い出し、一人ごちてみた。


 どんなにお似合いだって、もう遅い。

 王太子殿下との婚約の話がまとまっているのなら、それを今更破棄したら国際問題になる。王女はいわば、同盟を強固にするために嫁ぐんだから。

 いくら爵位もちだからと言っても、王女をどうにかしたら、そりゃ、反逆罪で掴まる。

 お嬢さんが好きだから、俺に嫁にください。そんな簡単にできるわけがない。


「ごめんな、リーナ……」

 エルダーはぽつりと呟いた。

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