祭りの日
「お嬢様、早く帰還いたしましょうよ」
「だーめ。私、このために来たんだから! 絶対帰らない!」
「ですけどー、心配いたしますよ、旦那様がー」
ぶつぶつとげんなりとした顔をして説教している従者に向かって、リーナはべっと舌を出して見せる。
「お嬢様、はしたないですー」
「うるさいなー。いいの。今日はサウォン祭なんだからー。カタいこと言わないでよ」
むうっと頬を膨らませるリーナは、あくまでもついてくる気の従者に向かって言う。
サウォン祭とは、この国の伝統行事の一つであり、年に一度聖人を祀る諸聖人の日の前日に当たり、この日は聖人たちに封じられたはずの魔物たちが復活するといわれている。その魔物から身を守るために仮面をかぶり、魔物たちの仮装をして、いたずらをして難を逃れるのである。このサウォン祭は年々盛大になり、この日は街の大きな広場で魔物たちを迎える祭りが夜通し行われる。その祭りはどの行事よりも盛大に盛り上がり、仮面をかぶった男女の出会いの場としても知られているのだった。
で、リーナは幼いころからこの町出身の従者アンデロからサウォン祭の話を聞いており、ずっと憧れていたのである。今年は父がこの時期に仕事でこの町を訪れており、リーナも便乗して着いてきたのだ。
着いてきたのはよかったのだが、父にさんざん滞在先の屋敷から飛び出すなとくぎを刺されていたにもかかわらず、こうして屋敷を抜け出して、広場をうろうろしているのである。
「ねえアンデロ、案内してよ」
リーナがくるりと振り返った。薄暗い夜空の中、街はたくさんのキャンドルやランプで飾られている。リボンやレースで飾り付けられたり、色とりどりの風船が看板に取り付けられている。
夕方とは思えない人通りだった。仮面をつけた人々や、仮装をした男女が談笑しながら街を歩いている。もう少しすると、楽団たちが賑やかに音楽を奏で、それに合わせて広場ではダンスが始まるらしい。
「お嬢様、サウォン祭は確かに盛り上がりますけど―、それと同じくらい危険な輩もたくさんいるんですよー。僕、嫌ですからね―」
アンデロはふわふわの金色の巻き毛をぴょんとはねさせて、うんざりするように言ってみせる。もうリーナの従者として5年ほどの付き合いだった。幼いころは遊び相手として、10才を過ぎてからは従者として付き従っていた。15才になるというのに、ふわふわの巻き毛と白い肌、頬に浮かぶそばかすはどう見ても13歳くらいにしか見えない。その童顔が、彼にとって悩みの種だったのだが……。
「わーかってるって」
本当に分かっているのか怪しいリーナの口ぶりに、アンデロは再びため息を吐いていた。
「ねえねえ、サウォン祭ってダンス踊るんでしょ? アンデロ踊ろ!」
リーナがアンデロの腕を引っ張る。確かに、角を曲がったら広がっているだろう広場の方から、にぎやかな音楽が聞こえてきた。そろそろ祭りが始まるのだろう。
リーナは黒いドレスをひるがえして、ぱたぱたと走り出した。アンデロもそれに従う。
広場にはいたるところに花が飾られており、その中に魔よけのカブがところどころ飾られている。
そのカブを見ると、サウォン祭だという実感がわく。
リーナは広場の真ん中に立つと、アンデロの手を握る。曲が流れ、周りの人々が踊っている中で、ステップを踏み始めた。
「まあ、可愛い」
「あら、小さなカップルね」
周囲の人々が、リーナとアンデロの踊る姿を見て、微笑ましく笑顔を浮かべる。
リーナは気をよくして、にっこりとほほ笑むと軽やかにステップを踏んでいる。
「まあ、どこのお嬢さんでしょう。可愛らしいわ」
人々に褒められて、リーナはまんざらでもなかった。
一曲踊り終ると、アンデロの顔を見て極上の笑顔を浮かべる。
「えへ、可愛いって言われちゃった」
笑って見せるリーナの顔が本当にかわいらしくて、アンデロは困ったふりをしながらも、笑ってしまう。
「あ、アンデロ、今バカにしたでしょ!?」
「バカにはしてませんよー」
ぷぷっと吹き出したアンデロの肩を、リーナがパンと叩いた。
「踊ったらのどかわいちゃった、あっちで飲み物でも買ってこよう」
リーナがアンデロの腕を引っ張る。
「っと、お嬢様、ちょっと待ってください」
これだけ人が多いと、少し目を離しただけで見失ってしまう。ここで見失ってしまったら、再び探し出すまで容易じゃないだろう。アンデロは慌ててリーナを追いかけた。
ぱたぱたと走っていくリーナの後姿を必死で追いかけたアンデロだったが、途中で見失ってしまった。
「あれ? お嬢様?」
黒いドレスが目の前を走っていたはずなのに、人が横切って、一瞬足を止めたら、もう人ごみに呑まれてしまっていた。
マズイ、とアンデロが思った時にはもう遅かった。リーナの姿が忽然と消えていたのである。