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美女が美女る

 アレフスからアドバイスを受け、ローラは準備の整った三日後の早朝、店のドアノブに『臨時休業』の札を掲げ、仕入れ用馬車に乗ってガライダールの村を後にした。荷台には木箱や布袋が積まれているが、その中の一つに豚の化物が潜んでいるなど、誰一人として想像だにしないだろう。

「先ずすべきことは分かっていますか? ローラ」

 麻袋が御者台に向かって確認を問う。

「わぁーってるわよ。情報収集、でしょ? 商売の基本よね」

 戦争という形で多くの人が血を流すとしても、それを統べるのは一握りの上層部だ。ならば、そこを押さえれば未然に防げるかもしれない。

 特に、今回の原因は食料難だ。ならば、マイラトームの食料事情を正確に把握した上で、無理なく公正な取引で食料を分配すれば、みんな喜ぶし、ローラも儲かる。大切な顧客を武力で潰すなど、ローラには耐え難い愚行だったのである。

 魔王の手下が跋扈していた頃は、隣町に赴くことすら危険を伴う冒険だったが、今では難なく行き来できる。

 既に顔見知りになったマイラトームの関所の番に、ローラはにこやかに声を掛けた。

「お疲れ様。今日は仕入れよ」

「お疲れ。いっぱい買っていっておくれよ!」

 引き止められること無く、手のひと振りで街の門を潜っていく。

「私が本で読んだ限りでは、外部者が他の村に入る時には、関税に纏わる手荷物の点検があるものと記憶していましたが」

 自分の入っている袋が調べられないようにダミーの荷物を積むようローラに指示したが、あまりの無警戒さに、アレフスは少々拍子抜けしてしまった。

「ま、これもあたしの日々の誠実さの賜物ねー?」

 このような大きな街の関所を顔パス出来るローラの商人としての器にアレフスは改めて感心する。

「しかし……おかしいですね」

「何よ! あたしの商売が信用ならんってーの!?」

 ローラは憮然として荷物に向かって一人怒鳴る。

「いえ、今の貴女は、この町にとって戦敵の一員であるはずなのですが」

 関所でのあの穏やかな対応は、間違ってもこれから一戦交えようとする相手へのものではない。

「村長の『食糧を狙ってマイラトームがガライダールを武力制圧しようとしている』って言い分、もしかして嘘なのかも?」

「だとすれば、そこに嘘を吐く理由があるはずです」

 マイラトーム側も住民からの反対を危惧して幹部だけで密かに準備を進めているのかもしれないし、そもそも集落の長同士で冷戦状態になっているだけかもしれない。

 人類の歴史は戦争の歴史。村長は何を繰り返そうとしているのか、アレフスは様々な事例を思い返していた。

「ま、兎にも角にも、先ずは情報収集っしょ? 何も知らなきゃ何も分からないしね!」

 彼女の方が自分より今を生きるオークらしい。それとも、自分が人間臭くなってしまったのか、とアレフスは密かに苦笑いを浮かべるのだった。


 そして、少女と豚と馬車馬の一行は、目的地に到着する。マイラトーム領主館の隣に位置する厩である。ここに馬車を停め、彼女は計画を次のステップに移す。

「ね、ねぇ……ホントに……やらなきゃダメ、なんだよね?」

「ええ、ローラには”裸になって”もらいます」

 壁に囲まれているとはいえ、誰でも出入り出来る厩だ。人に見られたら、と思うと恥ずかしさに顔から炎魔法が発動しそうだ。

 しかし、そんなに時間はない。先ずは、ブーツをスッポ抜く。続いて厚手のジャケットを脱ぎ、中のブラウスのボタンを外す。そして、膝下まである仕事着を兼ねたスカートを弛め、下腹部を覆う温かなドロワーズに手を掛けた時、さすがに少し指が止まった。トイレでも浴室でもないこんな場所で下腹部を晒すのは無意識のうちに憚られる。しかし、こんなものを腰に着けていては計画に支障を来す。

 意を決してズルリとお尻を出す。そのまま膝を通し、爪先を抜くと、股の間が秋の空気に撫でられてひんやりし、その感覚が羞恥で身体を火照らせる。

「アレフス! 早く! 早く!」

 急かす彼女の声に応じて、アレフスは縮こまっていた麻袋の中から顔を出した。

「用意は……おや、それは脱ぐ必要はないのですか?」

 ローラは完全に裸ではなかった。透けるほど薄手のネグリジェを身に纏い、恥ずかしそうに両腕で身体を隠しながら、内股をもじもじとすり合わせている。

 彼女が着ている寝具は彼女の店の売り物であり、普段の彼女はこんなセクシャルな衣服で就寝することはない。全裸よりマシ、と思って中に着てきたが、これはこれで恥ずかしく、とても居たたまれなくなってしまった。

 全裸で過ごすのが基本であるオークのアレフスはその様子を見て、人間の難儀な性分を不思議に思う。裸を隠すのが先で暖を取る機能を兼ね備えたのか、それとも暖を取っているうちに裸を恥じるようになったのか。どちらにせよ、彼女から人間の文化を取り上げるのは、申し訳なく感じられた。

 ゆえに、アレフスは急いで準備に取り掛かる。顔に続いて逞しい両腕も袋の外に出し、その手をローラが恥ずかしがる胸部に向けてかざす。

「汝、大地の楔から解き放たれ、千里を駆ける風となれ」

 これは、アレフスによる『識』の魔法。念じた相手の質量を限りなくゼロにする、というものだ。その代償として、力も限りなくゼロになってしまうので、それまで着ていたような被服のままでは、その『重さ』で身動きが取れなくなってしまっただろう。こんなネグリジェですら、彼女は両肩にあり得ないほどずっしりとした重さを感じている。

「これで、足音が立つこともありませんし、屋根の上から飛び降りても……」

「知ってる! 知ってるから早くっ! 次!」

 彼女が纏う絹の衣は肌を隠すにはあまりに薄く、遠目ならともかく、こんな間近では身体の線が丸分かりなのだ! 相手はオークであり、自分の裸身に性的興奮を覚える間柄ではないと知っていても、やはり恥ずかしさは抑えることができない。

 アレフスは手の位置はそのままに、次の呪文の詠唱を始める。

「我が地よ、彼の地よ、神の理を超え、共にあらん」

 ローラは自分の目の前が急激に歪んでいくのを感じる。ここで慌ててこの魔法の『制約』を思い出し、腰の辺りのネグリジェを慌てて右手で握り込む。次の瞬間、目の前が真っ白になり、再び視界が開けた時には彼女は厩の御者台の上ではなく、石畳の廊下に放り出されていた。

 これこそ、様々な魔法属性の中で最高峰とされる『空』の魔法。異なる空間に瞬時に移動させるという荒業だ。自然の摂理を捻じ曲げるこの魔法を使いこなすのは難しく、今のアレフスでは、せいぜい民家一軒の裏手に回るくらいの距離が限度だったり、一緒に持ち運べるのは、対象が右手で触れているものだけだったりする。それをそのまま忘れていたら、彼女は折角着てきたネグリジェすら厩に置き去ってしまったところだ。

 更に、これは属性の問題ではなく、アレフスの気質が起因していると思われるが、アレフスの魔法は、基本的に『アレフス自身に作用しない』。目の前の相手を強化し、大怪我をも治癒することができるが、例えアレフスが瀕死の重症を負っても、その力で自らを救うことはできないようだ。

 魔法とは、非力な人間がその非力さを少しでも補うために発展させてきたものである。しかし、オークたるアレフスは、純粋に好奇心だけで学んできたため、自身の生活を有意義にするという発想がない。その無欲さが、『空』に通じたのかもしれない、とローラは思ったりしている。

(結局、人間同士の揉め事は、人間が解決しなきゃいかんのかねぇ)

 アレフス自身がこの役を担ってくれればどんなに気が楽だったか、と自分勝手なことを思いながら、ローラは領主館の探索を開始する。

 身体はまるで水の中にいるかのように軽い。ゴーストのように、存在がなくなったみたいだ。

 その分、扉を開けるのには苦労させられた。両手を使って全力でレバーを下に押し込んで、ようやく部屋に入れたところで長机だけが並ぶ空っぽの会議室だった時は、心底ガッカリした。

 このガッカリを何度か繰り返し、ようやく偉い人用と思われる書斎を発見した。

 漁師が鮮魚満載の網を引っ張るように書斎の引き出しを開く。さすがに閉める元気はないなぁ、とゲンナリしながら、何か重要な情報がないか中を引っ掻き回してみる。が、ここもハズレ。

 気を取り直して次行くかー、と軽い身体で机を乗り越えたところで、扉のレバーが外側から回されたのに気がついた。

 真っ青になり、とにかく隠れられる場所を求めて、天井のシャンデリアの裏に飛び上がった。人一人乗ったというのに、照明は一揺れもせず、中に入ってきた清掃係のメイドも気付く気配はない。

(早くどっか行ってーーー!)

 ローラの願い虚しく、メイドは丁寧に扉を締め、更にその前に何気なく水の入ったバケツを置く。

(閉じ込められたーーー!?)

 清掃係のメイドは開けっ放しの引き出しを見て、訝しそうに首を傾げながらも元通りに閉じ直す。そして、空気を入れ替えるために両開きの窓を押し放った。

(今だ!!)

 メイドが掃除用具を取り行こうと窓に背を向けた隙に、ローラは天井から飛び立つ! 窓枠に手を掛け、建物の外へと身を投げた!

 身体は軽く、転落の心配はない。しかし、軽さのあまり、風に飛ばされる懸念はあった。

 ローラは外に開かれたままの窓を掴んで我が身を引き寄せると、それを足場にして外から開いている窓を探す。グズグズしていてはメイドに気付かれるかもしれない。一先ず上の階へ跳躍し、閉ざされた窓枠を掴んで壁に張り付いた。一風吹けば飛ばされてしまうような危うさ。すぐにでも室内に入らねば、と中を覗き込もうとしたが、

「町長! 貴殿は一体何を考えているんです!!」

 今のローラは、この怒鳴り声ですら吹き飛んでしまうほど軽い。窓枠にしがみついたまま、室内からの死角に身を潜める。しかし、この声には聞き覚えがある。この声は……

「だ……だがね、ルビト殿。先の大災害で、ガライダールを除いて今年の収穫は壊滅的で……」

 そう、ルビト商店の店主だ。マイラトームの町で穀物の卸売を行っており、ローラにとって主要な取引先の一つだ。そのルビト商店店主が、町長に対して激憤を飛ばしている。

「それは解っております! ですが、この『ガライダール産の輸入品に対する関税をゼロにする』という条項は何ですか!」

(へぇ、あの村長、えげつないことを)

 と思いながらも、ローラは内心ほくそ笑んだ。食糧不足という弱みに付け込んで、食糧品以外も売り込むことが出来る。

(ルビトさんには悪いけど、今年は一気に販路を拡大するチャンスだなぁ)

 早速在庫と取引先を頭の中で結びつける。本来の目的も忘れて、今すぐ帰って販売計画を立てたい衝動に駆られたが、中からの続く罵声で、その目的はすぐに思い出された。

「それも、今後十年間ですよ!? 街の農家たちを皆殺しにする気ですか!?」

(……へ? 十年? 何で??)

 一時の天災で、この先十年も無茶な条件を強いる? そんなのキレるに決まっている!

「しかも、別途寄越してきたこの見積書! 例年の三倍の価格でこんな大量に引き取らせようとか、馬鹿にするにも程があります! 昨年の倍も仕入れてどうやって捌けというんです!!」

(そんな取引、あたし知らない!)

 今年が売り時なのは解る。しかし、そんな多量に売り出してしまったら、ガライダールの村で食べるものすら無くなってしまう! しかも無関税だけでなく価格まで釣り上げる? ここはむしろ下げるところでしょう!? どう考えてもやりすぎだ!

「それを相談するためにルビト殿を呼んだのだよ……その…………何とかならんかね?」

「なりません! 関税の契約だけでも死活問題です! どうしてそんな証書にサインしてしまったのですか!?」

 ローラは目の前が真っ暗になる想いだった。今後、この街でどうやって商売していけばいいのだろうか! あれは村長が勝手に結んだ契約だ、と弁明しても、自分の信頼の挽回は難しい。

 しかし、町長の次の言葉で、ローラは彼が怯えている本当の理由を知ることとなる。彼は決して、目の前の店主相手に気圧されてしていたのではなかった。

「だ……だが……ガライダールは魔物使いとやらを抱えておるようで……従わねばオークの群れをけしかける……とか……」

(ぎゃーーーーー!! あたしが築き上げた信頼を台無しにするようなマネすんなーーーーー!!!)

 ローラは声には出さず、血の涙を流す!

「そんなハッタリを真に受けたんですか!?」

「しかし、実際あの村だけ水害に耐えきったのは、魔物使いのお陰だとか……」

 もう嫌だ! 魔物使いなんて廃業だ!!

 ローラは自分のしてきたことをほとほと後悔していた。軽い小遣い稼ぎのつもりが、本業を脅かすとんでもない事態になっていたとは!

 彼女は全てを理解した。すぐにでも帰ってアレフスに相談しなくては! ローラは掴んでいた手を離して壁を蹴る! その勢いで領主館を取り巻く外壁を飛び越そうとする……が、その折に吹き殴る一迅の風が、彼女の身体を真横に吹き飛ばした!

(え……ちょっと……ヤッバ!?)

 彼女の目前に立派な針葉樹が迫り来る。力を失ったの彼女に抗う術はなく、刺々しい木の枝の中に埋め込まれてしまった。

(う……動けない……)

 薄手のネグリジェが細い枝葉に引っかかって身動きが取れなくなってしまった。ここに脱ぎ捨てていけば脱出はできようものだが、仕入れ値を考えると、そう簡単には手放せない。

 何とか良案はないものか、と考えていたが、彼女の閃きより先に、細い枝がしな垂れ始めた。

(ま……まさか……時間……切れ────っ!?)

 質量を増していく彼女の身体を、それでも樹木は抱擁を解こうとしない。串刺しにされたネグリジェはローラの身体を支えきれず、そこから徐々に穴を拡張させていく。

(や……っ、これ……高いのにーーーーー!!)

 裂け始めた勢いは止まらない。高価なシルクはボロ布のように切り刻まれ、その中身を無情にも幹の根本へと放り出した。

 全身は落ちながら枝に削られて擦り傷だらけ。土の地面に叩きつけられたお尻はズキズキと痛む。

「う……く……何て……勿体無い……」

 売り物にならなくなった高価な商品を名残惜しそうに見上げながら、お尻に付いた土埃を手で払う。

 その手触りで気付く。布地とは思えない汗ばんだ感触と、指先をくっきりと挟み込む肉の割れ目。何よりも行き交う人々の時間を止めてしまった視線の先は────────

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああ!!?」

 ローラは無心に走り出す! 身体を隠すことも忘れて、その場から逃げるために全速力で!

「な……何だ!? 追い剥ぎか!?」

「コラっ! 見ちゃいけません!!」

 城壁は辛うじて越えることは出来たが、その脇の街路樹に引っかかって墜落した彼女は、周囲に羞恥と混乱を撒き散らしながら、服の待つ厩へと走り去っていくのだった…………。


「うちの村長ぶっ飛ばして。殺してもいい」

「あまり物騒なことを言わないで下さい。同種で殺し合うほど悲しいことはありませんよ」

 厩に駆け込んだローラは、下着を着けるのも億劫に、ジャケットとスカートだけ纏うと、そのまま御者台に蹲って、泣いた。同情を得られそうもない豚の化物は袋に詰めたまま、スンスンと泣きじゃくった。

 しばらく泣き腫らした後、豚入り袋を覗き込んだ彼女は、村長殺害依頼を口にしたのだった。

「気持ちは分かりますが、騒ぎを打ち消すためにも、貴女は何事もなかったように仕入れを行い、早々に町を後にすべきでしょう。何があったかは、帰りの道中にでもお聞きします」

 その無神経さにローラは一周回って平静さを取り戻した。

 アレは自分ではない……あたしは商品を仕入れに来ただけ……と自己暗示を掛けながら力無くモソモソと着衣を整え、馬の尻に鞭を入れた。


 帰り道、アレフスは彼女の変わり身に感心していた。

『ローラちゃん、聞いたかい? 今朝、領主館傍の通りに裸の女が降ってきたそうだよ!』

『ヤダー、おじさんてばー。女の子にそんなえっちな話題振らないで下さいよー』

 本当に何事もなかったかのように他人事として流していた。『そのくらいの図太さがないと商人は務まらないのよ!』と彼女は言うかもしれないが、思い出させるのも悪いので、あえて口に出さず、彼女から話し始めるのを荷台の袋の中で待っていた。

「んー……? 気ィ遣ってくれてんの? 悪いわねー……」

 彼女はのんびりとした口調で後部の麻袋に語りかける。

「でも、感謝するわ。正直、しばらく毎晩うなされそうな悪夢だったから」

 彼女は、領主館でルビトから聞いた話を伝える。最も深く刻み込まれた記憶が脳裏に蘇るたびに脇に置き、淡々と必要なことだけを口にした。

「私は人間同士の契約というものに疎いので、有効な案が思いつきません」

 ローラに辛い想いをさせて情報を収集させたものの、何一つ有効な提案がなく、アレフスは袋の中で頭を下げることしか出来ない。

「あ、いいよ。今度はあたしに考えがあるから、アンタはそれに協力してくれればいい」

「それは心強いですね」

 彼女の傷心を慮って、アレフスは全面的にローラに励ました。

 普段の彼女ならまたしても気を大きくしてしまうところだが、今朝の件が尾を引いており、上がりきらないテンションで冷静に、自分の考えを述べる。

「よーするに、今回の件は、うちのバカ村長があたしに黙ってバカ契約を結んだのが原因なの」

「そのようですが、村の取引を貴女が独占していたことも、村長殿が独断で契約を交わした原因では?」

 食糧を独占したガライダールという立場と、村の商通を独占する彼女の立場に、アレフスは近いものを感じた。

「こうならないように、あたしがいるんだよ。本当はね」

 商売を行うには、暗黙のセオリーがある。ルールがある。それを知らない素人が土足で踏み込んできて、商習慣から逸脱した取引を行おうとすると、商通全体がままならなくなるのだ。

「そりゃ、みんなも商売やりたい、ってなら教えるけど、そろばん弾くなら鎌を持った方がいいって人たちだもの。そんなみんなが安心して農作業できるように、あたしがお金から守ってあげなきゃいけなんだよ」


 ローラは、ガライダールという村の成り立ちを父から伝え聞いている。

 この村の祖先は、広大な領地を持つ大地主の下で従事する、いわゆる農奴と呼ばれる人々だった。徹底的に管理された彼らに自由はなく、まるで田畑を耕す道具のように扱われていた。それこそ、壊れたら替えの利く部品の一つのように。

 その劣悪な環境ゆえに脱走する者は後を絶たなかった。ある者は逃げ切ること叶わず捕らえられ、見せしめのために私刑にされた。

 だが、辛くも逃れ、自由を手にした一団があった。彼らは山を越え河を渡り、ついにこの地に辿り着いたのだった。

 そこで彼らは自給自足を始めるが、手作りの木製の道具では生産性は上がらない。火を起こすことすら一苦労を伴うような原始的な生活を強いられていた。医者も薬もなく、一度の流行り病で多くの村人が斃れていった。

 彼らは、収穫したばかりの麦と芋を手製の荷馬車に積み込み、農具や薬を求めて街に出る。石畳の大地を彷徨うが、彼らの身なりでは話を聞いてもらうことすら困難を極めた。交渉の席についても、穀物で動いてくれる者などおらず、挙句に、タダ同然で積み荷は騙し取られてしまった。

 村の希望を一身に背負って旅立った彼らが、積み荷の代わりに二足のワラジだけを持ち帰ったのを見て、村の者たちは街の人間に恐怖した。二度と街に近づくことはせず、野山に自生しているもので暮らしていくことに決めたのだった。

 それからしばらく経ち、冬の寒さが厳しくなってきた頃、とある行商人が村に迷い込んだ。山ほど積み込んだ毛皮のお陰で辛うじて寒さだけは凌げたものの、それは腹の足しにはならなかった。馬と共に野草を噛じりながら食いつないできたが、既に手綱を握る体力もなく、馬に引かれるがままに村に辿り着いた。

 真冬だというのに半裸同然の姿で泥に塗れた村人たちは、この痩せこけた旅人にかつての自分たちを重ねた。彼を屋根のある小屋に寝かせ、麦を煮込んだ粥を食わせた。

 行商人は馬車に揺られながら、行き着く先は、天国か、それとも地獄か、と死を覚悟していた。ゆえに、自分を現世に繋ぎ止めてくれた彼らの善意に涙を流した。

 馬を御せるまで回復した行商人は、彼らの恩に報いるため、積んでいた毛皮を持って町に下り、それを外套にして村人たちに送り届けた。その温かさに村人たちは感激したが、それ以上に、毛皮が外套になって帰ってきたことに大層驚いた。

 そこで村人たちは、食べ切れずに余っていた穀物を、行商人に託した。それを受け取った行商人は、それらを鉄製の鍬や、医療薬などに替えて来たのだった。

 無慈悲な街の人間たちと渡り合える行商人の力を目の当たりにした村人たちは彼にここに留まってくれるよう頼み、行商人はここを旅の終着地に決めた。

 その行商人の名はガライ・ダール。ローラの曽祖父である。

 以来、ローラの家系は先祖代々、農民たちが金の力で自由を買収されないよう、取引の窓口として、彼らを守ってきた。時は流れ、その経緯を忘れた世代になると、畑仕事も手伝わずに自分たちが苦労して育てた作物を運ぶだけの商売人に敵意を持つ村人も現れ始めた。しかし、ここで彼らを見捨てては、彼らはどこかの悪徳商人に喰らい尽くされてしまう。これだけの人間がいれば、上手く付き合える者もいれば、反りが合わない者もいる。そう割り切って、腐らず、愛想よく、村人たちのために交易を続けていった。そもそも、そのような対人スキルは、商人にとって必要不可欠なものだったのだから。

 その教えはローラの父の代にも伝わり、彼女も村の皆から好かれる商店の主となった。彼女は村の人たちが大好きだし、お金の流れから守っていきたいと思っている。

 そして今、お金の魔の手が村人たちを脅かそうとしている。それも、よりにもよって、村を纏めるはずの長の手で。

 父が健在なら、こんな暴挙は許さなかったかもしれない。自分がアレフスたちに頼らなければ、村長も大人しくしていたかもしれない。

 だが、父はもう帰ってこない。アレフスも商売の枠を超えた大切な友だ。今更それを変えることはできない。

 だから、彼女は今の自分にできることをする。父から受け継いだ使命を果たすために。

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