第四十九話 問われる正体
その日、ティーリア珍しく着飾り正装していた。いつものように目元には濃い化粧を施し、冷たい印象を与える顔に変わる。
イレーネに協力すると言ってから四日後、次期国王ハロルドから内密の呼び出しがあった。
キシから渡された書類を持って、こっそりと移動する。人目に付かないように移動するのは精霊の加護を持ったティーリアにとっては難しいことではない。
イレーネの部屋に付き、深呼吸してから、扉を開ける。
そこには既にハロルドとイレーネ、そして、予想外の人物、フィルラインがいた。動揺を押し殺して優雅に腰を折った。
「よくきたな。顔を上げろ」
「ご機嫌よう、ハロルド殿下。そして、ロールデン様、イレーネ様。今日はお招き頂き有り難う御座います」
挨拶は身分の高いものからするのが原則だ。ハロルド達の挨拶を受け、ティーリアも返す。空いている席に腰掛けた。
「早速、本題に入りたい。が」
ハロルドの鳶色の瞳がティーリアを捕らえる。
「はっきり言うが君は怪しい。そんな者に大事な話を聞かせることは出来ない。信頼するために、問おう」
静かな室内にハロルドの声だけが響く。
「―――ティーリア・ダウス。君は、何者だ?」
ティーリアは反射的に微笑んだ。浮かぶのは大国の三大貴族ファンレーチェ家のものとして学んだ感情を隠す笑み。
「恐れながら、殿下。それは無意味ですわ。わたしは質問に答えられる範囲でしかお答えしませんし、殿下からお聞きしなくても情報は持っていますから」
「……ほう。言うな」
ハロルドの瞳に剣呑な光りが宿る。それでもティーリアは笑みを絶やさず見つめ返す。
「大事な話をするのに、信用させる必要はないというか」
「そうは言っていません」
けれどそう言っているようなものだと、冷静に思った。
ハロルドと視線が交差する。言え、と。全身から王の威圧がかかる。
小さく息を吐いた。
ここに来た以上、イレーネを支えると決意した以上、覚悟は決めなくてはいけない。
(大丈夫。ハロルド様も、イレーネ様も、フィルライン様も。みんな、信用できる人)
視界の端に映るイレーネが不安そうにこちらを見ていた。彼女は一度もティーリアについて聞かなかった。きっと聞きたいことはあったはずなのに。話してしまいたいと思う自分は確かにいる。けれど、どうしても答えるわけにはいかないのだ。
ティーリアはハロルドではなくイレーネをまっすぐ見つめた。瞳に彼女への誠意を込めて。
「わたしは……」
ある関係が壊れてしまったら……? そんな考えが頭をよぎり、喉から音が出てこなくなった。
怖い。
けれどいつかは話さなければいけないこと。胸元の首飾りにふれ、勇気を、と願った。
「ティーリア・ダウスでは、ありません」
「―――!」
イレーネだけではなく、その場の全員が息を飲んだ。ティーリアは続ける。
「イレーネ様。今まで黙っていてごめんなさい。これ以上はお話できません。けれど、どうか」
信じて、言うのは高慢だろうか。イレーネは蒼い目を細めて優しく微笑む。
「信じるわ。ティーリアはティーリアよ。私と過ごしたのは、私を救ってくれたのは貴方だもの。貴方の正体がなんだって構わないわ」
ああ。その言葉に救われる。ハロルドが納得しなくても構わない。イレーネさえ信じてくれればそれでいい。
「ありがとう、ございますっ」
言えなくてごめんなさい。
苦しく、こぼした。イレーネの事は信用している。けれど、言ってしまえばどこかで誰かが聞いているかもしれない。この情報が公表する前に漏れてしまえばファンレーチェ家に不利な状況となりうるのだ。そうすれば、シンティアと会える確率が低くなってしまう。
それだけは避けたいから。
「いいのよ。貴方が話してくれるまで待っているわ」
「俺は待てな、っ」
ハロルドにイレーネの投げつけた扇子が当たった。
「い、イレーネ様!?」
ティーリアも失礼な言動をしていたが、これはひどい。目を丸くしているとフィルラインと目があった。何故か達観した表情で頷かれた。いつものことらしい。
「なにをする」
「ごちゃごちゃうるさいのよ。いいから私の信じたティーリアを信じなさい」
清々しいほどの言いようだ。
ハロルドが扇子を拾って深いため息をついた。
「……もういい。分かった。話を聞こう」
「それでいいの」
イレーネは満足げに笑う。気が付けば強張った身体が解れていた。
「それでは、まずこちらから……」
※ ※
一通り書類を出して、話し終える。ハロルドもイレーネもフィルラインもそれぞれ難しい顔をしている。
「本当に、君は……凄い情報網を持っているんだな」
その言葉は信じてくれたという意味だろう。
「お褒めいただき、光栄です」
「この書類は預かっても?」
「ええ、差し上げます」
話し続けた為、のどが渇いた。紅茶を飲む。独特の癖のあるこれは確かイレーネの好きなものだったはず。
(本当に、大切にされているのね)
潤った喉と、ハロルドのイレーネへの細かい気配りに気が抜けた。
「この情報は信じる。だが、やはり君の事は信用できない」
ハロルドは迷いなく言い切った。イレーネに睨まれるが気にしない。
「はい。それで構いません。むしろ今後の国王となるお方ですもの。大した証拠もなく信用されては困りますわ」
「ティーリア……」
気にかけてくれるイレーネに目だけで大丈夫だと伝えた。
「ただ、この言葉は信じていただきたいです。わたしは決してイレーネ様を裏切りません。彼女に害を成す存在ではありません」
「……ああ、信じよう」
今は、それだけで充分だ。
外向けの笑みをはずし、今だけはただのティーリアとして笑った。




