第四十五話 お互い様
目撃者も多かったため、事情聴取はカロリナと共に簡素なものですんだ。ヒルデは警邏に引き渡され、罰を受けるという。
事情聴取をした騎士がヒルデが他の令嬢達を襲ったのは、良いかつらが欲しかったからだと教えてくれた。
彼女は病気にかかり、飲んでいた薬の影響で髪が抜けてしまった。しかし、市販のかつらは質が良くない。そこで彼女はカロリナの艶やかな緑髪に目を付けていた。他の令嬢はそれまでの繋ぎだったらしい。だが、カロリナの抵抗にあい、かつらにするには足りない長さしか手に入らず、また伸びる機会を伺って襲うつもりだったのだという。
話を聞く間、カロリナは俯いていた。だが、話を聞き終わると顔を上げ、まっすぐと騎士を見つめ言った。
『ヒルデと話がしたいわ』
一時は却下されたが、最終的に許可がおり、カロリナはヒルデと話をした。
なにを話したかは分からない。
一緒にと言ったティーリアをカロリナが断ったからだ。
だが、再び会いに行ったときのカロリナの顔は晴れやかで、きっと彼女にとって良い結果になったのだと思う。
コンコンとノックの音が聞こえる。
ティーリアは静かな笑みを浮かべた。合図を出すとラーラリアが扉を開ける。
「ティーリア! 襲われたんですって!?」
濃い金色の髪、蒼く澄んだ瞳を持つのはイレーネ・ミラー。この後宮の寵姫である。もっとも他の令嬢と本人は気がついていないが。
「ご機嫌よう、イレーネ様。もうハロルド様から聞いたんですね」
金色の髪を横に流し、おそらくハロルドから贈られただろう品の良い飾りを挿したイレーネは相変わらず美しい。
「怪我は? 貴方が戦ったってきいたけれど」
「座ってからにしましょう? お話ししようと思っていたんです」
お菓子を並べたテーブルを指す。
「ティーリアの手作りもあるの?」
「はい。今回はヌガーを作ったんです」
ヌガーは水飴を使ったお菓子だ。ナッツやドライフルーツを加えて作る。歯にくっつくので、あまりパーティー等で出されることはないが、見た目も可愛いお菓子だ。後に残るナッツの風味がクセになる。今回は蜂蜜味と薔薇味の二種類を用意した。
「それで、ティーリアは大丈夫だったのかしら?」
「はい。これでも剣の心得は多少あるんです」
「……貴方って意外な特技が多いわよね」
くすっと笑われた。
「そういうイレーネ様も、執筆なんて意外な特技だと思いますよ?」
彼女は小説家だ。代表作は「哀」。ティーリアの姉、悲嘆の十字架、シンティア・ファンレーチェを題材としたお話だ。ティーリアも読んだが表現がとても綺麗で引き込まれる、素敵な作品だ。
「じゃ、お互い様ね」
イレーネが優雅に微笑んだ。彼女の動作はとても洗練されていて、美貌とも相まってどんな動作でさえ絵になる。
「とは言ってもティーリアは規格外過ぎるけれど。フィルラインの剣も受け止めたそうじゃない」
「ロールデン様が手加減してくださったからですよ」
首もとで止めるつもりだったのだと冷静になってから気がついた。でなければ、受け止めた短剣ごと切られてしまっていただろう。
「でも手は本当に大丈夫なの?」
「はい。精霊達が治癒もかけてくれましたし」
「そう……。良かったわ。貴方が襲われたってきいて、無事だともすぐにきいたけど、心配だったのよ」
イレーネが目を潤ませた。ティーリアの手をとり、そっと握る。心配の色の乗った蒼い瞳はどこまでも優しい。
「貴方の手は素敵な手よ。美味しいお菓子を作る手。綺麗な絵を描く手。誰かを抱き締める手、支える手。言われなくても分かっているでしょうけど、大切にして」
じんわりと温かいものが胸に降りてきた。
あぁ、と実感する。
ティーリアはイレーネが本当に好きだと。こんな素敵な人が未来の王妃ならよりよい国になるだろうと思う。
「ありがとう、ございます」
染み入るように言う。
「お礼を言われるようなことは言ってないわ」
イレーネは恥ずかしかったのか誤魔化すようにお茶に口付け、目を開いた。
「……あら?」
「実はハーブティーなんです」
期待通り、驚いた表情をしたのを見て説明する。
「カロリナ様がブレンドして贈って下さったんです。美味しいですよね」
カロリナのブレンドしたこれはハーブティーとは思えないほど紅茶に近い味わいだが、ほのかにハッカの風味があって後味はあっさりしている。
「カロリナ・フレンテラ……」
イレーネの口から小さな呟きが落ちた。
「……そう言えば、襲われた時も一緒にいたそうね。確かティーリア、嫌がらせを受けていたわよね。無理矢理仲良くさせられているの?」
「いいえっ」
慌てて否定する。そう言えば説明していなかった。邪推されるもしかたないだろう。
「大丈夫ですよ。それに、あれはカロリナ様の意志ではない、……というわけでもありませんが」
意志ではないと言い切ろうとして、付け足す。
確かにティーリアに嫌がらせをしていたときは彼女自身の意志だったのだから。
改めて説明しようとすると案外難しい。イレーネが眉を寄せた。
「言いたいことがよく分からないわ」
「ええっと。そうですよね。その……簡単に言えばカロリナ様は利用されていたのです。カロリナ様自身は真っ直ぐで優しい良い方ですよ」
「でも、フレンテラの所為で危険な目にあったのは変わりないわよね。彼女自身が良い人だとしても、フレンテラ家までそうだとは限らないわ。仲良くするのは良いけど、少し気をつけた方がいいわよ」
いつになく刺々しい言い方だ。
驚いてぱちりとまばたきを落とすと、イレーネがはっとした様に手を口元にやる。
「ごめんなさい。せっかく出来たティーリアの友人なのに」
「いいえ。あの……何かあったのですか?」
普段のイレーネは誰にでも平等な見方をする人なのに。自身が犯罪者、それも国家に仕える者としてはあるまじき汚職をしたものの娘として偏見の目で見られてきた彼女は噂に惑わされない。だから、今のような言い方は初めてだ。偏見では無いにしろ、最初から嫌悪感を持っているようだ。
「何か……そうね。なかったわけではないわ。けれど、」
今は話せない。
濁した言葉の先を読み取り、安心させるように微笑んだ。
「気になさらないで下さい。わたしも……話せない事はたくさんありますし」
柔らかく微笑んだつもりが意図せず困った顔になってしまったのが自分でも分かった。
本当に、話せない事ばかりだと自嘲してしまいそうになる。大切な友人なのに身分も過去も、本当の名前さえ、話せない。
だが、嘘は言いたくない。だから、話せないと言うしかないのだ。イレーネの気持ちはよく分かる。
暗くなりかけた思考を振り払うように明るい声を出した。
「お互い様、ですね」
イレーネが先ほど言った台詞だ。それに気が付いたのかイレーネも笑う。
「ええ。だから理解し合えるって事でいいんじゃないかしら」
たとえ、真実を話せなくても確かな繋がりはある。
それを大切にしていきたいと心から思った。




