第四十四話 守る術
「君も剣が扱えるんだな」
も、というのは恐らくティリーの事が入っているのだろうとぼんやり考えた。
「ええ、誘拐されることが多かったものですから必然的に」
「鍛えるほど?」
「銀髪が珍しいのでしょう。高値でも買いたい人が多いのですわ」
ダウス家はティーリアの実家ファンレーチェには及ばないが警備はしっかりとしている。だが、ほんの少しの隙に誘拐されてしまうことが何度かあった。その時は誰より早く助けに来てくれたのはいつもキシだった。彼はまさに無敵でどんなに囲まれても、どんな状況でもティーリアに傷を付けることなく助け出してくれた。
「大変だったのだな」
「ええ、でも助けてくれる人がいましたから」
頬に手を当て、淑女らしく控えめな笑みを浮かべる。
ティーリアの部屋は一番本宮に近いところにある。反対に寵姫であるイレーネの部屋は最も本宮から遠いところだ。カモフラージュの為と、あの位置だと近くに隠し通路があるためだろう。
談笑を交わしながら、廊下を歩き部屋の前まで来た。
「……そういえば侍女の姿がみえないが」
「用事を言いつけましたの。一人しかいませんから、仕方ないですね」
慌ててフォローする。新月の儀式で出会った時もラーラリアは居なかったので何か悪い印象を持っているのかもしれない。
フィルラインが顔をしかめた。
「それはおかしい。最低でも各部屋二人は用意しているはずだが」
ぱちりと瞬きを落とした。
「わたしにはラーラリアしかいませんが」
「不正があるのかもしれない。調べておこう」
思い返せば確かにティーリア以外の令嬢には最低でも三人の侍女がついていた。
(でも、キシがなにも言わないって事は何か事情があるのかも……)
キシはティーリアが理不尽な状況にいたら必ず助けてくれていたから。
今度きいてみようと決意して、フィルラインに向き直り、丁寧に腰を折った。
「では。お送り下さり、ありがとうございます」
「待ってくれ」
扉を開けようとしたところで止められた。他に何かあるのか。首を傾げてしまう。
深緑色の瞳に見下ろされる。
「あのお礼の菓子……とても旨かった。ありがとう」
「ああ。その節はこちらこそお世話になりました。お口に合ったようで何よりです」
律儀だ。わざわざ伝えてくれた。
しかし、礼を言うだけが目的では無かった。フィルラインの瞳がきらりと光る。
「あの、菓子……どこで売っているんだ?」
「……えっと」
冷や汗が流れた。
しまった。
渡すまでしか考えていなかった。フィルラインの好みを詰め込んだのだ。また食べたいと思われることだって想定していなければならなかった。常に仏頂面なので淡白に見えるが甘いものに対する想いは熱いものがある。期待に満ちたフィルラインの瞳が怖い。目を見ていられなくて窓の外に視線を移す。
「その、少し特殊でして、お教えするわけにはいかないのです」
「……そうか」
落ち込んだフィルラインをみて内心で謝罪の嵐が吹き荒れる。
「……ロールデン様にはお世話になりましたし。よろしければ後宮から出たら、販売元に取り次ぎましょうか……?」
「本当か!」
フィルラインの表情は基本的に動かない。けれどいつだって瞳は雄弁に語っていると思う。
勢いに押されながら頷く。
「ありがたい」
しみじみと言われてくすりと笑ってしまう。
しかし、会話を終えるとフィルラインの瞳の色が変わった。
「近いうちに自分が後宮から出られるというような話し方をするんだな」
フィルラインは武術が専門とはいえ、国王の執務補佐官だ。お菓子のことにさえ気をとられなければ聡い。
少し迷う。このことを言っていいのか、警戒されないかと。
結局は人がいないのを確認して口を開いた。
「知っていますもの。ハロルド様が正妃以外を設けないこと。すべて寵姫イレーネ様から聞き及んでいます」
“ティーリア・ダウス”も“ティリー”も嘘だらけだ。身分や過去は勿論、名前さえ嘘をついてしまっている。時には真実も言わなくてはいけない。すべてが嘘だと崩壊してしまうから。
けれど、
(知ってると分かったら警戒されちゃうかなぁ。それは、少し悲しい)
フィルラインの接するティーリアとの間には壁を感じてしまう。怪しい噂のあるティーリアだから仕方ないのだとは理解している。寵姫の存在を知っているとなれば警戒され、さらに距離が開くだろう。
しかし、
「……は? イレーネ・ミラーから?」
返ってきたのは意外な反応だった。ぽかんとされてティーリアも驚く。
「はい。あの、親しくさせていただいています。まさかイレーネ様、ハロルド様に仰っていないのですか……?」
「……他にイレーネ・ミラーが寵姫だと知っているものは?」
その問いは肯定だった。
「あ、いえ。イレーネ様があんまりあっさり言うものですから一応他の方に言わないようにと言っておりますが……」
「助かった」
やや疲れを滲ませた声音のフィルラインに何故かティーリアが申し訳なくなってしまった。
「その、が、頑張って下さいませ」
「……ああ」
労りをこめて言うとかすかに笑みを浮かべてくれた。
※※
その後、部屋に戻ってからはほとんど怒りにあふれる精霊達を宥めるのに大分時間を費やした。
殺すなどと物騒なことを言っていた精霊達がようやく落ち着いたところでティーリアは話を切り出す。
「あのね、誰かに剣を教えてほしいんだけど」
後宮に入ってから扱ってなかったのでかなり鈍ってしまった。それを今回の事で痛感したのだ。
『ひ、姫さまっ! なにを言っているのですか!?』
『姫さまに剣術など!』
「私たちがお守りしますよぉ」
一斉に反対された。予想通りと言えば予想通りの反応に苦笑を零す。
「みんなの事信用してないわけじゃないの」
でも。小さく呟く。
「守られているだけは嫌」
精霊達が痛ましげに目を伏せた。言葉に込めた思いを感じ取ったのだろう。
ティーリアはいつも守られていてばかりだ。精霊や、キシ。そして……大好きな姉のシンティア。気がつかないところでも過ごしやすいように動いていてくれているのだと分かる。望めばすべての苦難から守ってくれるだろう。それだけの力を彼女たちが持っているのは知っているし、信用している。
だが、それでも。いや、それだからこそ。
頼りすぎてはいけない。そうしてしまったら大事な時に一人では立てなくなってしまうから。
ティーリアを守ってくれるのは、同時にティーリアが守りたい人達なのだ。彼女たちは時に身を挺して守ってくれる。そんなことを決してさせないために強くなくてはいけない。
もう、何度も後悔した。
あの時、ただ守られているだけでは無かったら、と。力になれなくてもせめて足手まといで無かったら、と。
その後悔は二度と繰り返さない。
「……仕方ないねぇ」
一瞬の沈黙を破ったのは光の上位精霊ニオミルだ。ぽん、とティーリアの頭をなでてくれる。
「本当!?」
反射的に笑顔を作って顔を上げる。
「ああ。勿論さ。姫さんの願いならすべて叶えてあげたいしね」
「ニオミル様ぁ? そうはいってもですねー」
水の中位精霊ユエが口を挟んだ。
「精霊ってー、魔術が主で剣が扱える子なんて殆どいませんよぉ?」
「え、そうなの?」
完璧というイメージを持っていたので意外だった。
ユエがこくんと頷く。
「んー、でもー、マカナは扱えましたよぉ? 今はどうか分かりませんけどー」
『……マカナ、今はむりなの。細かい動き、出来ないの』
指名されたマカナが悲しそうに言う。マカナは元は上位に近い精霊だった。しかし、精霊界で起きた大事件のため力を失ってしまったのだ。
『確か、ニオミル様も出来たのでは?』
ミヤナがそう言うとニオミルは肩をすくめた。
「昔の話さ。扱えないこともないけどねぇ。姫さんもそこそこの力量はあるから力不足だね」
「そっかぁ」
やはり、自分でどうにかするしかないのかもしれない。
「でも、姫さん。いるだろ? 私達以外に剣の扱える奴が」
「キシは忙しいから駄目だよ?」
「それは勿論分かってるさ。丁度良い。近くに居るようだね」
ニオミルはにやりと笑みを浮かべると腕を上げた。魔術の心得のないティーリアには分からない歌の様な詠唱をする。ニオミルの手から光が漏れた。その光はどんどん大きくなっていき……、
「ちょ! なに!?」
突然、声と共に暗色の髪と瞳を持った少年、闇の中位精霊ルトが落ちてきた。
「姫さんのお呼びだよ、ルト?」
「えっ」
急に振られてびっくりしてしまう。
「姫さんがこんな乱暴な呼び出し方するわけないでしょ……」
ルトは心なし疲れているようだ。げんなりとした様子で否定する。
「で、何の用?」
「ルト、あんた剣扱えたね?」
「……そうですけど」
「ちょうど良い。姫さんに剣術を教えてあげな。どうせ、話は聞いていただろ?」
「……っ」
聞いていたことを指摘されて言葉に詰まるルトにニオミルは意地の悪い笑みを浮かべる。
ティーリアは今まで精霊達が集まるときにルトが出て来ないのは、ミヤナがルトのティーリアの接し方について色々と言うからだと思っていたが違うのかもしれない。ミヤナの説教を飄々と受け流すときと違い、ニオミルと接するルトは本気で嫌そうだ。
「精霊の集会にも参加しないから良いだろう?」
「……どうせ、拒否権はないでしょ」
「分かってるじゃないか」
はぁぁ、と長いため息をこぼされたところで我に返る。
「ルト、いいよ。無理しないで?」
「仕方ないでしょ。約束したし。ま、姫さんが強くなってくれれば俺たちも守りやすいし?」
さらりと言われた俺たちと言う言葉に反応する。
「ルトも、守ってくれるの?」
自然に守ると言われて思わず聞き返すと顔を背けられた。
「……まぁ、必要は無さそうだけどねー」
「本当? 嬉しい」
にっこりと笑う。いざとなれば助けれくれるくらいには仲良くできていたのだ。ルトは呆れたようにはぁ、と溜息をついた。
「姫さん俺を何だと思ってるのー? 流石に知り合いが危なかったら助けるけど」
「ルトが優しいのは知ってるよ。それにわたしもルトが危なかったら助けるからね」
「……そ。じゃ、せいぜいミイラ取りがミイラにならないようにねー?」
拳をきゅっと握って言うと皮肉っぽい笑みで返された。
『ルト! 貴方言わせておけば姫様になんて口の聞き方!』
「じゃ、姫さんまた明日来るよ」
我慢できなくなったようにミヤナが怒鳴る。ルトはいつもの様に受け流し、消えた。




