第四十一話 令嬢の訪問
ドタドタという音と、焦ったような声が扉の向こうで聞こえる。
「ですからっ! 先触れをだしていないのに急に来るなんておやめくださいませ!」
「あら、ですからもてなさなくていいと言っていますのよ? 少しお話がしたいだけですの」
「ティーリア様はお疲れなのです!」
「でしたら尚更良いわ、早く会わせなさいな。良いものを持ってきましたの」
この声はティーリア付きの侍女であるラーラリアと……カロリナ?
カロリナはティーリアに嫌がらせを行っていた派閥の中心人物だ。普段誰に対しても丁寧なラーラリアが珍しくきつい言い方をしている。ティーリアもあまり良いイメージがなかったカロリナだが、ラーラリアは余計なのだろう。
だが、もうティーリアは知っている。カロリナの秘めた優しさを。
女中の服に着替えていた手を止めた。二日後、という約束をしていたフィルラインの元に向かおうとしていたのだが……、流石にこのままカロリナを放置するわけにはいかない。
「……ルト。お願いがあるのだけど」
「なに? 姫さん」
声を掛けた途端、ぽんっと音を立ててルトが現れた。加護を与えてくれたわけではないのに図々しくお願いしてしまって申し訳なく思う。
「フィルライン様に今日は来れないって伝えててくれない? それで出来れば次の予定も聞いていて欲しいなぁ」
「いいよー。報酬はこの前のパイ。姫さんの手作り版で」
「ありがとう」
来たときの同じように消えていくルトを見ながら色彩操作の指輪を外す。試すのが楽しみだったが仕方ない。イオやサーラといった下位の精霊たちに助けてもらいながら、身支度を整え二人のいる応接間につながる扉を押した。
「カロリナ様、ご機嫌よう」
「ティーリア様! ご機嫌よう。お疲れと聞きましたけれど顔色は良さそうね」
にこっと無邪気な笑みを浮かべるカロリナをみてラーラリアが目をみはった。
嫌みを言わずにただティーリアを心配するカロリナに驚いたのだろう。事情を問うようにティーリアを見つめるラーラリアに後で説明する、という意味を込めて頷いた。
「ラーラリア。カロリナ様にお茶をお出しして」
「あら構いませんわ。すぐ帰りますし」
「そう言うわけにはいきません」
有能なラーラリアはひとつ瞬きを落とすと、直ぐに奥に下がった。
カロリナが一人で訪ねてくるなどこの前の事でまず間違いないだろう。だが、それについて何がいいたいのかわからない。
内心で首を傾げつつ、カロリナを椅子に誘導する。
椅子に座ると、カロリナはすっと箱を差し出した。
「この前のお礼ですわ」
可愛らしい花が差し込まれた箱を見つめる。
困惑していると早く受け取れというようにカロリナ様は箱をさらに前に突き出す。仕方なく受け取った。
「あの、これはいったい……」
「で、ですから! お礼ですわ! 覚えてなさいませと言ったでしょう」
確かにそう言われた事は覚えている。
だが、その言葉にお礼という意味があるなんて思わなかった。というかそこから推測しろというのが無理な話だ。
やや顔をひきつらせるティーリアとは対照的にカロリナは神妙な顔で居住まいを正した。
「貴女はわたくしを助けてくださいましたわ。それに……あのことを口外もしませんでしたし」
「それはお互い様でしょう? カロリナ様だってわたしのこと口外なさいませんでしたし」
秘密を知られているのはティーリアも同じだ。
カロリナを助けるためとはいえ、精霊術を使ってしまった。精霊の加護というのは珍しいもので、それが知られれば下手に目立ってしまう。
ティーリアはいつかはファンレーチェの娘として公表される。
それまでに、ファンレーチェの人間だとバレるとファンレーチェにとって不利な状況となりうる。下手に目立つとティーリアとダウス夫妻とはまったく似ていなく、本当の母であるアイシアの顔が似ていると気が付く者がいるかもしれない。
目立ちたくないティーリアは精霊術を使えることを隠してきた。
カロリナ側にあまり良い印象を持たれていないティーリアだ。きっとあとで侍女たちに詮索されただろうにカロリナは決してばらさなかった。
やはりこれは受けれとれない、と返そうとしたがカロリナの眉間にしわがよったのをみてやめた。
開いた窓から誰かが呼び寄せたのだろう音楽隊の歌が微かに聞こえる。
「どうぞ、林檎のフレーバーティーです」
沈黙を見計らってラーラリアがお茶を運んできてくれた。口に含むとフレーバーティーの良い香りがする。
「美味しい。いつもありがとう、ラーラリア」
カップをおいて微笑むとラーラリアも笑い返してくれた。
「……仲がよろしいのね」
カロリナの口からそんな言葉が漏れた。一瞬驚いたがすぐに微笑む。
「ええ。大切な侍女ですもの」
「そう」
頷いたカロリナの髪飾りがシャンとなったのをきいて思い出した。そうだ、かつらを渡そうとしていたのだ。
「そうですわ! カロリナ様。少々お待ち下さいね。……あ、ごめん。ラーラリア席を外して貰える?」
ラーラリアにも秘密のことなので席を外して貰う。ラーラリアはやや憮然としたがらも恭しく腰をおった。
ティーリアは寝室に行って、かつらを取り出した。これなら、ただカロリナからお礼を貰うだけにはならないし、渡すのにちょうど良いタイミングだ。
実は許可をもらったその日に精霊にすこしだけカロリナの髪を取ってきてもらい、既にその色に染色を済ませてあるのだ。
応接間に戻るとカロリナがティーリアとかつらを交互に見る。
「あの……それは?」
「あっ、良かった。ちゃんとカロリナ様の髪色と同じですね」
安心してカロリナにかつらを差し出す。困惑したように受け取るカロリナに微笑みかけた。
「受け取って下さい」
「む、無理よ! これ相当高価なものなのでしょう! 凄く指通りがいいわ。どなたにもらったのか分かりませんけれど易々と渡して良いものではありませんわ! 価値をよく考えて頂戴!」
カロリナの剣幕についくすくすと笑ってしまった。
「なんですの?」
「いえ、カロリナ様は本当にお優しい方だなって改めて認識したのです」
「ちょ、調子の良い事を言わないでくださいまし!」
カロリナは頬を押さえてきっと睨みつけた。ティーリアは緩みそうになる口角を扇子で隠した。
(素直にほめ言葉を受け取れないカロリナ様……。可愛いわ)
一番上の兄、アレクシスがよく照れ屋な婚約者をほめちぎって照れている様子を見て楽しそうに笑っていたが、その気持ちがよく分かった。初々しい反応を見せられるとついもっと褒めたくなってしまう。
そんな気持ちを紅茶を飲んで納める。そして、穏やかな笑みを浮かべた。
「そのかつら、下さった方からも許可は頂いておりますし、せっかくカロリナ様の髪色に染めたのですからもらっていただけなければ無意味になってしまうのですけれど……」
イレーネにお願いを通すときは上目遣いにみるのだと教えてもらったとおり、少し、目線を上げて頼んでみる。
「で、でも」
「そうですわ! カロリナ様が嫌なのでしたら貸すだけにいたしましょうか? 髪が戻ったら返して下されば良いです」
どうなさいますか? と問うとためないがちに頷いた。
「分かりましたわ。受け取ります。その、か、感謝いたしますわ!」
「よかった」
にっこりと笑うと、カロリナはティーリアがこっそり戻したはずの箱を突き出してきた。
「で、ですから! 貴方もそれ受け取って下さいましね! 疲労に良いとされるハーブですの」
「わぁ! ハーブ大好きなのでとても嬉しいです。ありがとうございます」
「そ、そう。それは良かったわ」
かつらを袋に詰めて、渡す。
カロリナは受け取ると、少し扇子を弄り、ちらちらとティーリアを見つめてきた。
「……ティーリア様って、ハーブにご興味がありますの?」
「ええ、少し。自分で調合することもあります」
ハーブはお菓子づくりにもとても使えるし、落ち着く香りがとても好きだ。
「そ、そうですの! わたくし、ハーブにならそこそこ詳しいですわよ」
カロリナは勢い込んで身を乗り出した。
「え、えっと。わたしは飲む方ではなく、香り付けによく使っています」
「まぁ。そちらも興味あるわ。けれどお渡ししたのは飲むタイプですの。今は手に入らなかったのですけれど、レモングラスと合わせるといいですわよ。そうそう、他にも……」
カロリナは楽しそうにハーブについて語り出す。高位の令嬢はそういったものは全て侍女任せなので仲間がいたのが嬉しいらしい。
時折、ラーラリアも入って談笑した。
とても楽しい一時だった。




