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恋愛ノススメ  作者: 霜月栞那
恋愛ノススメ
3/10

at White day

誰もいない教室で、キス、された。

何の前触れもなく、本当に唐突に。

重ねられた彼の唇の熱さは今でも思い出せる。

口の中に広がったチョコレートの味も。

そして、向けられた真っ直ぐな瞳も。

『来月、期待している』

熱に浮かされたように、ただ見つめ返すしかできなかったに囁かれた言葉は、はっきりと覚えている。

―――告白された。

そう、思っていたのは自分だけだったのだろうか。

だから、彼は―――。






最近、人から逃げるのが巧くなった気がする。

高校に入ってそろそろ一年。同性からの告白は、この一週間でますます増えた。

中には一度振った相手もいて、まるで彼らは何かに追われているようにあの手この手で昶に近づこうとする。

聡里が側にいれば別だが、昶一人で廊下を歩こうものなら、少しでも人気のない場所に連れて行かれるのだ。

どこかに目立たなくて、しかし人目に付く場所ないものか。

考慮した末の場所が図書室だった。

ここで放課後を過ごす生徒の数は少ないし、何よりも静かな場所だけに他人の目が厳しい。

とりあえず自習机で陣取りをしてノートを開いたものの、出された宿題をやるほどの気力はない。昶は机に突っ伏し盛大な溜息をついた。


―――なんで、こんなにショックなんだろう。


和意がもてることは噂に疎い昶でも知っているほど、有名な話だ。

校内校外を問わず、彼と同じ時を過ごしたがっている人間が多数いることも。

もしも、このたびの一件がなければ、あの時見たものも不自然ではないと昶自身が感じていただろう。

ああ、噂は本当なんだ、と。

昶にしたキスだって、彼にとっては何の意味もないのかもしれない。

そう思い至るたびに胸が痛む。

そのくせ、痛みから昶を救うように、彼の言葉が―――彼の視線が蘇るのだ。

不安定で曖昧な感情は日に日に膨れ上がる。

彼を前にすると何を言い出すかわからない自分が恐くて、廊下で姿を見かけるたびに俯くことが多くなった。

ここニ、三日は、廊下の向こう側に彼を見つけるたびに回れ右をしている。

どうしても逃げられなかったときは、傍にいる聡里にすべてを任せて、その影に隠れた。

昶の態度に気づいているだろうに、和意は何も言わない。

廊下ですれ違っても意思表示はなく、ただ顔見知りの先輩後輩をお互いに演じている状態が続いている。

和意から仄めかされることはなく、それを安堵して良いのかわからず困惑している自分に、また混乱する。

自分の中で渦巻く感情をどうしたいのか、自分でもわからないまま。ずるずると時は過ぎ、気づけばあのイベントから一月が経とうとしている。

まだ何も、自分の中で結論を出していないのに。

「……ずるい」

あの時昶が見ていたことを彼は当然知らない。

それなのに、まるですべてが遅いとばかりに、彼がその結果を見せ付けてくれたかのように思えてしまう。

いっそのこと、方向性を示す決定打があればいい。

このまま彼の言葉に捉われていると、彼の行為に心が千切れてしまいそうだ。

「あれ、小泉じゃないか」

数え切れないほどの溜息を加算したところに、明るい声がかけられた。

顔を上げると、相田が柔らかい笑みを浮かべて立っていた。どうも、と会釈をすると、彼がふと表情を曇らせる。

「疲れてる?」

「まぁ、ちょっと……教室にいても落ち着かないし」

あまり眠れないし、という言葉を飲み込み、苦笑を浮かべて答える。するとその理由に思い当たったのだろう、相田が納得というように頷いた。

「大変らしいな。追われてるんだって?」

「……さらっと言われても困るんですけど」

「まぁ、恒例行事だと思って我慢しなよ。僕だって去年は凄かったしね」

そこの言葉に、彼が去年もイベントの手伝いをしたということを思い出す。

過去形で話すということは、現在はそこまで切羽詰った状態ではないということだろう。その差は何なのか、そしてどうやって乗り切ったのかを訊こうとした昶は、続けられた言葉に眉を寄せた。

「でも、今日で収まるだろう」

「……なんで、宣言できるんですか?」

訝る感情を隠さない昶に、彼は始めて自分のそれが失言だったと気づいたらしい。

あ、と慌てて口を押さえるその仕草に、昶は目を眇めた。

「先輩、何か知ってるんですか?」

「…………」

「先輩」

再度強く呼ぶ昶の感情が高ぶっているのに気がついたのだろう。相田は諦めたように溜息をついた。




『ホワイトディまでのイベントなんだ』

二月十四日のイベントはほとんどの生徒が知っている。何十年も続くこの行事に便乗してできたのが、この『鬼ごっこ』だと、相田は続けた。

生徒会は投票を利用してバレンタイン時にチョコレートを配る生徒を決める。

それと同時に『鬼ごっこ』の参加者を募るのだ。

ルールは簡単で、選ばれた『鬼』を一月以内におとせるかどうかというもの。

そして、それ以外の生徒は、生徒会の仕切る賭けに参加をする。つまり、誰がその年の『鬼』をおとすのか、それを当てるのだという。

状況から見ても、今年の『鬼』は昶に違いない。そう考えれば、この一月昶を追いかけてきた連中は直接の参加者ということになる。

和意も、きっとその中の一人だろう。

これに参加をして、昶をゲームのコマように扱っていたのだ。

信じたい、という想いが裏切られた、という感情へと変わっていくのがわかる。

「……最低」

零れ落ちた言葉に相田が表情を固くした。だが、今の昶は自分の感情を押さえるのに精一杯で、周りの反応を気にする余裕はない。

無言で広げていたノート類を鞄にしまうと、昶は勢いよく立ち上がった。そして勢いに任せて図書室を走り出る。

もちろん、向かう先は諸悪の根源が集まる場所だ。




棟の違う建物まで一気に駆けた昶は、ノックもせずに生徒会室の扉を荒々しい動作で開いた。

「―――小泉?」

最初に一番扉の側にいた金児が驚いたように腰をあげる。だが昶は彼に気を留めることなく室内を見回す。

そして同じように驚いた表情でこちらを振り向いた和意を見つけた。

打ち合わせをしていたのか、生徒会長の机の前でこちらに背を向けて立っている。無言のまま近づいた昶はその正面に立つと眼鏡の奥の瞳を真っ直ぐ捕らえ、昶は口を開いた。

「あんたの取り分はどれくらい?」

「……何のことだ?」

前置きもなく話し始めた昶に、和意は怪訝そうな顔をする。

それがわざとらしく感じられて、昶は視線を鋭くした。

とぼけるのなら、それでもいい。あくまでも趣旨がわからないと言うのなら、こちらから引導を渡すまでだ。

「賭け、今日までなんだろう?」

途端に、二人のやり取りを見守っていた周囲がざわついた。視界の端で、和意の奥にいる会長が立ち上がるのに気づく。

「―――昶くん、それは誰から聞いた話?」

「誰だっていいでしょう」

吐き捨てるように答えた昶は自嘲の笑みを浮かべる。

和意に対して、漠然たる思いを抱いていた自身を笑いたくなった。

「うろたえる俺を見て楽しかった? それとも、暇つぶし?」

睡眠不足になるほど悩んで繰り返し自問し続けた結果がこれなのだろうか。

真剣に悩んでいた感情が行き場を無くして渦を成している。

―――初めてこんなに他人を憎いと思った。

和意が微かに眉を寄せるのに気づき、昶はますます浮かべた笑みを深くしていく。

ぐっと眦に力を込めていないと泣きそうな自分がいる。それを知られたくなくて、熱くなった自分とは対照的に落ち着き払っている目の前の相手をきつく睨んだ。

「これで、満足?」

「小泉……」

伸ばされた手を反射的に払いのける。

大きく振り上げた昶の指先に何かが掠ったのに気がついたときには遅く、放物線を描いて眼鏡が中に浮く。

昶はそれが床に落ちた音を、地に足のつかない状態で聞いた。

「わ、ちょ……な、何するんだよ!」

昶の気が反れた一瞬のうちに、和意がその細い身体を己の肩に担ぎ上げたのだ。

一見細く見えるが、制服で隠れているその身は思った以上にしっかりと鍛えられているのだろう。昶が暴れても、和意の身体は大きく揺らぐことはない。それどころかしっかりと抱え直され、ますます昶は抵抗することができなくなる。

ふいに和意が向きを変えた。その振動に昶は和意が歩き出したことを理解する。必死に振り返ると、先ほど昶が入ってきたのとは別の扉へと向かっていた。




諦めず手足を動かし続ける昶に手を焼いたのか、扉を開け放つと同時に昶を放り投げた。

ソファーの上で全体重を右腕に受けた昶が顔を顰めるのを、彼は扉に背を預けて見つめる。

「返事をしにきたのかと思えば……ずいぶんな態度だな」

「―――返事?」

呆れたといわんばかりの口調に、昶は眉を跳ね上げる。

「なんで、あんたが気にするんだよ」

この一月、昶を苦しめたのはその他大勢に追いかけられるという肉体的・精神的苦痛だけではない。

「それとも何? 生徒会関係者としてイベントを盛り上げるために知りたいわけ?」

あの時の真剣な眼差しが昶を捕らえて放さなかったから、昶もまた本気で自分の心を見つめていたのだ。それこそ、睡眠不足で聡里に心配された日もある。

あやふやな気持ちが固まりかけたそのとき、彼は昶ではない人物を抱きしめた。

昶を包み込んだ腕で、他の誰かを包むことができる。

それが、彼の答えだと考えて何がいけないのだろうか。

扉の前で様子を窺っていた和意がゆっくりと昶へと近づいてきた。ソファーの上の昶と視線を合わせるためにその場に膝をつくと、咄嗟に背けようとしたその頬を押さえた。

昶を捕らえ続けた温もりが傍にある。

ただそれだけなのに、こんなに切なくなるのはなんでだろう。

その手を振り払うことすらできず、昶は力なく呟いた。

「…………もういいじゃん、ほっといてよ」

零れ落ちたその言葉は嘘だ。

こんなにも、彼が昶だけを見ていることを嬉しいと思う自分がいる。

言葉を堪えるほど、目頭が熱くなる。ぼやける視界のなか、目の前の相手がどんな顔をしているのか昶は知らない。自分の中で渦巻く想いを押さえるだけで手一杯だ。

「あんたにとっては暇つぶしだったんだろうけど、俺は……」

「―――俺は?」

確認するように繰り返され、昶は自分が何を言おうとしたのかを知る。

はっと口を押さえるが、すでに遅い。

真剣な眼差しでこちらを見つめる和意と目が合い、昶は項垂れることでそれから逃げようとした。

「小泉」

しかし、彼は名前を呼ぶだけで簡単に阻止してしまう。それでも顔を上げられずにいると、頬を支える彼の掌が促すようにそっと昶の顔を持ち上げた。

「最後まで言えよ」

「……なんで?」

「?」

「俺が何を思おうと、あんたには関係ないじゃん……」

昶が何を考え、悩んでいたのかを和意は知らない。それがわかっていても、今の和意は残酷だ。

視線で昶を捕らえ、行為で昶を振り回し、それでもまだ足りないというのだろうか。

「―――どういうことだ?」

眉を顰める和意の姿が、昶には誤魔化しているように見えた。

頬に血が集まるのがわかる。

「言葉の通りだよ! 俺にキ、キスしたのだって、賭けのためだろう!? あんたは相手が誰だって構わないんじゃないか!」

「―――ずいぶんとひどい言われようだな」

彼の纏う空気ががらりと一変した。口調は変わらないものの眼光にも鋭さが加わり、和意の怒りが伝わってくる。

この一睨みに、多くの人間が尻込みするのだ。

しかし、昶は退かなかった。それどころか、対抗するように和意を正面から睨みつける。

「さっきも言っていたな。賭け、というのは何だ?」

「何を今更……っ」

「今だから聞いているんだ。まさか、俺があんなくだらない賭けに参加していたと思ってるのか?」

「―――……え?」

吐き捨てるように告げられた言葉に、昶は勢いを殺がれた。

喉まで混みあがっていた色々なものが声音へと変わる前に霧散していく。


一方の和意はというと、昶の様子に自分の言葉が図星であったことを理解したようだ。

勘弁してくれよ、と力なく呟きその場に胡座をかく。

深い溜息をついた和意だが、ふいにソファーに座る昶を見上げる。

「それで?」

「……『それで』って?」

「小泉は賭けと聞いて殴りこんできたんだろう? その理由を考えたのか?」

「そ、それは……」

「答えられないなら、俺の好いように解釈するぞ」

目の前にはあの時と同じように真剣な眼差しで見つめてくる瞳があった。こちらが動揺してしまうくらい、昶だけを視界に入れている。

長いこと視線を合わせられず、昶は無言のまま瞳を伏る。すると、和意が困ったように言った。

「俺としては、小泉からはっきりとした言葉が出るのを期待してたんだがな」

「…………?」

何を言っているんだろう。

恐る恐る視線を上げると、和意の端正な顔に微苦笑が浮かんでいた。

「好きだよ」




「……嘘」

自身でさえ見つめようとしなかった感情を言葉にして告げられ、昶は呆然として呟いた。

「人が告白してるのに『嘘』はないだろう」

「だ、だって……っ」

脳裏に浮かぶのは、先日から昶を苦しめ続けたあの光景である。

昶が好きだというのなら、なぜ他の人間を抱きしめたりするのか。

これで人間違いだと答えようものなら本気で殴り飛ばしてやる。

ところが、和意の反応は予想以上にあっさりとしていた。

「なんだ、あれを見たのか」

躊躇うことなく頷き、むっとした表情の昶を正面からきちんと見つめてくる。

「どうせなら、最後までしっかり見ろよ。確かに抱きつかれたりはしたけれど、俺は抱き返したりしてないぞ」

もしも和意の言葉が事実ならば、昶は見てもいない想像シーンでとことん悩んでいたことになる。

「…………本当に?」

重ねて確認をする昶に和意が苦笑を浮かべる。だが、その眼差しは柔らかい。

「してないよ」

苛立つことなく昶の目を見て答えた和意に、昶はそっと瞳を閉じる。

もしかしたら事実は違うかもしれない。

だが、和意は昶の目を見て否定をした。

何よりも彼を信じたいと思っている自分がいる。

すっと息を吸い込むと、昶は視線を上げて和意を正面から捕らえた。

緊張のあまり、唇が震える。

「もう一度、言って」

「何を?」

「さっきの……先輩の口から、聞きたい」

「俺としては、小泉の口からも聞きたいのだけれどね」

徐々に近づく二人の距離に焦れたのか、和意の腕が昶の項へと回される。

そのままぐっと引っ張られた昶が慌ててバランスを取るのと、和意が両手でその細い身体を抱きしめるのは同時だった。

文句を言いかけた昶を、和意は耳元で囁くことで制する。



見つめあい、やがて同時に吹きだした二人の唇が重なるまで―――あと三秒。




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