表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋愛ノススメ  作者: 霜月栞那
恋愛ノススメ
1/10

at Valentine



―――HAPPY VALENTINE!!



「……なんだろう、これ」

HR教室へ向かう途中、校内の広告板に貼られたポスターに気づいた小泉昶(こいずみあきら)は、飛び込んできた文字に思わず呟いた。

昨年まで微妙に関係していたイベントだが、今年はかなり疎遠なものである。

中学のように共学であれば、義理でも女子からもらえるかも知れないという期待を抱いていたかもしれない。

だが、残念ながら、昶の通う青南高校は初等部から大学部までを完備した由緒ある男子校だ。そんな男女の甘い雰囲気は存在しない。それゆえに気にしてもいなかったのだが。

「昶? どうしたの?」

ポスターに目を奪われた昶に合わせて、隣を歩いていた工藤聡里(くどうさとり)も足を止めた。振り向く前に彼が近寄ってきて、同じようにポスターの文字に目を向ける。

「場違いなポスターだよな」

「季節感出してると思えばいいんじゃない? 今週末だしね。昶はもらえる予定あるの?」

「せいぜい母親が作った残り物くらい。あの人、毎年父親に手作りチョコ渡してるんだよ。結婚して十何年経ってるってのに」

その間に立つ息子は呆れるしかない。今年はとうとう夫婦水入らずのディナーを予約したらしい。甘ったるい声で告げられたとき、昶は思わず父親の顔を振り返ってしまった。

その後昶の部屋へやってきた父親は、バツの悪そうな表情を浮かべ、密かに臨時収入を手渡しながら「おまえもそのうちわかる」と耳打ちしてきた。

会社では鬼部長として厳しい彼も、愛妻には弱い。会社の人間が見れば驚く姿だろう。

「そういうおまえは……あげるのか?」

チラッと視線を向けると、聡里の顔は当然とばかりに頷いた。

今頭の中に浮かんだ相手は、間違いなく一つ上の運動部部長だろう。剣道部の部長でもある彼は地元でも有名な腕を持っており、大会でもそこそこの成績を残している。その力強さと兼ね合わせた無骨な優しさが受けているようで、剣道部の試合時は「男子校の毒に侵された」生徒が鈴なりになる。

聡里はその人気のある彼としっかり「両思い」らしい。ちなみに、昶が二人の関係を知ってるのは、聡里が彼を理由に絡まれたところに居合わせたからである。

その正直な反応に昶はからかいを通り越して心の底から溜息が出た。

「あ、今本気で呆れたでしょう」

「そんな滅相もない」

「その反応むかつくー」

「正直に赤くなるほうが問題あるだろうが」

拳で叩かれそうになり、昶は反射的に避ける。そのまま教室まで逃げようとした矢先、校舎中に校内放送のチャイムが響き渡った。


―――生徒の呼び出しを行います。一年C組の工藤聡里、小泉昶。二年A組の相田千里。以上の三名は十分以内に生徒会室へ集まってください。繰り返します……。


その場で足を止め、備え付けのスピーカーを見上げていた昶は、その放送内容に眉を寄せた。放送で名前を呼ばれたことにも驚いたが、呼び出された場所に首をひねる。

生徒会なんて昶には縁のない組織に呼び出される覚えはない。何かしただろうか、と咄嗟に自分の生活態度について思い巡らすが、当然何も出てこない。

「聡里」

「ん?」

「何かしたのか?」

「……どうして、僕が基準になるのさ」

同じようにその場で固まっていた聡里だが、その言葉に昶をねめつける。

自立と自主性を求める校風は生徒運営の権限を生徒会に与えている。選ばれた生徒が学校行事を切り盛りするその発言力は、生徒指導の肩書きを持つ教師よりも大きい。予算も何もかもが、生徒会に一任されているのである。

教師を敵にしても生徒会だけは敵にまわすな。

それが暗黙のルールだ。

「とにかく、行くしかないだろうね。……恐いけど」

聡里の言葉に、昶は本日二度目の溜息をついた。




二月十三日、金曜日。昔から不吉なことがあると言われている日付だ、と気づいたのはつい先ほどのことだ。

「―――なんでこんなことになってんだよ……」

誰もいない教室で昶は一人、不貞腐れていた。

すでに本日の授業は終わり、あとは帰宅なり部活なりの時間を過ごすだけ。

いつもならぐずぐずと時間を潰している生徒がいるこの場所に、昶以外の姿はない。

そのかわり、いつもなら運動部の掛け声が木霊する校庭から、生徒のざわめきが聞こえている。カーテンで遮られているその光景を想像して、昶は頭を抱えた。


二日前、呼び出しに応えて素直に生徒会室に向かったのが間違いだった。そうはっきりと断言できる。どんなに生徒会が恐ろしくても、逃げておくべきだったのだ。

『君たちにお願いがあるんだ』

昶と聡里、そして一緒に呼び出された一つ上の相田という生徒を前に、生徒会長がにっこりと笑った。専用デスクに肘をつき指を組むその姿は、相手の反応を楽しんでいたぶるいじめっ子である。

その空気に慣れてるのか、それとも覚悟をしていたのか、相田はただ溜息をついただけだ。相手の言いたいことがわからず、じっと言葉を待つ二人に向けられたのは、「お願い」ではなく、逆らうことのできない「命令」だった。


「……ほんっとに信じらんねぇ」

すっと視線を反らせばラッピングの山が視界に入ってくる。

ダンボール一杯に詰められたそれは、大きい物から小さい物までカラフルな包装紙や袋に包まれていた。自分の出番を待つそれらに、昶はただただ憂鬱になる。

大きい溜息をついたそのとき、教室のドアが音を立てて開かれた。

「そろそろ時間だけど、大丈夫か?」

声に反応して振り返ると、こんな状態に陥らせた原因そのニが立っていた。

副会長の羽柴和意(はしばかずい)である。

メガネの奥に見える理知的な瞳とその涼しげな風貌は、「可愛い」と称される昶の顔立ちとは正反対だ。男女関係なく、色恋関係の噂もいくつか聞いている。

扉の鴨居に届きそうな身長の持ち主は、気持ち身体を可屈めて教室へと入ってきた。平均身長に少しだけ足りない昶にはする必要のない動作が様になっている。

ただでさえ、機嫌がよろしくないのだ。そんな些細なことが昶の感情を更に降下させる。

考えてみれば、彼らがこんなイベントを開催しなければ今ごろ平穏な放課後を過ごしていたはずなのに。そう思ってしまうと、生徒会の面子に対してますます反抗心が芽生えてくる。

無言で恨みがましい視線を向ける昶に、彼は苦笑を浮かべた。

「……そういう目で見られても困るんだけど」

「俺ほどには困ってないんだから、それくらい享受してください」

「そんなに嫌?」

「あたりまえですっ! 何が楽しくて全校生徒に、しかも男相手にチョコを配らなきゃいけないんですか!?」

昶にとって、あの日告げられたイベント内容は災難としか言いようがない。

生徒会長は実に簡潔な説明をしてくださったのだ。


『二階の教室から、それぞれチョコを振りまいて欲しい。簡単だろう?』


それはもう、簡単な仕事だ。

用意されたチョコレートを校庭にばら撒くだけ。買出しに行く必要も、ラッピング要員として働かされることもない。

問題は、なぜ、昶が、配る立場に立っているのかということだ。

生徒会長の発言の後、それについての説明は省略され、今日の集合時間と場所だけを言い渡された。つまり、このイベントの趣旨等をまったく聞かされていないのである。

「だいたい、なんで俺たちが配るんですか!?」

「適任だから、かな」

「答えになってません」

あの後、教室に帰った二人を待っていたのは好奇な眼差しだった。挙句の果てには廊下を歩くたびに声をかけられ、原因がわからないままに居たたまれない時間を過ごしたのだ。

不貞腐れたまま上目遣いに見やると、近づいてきた彼の掌が昶の頭を軽く叩く。

まるで聞かん坊の弟を慰める兄のような仕草に、昶はさらにむっとした。それが表情に出たのだろう、彼は口元に笑みを浮かべる。

「先月、渡り廊下に投票箱があったのを知らないか?」

「投票箱? ……そういえばあった、かな?」

「気づいた生徒は、紙に一人の生徒の名前を書いてその箱に入れた。月末締め切りでそれを集計して、人気のある生徒をこちらでピックアップする。あとは今日を待つだけだな」

「―――その箱ってのは結局……」

「チョコを誰から貰いたいかっていうアンケートの集計箱だな」

「はぁ!?」

開いた口が塞がらない、というのはこういう状態をいうのだろう。

彼は明言をしていないが、つまりは昶たち三人がそのアンケートに登場したということだ。そのアンケートの存在自体を知らなかったというのに。

物言いた気な視線に気づいた彼が、

「こういったのは口コミで広まるから面白いんだよ。少なくとも今の二年生と三年生、教師たちは知っているからな。しっかり情報を得た一年もこのアンケートを出してたぞ」

つまり、在校生のほぼ全員がこのイベントの企画から参加していたということだ。

彼の口調からすると、同学年の生徒もかなり投票をしていたということで。知らないのは、投票された人間たち少数のみということらしい。

「……詐欺だ」

「たとえ知っていたとしても、状況は変わらないと思うんだが」

「そ、それはそうだけど……」

思わず頷いた昶だったが、ふとあることに気づいた。

投票云々の前に、生徒会がこんなばかげたイベントを開催しなければいいのではないか。

そうなると、諸悪の根源はやはり生徒会、ということになる。

「……こんなイベントしなきゃいいのに」

「さっき言っただろう? 少なくとも二年、三年は知ってるって。それは去年実体験をしているからなんだ。もう何十年も続いているお祭りを、そう簡単にはなくせない。なくす理由もないからな」

「巻き込まれて不快になる生徒の気持ちはどうなんですか」

「学校ってのは、民主主義を学ぶための場所でもあるんだよ、小泉昶くん」

つまり、多数決で勝った方が主流となるということらしい。

諭されるように名前を呼ばれて、昶はぐっと言葉を詰まらせた。




「それでも、今はまともな方だぞ」

慰めのように続けられた和意の言葉に顔を上げると、目の前に綺麗な顔があった。思ったより近いところから見下ろされているのを知り、昶は慌てて退き、距離をとる。

その動作が可笑しかったのか、和意はふっと視線を柔らかくする。

「この形になったのは数年前からだそうだ。それまでは先着順、手渡し、机にしのばせるといったこともやってたらしい。籤で相手を決めるサプライズってのもあったな。手渡しのほうが直接もらえるって点で人気はあったが、問題が多すぎてね」

「問題?」

「感極まって、受け取った生徒が抱きつくらしい」

「…………」

「一人二人ならまだしも、見ていた生徒全員が面白がってやりだしたから、さすがに危ないってことで手渡しは中止された。それ以来、うちではチョコレートが空から降ってくるんだよ」

そうまでして続けなくてもいいのに。思わず呟いた昶の声は軽く流される。その代わりに再び頭に掌が置かれた。今度は叩くのではなく、優しく撫でられる。

普段されないスキンシップを甘受している自分に気づきながらも、なぜか昶は振り払えない。

「でも、同じ男から貰って嬉しいと思う? 俺だったらむなしいけど」

「小泉は外部生だもんな」

「どういうことですか?」

「うちの大半は男ばかりの環境で育ってきてるからな。女生徒からチョコをもらえるかも、なんて期待をしたことのある生徒なんて半数もいないぞ。チョコが手元にない。だからといって、自分で買うのは意味がないだろう。誰かからもらえるって思うだけでいいんじゃないのか?」

高校から男子校に通う昶とは感じ方が違うのかもしれない。

そう考えると、和意のいうことも一理あるような気がしてきた。

いや、自分が配ることには未だ納得をしていないけれど。

ふと疑問が浮かんでくる。

「先輩も下でチョコを拾うんですか?」

「俺は非生産的なことはしないの。それに甘いのは苦手なんだ」

それなら、持ってこられたらどうするんだろう。

噂の相手とか、色々いそうなのに。

さすがにそれを口にする気にはならなくて、気を紛らわすように反らした視界に壁時計が目に入る。

いつのまにか会長から告げられた開始時間の五分前である。心の奥底から深い溜息を落とした昶は、和意がいつまでここにいるのか気になった。

「……下に行かなくていいんですか?」

「ああ、そろそろ行くよ」

すっと腕時計に視線を走らせた彼は、思い出したように昶の顔を覗き込んできた。

「食べたかったら一箱くらい開けてもいいぞ」

「ひとつ、じゃないんですか?」

「小さいチロルチョコじゃ割に合わないだろ」

昶の視線に笑みで応えた和意は山から手近な箱を手に取った。綺麗に包まれたそれを躊躇なく開け、ほらと昶に差し出す。

六つの丸いチョコが並ぶそれと和意の顔を何度か交互に見比べてから、昶は一粒を口に放り込んだ。ミルクチョコレートの味が口の中に広がる。

無意識に口元が緩んだのは仕方のないことだろう。

「美味いか?」

頭上から降ってきた声に昶は素直に頷く。

「うん、思ったほど甘くなくて……」

美味しい。

そう続く言葉は和意の唇に塞がれた。

「―――――!?」

無防備に開いた口腔にすっと入り込んできたものが昶の舌に絡みつき、離れては敏感な粘膜を刺激する。

キスをされている。自覚したときには遅く、昶の自由は奪われていた。

「……ん……ぅ」

唇の重なる時間が長くなるにつれて、昶の足が震えだす。その退けた腰をチョコの箱を持った手が押し留め、もう一方の手が昶の項を捉える。

角度を変え、深さを変え、飽くことなく何度も重なってくる。昶には震える手で今、このときを支配する相手に縋ることしか許されない。

だが、昶の指が和意の上着を掴む前に拘束が解けた。足に力が入らず、ふらついた昶を再び和意の腕が支える。

「危ないな……」

誰のせいだ、誰の。

耳元で囁かれた言葉に反論をしたいが、今の昶はその余裕さえない。

「ちょっときつかったか?」

「…………っ」

咄嗟に目の前の顔を睨みつけるが、潤んだ瞳では効果は上がらない。それどころか和意が満足気に目を細めたのを見て、昶の心臓が音を立てて飛び跳ねた。

今まで塞き止められていた血液が勢いよく流れ出したように、ばくばくと体中の血管が心臓の鼓動をそっくり全身に伝えている。

「おーい、そろそろ準備は良いかーい?」

タイミングが良いのか悪いのか、生徒会長の暢気な声が二人を取り巻く空気をぶち壊した。

びくっと身体を縮こまらせた瞬間、伸ばされた手があったことを昶は知らない。

ややあって、とん、という小さな音に続いて大きな溜息が耳に届いた。

昶が反射的に目を向けると、いつもと同じ整った顔がそこにある。唯一の違いは、昶を捕らえる視線が熱を帯びているように見えることか。

「あの…………」

「―――来月」

耳元で囁かれた言葉に、昶は小さく首を傾ける。

さっきのキスで止まってしまった思考を必死に回転させる昶に、和意は言葉を重ねた。

「来月、期待している」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ