七本目
おじいは気をきかせたのか、いつのまにやらどこぞにいった。
六朗太はそれがどういう意味にとっていいのか今一よくわからなかった。
それどころか逆におじいがいてくれないと、お宮の信用が落ちてしまうと内心焦った。
男だけしかいない、村からちょっと外れた小屋まで一人でやってきているのだ。
まだおじいがいるからいいようなものの、六朗太独りで相手をするなど言語道断のはずだった。
お宮はお宮で、そんな六朗太の焦りなどお構いなしなのか、小屋の前まできているというのにもじもじとして話を切り出そうとはしない。
六朗太はため息をついた。
「話ってなんだい。そろそろ家に戻らないと親が心配する。お付きの女中も探すだろう」
「六朗太さん。街に行くって本当ですか」
藪から棒に。
六朗太は街になど二日にいっぺんは行っているので今さら何だと眉をひそめた。
「いえ。そういう意味ではないのです。……街に住まわれると聞いたものですから」
「どこでそのような戯言を聞いた。おじいをおいて、うらもりの樹をおいて、どこに行くというんだい」
「だって。六朗太さんはそろそろいい返事をくれる、街に行って大儲けするんだと、うちに来る商人さんが言っていたのを小耳にはさんで」
「商人?それはいらないと何度も言っても押し付けがましくものを置いていくあの男のことか」
「その人かどうかはわかりませんが。押し付けがましいというのであればそうかもしれません」
「では嘘に決まっている。一度面倒な話を持ってきたので二度と話をしないようにしている男と一緒に街に行くわけがない。それにさっきも言ったようにおじいとこの森を置いていけるものか」
六朗太はざわりと嬉しそうに鳴くうらもりの樹を見上げた。
そしてうらもりの樹が守ってくれている小さな小屋も。
「そうなのですね。それを聞いて安心しました」
大きく胸を撫で下ろしたお京を、六朗太はじっと見た。
「お京ちゃん。さっきの話はこのことではないだろう。一体何を話したいんだ?」
「……あの。それはそうなのですが……いえ、言います」
年頃の娘らしく恥じらいながら、それでも意を決してお京は六朗太の真正面から向かい合うと、とんでもないことを告げた。
「私を嫁にしてください。うらもりの樹の神様の前で返事は頂けたのかと思いましたが、それはきっと私の勘違いなんでしょう?ですから、今度はきちんと返事がほしいのです」
「何を馬鹿なことを言っているんだ。しがない森の番人が庄屋の一人娘を娶るなんて出来るわけがない。それに庄屋さんが許すわけがないだろう」
六朗太はお京のあまりにもとんでもない話に驚いて、しごくまっとうな答えを返した。
だいたいお京をそんな対象として見たことなんて一度もなく、これからもない。
お京は呆れた声を上げた六朗太を悲しげに見上げたが、それでも大切に育てられた娘特有の勝気さが先だって六朗太に挑みかかった。
「お父さまももとより承知の上です。そうでなければここに一人では来れません。どうぞよい返事をいただけませんか」
「それはおかしい。たかが森の番人を婿にとるなど庄屋さんが承知するものか。お京ちゃんにはもっとつり合った人がいくらでもいるだろう」
「いえ。お父さまは六朗太さんがよいと申しておりました。……森に精通している六朗太さんであればと。それに御爺ももうようように歳だからと」
なんだそれは。
六朗太は一気に不愉快になった。
まるでそれはおじいの死を願っているように聞こえたからだ。
まえまえから甘やかされて苦労を知らない娘だと思っていたが、胸のうちにとどめておけばよいことまで自分に有利に事を運ぶためには平然と言ってのけるその性質が六朗太には有り得なかった。
見る見る間に冷たくなっていく六朗太を、お京はどうしてか理解できないでいた。
戸惑ううちに六朗太はさっさと村の方向に歩きだす。
置いていかれないようにお京は小走りについていったが、今までの六朗太ならばお京の歩みに合わせて歩いてたと思い出されて、なぜいきなりこのように冷たくされるのかと心うちで憤った。
「もうここまでくれば大丈夫だろう。二度と小屋に一人で来るな」
冷たくあしらわれている。
お京は手が震えるのが分かったが、お父さまにかならず六朗太にうんと言わすと誓って一人で小屋までやってきた身としては、このまま引き下がるわけにもいかなかった。
「返事をいただいておりません」
声まで震えるのは仕方がない。
けれども一歩も引くことなく、お京は六朗太にそう言った。
「返事も何もない。一方的にそんなことを言われても、困るとしか言いようがない。いや、迷惑だ。どうしてお京ちゃんや庄屋さんが婿に願ったかなんて聞きたくもない。二度と小屋に来ないようにしてくれないか」
「そんな!どうしてそこまで言われなければならないんですか。庄屋に婿に入れば生活は楽になります。皆から尊敬もされます。六朗太さんにとってもとてもよい話だと思います」
「それはそちらの言い分だ」
「それに……それに今ここで話を断れば、今後うちでは六朗太さんによくしてあげることもできません」
それは暗に村八分にすると言っているのと同意語だ。
庄屋の娘にはそれだけの力がある。
それに男しかいない小屋に嫁入り前の年頃の娘一人がいた、そこのことだけをとりあっても村八分にできる十分な理由になるのだから達が悪かった。
六朗太は初めて見る幼馴染の底意地の悪さに呆然とした。




