二本目
おじいと六朗太は、裏の森で枯れ木を探しては薪にして生計を立てていた。
森の番人のおじいはとても物知りで、枯れ木を集めながら六朗太にいろんなことを教えてくれる。
土を踏んでは堅さを覚えて土の下に生え出すものを見つける術や、草や茸を見ては毒のあるものとそうでないものを見分ける術、木を見ては皮がどのように傷つけられているかで辺りにいる動物の身体の大きさを測る術。
そして独りで森に入るときには麻ひもを必ず持ちあることを口を酸っぱくして六朗太に教え込んだ。
迷いやすい深い森では一本の太い命綱になることをおじいはよく知っていた。
もちろん木を削って同じ場所を歩かないようにすることも教えてはいたが、深い森はえてして暗いもの。
削った木肌も見えなくなってしまいがちになるし、なによりも迷った時は判断力が鈍る。
小さい子ならばなおさらだ。
だから麻ひもの端を木にくくりつけ、それを起点として持ち歩くことを教えたのだ。
そんなおじいの心配をよそに、六朗太はなんでも飲み込んでいった。
一度教えたことは大抵直ぐに飲み込んで覚えてしまうし、おじいと目線が違うのか、おじいが気付かなかった小さなことを尋ねてくることもある。
そのうえ森は六朗太にとても優しかった。
六朗太と一緒に森に入ったら、森はいつも以上におじいに恵みを与えてくれる。
森はおじいにというよりも、六朗太にこそ恵みを与えるのだろうとおじいは感じていた。
それは森の動物たちもそうだ。
鳥は六朗太の肩に止まり、兎や狸は周りを侍る。
獰猛であるはずの熊や狼まで、六朗太に近寄ろうとする。
初めてそれを見たときは、六朗太がとって食われんじゃねえかと思って、おじいは必死になって六朗太の頭を抱えて熊から隠そうとしたが、熊は穏やかな目をして六朗太を見ているだけだ。
きゃっきゃと六朗太が無邪気に笑って両手を熊に突き出したときは、おじいはそりゃあ顔の色を失くしてしまって目をつぶって恐怖を抑え込んだもんだ。
―――喰われる。
人としての本能がそう告げていたが、熊は六朗太の紅葉のような手をぺろりと舐めて鼻をほっぺたに擦っただけだった。
おじいはへなへなと腰を抜かして、目の前で繰り広げられる信じられない光景を見ているだけで精いっぱいだった。
森の子。
六朗太は村のモンからいつしかそう呼ばれるようになった。
森の子の六朗太は森で迷うなんて考えもしなかったが、飢饉で亡くした娘夫婦のことを思うと残された六朗太を失うことは少しでも取り除きたいおじいは、万が一という言葉をよく使って六朗太に物を教え込むのだった。