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十本目


 ばきっ

 ばきばきばきばきっっっ

 ばぎゃっべきべきっ


 その音は、荒れ狂う森の中にいた六朗太には全く聞こえることはなかった。

 けれどなにかを感じたんだろう。

 六朗太は洪水のように流れ落ちる雨に足を取られながら、胸騒ぎに顔を上げた。

 辺りを見回しても前が見えなくなるほどの雨と風になぶられ形を歪めて悲鳴を上げる樹々。

 胸騒ぎなどさっきから何度も何度も感じている。

 草が、樹が、森が壊れそうなほど悲鳴をあげて、六朗太に襲いかかっている。

 それでもその時感じたものは、胸を直接痛めるほどだった。


 ―――ろくろうた


 ごうごうと耳元で叫ぶ風が一瞬だけ止んだかと思うと、六朗太の耳にはおじいのしわがれて無骨な声が聞こえた。


 ―――おじい?


 それもまた一瞬で、すぐさまごうごうと鳴る風とばちばち葉や樹にあたって砕ける雨の音が六朗太の耳で暴れまくった。

 六朗太は嫌な予感にぎりと下唇を噛んだ。

 あんまりにも強く噛み過ぎて鉄の味がしてきたが、六朗太はお構いなしだ。

 急いでうらもりの樹に守られている小屋に引き返そうとしたが、足元の泥濘が酷くてゆっくりとしか進めない。


 ―――駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だぁっ!


 六朗太には分かっていた。

 おじいは耳が遠くなっていて、近くで大声を張り上げないと聞こえなくなっていたことを。

 六朗太は知っていた。

 おじいは身体を動かすのもおっくうになっていて、近頃ではゆるりとしか動けなくなっていたことを。


 小さな悲鳴が六朗太の喉から洩れた。

 失くしちゃなんねいものを、六朗太はなくそうとしている。

 胸の騒ぎはこのことだ。

 長く森の番人であったおじいの声を、うらもりの樹が六朗太に届けてくれたんだ。


 絡まる足を引きずりながら、六朗太は食いしばって歩き続けた。


 いやまだわからないことだ。

 あんまりにもひどい風と雨で、心が驚いているだけだ。

 俺が不安になっているから、うらもりの樹は安心を届けるためにおじいの声を聞かせてくれたんだ。

 森の番人としてしっかりしろと、うらもりの樹は言ってるんだ。

 そうにきまっている。


 おじいが作ったばかりの蓑を身体にぎゅっと巻き付けて、六朗太は泣きそうになっている自分を叱責した。


 決まったわけじゃねえ。

 まだそうときまったわけじゃねえ。

 これは単なる胸騒ぎだ。

 うらもりの樹が小屋をちゃんと守ってくれる。

 行き掛けに多少の修理もした。

 まだ決まったわけじゃねえ。


 ごうごうごう

 ざばぁんざばぁん


 六朗太の心と風と雨の音が同じ律動で動いている。


 ごうごうごう

 ざばぁんざばぁん


 何度も何度も繰り返されては己が心の弱さを繰り返し見せてつけてくる嵐に、六朗太は負けそうだった。

 それでも足は小屋を目指す。

 おじいがいるだけで六朗太に安心を与えてくれる、うらもりの小屋を。

 今だって蓑にくるまっていてもずぶぬれになった六朗太を笑いながら迎えてくれるだろう。

 そう願わなければならない自分が、六朗太は許せなかった。

 



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