表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

雨宿り

作者: 梅金魚

 平気で嘘をつく奴がいる。それも日常的に、大勢の人間に対してだ。

 つい数分前、軒先のビニール屋根からすたすたと滴り始めた雨垂れは、ついに点から線へと変わり、雲ひとつ無かった空は、まるで昼夜逆転したように重く濁った。

 今更後悔してももちろん遅いのだが、数十分前の俺はなぜか今日に限って、普段素通りしているこの本屋で、少し時間を潰して帰ろう、と思ってしまったのだ。

 やっぱり真っすぐ家に帰るんだった。そうしていればきっと今頃、風呂で今日の仕事の疲れを取りつつ、タイルの溝にへばり着いたカビでも眺めていたことだろう。数十分前の俺よ、お前の選択は間違っていた。

 つくづく自分の気まぐれと、今朝テレビの中から、「今日は傘を持たなくてもいい」と満面の笑みで嘘の情報を吹き込んだお天気キャスターに腹が立つ。


 どれくらいここに留まっただろうか。もう雨が止むことを願うのも忘れてぼんやりしていると、若い女が店内から出てきた。小さな顔に幼さの残る大きな瞳。服装もひらひらしていて、可愛い、という表現がよく似合う女の子だ。

 彼女は俺から数歩分離れた場所で足を止め、止む気配のない雨を眺め軽くため息をついた。すると、そのため息に機嫌を悪くしたのか、急に雨が強さを増し、まるで彼女に抗議するかのように雨音が大きくなった。

 ああ、これでまた当分帰れなくなった。しかし、可愛らしい女の子と二人きり、本屋の軒先で雨宿り。まるで恋愛ドラマの主人公になったようで悪い気はしない。

 ところが、彼女はハンドバッグの中をごそごそと漁り、これまた女の子らしいピンクの折り畳み傘を取り出した。俺はどうやら主人公にはなれないらしい。

 滝のように地面に叩き付けられる雨は濃い霧を立て始め、目に映る景色の輪郭を溶かしていった。



………



 傘を広げ終えた彼女と目が合った。

 目があったというよりも、視線に気付き俺の顔を見た、と言うべきか。無意識のうちに彼女を凝視してしまっていたらしい。

 変な人と思われただろうか?

 「あの…」

 彼女は少々申し訳なさそうに俺に歩み寄り、申し訳なさそうな声で言った。

 「私、駅に向かうんですけど、もしよかったら一緒に行きませんか?傘ちっちゃいから少し濡れちゃうかもしれないけど…」

 なんということだろう。神様は俺を主人公に選んだらしい。

 近くで見る彼女はさらに申し分なく可愛かった。


 小さな傘に肩を寄せ合い、いろんな話をした。

 彼女は二つ年下で、19歳の女子大生だった。見た目に違わず、人懐っこくて明るい女の子だった。

 駅までの距離はそれほど長くはなく、別れの時間はすぐにやってきた。

 少し名残惜しそうにしていた彼女は、別れ際に「電話番号を教えて下さい」と恥ずかしそうに言った。


 二人が恋に落ちるのにさほど時間はかからず、二人は付き合うことになった。


 それからの俺の生活は、幸せそのものだった。

 一人暮らしの俺の家に毎日のように通い、コンビニ弁当ばっかりじゃ体に悪いと、料理を作ってくれた。

 二人でいろんなことをした。映画を見たり、ドライブしたり、一日中部屋でのんびり過ごしたり、冬には温泉旅行にも行った。

 彼女とたくさんの時間を過ごし、思い出の数もどんどん増えていった。


 しかし、別れは突然やってきた。


 楽しい時間はあっと言う間に過ぎて行き、付き合い始めて1年が経とうとしていた頃。

 俺たちこれからもずっと一緒だよな。そう言うと彼女は少し困った顔をして、語り始めた。

 「あなたにずっと隠していたことがあるの…もうあなたとは一緒にはいられない」

 予想外の反応に目を丸くしていると、彼女はこう続けた。

 「私、本当はこの星の人間じゃないの。私は、この星の悪の組織と戦う為にモエモエ星からやってきた、戦うメイドさんだったのです!」


 そう言うと、彼女の体が眩しい光に包まれ、よくテレビで見かける、秋葉原のメイド喫茶の女の子のような格好に変身した。



………



 そんなことがあるはずがない。なんだこの展開は。


 我に帰ると、まだ空から降ってくる滝が轟音を立てており、目の前の景色はなにも変わってはいなかった。

 どれくらい時間が経ったのだろう?それすらも理解できないほど妄想の海に溺れていたようなのだが、彼女が立っていた場所に目をやると、彼女は広げ終えた折り畳み傘のカバーをハンドバッグにしまっているところだったので、どうやらほんの数十秒しか経っていないようだ。

 彼女を眺めつつ、自分の妄想に馬鹿馬鹿しさと情けなさを感じていると、彼女が少々申し訳なさそうに歩み寄ってきた。

 「あの…」

 まさか。

 「私、駅に向かうんですけど、もしよかったら一緒に行きませんか?傘ちっちゃいから少し濡れちゃうかもしれないけど…」



 小さな傘に肩を寄せ合い、いろんな話をした。

 雨は少しも弱まっていないが、彼女と歩く駅までの道のりはとても居心地がよかった。

 「あのさ」

 「はい?」

 「モエモエ星って知ってる?」

 「なんですかそれ?」

 「いや、なんでもない」

 彼女は突然変なことを言い出した俺の顔を見上げ、笑った。

 「面白い人なんですね」


 俺は、今朝の嘘つきに心から感謝した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] いきなりの妄想シーンに多少混乱しましたが、面白かったです。 モエモエ星ってなんだかコリン星みたいですね。
[一言] 不思議な魅力のある作品ですね。もちょっと萌え萌え要素が強いともっと良かった。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ