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対岸の火事  作者: 志に異議アリ


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5/5

最終話


集会場は、少し寒かった。


椅子の脚が床をこする音が、やけに大きく響く。

誰もが上着を着たまま座っていた。


「では、取り壊しに関する説明に入ります」


前に立った管理会社の男が、書類をめくる。


その間、住民たちは周囲を見渡していた。

顔見知りばかり。

何年も一緒に暮らした人たち。

――1人だけ、違う。

後ろのほうに座っている男。


静かで、目立たない。

けれど、どこかで見たことがある。


「あの人……」


誰かが小さく言った。


───

名簿が配られた。

部屋番号と、世帯主の名前。

おばちゃんは、指でなぞる。

あれ。

あれ?


「……高瀬、って、あったかしら」

隣の女が首をかしげる。


「え? 高瀬さん? いるじゃない。ほら……」

言いながら、言葉が止まる。


どこにも書かれていない。


管理会社の男が言った。

「本日、傍聴として参加されている方が一名いらっしゃいます」

ざわり、と空気が揺れる。


「高瀬さんです」

後ろの男が、ゆっくり立ち上がった。


「私はこの団地の住民ではありません」

一瞬、誰も意味を理解できなかった。



「……え?」


「じゃあ、なんで……」


「前から、いたじゃない」

声が重なる。



高瀬は、深く頭を下げた。

「二年前まで、住んでいました。

家族と」

その言葉で、

何人かの記憶が、同時に動いた。



植え込み。

音。

声。

夜。

「……あの事故の」

誰かが言った。


高瀬は、うなずいた。

「屋上から、娘は転落しました」

淡々と。


「植え込みに落ちて、

すぐには、見つからなかったそうです」


“そうです”。


その言い方が、妙に冷たく響いた。




子どもは、足をぶらぶらさせながら思い出していた。

葉っぱの向こう。

声。

動かなかった自分。



女は、洗濯ばさみを留めたときの音を思い出した。

コツン。



おばちゃんは、

「解決したと思った」

自分の言葉が、頭の中で転がった。




「……気づかなかったんです」

誰かが言った。

「夜だったし」

「まさか、あんなところに」

言い訳は、自然に出てきた。

いつもの調子で。


高瀬は、否定しなかった。

責めもしなかった。

ただ、言った。

「そうですね」

それだけ。

「だから」

高瀬は、少し間を置いて続けた。

「皆さんが、ここでどんなふうに暮らしていたのか、

知りたかったんです」


ざわり、と息が詰まる。

「見ていました。

皆さんが、悪い人じゃないことも」

誰も、目を合わせられなかった。


「団地が、壊れる前に」

高瀬は、最後に言った。


「ここで、何が起きていたのか、

自分の中で、終わらせたかった」

それ以上は、何も言わなかった。



集会が終わる。

人々は、ばらばらに立ち上がる。

「かわいそうだったわね」

誰かが、言いかけて、やめた。



その言葉は、

もう、安全じゃなかった。


外に出ると、植え込みが見えた。

きれいに整えられている。

何事もなかったように。



高瀬は、立ち止まらなかった。

振り返らなかった。

団地は、静かだった。

助けを求める声は、

もう、聞こえない。




――だから、

すべては、解決したことになっている。



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