『白髪の彼は――』
――どこだ、どこだどこだ!
窓からの光だけを頼りにタンスの中で指を滑らせる。喉が痛い、冷たい。背をあぶられるような焦燥感。
――ない、ない! 早くでてこいよ! 帰れねぇじゃん!
上からタンスを開け、閉め、開け、閉め。素早く、しかし音はたてない。
流れるような手つきで部屋を探る。
月光だけが差す部屋にたった一人、白い少年がいた。
とっぷり沈む暗闇で、月光によって生かされている。そんな気がする。
この窓を閉じてしまえば、自分が暗闇に溶けてしまいそうなんて思った。
――盗るモン盗って早く寝たいんだよ! どこだ、どこだ!
コツンと指先になにかがあたって、少年は思わず声をもらした。
「あっ、た!」
手のひらにはブレスレットが収まっていた。
傷一つない、大粒の艶やかな真珠が連なっている。
どれほど大事にしてきたのだろう。
彼がそれを無造作に腰のポーチにしまった、その時。
「やめてぇ!」
開けっ放しの戸から甲高い声が放たれる。寝間着姿の少女が息を切らしていた。
「それはっ、お祖母様の形見なんです! お金なら、いくらでも渡しますから! それだけは、それだけは……! おばあちゃんとの、思い出なんです……」
振り絞った声で懇願して少女はへたれこんだ。少女の手は震え、顎から零れ落ちる涙がカーペットにシミを作る。
彼は振り返って、少女の方へ歩み寄ってしゃがむ。少女の顔を覗き込んで、大きな息を漏らし、少女は何か期待するように顔を上げた。
「――ひ」
ソレを見て、少女は足先からせり上がった冷気を声に漏らした。
「おばあちゃんの形見だったかぁ……」
幼い声だった。柄も少女より一回り小さく細く弱々しい。
少年は少女に近づいて涙を拭ってやる。恐怖で顔が歪んだ少女に少年は微笑んだ。
「それはごしゅーしょー様!」
少女の息は詰まり、涙も引っ込んでしまった。
「侵入者だあぁ!」
どこか遠くで男の叫び声が聞こえた。足音が一つ、二つと数をましていく。
「なーんでバレた? やっぱり玄関蹴破ったのが悪かったか」
少年は機敏に立ち上がり風のように部屋を後にした。
少女は呆然と彼を見送って、我に返って叫ぶ。
「イヤァァァ――!」
甲高い悲鳴が屋敷に響いた。応えるように、武器をもった衛兵たちが廊下を走る。少年は首のマントを頭巾のように深く被る。
「止まれぇ泥棒がぁっ!」
少年の前から衛兵がやってくる。来た道を振り返ればその先にも衛兵が。挟まれている。
「貴族の屋敷に忍び込むなんて、命知らずもいいところだ」
先頭の衛兵は半ば勝ちを確信していたようだった。
そんな余裕も束の間、衛兵たちは足を止める。
彼らの目の前から少年が消えた。
いや暗闇に溶けたといった方が正しいか。衛兵たちはまるで狐につままれたような顔で見渡し、少年を探す。
「慌てるな、盗人の魔法だ!」
一人の衛兵の声で彼らは我に返った。
「そんな、魔法の気配なんて全くしなかった」
「魔法使いのお前でも分からないのか。厄介なネズミらしい。二手に別れよう!」
リーダーらしき男の股下を少年がくぐり抜けた。
だが誰も少年に気が付かない。
少年は当然だといわんばかりに走り抜けた。数々の衛兵が廊下を走っている。接触しないように。気づかれないように。少年は重量など忘れて壁を、天井を、窓を蹴った。
衛兵たちはみな少年とすれ違う。
さて、どう屋敷をでようか。
少年は考えた。玄関には当然衛兵がいるだろう。ならば窓からだ。
ふと斜め下の踊り場に視線がむく。大きなガラス張りの窓から庭の景色が見えた。
階段にまで赤い絨毯を敷くものなのか。
なんて感心しながら、少年は手すりに腰掛けて踊り場まで滑り落ちた。
「ナイフで割るのは時間がかかるなぁ。なら魔法か」
少年の呟きと同時、独りでにガラスが割れた。
派手な音とともに破片が降る。身軽な少年はひょいひょいっと窓までよじ登った。
あとは脱出するだけだと、少年が窓枠に触れた途端、痛みが走る。
少年は思わず手を離して破片の上に落ちた。窓枠に触れた手を見やると血が流れている。
窓枠にガラスが残っていたらしい。油断した――。そう思った瞬間だった。
「――」
誰かが息を飲む音がした。
少年が視線をやってみると、上の階で衛兵たちが呆然としていた。
足をふるわせ、大きく口を開けて、皆その顔が恐怖に歪んでいる。
ふと少年は首元に触れてみる。被っていたはずのマントが外れていた。
衛兵の誰かが声を絞り出す。
「し、白っ――」
風が吹いた。カーテンがなびく激しい音だけが響き、冷たさが鼻奥にツンとくる。
真っ黒な雲の合間から月光が差す。
闇夜に似合わない、とにかく、とにかく白い人だった。
あどけない顔に冷徹さを刻む白皙の少年。
真っ白い睫毛に縁取られた瞳は真珠を埋め込んだかのように白く、絹糸のような短髪がパラパラと浮かぶ。
肋は透けて見え、身につけている服はボロ布同然でみすぼらしい。
それをもってしても、人の繊細な部分を無造作にぶち抜いてしまうような、そして触れられないような理不尽な美があった。
この世に存在してはならないものだと思わせる少年はまさに――。
「白の魔女っ」
この世界に、白い髪も白い瞳も生まれない。
カランカランと衛兵らは武器を落とす。逃げる意思も戦意も奪われて座り込んでしまった。
少年は罰が悪そうに再びマントを被った。
「ソレ、この世界ができるずぅっーと前に封印されたヤツじゃん。人を世界滅ぼした災厄にしないでくれん?」
少年はベ、と舌を出し左の下まぶたを引っ張った。
白い少年の中で唯一赤い、左の瞳が見開かれた。
タンタンと壁を蹴って再び窓枠まで上がる。手から流れる血を舐めとって、そうだと少年は振り返る。
「マモン。魔女じゃないし女でもない。――君たちの欲を叶える、宵賂事屋のマモンだ」
少年――マモンは色のない表情でそう告げると、黄色いマントをたなびかせ落ちていった。
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(イラスト 四葉インコ様)




