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3. 対話と理解



「それはアズハル様も嬉しかっただろうなぁ」


「そうなの?」


「花印に誓うって、命を懸けるのと同じくらい重い誓いだからさ。命を尊ぶ竜人族にとっては最上級の誓いに等しいんだ」



その説明を聞いて、ちょっとやりすぎたかな…と思いもしたが、アズハルが安心できたうえに喜んでくれたのなら良しとしようと心中で頷いておく。



あれからひと晩明けて、無事にイリリアの補佐役となったリヤーフから、集落の事やここでの生活の事だけでなく竜人族についても色々と教えてもらう事になった。


真面目な講義というより、お茶をしながらの座談会に近い。




昨日はあの後、ようやく納得してくれたアズハルを連れてルトフの家に戻り、改めてリヤーフに滞在中の補佐をお願いしますと申し出た。


「リヤーフくん、私は竜人族のことを何も知りません。ここでお世話になるあいだ、色々なことを教えてもらえますか」と伝えると、彼は少し恐縮しながらも「リヤーフで構いませんし、敬語も不要です」と微笑んでくれた。

笑うと目尻が下がり、一層に父親であるルトフと顔が似る。


「よかった。じゃあ私の事もイリリアと呼んでください。呼びにくければイリーとかリアでも良いです」


「…………隣でアズハル様がとんでもないお顔になってますけど」


「え!?」


やっぱり浮気を疑われてる!?と慌てて振り返れば、むっつりと拗ねたような表情をしたアズハルが、それはそれは小さな声で「愛称は私にも許されていないことだ…」と呟いた。


「え?我が妻っていうのが呼称というか愛称みたいなものかと…」


「ええと…俺も、愛称ではなくイリリア様と呼びますので…」


「様付けは本当にやめて欲しい」


堅苦しいから敬語も尊称もなしでお願いしたい伝えると、リヤーフは困ったようにアズハルの表情を伺い、アズハルは逡巡の末に渋々頷いた。



………夜も色々あったなぁ…。



それからお茶と食事をいただき、イリリアが通されたのは隣接した離れにある部屋だった。

質素堅実そうな雰囲気の母屋(おもや)に比べると豪華な内装に、数人は泊まれそうな広い部屋。三人は並んで眠れるよね!?というくらいに大きなベッド。

手作り感のあるタペストリーやキルトで所々に家庭的な温もりを感じられるが、どう見ても貴賓用の空間に案内され、イリリアはしばらく言葉を失ってしまった。


近くに天然の湯が沸いているらしく、そこから汲んできてくれたお湯で身体を清めさせてもらい、リヤーフのお古にはなるけれど…と衣装も一式貸してもらえた。


竜人族は言うまでもなく、高所に住むカモシカ族も寒さに強いため厚手の衣服が少ないそうで、あれもこれもと重ねて着せてもらってすっかりほかほかだ。

寒空の下で布団もなく身を縮こまらせていた野宿生活に比べれば雲泥の差。


素晴らしい日々が始まったと感動して小躍りするイリリヤの耳に控えめなノック音が聞こえたためドアを開けてみると、そこには枕を持った寝間着姿のアズハルの姿があった。


…………なるほど。と、一瞬で状況を理解する。


ここは本来アズハルの為に整えられた部屋で、イリリアは彼と夜を共にする為に同じ部屋へ通されたに過ぎないのだと。


多少性急にも思えるが、問題ない。妻になると決めた時から覚悟は出来ている。


どこか気恥ずかしそうに視線を彷徨わせるアズハルに、イリリアは頷きかけ、優しくその手を取る。

ベッドまで導いてやり、手にした枕をそっと寝台へ据え置くと、自身の衣服の胸元をそぉい!と元気よく左右に開いた。

厚着をしているせいで多少ゴワついてはいるものの、前身ごろを交差して合わせるタイプの着物のため、比較的剥きやすい。

イリリアは就寝時には胸当てを付けない。ぷるん!と飛び出した膨らみの左上部には紫色の三連の花。

ぎょっと目を見開いたアズハルは、慌ててイリリアの手を掴むと、開かれた合わせを元通りに閉じ直した。


「脱がない!!」


「え?……初夜的なアレでは?」


「ま、まだ儀式をしていないだろう!?」


「儀式??」


首を捻るイリリアに、目元を赤くしたアズハルは高所での生活に慣れて天上に住めるようになったら、改めて結婚式に似た儀式を執り行うのだと教えてくれた。

どうやら初夜は、その儀式のあとに迎えるらしい。



「というかきみは、見知らぬ男の元へ行くのが嫌で出奔したのではなかったのか?どうしてそんな簡単に身体を明け渡そうとするんだ…」


理解し難いのか、苦悩に満ちた顔でお説教されてしまったが、そもそもの前提が違うので仕方がない。


「お金と引き換えに女の身体を弄ぼうとする見知らぬオジサンと、お嫁さんにしてくれる美丈夫とでは全然違うので…」


むしろ、誰もが羨む美丈夫に初めてを捧げる絶好の機会。ここでサクっと経験しておけば、今後何があっても誰に何をされても挫けないでいられそうだなと思える。

そんな思考を披露すると、アズハルはグッと言葉に詰まったあと、苦しそうな悲しそうな顔で喉から声を絞り出した。


「………誰にも何もされないよう私が守る。だから自分を大事にしなさい」


「………はい」


自分を大事に、なんて、初めて言われた言葉だ。

すっかり勢いを失って、はしたなく乱れてしまった胸元の合わせを静かに整え直す。

紳士で純情なアズハルはその間、ちゃんと目を逸らしてくれていた。



「でも、枕を持って来たってことは一緒に寝るんですよね?」


「花印の側に居るとこの上ない安寧を得られるし、きみの体調も安定しやすくなるから……嫌でなければ共寝を、と…」



広いベッドには枕が何個も据え置かれている。それなのに何故わざわざ枕を持参したのだろうかと聞けば、竜人族にとっての『不埒なことをしに来たのではありません』という意思表示なのだと教えてくれる。むしろ手ぶらで寝所を訪れるほうが『今からお前を襲うぞ』という危険なサインなのだという。


枕持参で『一緒に寝よう』とやって来るなんて、幼子みたいでちょっと可愛い。


ではどうぞお上がりくださいと寝台を示せば、もう少し警戒した方がいいと呆れたようにお説教されてしまった。

そうは言われても、警戒しようにもアズハルの顔が良過ぎて「何かあってもまあいいか」と許容したくなるのだから仕方がない。


同じ寝台で寝るとしても儀式までは絶対に手出ししないと改めて宣言され、竜人族の貞操観念の高さについつい感心してしまう。


疲れたように小さなため息をつくアズハルに何だか悪いことをしてしまったなぁと思いつつ、大きな寝台にふたり並んで横になる。


アズハルはきっちり上を向いて眠る派のようだが、イリリアはアズハルが見えるよう横向きになると、シーツに広がる白い髪や、真っ直ぐに伸びる長いまつ毛、高く聳える鼻筋などを観察する。


「……これから毎日一緒に寝るんですか?」


「毎日一緒でも構わないのか?」


ベッドが狭いわけでもないし、体調と安眠のためなら全然問題ない。

「いいですよ」と返事をすると、喜びを噛み締めるように「そうか…」と呟き返された。





(………でもまさか、何も言わずに天上の仕事へ戻っちゃうとはね…)



翌日遅めの朝を迎えたイリリアは、まず隣が空っぽなことに気がついた。

そして簡単な身支度を済ませたあとに訪れた母屋でリヤーフから、アズハルは仕事のために朝イチで天上へ戻ったと聞かされたのだ。

また夜に戻ってくると残された伝言に、何だか申し訳ない気持ちが募ってしまった。


そういえば昨日、ずっと一緒に居られるわけではない…という事を言っていた気がするなぁと今更になって思い出す。

ここから天上まで高度でいうと五千メートル以上も離れている。

往復するだけで大きな負担になることは間違いないし、寝るためだけにわざわざ下りて来るのは大変に違いない。

共寝は毎日じゃなくて良いと、今日の夜にでも伝えておかなければ。



茶托に置かれた湯呑みからひとくち水を飲む。


生活上の注意点をひと通り説明してくれたリヤーフに、雑談がてら「アズハル様は何のお仕事をしているの?」と聞けば「色々だなぁ」と返される。


「王族として霊峰の南側の管理も任されておられるし」


「王族!?」


「あ、やっぱ知らなかったか」


驚いて身を乗り出したイリリアにリヤーフは苦笑しながら教えてくれる。


「白い髪が王族の証だよ。アズハル様は竜帝陛下の第三子で、継承権第三位にあたる御方だ」


「えっと…国で三…四番目くらいに偉い人?」


「陛下を一番とするなら、そうかもな」


実権としては、竜帝の正妃である竜妃殿下や、側妃殿下、竜帝の妹にあたる方々も宮中に居るため、単純に上から数えて何番目とは言えないそうだ。

ただ、竜帝の妹ふたりにはどちらも御子がおらず、今は竜帝陛下の実子だけが次期継承権を持ってる状態であるという。

アズハルは側妃の子で末子であるものの、継承権第三位というのはやはり相当に位が高い。



「え………すごくない?」


「凄い御方だけど、怖いという印象はないかな。正妃さまのご子息が既に立太子されてるし、王太子殿下のところには御子もお生まれだから、王族としての務めはあるものの重圧を背負っておられるという感じではない……と思う。父さんからの話と、数回お会いした上での印象でしかないけど…」


リヤーフは生まれてからずっと中腹にあるカモシカ族の集落で暮らしているため、実際に天上へ赴いたことはないらしい。

成人の儀が天上でおこなわれるため、その際に初めて行くことになり、望めば天上で職を得ることもできるそうだ。

ただ、リヤーフとしては母親と同族であるカモシカ族の集落を心地よく思っているため、将来は父親と同じく霊峰中腹での見回り警備の職に就きたいのだという。

それを聞いて、リヤーフはしっかりしているのね…と感心してしまった。



「すごく初歩的なことを尋ねるんだけど……獣人族は、竜人族の下についているの?」


「うーん……その言い方をすると気性の荒い獣人は滅茶苦茶怒ると思うから気をつけて」


「ご、ごめん……」


竜人と獣人のあいだに上下関係は無いと注意され、身を縮こまらせながら謝る。

人間からするとどうしても、竜人族は幻の種族で稀少ですごい!というイメージが先に立ってしまうのだ。

獣人族も滅多にお目にかかれるものではないが、異国の大商人のなかには獣人族と取引をしている商会もあると聞いたことがあったため、本当にそんな種族が居るんだなぁという感想を持ったことがある。

リヤーフは「確かに竜人族は絶対数が少ないけどな」とイリリヤの考えを肯定しつつも、獣人族の難しさについても教えてくれる。



「人間って、同じ人間だけど、生まれた国が違うとか言語が違うとか身に宿す色彩が違うとか、そういうので区分するよな?

獣人にもそういった傾向があって……多種多様で、便宜上『獣人族』ってひと括りにしてるけど、生態も気質も様々なんだよな」



例えばカモシカ族はウシ族と近い種族ではあるものの、住む地域や生活様式は全く異なる。

同族のみで括るとひとつひとつの種族は数が少なく稀少な存在なのだが、今は草食獣に加えて肉食獣や鳥獣、果ては爬虫類など多種多様な種族がまとめて『獣人族』とひと括りにされている。そのため、獣人族はこう!と断言するのは難しいのだという。



霊峰はもともと竜人族のナワバリで、高山地帯に暮らすカモシカ族は竜人族へ見回りの際の拠点や情報を提供するなど協力体制を築くことで、霊峰の中腹に住まわせてもらっているそうだ。

他にもそうして竜人族と協力関係を築き、許可をもらったいくつかの種族が霊峰に住み着いているらしい。


もちろん他の標高の高い山にもカモシカ族が住む集落はあるという。ただ、霊峰ほどに安全性は高く無いそうだ。

リヤーフは『霊峰は他の山よりも脅威が少ない』とオブラートに包んで表現してくれたが、それはつまり、霊峰は他の山よりも人間が立ち入り難いという意味なのだろう。


「人間が生活できないような場所を白い土地(アネクメーネ)って呼ぶんだけど、獣人族も竜人族もそういった辺境地で暮らしてる。そこは決して住みやすい土地ではないから、土地を追われた者同士、比較的協力関係にあるって感じかな」


「……聞くまでもないけど、竜人族や獣人族を土地から追い出したのって人間なんだよね?」


イリリアの質問にリヤーフは「迫害や狩りの対象として追い立てられたらしい」と肩を竦めた。

そこに恨みの気配はなく、さらりとした態度であることだけが救いだ。


イリリアは過去の人間のふるまいとこれから先の事を思い、ぱたりと卓上に伏せた。


「物凄く恨まれてる…」


「でも、そうやって棲み分けがされるようになってもう千年以上経つから、当事者として人間を恨む者の数は減ってると思う」


「だとしても……前途多難…」



昨日アズハルがツノを狙われたのではと警戒したように、イリリアが人間であるというだけで、これからも嫌疑の目が向けられる可能性は高い。


(………でも、誰一人として、私を追い払おうとはしないで居てくれる)


不思議なことに、ルトフもリームもリヤーフも、皆イリリアを丁寧に扱ってくれる。

アズハルが天上に戻ったあとも、向けられる眼差しは変わらず温かい。

人間は嫌われていても仕方がないのに、どうしてだろう…と首を捻っていると、その疑問へ答えを与えるようにリヤーフは「イリリアはお花様だから問題ないよ」と言った。



「お花様?」


「花印を持つ花嫁や花婿のこと。肉体の特性上、本来は天上で暮らせない筈の他種族が、天上へ馴染むことの出来る唯一の例外……或いは奇跡、だったかな」



告げられた言葉にぱちりと目を瞬く。

確かに…獣人族も竜人族も人間が生活できない辺境地で暮らしていると言っていた。

本来であればイリリアも人間であるため天上と呼ばれるほどの高地で暮らすことはできない筈だ。

だがその身に花印を持つ『お花様』だけは例外で、芽吹いた花印によって身体が徐々に変化し、異郷でも暮らすことが出来るようになると竜人族の間では言い伝えられている。


イリリアはびっくりして、思わず胸元の花を押さえる。

最初は一輪だった花が三輪に増え、背中にも広がったのは、それだけ高地への耐性が高まったということだろうか。


「この花ってそんなに凄いんだね」


「知らないで花呼びしたんだな」


「……花呼びって何?」


「そこも知らないのかぁ。アズハル様がイリリアと出逢えたのって、本当に奇跡中の奇跡だな」



呆れたリヤーフは、卓上の小皿から香草入りのクッキーを摘むとパクリと口にした。あまりニオイの強い香草は得意ではないそうだが、高山帯で不足しがちな栄養を補ってくれるため、お菓子や保存食に香草や薬草を練り込むことが多いという。


イリリアも少しぽさぽさした食感のクッキーを口に運ぶ。

舌が肥えたお姫様だったら、こうした食事や食感ひとつの差違も苦痛に感じるのかもしれない。

イリリアの実家は武門の家系でそれなりの門構えではあったが、優遇されて贅沢をしていたのは男たちばかりだ。当時は兄たちとの扱いの差に唇を噛むばかりだったが、庶民に生まれて良かったと思えるようになるとは何とも感慨深い。



「さっきも言ったけど、獣人族とは協力関係にあるから比較的見つかり易いんだ。陛下の妹君も獣人族の花婿をお迎えになったけど、その時は獣人族側から、花印のような痣が浮かんだ者が居るって申告があったらしい」


「人間は竜人族との連絡方法なんて知らないよな?」と聞かれ、頷き返す。


「竜人族からすれば仇敵と連絡手段を持つようなものだものね」


「だな。だから人間の花印持ちが唯一、地上から天上に呼び掛けることが出来るのが『花呼び』って儀式。花印を月光に当てて、私を見つけて…的なことを願う。花嫁や花婿が見つかっていない竜の王族は毎晩月に祈りを捧げるから、願いと祈りが響きあって、お互いの居場所が感知できるってわけ」



私を見つけて、私を求めてと(こいねが)う。



イリリアは月湖での出来事を思い出す。


どうか…と月に向かって祈った。


あれこそが、花嫁から天上へ向けた呼びかけであったらしい。



「花呼びは花嫁とか花婿から熱烈に求愛されるのと同じだから、竜にとってはこの上ない名誉で、幸せなことなんだってさ」


「そうなんだ…だから嬉しそうだったんだ」



諦めかけた自分の前に現れた、白い髪の美丈夫。

花印を確かめたときの、煌めきを宿した夜色の瞳を思い出し、イリリアの胸がトクリと音を立てる。



「そういえば、アズハル様が花印に口付けたら、胸だけじゃなくて背中いっぱいにも(しるし)が広がって、すごい感じになったんだよね。アズハル様も驚いてた」


「おお~、それは凄い。一説では『花印は運命の力で刻まれる』って言われてるし、アズハル様とイリリアの運命がしっかり重なった証かもな。

ちなみに好奇心から聞くけど、イリリアに咲いているのは何の花なんだ?」


「星っぽい……紫色の花」


「ん~……竜胆かな…?花印は、竜に由縁のある花が咲くって言い伝えがあるから」


「見てみる?」


本当に竜胆か確かめてもらおうかと思って言ってみたのだが、リヤーフは顔色を悪くして慌てて首を横に振った。


「見せたらダメだ!俺がアズハル様から逆さ吊りにされる!」


「そうなの?背中だよ?」


「簡単に肌を晒さない!っつーか、花呼びの儀式のことを知らないのに、よく月光浴なんかしたな。人間って日光浴はするけど、月の光はあまり重視してないイメージがあるのに」


「昔読んだ絵本に載ってたんだよね。肌にお花が咲いた女の子が月下で踊ると、天から使者が現れて、恋に落ちて召しあげられて幸せに暮らしましたって」


「漠然としてんなぁ…そんな絵本を作った方もどうかと思うし、真似するほうも……」


言葉を濁したリヤーフに、絵本が人気だった頃は肌に花のペインティングした人が月下に踊るのが流行ったんだって、と言えば物凄く嫌そうな顔をされた。


竜人族からすれば、贋物の花印を刻んだ人間が『私こそが王子様の花嫁よ!』と主張しながら踊っているようなものだろうし、花呼びという儀式が王族にとって特別なものであるなら、それを貶されたと感じても仕方がない。

アズハル様には黙っておこうと決意したところで、リヤーフから「イリリアも冷やかし程度だったわけ…?」と聞かれてしまった。



「冷やかしではないけど、半信半疑ではあったかな…。諸事情により家を出奔したせいで食べ物も住む場所もなくてね……胸に花っぽい痣が浮かんだから、水浴びついでに、誰か助けてー!って気持ちで湖でバシャバシャやってたら、とんでもない美丈夫が来たって感じ」


「……なるほど。イリリアはイリリアなんだな」



それはどういう纏め方なんだろうと思わないでもなかったが、気にしないことにした。

リヤーフも、さっきの偽花印の時のような嫌忌するような表情は浮かべていないし、彼なりに納得してくれたようだ。



あの頃の状況を思い出し、改めてこの身が得た奇跡について思う。

ここではご飯も出してもらえるし温かい寝床で安全に眠ることが出来る。そして何より、リヤーフを含むルトフ一家はとても丁寧に優しく接してくれる。

こんなに幸せなことはない。


イリリアが「アズハル様に出会えてよかった」と二枚目のクッキーを齧ると、リヤーフは呆れたように肩を竦めるばかりだった。








夜、すっかり就寝の準備を整え終えたイリリアが先に寝ているべきか待っているべきか迷っていると、昨日と同じく控えめなノックの音がした。


今日も律儀に枕を持って現れたアズハルを部屋の中へ招き入れる。

背後に見慣れぬ人影が見えた気がしてイリリアが顔を覗かせようとすると、遮るように扉を閉められてしまった。


「誰か居ませんでした?」


「護衛を伴えと言われたからひとり連れて来たが、気にしなくていい」


「外で待っていてもらうんですか?せめてご挨拶だけでも…」


「独身の男だからだめだ」


頑なな態度のまま、独身で適齢期の男であるため、極力会わせたくないと告げられる。

また浮気を懸念されているのかと思えば、就寝前の無防備な姿を晒すのは良くないと言われ、そういえばそうだと納得した。

イリリアは普通に寝間着でウロチョロしても気にしない人物だが、貞操観念の高い竜人族としては許容できない事なのかもしれない。


就寝前の軽装ではあるものの、アズハルが身に纏っている服は上等なものだ。

竜人族は氷点下でも問題なく眠れるそうで、外の護衛の心配もしなくていいと聞き少し安心する。

イリリアは昨日と同じく、内側に温かいモコモコの布地が裏打ちされた寝間着を着させてもらっている。更に、夜は冷えるから風邪をひいてはいけないと、寝る時には重いくらいにたくさんの布団を被せてくれる。



アズハルは今朝、挨拶もなしに天上へ戻ったことを詫びてくれた。

居ないことに驚きはしたものの、置き去りにされた…などと悲嘆に暮れるようなことは無かったため、大丈夫だと頷いておく。


「むしろ、無理して毎晩来なくてもいいんですよ」


往復するだけで大変なんだから数日に一度様子を見に来てくれれば…、と言いかけて、アズハルの顔が悲壮なことになっている事に気付いて口を噤んだ。

代わりに「やっぱり毎日会えると嬉しいです」と言えば、星が煌めくように、瞳に輝きが宿る。

無理だけはしてはいけないと念押ししたものの、無理ではないし、来たくて来るのだと言われてしまった。

そんなにも隣で眠るのを楽しみにしてくれているのかと思うとちょっとだけ気恥ずかしい気持ちになる。


「このまま眠っちゃって大丈夫ですか?お腹が空いていたりは…」


「問題ない。イリリアも支度は整っているか?」


「ありがたいことに今日もお湯で身体を拭かせて貰いましたし、明日には離れの湯殿が使えるようになるそうです」


今はポンプが故障していて湯が引けないが、明日には新しいポンプとの交換が済むという。

湯水は貴重だが、地脈から自然に湧き出た湯であるし、体と髪を流すくらいは問題なく使って良いそうだ。

代わりに洗髪料などは厳しく制限されていて、用意されているもの以外を使うことは出来ない。

清拭用にと渡されている石鹸も天然仕様で薬草っぽい香りがする。

リヤーフから「人間が使っているものと違って泡立ちが悪いって聞くし、文句言われるかなと思った」と言われたけれど、数日間とはいえ野宿生活をしたおかげでだいぶ生活のハードルは下がっている。

今は、湯を使わせてもらえるだけで有難いレベルなのだ。

むしろ実家でも母親しか使っていなかった髪に付ける香油などを用意して貰えている分、文句どころか感謝しかない。


「そういえば、リヤーフから花印の花は竜胆じゃないかって教えてもらったんですけど、合ってます?」


「…………見せたのか?」


「いえ、アズハル様が怒るから見せてはダメだって。星形っぽくて紫色だって言ったら竜胆かなって」


ワントーン低くなった声からしても、やはり花印を他者に見せるのは駄目だったようだ。

服の合わせに手をかけて「剥きます?」と視線で問いかけると、「剥かなくていい」と首を横に振られる。何だかお決まりのパターンになってきた気がする。


「おそらく竜胆だろう。竜にゆかりのある花が咲きやすいと聞いたことがある」


「竜とは無縁の花が咲いた人も居るんですか?」


「名前は竜からは程遠いものの、詳しく調べてみると、その花と竜の関わる伝承が地上に残されていた…という事はあったようだ」



そもそも『(しるし)』を持つのは王族のパートナーに限られるのだという。

生涯にただひとりしか存在しない、血と運命の定めた相手の証である…と言われ、その仰々しさに少しだけ気持ちが竦む。


相手が異種族であれば花の印、竜人族であれば星の印が浮かぶらしく、今の王太子の正妃は瞳に星の印を持っているそうだ。

瞳にお星様が宿るなんて何だかロマンチックだなぁと思っていると、イリリアも素晴らしい花印を持っているだろうと呆れられてしまった。

今日はいろんな人から呆れられている気がする。



そろそろ寝ようかとお誘いを受けるが、決して色めいたものではない。

魅力がないから手出ししないのではなく規則だから手出ししないのだと言われているため、イリリアも必要以上に不安になることはない。



……あ、でも、ひとつだけちゃんと確認しておかないと。



「アズハル様」と呼びかけると、ベッドに腰掛けていた美丈夫が振り向いた。

白い髪にランプの明るい色が映えて、美しい夕陽色に染まって見える。



「アズハル様は、私のことが好きですか?」



あまりに想定外の問いかけだったのか…驚きの表情で言葉を失ってしまったようだが、首だけはしっかり頷いてくれた。

それを『好きだ』という意思表示だと前向きに捉え、続きの疑問を投げかける。



「それは私が花印を持っているから?」


「………リヤーフに何か言われたのか?」


「悪いことは言われていません。花呼びの儀式のことを聞いて…私、その意味を全然知らなかったから」


「知らずに儀式をしたのか?」


「儀式と思っていなかったというか……物語の一場面を真似たに過ぎない感じでした」


「………そうだったのか………では、私が現れてさぞ驚いただろう」



確かに、本当に天からの使いが現れるとは思っていなかったため、驚いたのは事実だ。



「でも、嫌な感じはしませんでした。怖いとかも無くて、とんでもない美丈夫が来たっていう驚きと、これからどうなるのかなっていう……不安に近い期待?

あとは、綺麗だなって見惚れた感じかな…」


「見惚れてくれたのか……?」


「これまでの人生に出逢った人のなかで、アズハル様が一番綺麗です」


「う……む、そうか……それは喜ばしいな…」


気恥ずかしかったのか嬉しかったのか、少し言葉に詰まりながら口元を隠したアズハルに、イリリアも何だか嬉しいような気恥ずかしいような気持ちになる。

それを誤魔化すように、ベッドのうえにぴょんと乗り上がると対岸に腰掛けるアズハルに向かって手を伸ばした。


「撫でます!」


「ま、またか!?」


戸惑いながらも、わしわしと撫でられるがままになっているアズハルの様子に少しだけ安堵する。

本当は、昼にリヤーフからアズハルが王族だと聞いてしまった時から、態度とか言葉遣いとか色々改めなければいけないのではと心配していたのだ。



……むしろ、畏まり過ぎたら嫌がられそうな気がする…



必要に応じて距離を取ればいいか…と心中で頷く。

乱れた髪を手櫛で整えてやり、そろそろ寝ましょうとベッドに横たわる。

昨日と同じように隣に並んで寝転んだアズハルは、ややあって重たい口を開いた。

億劫というより、どう言えばいいのかと言葉を探している感じだ。



「イリリア、その……最初の質問のことだが……」



ん?と首を傾げ、どんな質問をしたっけ…と記憶を探る。

イリリアの記憶からは早くも消えかけているが、誠実なアズハルはうまく言葉にできないながらも、イリリアからの「花印があるからこそ自分のことが好きなのか」という問いかけに真剣に向き合おうとしてくれているようだ。



「花印を持つからこそ惹かれたことを否定するつもりはない。だが……末長く共に居たいと願う気持ちに嘘偽りはなく、……つまり、その……」


「………好き?」


「ん…………………すきだ」



とても小さな声ではあったものの、ちゃんと「すき」と言葉にしてくれた事に胸がキュンとなる。

イリリアはそんなアズハルの様子に堪らなくなって、胸元の合わせを開いて中を覗き込んだ。

隣では、突然の奇行に驚いたアズハルが「何故脱ぐ!?」と慌てている。


見せるためではなく自分で見るためなのでご心配なくと伝えて、イリリアは胸に咲いた三連の花を目に焼き付けた。


「なんだか花印を確認したくなって。私とアズハル様を出会わせてくれたものだから」


最初はただの紫色の痣でしかなかったのに、今では星形の花弁が優雅に開く可憐な花にしか見えない。

出会わせてくれてありがとうという気持ちを込めて花印を眺めたあと、ふと視線を上げるとアズハルが視線を彷徨わせながらそわそわとしている。



「……アズハル様も見ます?」


試しに問い掛ければ、目線は逸らされたまま小さく頷き返される。

だが直後、ハッとしたように、合わせを大きく開こうとしていた両手の動きを遮られた。


「剥かない」


「でも…見ないんですか?」


「…………背中でいい」


「本当に?チャンスは今だけですよ?」


揶揄(からか)うんじゃない」


「揶揄っているのではなく、愛でているんです」


ふふ、と笑いを溢して、背中を向ける。

とはいえ背中を晒すほうが、服を大きく剥かなきゃいけないんだけどなぁと思っていると、それを見越したように「布越しでいいから」と付け加えられた。


ポスンと背中に小さな衝撃が来て、一瞬だけ視界の端に白い髪の毛が揺れ広がった。

背部の花印に額を押し当て、まるで祈りを捧げるような仕草で動かなくなったアズハルの様子に、胸がじんわりと暖かくなると同時に、少しばかり落ち着かない気持ちになる。



「ええと…布越しですし、口付けてもいいんですよ?」


「イリリア……」


「冗談で………」


す、と言い終わる前に、背中に額とは違う柔らかなものが押し当てられた気がした。

はぁ…と小さな吐息が聞こえ、再び額が寄せられる。



「……………幸せすぎて泣きそうだ」



思わず、といったように溢れ出たアズハルの呟きに、イリリアは込み上げる涙を必死で飲み込んだ。



……それは、こちらの台詞だわ。



出会ったことで変わった運命の顛末を思えば、泣きたいくらいに幸せなのは、イリリアも同じだった。





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