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24. 友人と性癖

▽視点変更あり

▽イリリア→ハルク





結婚祝いという名目で南の離宮の、そしてイリリア周辺の警備強化がおこなわれるこの日。


元竜帝陛下の近衛隊士でありルゥルゥのお父さんなサディオを、アズハルは丁寧に出迎えた。

ルトフの面影を感じる柔和そうな顔立ちながらその体躯はしっかりと鍛え上げられており、堂々とした存在感と風格がある。


アズハルから「私の花嫁のイリリアだ」と促されたため、小さくお辞儀をした。


「イリリアと申します、これからどうぞよろしくお願いします」


「サディオと申します。妻と娘がひと足先にお世話になっております…これからは私もイリリア様のお側に控えさせて頂きたく存じます」


深みのある声に、不思議と安心感が湧く。


「サディオにはイリリアの近衛として付いてもらいたい。今はあまり体力がなく、外出も庭を散歩する程度のため、扉前での警護や離宮周辺の警備が中心になるだろう。

休憩中はシャイマやルゥルゥと交流してもらって構わない。イリリアも多少の雑談くらいで目くじらを立てるような気質ではないため、執務中に私的な会話を持ったところで懲罰の対象にするつもりはない」


「承知しました。寛大なご配慮に感謝いたします」


「王宮の警備体制について質問させてもらうこともあるだろうが、回答できない部分は口を噤んでも良い。ただ、イリリアが不利な状況に陥るような情報操作や秘匿行為は控えるように」


離宮の主人として、年上の部下にしっかりと言葉を告げるアズハルの横顔を見つめる。

話し終えたのかこちらを見て「どうした?」と聞かれたため「素敵だなと思って見ていました」と返せば、照れくさそうに微笑み返された。


「シャイマ、案内を頼む。離宮内の地図を要する場合は執務室への立ち入りも許可する。執務室ではユスリーが私の代理を務めているから、何かあれば彼に指示を仰いでくれ」


「畏まりましてございます。アズハル様、イリリア様、これから夫がお世話になります」


「どのような御方だろうかと楽しみにしておりました。お会いできて嬉しく思います」


「昨夜は楽しみにし過ぎて寝所で足をパタパタと動かしていてからな…可愛かった」


「ルゥルゥからも毎日話を聞いていたんです。ね?」


「はい。父はイリリア様のご期待に添えましたでしょうか」


「思っていた通り、とても素敵な方です」



サディオへの期待が前面に出過ぎてしまったのかアズハルが難しい顔をしたため、指を絡めるようにして手をぎゅっと握っておく。


シャイマとサディオが並んで離れに向かう姿は、仲良し夫婦というよりも職務に忠実な女官と真面目な隊士という雰囲気で……ちらりとルゥルゥを見れば、父と母の距離感はいつもあのくらいですよと苦笑されてしまった。


ラウダとカイスの組み合わせはもう少し距離が近いように思えるが、とはいえ今のイリリアたちのように人前で手を繋いでいるところは見た事がない。


そういえば……と先日王太子殿下からも苦言を呈されたことを思い出し、繋いだ手をそっと引き抜こうとすれば、離さないとばかりにぎゅっと握り込まれてしまった。

「嫌じゃないですか?」と聞けば、気恥ずかしい時もあるが、嫌ではないと優しい眼差しを向けられる。



「さて、兄上の所からも届いているようだ。招き入れても構わないか?」


「どのような方が来られるのです?」


「事前の通達は貰っていないが、ユスリーが先に面談を済ませている。こちらへ寄越したということは問題ないと判断したのだろう。もう来ているのなら呼んでくれ」


サディオと重ならないよう外で待機してくれていたようで、アズハルの近衛であるクルスムが呼びに向かう。


「失礼いたします」と入ってきた隊士は背が高く、程よく鍛えられた体躯と整った顔を持つ男性だった。サディオと比べればまだ若く、アズハルと同じくらいの年頃に見える。


先ほどサディオを迎え入れた時は「よくぞ」と言わんばかりに丁寧に手厚く対応していたアズハルが何も言わないため、どうしたのかな…と隣を仰ぎ見れば、驚き過ぎたのか、その表情がスコンと抜け落ちていた。



「………………ハルク?」



茫然とした呟きに、ハルクと呼ばれた男性は「お久しぶりでございます、アズハル様」とにこやかに笑む。

笑うと端正な顔に煌めきと爽やかさが増すのね…と思いながら眺めていると、唐突にアズハルの後ろへと隠された。



「なぜ、お前がここに…っ」


「王太子殿下のご指示を受けて参りました。お花様、これからはこのハルクが、誠心誠意貴女をお守り致します」


「お前を寄越すなど兄上は一体何を考えているんだ!?」



毛を逆立てた猫みたいになったアズハルの背中をそっと撫でて宥めつつ、背後からわずかに顔を出して、ハルクという人物をこっそり確認する。


先ほど彼がキラキラと煌めきながら「貴女をお守り致します」と告げた時、背後から「きゃあ」と押し殺したような黄色い悲鳴が聞こえたのは気のせいではないだろう。


(ラウダかな……)


かつてルトフに憧れていた事もあり、ラナーやルゥルゥよりは、顔の良い男性に熱をあげそうな気がする。

カイスさんはキリッとクールな印象だが、アズハルの向こうに居るハルクという男性は凛々しさのなかに甘さをしっかりと含んでおり、表情ひとつで印象が大きく変わって見える。

黙っていればとことん美形なのだが、爽やかに笑えば周囲が煌めき、優しく微笑めば雰囲気がぐっと甘く…艶っぽくなるのだ。



「護衛対象のお顔を知らないと守るに護れませんよ」と真っ当な指摘をするハルクに、アズハルは「見るな」「近づくな」「その顔を隠せ」と散々な言いようだ。


(お義姉さまと対峙した時みたいだわ…)


威嚇行為というか、まさに毛を逆立てた猫。

相手が飄々とそれを躱すものだから、何だか少しばかり不憫で可愛く思えてしまう。



暫くふたりのやり取りを観察していたものの、そろそろ立っているのがつらくなってきた。

毎日散歩時間を確保して儀式に向けて体力を付けているところなのだが、その成果はなかなか現れてくれない。そのうえ昨日は情けないことに原因不明の微熱を出してしまった。

ルゥルゥは「お出かけや謁見が続いて疲れが出たのでしょう」と言ってくれたが、謁見後に二日間眠っていたのだから体力は回復していてもおかしくないのに。


殿下が派遣してくれた隊士と向き合ったままのアズハルの服裾を摘み、つんつんと軽く引っ張りながら、ラウダにちらりと視線を送る。

こちらの意を汲んでくれたラウダが、絶賛威嚇中のアズハルに声をかけてくれた。


「アズハル様、つもる話がおありでしたら場所を変えられては如何でしょう。お花様を立たせ続けているという事をお忘れになりませんよう」


ラウダの訴えにハッと正気を取り戻したのか、すまないと慌てて抱き上げられる。


「クルスム、ハルクを執務室に運んでおけ。その後の対応はユスリーに任せる。私は花嫁を休ませてから向かう」


「いくら『結婚祝い』とはいえ、荷物扱いとは酷いもんですね」


やれやれと肩を竦めたハルクと一瞬だけ視線が交わる。

色男よろしく素敵にウィンクされたが、イリリアをすり抜けてラウダの胸に直撃したようだ。先ほどまできりりと背筋を伸ばしていたラウダが口元を押さえて小さく身悶える。

嫌がってるというより凄く嬉しそうだからまあいいかな…と思う傍ら、アズハルの護衛として立つカイスの眉毛が一瞬だけ動いた気がした。



普段はゆったりと歩くアズハルが珍しく大股で進むから、離れにはすぐに到着した。

カウチに下され、「余計なことに時間を取ってしまった」と謝られる。

額に手をあててイリリアの熱が上がっていないことを確かめると、神妙な顔で問いかけられた。


「ハルクの顔を見ただろうか…」


「去り際にウィンクしてくれましたよ」


視線を流した先には、先ほど被弾してしまったラウダが居る。懸命に表情を保とうとしているものの、口元がニヤけるのを隠せていない。

アズハルはちらりとラウダを見たが、いつも通りで問題なしと判断したのかこちらへ目を戻した。


「イリリアは無事だったか?」


「あの方のウィンクは有害なんですか?」


「というより顔がな……あの男は顔面が武器なんだ」


顔面が武器という強い言葉にびっくりするが、確かに見目の整った男性だったように思う。

けれど……とイリリアは目の前に居る美丈夫へ手を伸ばす。

頬に触れると「ん?」と眉を上げて首を傾げられる。

以前よりもずっと親密な表情を向けてくれることが嬉しくて、思わずぎゅっと抱きついた。


耳元で囁くように「湖に迎えに来てくれた王子様の方が神秘的で素敵だったので、それに勝るものはありませんよ」と言えば、悩ましげだった顔には安堵と笑みが戻った。


「信じてくれますか?」


「勿論だ。あとでまた話そう」


額に優しい口付けが落ちる。

後処理をしてくるから休んでいてくれと言い残し、足早に部屋を出て行く背中を見送っていると、ラウダはニヤついた口元を収めて「まったく困ったものですね…」と小さく肩を竦めた。

ルゥルゥが血流が滞らないようにと軽く脚をマッサージしてくれる向こうで、ラナーは至っていつも通りだ。



「王太子殿下は、アズハル様にとっての因縁のお相手をこちらに送ってきたのでしょうか」


「といいますか、ハルクは顔がいいので男性王族から嫌われております」


「どういう理由??」


ラウダが補足情報をくれるも、意味がわからなくて首を捻る。

顔が武器イコール顔が良いというのはわかるが、それだけで嫌われるものだろうか。

顔の良さに反比例して性格が壊滅的なのかな…と自意識過剰な色男を想像していると、苦笑したルゥルゥが「とても単純な理由ですよ」とさらに追加の情報を足してくれる。


「顔がいいので、花嫁様が見惚れてしまうのです」



どうやら王太子殿下の花嫁であるファティナ様もハルクの顔を好ましく思っているようで、殿下はファティナ様と交流する場には絶対にハルクを同伴させなかったという。


そもそもハルクは元々、殿下ではなくアズハルの近衛になる予定だったそうだ。

ところが成人後、竜人族のなかに花嫁が見つからず少しばかり気鬱になっていたアズハルは、いずれ他所から来た花嫁がお前に恋をしては困ると言ってハルクを近衛には選ばなかった。


つまり、近衛になれるほどの実力者ではあるものの、顔が良すぎるからと警戒心を向けられ遠ざけられた人物が、巡り巡って(恐らく王太子殿下の計らいで)イリリアの元へ送られて来たというわけだ。


でも……とイリリアは先ほどのアズハルとハルクとのやり取りを思い出す。

お互いの表情こそ見えなかったものの、アズハルがハルクに向ける警戒心のなかには、どこか気安さも感じられた。


(じゃれあっているというか、友だち同士で言い合っているというか……)


長く交流のある友人同士が、このくらいならば相手の心は傷つかないだろうというラインを見定めて上手に言い合っている感じだろうか。

普段と比べれば乱雑で投げやりに聞こえる言葉たちだったが、ハルクはそんなアズハルの言葉をすべて上手に受け流していたし、ハルクの方も、揶揄うような口調ながらもアズハルが本当に言われたくない言葉は使っていないようだった。


(元近衛候補なら、これを機にアズハル様の近衛として置くことも出来るのよね…?)


そもそも『結婚祝い』として人が贈られることすらイリリアにとっては衝撃的なのだが、陛下も殿下もアズハルも誰も問題視していないという事は、祝いという名目での人材補強は珍しくない事なのだろう。


事前にアズハルからは、派遣された人物がイリリアと合わないようであればアズハルの方で引き取り、代わりにアズハルの近衛のひとりをイリリアの側付きとして任命しよう…と言われていた。

その筆頭候補がクルスムで、ルゥルゥと同じくらいの年頃のおっとりとした男性だ。

何度か会話をしたことがあるしラナーとよく話をしている姿を見るけれど、いかんせんまだ経験が浅いからな…と悩ましげにしていた。


王太子殿下の元から派遣されたハルクという人物を本当にイリリアに近づけたくないのであれば、当初の予定通りハルクとクルスムの入れ替えをすれば良いだけの話だ。



「少ししか見えなかったのですが、そんなにも格好いいのですか?」


「ええ、もちろんです。ハルクの顔は輝く竜玉に例えられますので」


「ラナーも素敵だと思う?」


「顔はいいと思う……ます」



真っ先に肯定したラウダは、元よりハルクの顔がお気に入りなのだろう。

異性の容姿にあまり興味がないように思えるラナーも肯定しているから、これは相当なのね…とつい期待が高まってしまう。


顔への軟膏を塗り終えたルゥルゥが、脈拍や体温を測りつつ「私も素敵な顔立ちだと思いますよ」とラナーに同意した。


「イリリア様はあまり好まれませんでしたか?」


「垣間見た程度ですけど、誰かが飛び抜けて綺麗というより、横並びで綺麗に見える感じでしょうか……ハルクさんも綺麗だし、アズハル様も綺麗」


どちらも素敵だけれど、髪の色のせいかアズハルの方が神々しく見えるかもしれない。

となれば別に、アズハルを悲しませてまでハルクに特別な感情や色眼鏡を向ける必要はない。


「アズハル様も端正な顔立ちでいらっしゃいますわね。わたくしにとっては年下ということもあり幼さや可愛さが先に立ってしまいますけど…」


「ハルクさんのご年齢は……」


「アズハル様と殆ど同じ。だから、ラウダのは単なる好みの問題……です」


「だって輝く竜玉よ!?」と熱烈さを発揮したラウダは、我に返りこほんと咳払いをした。


「失礼いたしました。つい、ミーハー心が疼いてしまいましたわ」


「ハルクさんが来たことで、カイスさんは嫉妬に燃えないでしょうか」


「カイス兄はルトフ様と同じ世代だから大丈夫。鍛えられてる……ます」


「ルトフさんって凄く人気者だったんだね」


「ええ、ええ、仰る通りです!ルトフ様は穏やかで優しくて格好良くて最っ高に素敵でしたわ…!」


かつてのルトフ親衛隊なラウダが、当時を思い出して頬を染める。


カイスさんに対してはルトフさん程の熱心さを見せることはなく、「普段はクールぶっているのに面倒くさいところで強引さを発揮する厄介な性格」と評価していた。ラナーが「厄介なのはラウダに関してだけ。カイス兄は普段は常識人…です」とすかさず付け足す。


カイスさんはキリッとクールな雰囲気で、かつてルトフさんと人気を二分していたと言われる人だけど、昔からラウダ一筋らしい。

ルトフさんが中腹へ下りたショックで家に閉じこもったラウダを見舞った時に強引に壁際へ追い込んで口説いたという話を聞いた時には、イリリアは尊さと胸キュンで昇天しそうになった。


実際に脈拍が乱れて息苦しくなってしまったせいで、ラウダとカイスさんの恋物語は一時的に封印されてしまったけど、出来れば夜通し聞きたいくらいだ。


ルトフさんの武勇伝もリヤーフからもっと聞いておけば良かった…と思っていると、取りやすい場所にお白湯を用意してくれたラナーがこてんと首を傾げた。


「イリリア様はどんな人が、好み?」


「まあ。ラナー、あまり失礼なことを聞いてはいけませんよ」


「うーん…好みというか……アズハル様と出会ってから、包容力のある男性って素敵だなと思ったので、キラキラと煌びやかな人よりも、優しげで包容力のある……ルトフさんやサディオさんの方が魅力的かもしれません」


「わ、私の父ですか?包容…力?あるのでしょうか…」


実の娘から思いっきり首を傾げられているサディオにこっそり同情しつつ、アズハルは夕方までこちらに戻らないだろうと言われたため、早めの昼食をもらうことにする。



天上に来てから少し経った頃、ひとりで黙々と食事をするイリリアを見かけたアズハルから「寂しくないか?」と聞かれた事があった。

イリリアはラウダたちとの和気藹々とした空気に慣れてきていたため少しだけ寂しさは感じていたが、竜人族のマナー的に食事中にお喋りして良いのか……そもそもどう話しかければいいのかもわからなかったし、実家ではいつもひとり静かに食べていたので、慣れているといえば慣れていた。

その時にうっかり間違えて「食事をいただけるだけで嬉しいです」と答えてしまったことで、悲しんだアズハルが三度の食事の際もそばに居ると言い始めて大変なことになりかけたが、そのおかげか、ラウダたちは給仕をしつつ程良く話しかけてくれるようになった。


お皿に盛られた霊草を、草食動物になった気持ちでもぐもぐと噛む。

苦みやえぐみは感じなくなり、ほんのりとした味が舌を撫でて喉を通り過ぎていく。

イリリアの斜め向かいで、ラウダは執務棟の方を見ながらほぅと小さくため息をついた。


「とにもかくにも……アズハル様はご不満でしょうね。いくら有能とはいえ、花嫁様のおそばに素敵な殿方を侍らせるのは気分の良いものではないでしょうから」


「ハルクさんには恋人は居ないのでしょうか」


「………。」


口を閉ざし視線を泳がせるラウダに首を傾げていると、向かいのラナーが衝撃的な事を口にする。


「ハルクは後妻キラーと呼ばれてる……遊び人、です」


「後妻キラー……」


「竜人は基本的に生涯ひとりと決めて誓いを交わし夫婦になるのですが、代わりに若くして伴侶を失った者は『次』を得られる機会に殆ど恵まれません。中には幼い子を育てながら孤独に生きる者も居て……そんな女性たちの拠り所……とは言いませんけれど、ハルクがそういう女性たちのお相手を務めているという噂があるのですよ。

交際は個人の自由ですし、若い子に次々と手を出すよりは…と思える部分もありますが、花嫁を得たアズハル様が思わず噛みついてしまうのもわかってしまうでしょう?」


ラナーの言葉を補足してくれたラウダは「だからといって頭ごなしに悪人と決めつけないで差し上げてくださいませ…」と困ったように眉を下げた。


「ハルクは昔から、アズハル様の近衛になるために厳しい訓練を乗り越えて来た経緯があります。わたくしも全てを知るわけではありませんが、その努力だけはどうか疑わないで欲しいのです」


「王太子殿下の近衛を務めるくらいなのですから、実力は折り紙付きなのですよね?」


「それはもう。カイスを一翼とするのであれば……ルトフ様が下山なさったあとは、その対となるのはハルクだろうと、当時を知る誰もが思っていた程です」


年の差もあり、ルトフの代わりを務めるには至らないものの、それでもアズハルを守る(かなめ)になるだろうと思われていた。だが結果は、アズハルがハルクを拒んだという。

ラウダは「当時のアズハル様はとても…気難しい時期でもありましたし、成人後すぐに花嫁を得られなかった事で思うところがおありだったのでしょう」と話を締め括った。




食事が済んで少し休憩したあとはシャイマとの行儀作法の授業だ。


サディオに離宮を案内していたため、王太子殿下から派遣された人材が誰なのかまだ知らされていなかったようだ。ハルクという人物だと伝えると、シャイマはあからさまに表情を曇らせた。



「ハルクですか……確かに実力者ではありますが、王太子殿下も大胆なことをなさいますね。一歩間違えれば争いの火種になりかねませんよ」



その言葉に、それほどの事かしらと首を捻れば、シャイマはゆっくりと説明してくれる。

そもそもアズハルは『花嫁の心変わり』を懸念してハルクを近衛に選ばなかった。それなのにわざわざ花嫁の元へハルクを送ることは、アズハルと花嫁の仲を引き裂こうという目論見がある…と捉えられてもおかしくないそうだ。


「今の王太子殿下としては第二王子殿下との仲を程良く保っておきたいでしょうから、そのような意図はないとは思いますけれど」


流石にそんな幼稚な嫌がらせはしないだろう…という見解に、微妙に首を捻っておく。


「引き裂く目論見でないのなら……私ならば心変わりすることはないだろうと、王太子殿下に信頼してもらえたという証なのでしょうか」


「一度のご対面でお花様の本質をそこまで深く見定められたか……或いは、王太子殿下もよくファティナ様から『私の浮気を疑っておいでなのかしら』と詰め寄られていたと聞きますので、これ幸いと夫婦間の諍いの元となる人物を遠ざけた可能性もあります」


「なるほど…」



確かに以前、竜車牽きのウェンさんとの対面を遮られたときは、つい「浮気を疑っているんですか?」と頬を膨らませた気がする。

今回は毛を逆立てた猫のように相手を威嚇するアズハルが珍しくてそちらを観察するばかりだったが、もしあの場で「浮気を疑っているんですか」と不穏な空気を出していたら、冗談とは言い難い事態に陥っていただろう。


王太子殿下の派遣した『結婚祝い』によって新婚生活が破綻したとなれば笑い事では済まされない。


ちなみにシャイマから見てもハルクの外見は魅力的なのだろうかと恐る恐る尋ねてみたところ、見た目は良いと思いますよと首肯したあと、恋愛対象として問うているのであれば論外ですとバッサリ切られた。

その姿勢を格好良く思ったので、見習おうと思った次第だ。



少しばかり問題は生じたものの、陛下と王太子殿下はアズハルの要求通りイリリアの守りを固めるための助力をしてくれた。

サーリヤのところからも送られてくる予定だが、こちらは『陛下と王太子が祝いとして人材を送るのなら自分も倣おう。だがお前とその花嫁には未熟者で十分だ』という嫌がらせ的な意味が含まれるように企図され、未成年の隊士見習いが送られてくることになっている。

陛下の近衛に加えて王太子の近衛まで送られたことで、人間の花嫁如きに人材を与えすぎでは…と不満が噴出するのを防ぐ目的もあり、そう考えると新婚夫婦の元にわざわざ見目麗しいハルクを送りこんだのも、王太子なりの周囲へのパフォーマンスの一環かもしれないと思えてくる。



シャイマは「アズハル様がお認めになれば今日のうちに紹介があるでしょう」と言っていたけれど、結局その日のうちにハルクと顔を合わせることはなく、アズハルはいつも通り日が暮れた頃に枕を持って共寝伺いにやって来た。



「体調はどうだろうか」


「もう大丈夫です。顔合わせを途中で切り上げてしまってごめんなさい」


「イリリアは悪くない。今日も一緒に寝てくれるか?」


もちろんと頷いて、枕を受け取り手を繋いで寝室へ向かう。

寝台の上に枕を置いてベッドの端に腰掛けると、アズハルも隣に腰を下ろした。



「ハルクの件だが……ラウダたちからはどのように聞いた?」


「輝ける竜玉?と言われるくらいに見た目が良くて、後妻キラーな遊び人だと…」


アズハルは困ったように眉を寄せて少しだけ思案すると「訂正してもいいだろうか」と口を開いた。


「遊び人では……あるかもしれないが、後妻ばかりを狙っているわけではないと思う。以前の話だから今はどうか知らないが……悲しい事情を抱えた女性が前を向けるようサポートしていると話していたから…」


霊峰に住む竜人、特にラシャのような、混血として生まれ他種族の集落で生きる者の中には、望まぬ経緯で身籠ってしまう女性も一定数居るという。各集落は閉鎖的な空間だからこそ見つかりにくく、警備隊に助けを求めて保護された女性の多くは疲弊し悲嘆に暮れているそうだ。ハルクはそのような女性を慰めながら、少しずつ新しい生活と向き合えるよう支えているらしい。


なんとも美徳に満ちた話だが、どこまで本当の事だろうと疑いたくなってしまうのは、まだハルクがどのような人物であるかを知らないからであり……その事情をアズハル以外は殆ど知らないと言われたからだ。


(アズハル様だからこそ真相を話したという可能性もあるし、アズハル様なら信じ込んでくれるだろうと美談にして誤魔化した可能性もあるから……)


遊び人という部分をしっかり否定しなかったという事は、交際相手が変わる頻度もそれなりに高いということ。トラブルを持ち込む可能性があるのなら、それはそれで厄介かもと思ってしまう。


「ハルクには、離宮に女性関係を持ち込まぬよう伝えてある。さすがに休息日の振る舞いまでは制限できないが、離宮内部の女性に手を出す事も、離宮付近に交際相手を近づけることも禁じさせてもらった」


「そんなに厳しく制限して大丈夫なのですか?」


「王宮でも、女官たちに甘い顔や言葉は向けても深い関係には至らないよう自制していたというし……ハルクは恐らく、私の嫌がることはしないだろう」


おや?と首を傾げれば、アズハルは「何故か昔から私に忠義を示してくれるんだ」と口にした。それから静かな声で、ハルクとの間にあった出来事を教えてくれる。



「遠ざけたのも……もちろん顔が良いというのも一因ではあるが、それよりも私がハルクの忠義に耐え切れなくなったせいでな…」



成人したことで、アズハルを王位に就けようと目論む者たちの動きは俄かに活発になった。

アズハルは花嫁が見つからなかった事といよいよ道具として扱われようとしていることに鬱屈とした気持ちを抱え続けていた。

そのような中、アズハルの母親の一族から『慰めに』と女が派遣された。王宮でもある程度の地位にある家の娘で、アズハルの立場では無下にするのが戸惑われる存在だった。

ハルクはその少女をいとも簡単に籠絡し、アズハルから遠ざけてみせた。



「友人だと思っていた……忠義は持ってくれているが、もっと近しい距離で共に成長し、時に忌憚のない意見をくれる貴重な存在だと思っていた。カイスやルトフとはまた違った立場の……だからこそ、私の為にと簡単に自分の身を落とすハルクのやり方がどうしても受け入れられなかった」



振り返るとそれまでにも何度も、アズハルに気を向けていた女性がある日を境にハルクに熱を上げている事はあった。

気のせいだと気づかぬふりをしていた事の真相を目の当たりにして、思わずハルクに詰め寄ったアズハルに、彼は「俺の顔は役に立つでしょう?うまく使ってください」と言ったそうだ。


「助けてもらっておきながら、感謝するどころか何故自分を大事にしないのだと憤った私はあまりに身勝手だっただろう。だが当時は本当にどうしようもないほどに思考が後ろ向きでな……このまま傍に留めておけば、花嫁までも奪われるのではという恐怖すら抱いてしまった」


相談したユスリーからは、女避けとして有用なのだから使えるあいだは傍に置いておけと言われたらしい。

友人ふたりからの言葉は、当時のアズハルにとっては苦しいばかりだったという。


「花嫁がお前に惚れては困るからと言って遠ざけようとしたとき、ハルクは躊躇いもなく自分の顔に傷を入れようとしたんだ。それもまた恐ろしかった。道具として生まれた自分にそこまでの価値はないのにと……惨めで堪らなくなって」



その気持ちは、イリリアにも痛いほどによくわかった。

価値のない自分に王子様(アズハル)は不釣り合いだと泣き叫んだ時のように、アズハルの心もまた、耐えきれぬほどの悲痛に満ちてしまったのだろう。



「先ほど話したときも、やはりその考え方は変わっていなかった。遠ざけた私を憎むこともなく、今度こそ役に立ってみせるから上手に使ってくれと言われてしまった。

それを悲しく思う一方で、花嫁を得て私の立場が変わったからだろう…あの頃ユスリーたちから言われた事をようやく飲み込めた気がした」



何と声をかけていいかわからず、手を伸ばしてアズハルの背中をゆっくりさする。

俯きがちだったアズハルは、顔を上げて苦しそうに微笑んだ。

悲しい色を帯びたその瞳を真っ直ぐに覗き込む。



「ハイファも女官も雷鳥もナヒーダも、すべて花嫁を狙っていた。今、守るべきは他でもないイリリアだ……女避けとしても護衛としても優秀なハルクを花嫁の側付きとして置こうと思っている」


「……それは、ハルクさんの意思に反しませんか?彼はきっと、アズハル様こそを守りたいのだと思いますよ?」


それに、これまでの経緯を考えても、彼はアズハルの近くに居てこそ真価を発揮するのではと思ってしまう。

アズハルもその考えには同意してくれたが、護衛としての経験値という点で、今はイリリアの近くにと判断したようだ。


「ハルクは兄上に付いて王宮を行き来していたし、儀式関係での警護にも長けている。何かと排他的な王宮女官達も、あいつを連れているだけでしおらしくなると聞くからな」


「逆に逆恨みされないか心配ですけどね」と言えば、いくらでもハルクを盾にして良いし、渦中に放り込んで逃げて良いと言われ、その雑な扱い方に思わずくすりと笑ってしまう。


「経緯は複雑ですけど、大事なご友人が戻って来てくれてよかったですね」


「ああ。だが………昼に言ってくれた事をもう一度聞かせてくれるか?」



優しく寝台に押し倒されて、瞳を覗き込まれる。

抱きしめたくて腕を伸ばせば、鼻先が付きそうな程に身を寄せてくれるから、息が混ざるほどの至近距離でもう一度「…湖まで迎えに来てくれた王子様に勝るものはないですよ」と小声で囁く。


珍しくアズハルの方から、頬と目元に啄むような口付けが齎された。

イリリアも頬に贈り返したものの、濃紺の瞳に僅かに揺れる不安の影を見て、その目元にも唇を触れさせる。



「どうしても不安になるのなら、重ねて花印に誓いましょうか?ハルクさんに邪な想いを抱いたら全身から血を吹き出させて死にますとか…」


「やめてくれ」



必死な顔でとめられたが、今の誓いのままでもアズハルを裏切れば血反吐を吐いて倒れるのは必至。

むしろアズハルはそれがあるからこそ、ハルクをイリリアの近くに置いて良いものか即決出来なかったようだ。

確かに心は、その時々で揺れ動く。

少しでも不安要素を置きたくないというアズハルの気持ちもわかるが、とはいえイリリアの感性ではあまりハルクにときめく気はしない。



(だって、もっと素敵なものを知っているもの…)



食欲に対する黒焼きセットのように、他に思い浮かべるものがあれば多少心が浮ついても冷静に沈めることが出来る。



すぐ近くにある夜色の瞳を臆することなく見つめる。

アズハルはイリリアが逃げられないよう顔の横に両腕をついたまま、真剣な表情で口を開いた。



「裏切りだ……などと言うつもりはないから、正直に答えて欲しい。ハルクと姉上では、どちらが好きだ?」



「………。」



「私を一番に置いてくれると信じている。その上で、次点に誰が来るのか把握しておきたい」と補足され、イリリアはそっと目を逸らしかけた。


だが、誤魔化しは許さないという圧が上からのしかかってくる。



「………しょ、正直に?」


「正直に。」



今の時点で、ハルクとサーリヤ、どちらとふたりきりになりたいかと言われれば、答えは明白。



「…………お義姉さまのほうが…」



またあの凛々しい顔と声でイリリアって呼んで欲しいし、もう少しゆっくりお話がしたい。

それに、あの日のように小さく微笑みかけてもらえたなら…!

想像するだけで気恥ずかしくてきゃっとなったら、上から絶望的な空気が漂ってきた。



「姉上には渡さない……!」



ひしっと抱きついてきた成人済み百五十歳超えの男性を大きな胸で抱き止める。


正直に言ったらこうなるとわかっていたから隠していたのに……と眉を下げつつ、安全ベルトを通り越して拘束具のようになったアズハルの頭をよしよしと撫で続けた。














王太子殿下の命令により南の離宮に派遣されたその日、久しぶりにお会いしたアズハル様はしばらく唖然とした後、予想通りの反応をなさった。


咄嗟に背中に隠された花嫁は細く小さく、アズハル様の身体の隙間からそっと視線だけをこちらに寄越す。

じっとこちらを伺う姿は、こちらの顔に見惚れているというよりも、どんな人物なのだろうかと観察しているようだった。


やがて花嫁はアズハル様の服裾を小さく引っ張り、その意向を侍女が代弁する。

こちらに気を遣ってくれたのかと思えば、どうやらあまり顔色が良くない。


『花嫁を立たせ続けている』という指摘に我に返ったアズハル様は、慌てて花嫁を抱き上げると、こちらを荷物のように執務室へ放り投げる指示を出してから足早に花嫁の居室へと去っていく。


去り際に目が合ったためウィンクを飛ばしてみたものの、花嫁の白すぎる頬に赤みが差すことはなく、代わりにラウダさんが悶絶してしまったためカイス殿から凍るような視線を送られてしまった。



それから案内された執務室ではユスリーから呆れ返った視線を送られた。


「何だ、また差し戻されたか」


「人聞きの悪い…花嫁の体調が思わしくないから中断になっただけだ。人間とはそんなに弱い種族なのか?」


「まだ天上に馴染んでおられないようだ。昨日も微熱があったようだし、頻繁に寝込んでいる」



先日王宮でおこなわれた王太子殿下との顔合わせにはファティナ妃も同席したためハルクは離宮内の警備として少し遠いところに配置されていた。

後から聞いた話では、ヌーラ様の花婿とは違い、比較的落ち着いた人物で、王太子夫妻の前にも関わらずアズハル様と手を繋いで見つめ合っていたという。


先ほどのアズハル様の様子を思い出す。

侍女ではなく王子自らが真っ先に花嫁を抱えて上げていた。

花嫁が過分に甘えているようには見えなかったが、王子が色恋に狂ったという噂はあながち嘘ではないのかもしれない。


珍しくユスリーがペンを置く。

どうやら会話を続けてくれる気らしい。


「アズハル様はお前を見て何と仰った?」


「威嚇しながら、顔を隠せと言われたな」


去り際に花嫁にウィンクしたけど眉すら動かなかったと言えば、そんなものに反応するのはラウダさんくらいだろうと言い当てられる。

確かにあの場には何人か女性が居たけれど、顕著な反応を示したのはラウダさんくらいだった。

カイス殿の冷たい視線を思い出して、そっと記憶に蓋をする。


「ユスリー、お前もそれなりに女にモテるだろう?初対面の時どんな反応を向けられた?」


「前情報があったらしく、お仕事が恋人な方ですか?とアズハル様に尋ねておられた」


「ああ……最初から除外されてたのか」


煩わしくなくて良い。と断じたユスリーは、色仕掛けで花嫁の心を試すような真似は絶対にするなよと念を押してきた。


「そもそもあの花嫁は、アズハル様以外は選べないようになっている」


「選べない……?」


その言葉の意味が読み取れずに眉を顰めたところで、執務室の扉が開いてアズハル様が顔を出した。

室内に自分とユスリーしか居ないことに首を傾げている。


「………クルスムはもう戻したのか?」


「ええ、ハルクと話をするなら三人の方がいいと思いましてね。とはいえコイツに割く時間はあまり持ち合わせていませんが」


既に五分ほど無駄話に付き合っていますというユスリーに苦笑を向けたアズハル様は、扉を施錠して近くの椅子に腰かけた。

この構図だと、大きな机に堂々と座しているユスリーが一番偉そうに見える。

好きな場所に座っていいぞとアズハル様に言われたため、水だけ貰いますと答えれば、机から空っぽの湯呑みが無言で差し出された。

差出人のユスリーをひと睨みしてから受け取り、自分とアズハル様の水、そしてユスリーのおかわり分を整えてそれぞれに手渡す。


「まったく、この執務室に来るのは初めてだというのに、随分と扱いが酷いな……それでアズハル様、私はこれから、どこのどなたにお仕えしましょうか」


水を受け取ったアズハル様はもともと考えを固めておられたのか「ひとまずイリリアの側付きとして考えているが、最終決定はもう少し花嫁と話をしてからになるだろう」と口にした。

それに対して予想外だと眉を上げたのはユスリーだ。勿論自分も意外に思ったものの、あの花嫁の反応であればそういう事もあるか…?と思ってしまう。


「アズハル様の近衛として置かなくて良いのですか?」


「ハルク、兄上からはどのように言われて来た?」


「『露払いをしてやれ』と。それと、『本来の場所へ帰れ』とも言われました」


頷いたのはアズハル様だけでなく執務机のユスリーも同じで、彼は「そもそもハルクが殿下の元へ行ったのは、あの悪趣味な賭けが原因ですからね…」と物凄く嫌そうに顔を顰めた。


自分の花嫁がすぐに見つかり息子も生まれて浮かれきった殿下が、成人を間近に控えたアズハル様へ持ちかけた、悪趣味な取引じみた賭け事。


『もしも成人の儀での顔合わせの最中に見事花嫁が見つかれば、王宮にお前たち夫婦が使える離宮を整えてやろう』


政治的な混乱を招くとして長らく僻地に追いやられていたアズハル様にとって、王宮に部屋が持てるという事がどれだけの意味を持つのか、両親の膝元でぬくぬくと育てられた王太子には想像出来なかったのだろう。

もしかすると北の者から徒に利用されぬよう目の届くところに置いて監視しようという思惑もあったのかもしれないが、酒に酔いながら口にするとはあまりに悪質。


結局のところアズハル様の花嫁は天上では見つからず、賭けのことを知った竜帝陛下が王太子を諌め、話は完全に無かったことにされてしまった。


アズハル様の心にどれだけの傷を負わせたかも知らず、「悪かったな」のひと言で済ませてしまった王太子のことを、自分はどれだけ憎く思っただろうか。



「あの事件のせいで落ち込みまくったアズハル様から『いらない』と言われたので、ならば殿下に嫌がらせをしてやろうと王宮へ乗り込んでやったわけです。結果は見事、ファティナ妃のお気に召し、殿下の心を掻き乱してやりましたよ」


「お前らしい嫌がらせだな。隊士としての腕は見込まれていたようだが、これ幸いと追い払われる程度には嫌われていたというわけだ」


「ファティナ妃の離れでは特に愛想よくしていたので、余計に嫌われたんでしょう。顔が良すぎるからと接近禁止令まで出されました。別に後ろから刺すような真似をする気はありませんでしたし、妃には決して手出ししないと何度も説得申し上げたんですけどねぇ」


「で?そんな顔面薔薇色男を花嫁のそばに置いて構わないのですか?」


何か思案しながらこちらの掛け合いを聞いていたアズハル様は、ユスリーからの問いかけで意識を引き戻したようだ。


「ん?ああ……私に勝るものはないと言ってくれた」


「じゃあ大丈夫そうですね」


あっさりと、そして興味なさそうに頷いたユスリーは、話は終わったとばかりに再びペンを持ち始める。会話を始めて十五分にも満たないが、仕事馬鹿の手をそれだけ止められたのならば上出来だろう。


「物凄い惚気ですね……それに、花嫁に骨抜きにされたって噂は本当だったようだ。というか、人間とは美醜の感覚が違うんですか?」


「種族を問わず好みくらいあるだろう。俺はお前など御免だ」


「私も嫌だな」


ペンにインクを浸しながら吐かれたユスリーの暴言に、アズハル様もしれっと同意する。

「男にモテる必要はありませんので別に傷つきませんよ」という言葉はふたりの耳に届いているのかいないのか。

もはや書類しか目に映らなくなったユスリーを置いて、アズハル様は立ち上がった。


「離宮を案内しよう。荷物は兵舎に届いているのか?」


「離宮の主人自ら案内して頂けるとは光栄ですね。まだ荷解きはしていませんが、荷物は届いているはずです」


では案内のあとは兵舎にて私物の整理、その後は自室にて待機と言い渡され、今日はもう花嫁と面会させる気はないのだなと理解する。


執務室を出るとほどよく冷たい風が頬を撫でた。

王宮ほどではないにしろ、南の離宮はそれなりに広い。


「お身体がまだ天上に馴染まないと聞きましたが、儀式に支障はないのですか?」


「体力を付けるために散歩はしているが、今無理をして身体を壊すわけにはいかないからな…」


「王太子殿下との面会の際には随分と仲睦まじい様子だったとか」


「手を握っただけだ。わかっているだろうが王宮で流れている噂は鵜呑みにするなよ」


「ああ…人間の花嫁はアズハル様を唆して気に食わない者を次々に排除している悪女だという噂ですね」


唆されてないんですか?と聞けば、一体何を唆すんだと呆れられる。



「私たちは穏やかに生活出来ればそれでいい」



遠くを見遣る視線の先にあるのは花嫁の居る離れだろうか。


ハルクのことを突き放す直前、希望を打ち砕かれてボロボロになったアズハル様は、死人のような顔で苦しげに…無理して笑っていた。

私の生きる意味は何だろうな…とスハイル翁に弱音を吐いているのを密かに聞いたとき、胸が抉られるような痛みを感じたし、彼にとっての拠り所は親代わりである老翁の元にしかないのだと痛感した。


嫌がらせ目的で王太子殿下の元に行って早五十年。ようやく花嫁が見つかったという噂を聞いたときは叫び出しそうなほどに喜んだが、その花嫁が人間だと聞いて、ずっと気掛かりでならなかった。



広い離宮のうち、アズハル様が使う範囲はそう広くない。

警備の隊士は要所に置かれているものの、近衛として連れているのはほんの数人。

花嫁と関わらせる者も厳選して、どうにか守ろうとしているのだろう。


花嫁の居住区である離れを遠目に見ながら「お前は人間に対して偏見はないな?」と改めて問われたため、「女性全般好きですよ」と答えれば、胡乱な目を向けられた。

両手を挙げて、お花様には決して手出ししませんと宣誓しておく。



「……正式に迎え入れる前に、あの頃の言葉と態度について謝りたい」


「心に余裕がなかったのでしょう?」


「それもあるが………お前にこれ以上傷付いて欲しくなかった」



その言葉に思わず眉をひそめてしまう。


離れから渡り廊下を越えれば、アズハル様の私邸である建物に辿り着く。

この辺りが散歩コースだと言われながら、美しい池のある庭へ回り込んだ。



「ご存知の通り女性全般好きですし、どんな事情を抱えた女性を相手にしようと特に傷つきはしないのですが」


「だが、愚痴っていただろう?気のない女を無理やり振り向かせるのは疲れると…」


「……聞いていたんですか」


「聞こえていた」


ユスリーとの軽口の一環だった気がする。女性関連の面倒事を全てこちらへ押し付けようとするユスリーに向かって、やれやれと肩を竦めながらそんなセリフを言った気もするが、まさかアズハル様の耳に届いているとは思わなかった。


それで拒絶されたのか……と、およそ五十年前の出来事を反芻する。

近衛としてお守りするのだと思っていた人から「不要だ」と遠ざけられた事実は、少なからず自分の中で燻り続けている。


「では何故、ユスリーは留め置いたんです?あいつもよく愚痴愚痴文句を言ってますよね」


「ユスリーはどこまでも自分本位だが、お前は根元に私を置くだろう?だからこそ、近くに居て欲しくなかった。

この先、より厄介な状況に陥った時に一番苦労をかけるのはお前で……自分のせいで友人が傷付くのを見たくはなかった」


「……。」


友人という言葉に、静かに胸が痛みを訴える。

確かに気安く言い合える関係性は築いているものの、ハルクやユスリーにとってアズハル様はどう転んでも竜帝陛下の息子で、自分たちよりも上に居る高貴なる存在だ。

だが、その言葉をわざわざ否定して傷つけたいとは思わない。


白い髪が風に靡く。

それを見るたびに、彼と自分との立場の違いを思い知る。


アズハル様は御池の水面を見下ろしながら、それに…と言葉を続けた。



「私は、お前が傷付いてまで守る価値の無い存在だと思っていたからな」



かつてアズハル様がスハイル翁に吐露していた弱音を思い出す。

不遇の王子と揶揄され続けた彼の瞳は、不思議とあの頃よりも澄んで見えた。



「……………今は、その考えを改められたのですか?」



御池から顔を上げたアズハル様は、消えそうな程に儚く悲しく微笑んだ。



「イリリアは私の為に生きたいと言ってくれた。だから私は、誰を犠牲にしてもこの想いを守り、彼女を幸せにしたいと思う」



その犠牲者のなかには当然ながらハルクも含まれており、もしかするとアズハルを取り巻く全ての人材が犠牲者側の天秤に乗せられているのかもしれない。

それでも、何としてでも花を守りたいという、祈りにも似た願い。


清らかで高潔だった悲劇の王子が、唯ひとりの花嫁の為に変わろうとしているのを強く感じ、思わずくしゃりと顔を歪めて笑った。



「今度こそお役に立ちますので、どうぞ上手く使ってください」


「ああ……そうさせもらう。……苦労をかけるな」


「何のその。お花様が私に惚れても文句を言わないでくださいよ」


戯言のつもりだったが、妙に神妙な顔で「…………お前というよりも、」と呟かれてしまったため、花嫁に浮気疑惑でもあるのかと訝しく思う。


「他に居るんですか?」


「いや…………ただ、ラウダの反応次第では、カイスはお前の膝と足先を破壊しに来るだろうからせいぜい気を付けるといい」


「ああ…まさかラウダさんが花嫁の侍女を務めておられるとは………カイス殿の膝かっくん、マジでたまに骨が折れそうなんだよなぁ……」


「イリリアはカイスが嫉妬する姿を見るのが好きだから、良い娯楽になるだろう」


「娯楽扱いしないでください」



五十年ぶりとは思えないような調子で会話をしながらぐるりと離宮を案内され執務室へ戻ると、ユスリーの机の横にサディオ殿がおられたため姿勢を正す。


アズハル様は「待たせた」と穏やかな表情を作ると、今日の残り時間は荷解きと休養にあて、明日から離れの警備に加わって貰いたいとサディオ殿に告げた。

警備の時間や配置についてはユスリーが既に伝えたあとのようだ。



「シャイマは……案内のあとイリリアの指導に向かってくれたか」


「はい。ひと通りの案内と説明は受けました。一度シャイマと共にお花様の居室へ顔を出させていただいたところ、後日ゆっくりお茶がしたいとお声かけ頂いたのですが…」


「ああ…白湯を飲みながらのんびり話をするのが好きなようだ。もし良ければ付き合ってやってくれ」


その時はシャイマとルゥルゥを同伴させようと言われ、サディオは妻と娘が同席する茶会を想像したのか「それはなかなか……色々な意味で緊張しますね」と苦笑した。

妻子が同じ職場に居るというのも苦労しそうだ。


「住まいにつきまして、兵舎の一室ではなく離れをご用意下さったとのこと…心より感謝申し上げます」


「イリリアから、せっかくなら家族で過ごせる場所があった方が良いのではと言われてな。

シャイマは女官用の個室を持つし、スハイルは私邸に長く使っている部屋がある。ルゥルゥにも私邸に部屋を与えているが、成人後は気を遣って使用を控えているようだ。今は花嫁の近くで待機していることも多いため機会は限られるだろうが、妻子を招いて構わぬゆえ、気兼ねなく使ってくれ」


「ありがたく」と深々と礼をしたサディオ殿に、アズハル様は鷹揚に頷いたあと、少し困ったように言葉を続けた。


「実は数日前からスハイルとルゥルゥが何やらコソコソと…掃除ついでに保管に困っている資料を離れへ運び込もうと打ち合わせをしているようだったからな……中は今どうなっていることか…。手に負えない時は相談してくれ」


「……どうにかしましょう」


返答は潔いものの、その表情は苦渋に満ちていた。

娘の仕業であればまだしも、スハイル翁が共犯となれば娘婿であるサディオ殿にはなかなか口出ししづらいことだろう。

妻子どころか舅も居る職場は大変そうだなぁと思ったところで、アズハル様から「そうだ………ハルク」と声を掛けられた。


執務室の一角にある箱から何かを取り出し、投げ渡される。


反射的に受け取ったそれは、木彫りのお面。表面には動物なのか化け物なのかよくわからない生き物の顔が彫刻され極彩色で色付けられている。


「どこかの獣人達が使うお面らしい。良ければ使え」


「どう考えても『良い』とは判断しねぇっすわ」


確かに顔を隠せとは言われたが、こんなものを被るわけがない。

机で湯呑みを傾けたユスリーから「色男は何を身につけても色男のままだから大丈夫だろう」と言われたが………うっせぇわ!











「改めまして、王太子殿下の近衛を務めておりましたハルクと申します。お花様を全身全霊で御守りする所存ゆえ、どうぞよろしくお願い致します」


「頼もしく思います。アズハル様の花嫁のイリリアです、これからどうぞよろしくお願いします」



翌日朝早くに通達があり、午前のうちに花嫁との対面の場が用意される事になった。

場所は離れにある花嫁の私室。


座ったまま出迎えてくれた花嫁は昨日よりも少しばかり顔色が戻っていたが、やはり線は細く弱々しい。


丁寧な返事をくれた花嫁に最上級に煌めく笑顔を返してみたものの、後ろのラウダさんを陥落させるだけの結果となった。膝から崩れ落ちるラウダさんを見てはカイス殿からの仕返しを思い、密かに背中に冷や汗を掻く。


だが、それよりも気になる事がある。



「ところでお花様は何故、アズハル様を椅子にしているんです?」


「えっと………趣味で………?」



視線を彷徨わせたあと困ったように微笑んだ花嫁は、椅子に座ったアズハル様の膝の上に腰を下ろしている。咄嗟に膝から降りようとした花嫁の腰はがっしりとホールドされ、決して逃げられない仕様だ。

アズハル様の顔は残念ながら花嫁の肩口に隠れていてよく見えない。



「今日は事情があって、膝に座る約束をしているので…」


「なるほど………?」


「父上もよく王妃殿下に踏んで欲しいと懇願しているだろう、それと同じだ」


「いや、陛下の性癖を突然暴露するのはやめてくださいよ」



天上を統べる竜帝が王妃殿下から踏まれて喜ぶ姿なんて想像したくもない。

確かに王妃殿下は女傑と名高いが、竜帝陛下は全竜人の頂点に立つ御方なのだから、変なフィルターをかけないで欲しい。


というか、その主張で置き換えるならアズハル様は花嫁に「尻に敷いて欲しい」と懇願したことになるが気付いているのだろうか。

花嫁はそんな末っ子王子をフォローするように「アズハル様は後ろからぎゅっとするのがお気に入りなので」と相変わらずの困り顔で微笑んだ。



「でも、どうしてお義父様は踏まれるのがお好きなんです?」


「王妃殿下の花印は足元にあると言われている。詳しくは知らないが、足の甲か裏か……とりあえず父に困らされたら、その話題か、田舎デートを二百年以上断られ続けている話題で追い払うといい」


「追い払いはしませんけど……じゃあ王太子殿下はファティナ様からウィンクされたら倒れてしまうのでしょうか」


「ファティナ様は気軽にウィンクなさるような人ではないが……されたら確実に倒れるだろう。確か兄上は、寝起きに見つめられるのが堪らないと言っていた気がする」



今度は兄である王太子殿下の性癖まで暴露してしまったアズハル様に、花嫁は半身振り返りながら「私は夜に見るアズハル様の瞳が好きですよ」と甘い言葉をかけている。

花嫁が身を捻ったことで見えるようになったアズハル様の顔は蕩けるように甘い。


「それでしたら、私のウィンクでも女性がよく倒れますよ⭐︎」


とりあえず甘すぎる空気を払っておくかと、ぱちん⭐︎とウィンクを飛ばすと、花嫁とアズハル様を無傷のまま貫通し、背後のラウダさんに直撃した。

胸を押さえて悶えるラウダさんを観察した花嫁が「………なるほど」と冷静に頷いているのが何とも言えない。


「あとでカイスの嫉妬が見れるぞ」というアズハル様の言葉に、少し眠そうだった花嫁の目がキラキラと輝いた。そして今日一番の笑みを向けられる。



「ハルクさん、これからよろしくお願いしますね」


「さっきも言われましたけど、今のは一体何に対するよろしくなんでしょうね…」


潔く爪先を踏み潰されるといい…と呪詛のような言葉を残したアズハル様は、続けて花嫁に優しく声をかけた。


「イリリア、ハルクはハルクだから、ハルクと呼ぶといい」


「どういう事ですかね」


「えっと…ハルクと、呼び捨てにしても良いですか?」


「どうぞお花様の好む呼び名でお呼びください」



雑すぎるアズハル様からの指摘も花嫁は上手に受け止めたようだ。

ハルクはハルクだからという理由はよくわからないが、この調子だと恐らくサディオ殿はサディオさんと敬称をつけて呼ばれるのだろう。


別に何と呼ばれようと大して気にならないためご自由にと伝えれば、椅子になったままのアズハル様から嫌がらせのように「輝く竜玉」と呼ばれたため「男からあだ名で呼ばれるのは御免です」とすかさずお断りした。

花嫁はそんなやり取りを微笑ましげに聞くばかり。


王宮では『不遇の王子を唆す悪女』だなんて噂がまことしやかに囁かれていたが、どう見ても牙も爪も持たない小動物だ。

物理的に王子を尻に敷いているものの、王子が望んで尻の下に滑り込んでいるのだから致し方ない。



「お花様の花印はどちらにあるんです?」


「胸ですよ」


「………………胸ですか」



アズハル様の腕はお花様の細すぎる腹部に回されているが、その上には豊満な胸が乗っている。スタイルが良いというよりも、他の生育は置き去りにして胸だけしっかりと実った感じだ。全体的に華奢だからこそより豊かに見えるのだろうか。

そこに花があると言われればついついジッと見てしまうのが男というもので。


アズハル様からすかさず、「変な目線を向けるな。背中にもある」と不満たっぷりな声で指摘される。


「二ヶ所も?それは珍しいですね」


「初めは胸だけだったんですけど、アズハル様が口付けをくれた後に増えたんです」


「胸への口付けをお許しになるとは心がお広い………ん?陛下は印のある足で踏まれるのがお好きで、殿下は見つめられるのが好きってことは、アズハル様は……」


「余計な勘繰りはいい」とアズハル様がこちらの想像を掻き消そうとしたのと同時に、花嫁が「正面からむぎゅっとするのも好きですよ」と答えてくれた。

一瞬だけ静寂が流れ、口を押さえた花嫁が申し訳なさそうに背後のアズハル様を振り返る。


「ごめんなさい。ハルクとはそういう話をするのかと……」


「いや……うん、話の流れを作ってしまった私が悪い。だが、今後はハルクの軽口に逐一答えなくていいからな…」


「余計なことを言う前に下がりましょうか」


「今日はイリリアとハルクの顔合わせなのだから、このままここに居てくれ。それよりどうだろうか、ハルクとはうまくやれそうか?」


「アズハル様とハルクが話しているのを聞いているだけで楽しいです」


にこりと笑った花嫁に、アズハル様は微妙な笑みを返した。そのまま、鼻先が触れそうなほどの距離感で密談を始める。


胸にも背中にも花印があるから、背後からも正面からもぎゅっと抱き込むのがお好きなのだろう。

恋さえ知らなかった王子様が成長なさったものだと感心していると、花嫁と何やらひそひそと話をしていたアズハル様がひとつ咳払いをして、真面目な顔をこちらへ向けた。


どんな事情があって膝に座る約束をしたのかはわからないが、そろそろ降りたそうにしている花嫁の腰をアズハル様は問答無用で拘束し続けている。



「話しておきたいのは、警護の配備についてと、それぞれの相性についてだ。昨日の執務室でのやり取りは見ていたが、サディオとはどのくらい既知だ?」


「サディオ殿は陛下からの信頼が厚い方ですので、憧れはありますが親しく話をさせてもらった事はないですね」


「お前は何かと悪評が立っているからな……ひとまず離宮内で揉め事を起こすのは禁じる」


「それ、カイス殿に言ってくれません?俺の爪先を真っ先に潰しに来るでしょう」


「それについてはイリリアが喜ぶから全面的に許可している」


「酷っ!お花様も何で喜ぶんですかね!?」


嗜虐的な嗜好でもあるのかと思えば、もっと信じられない理由を気恥ずかしそうに口にされる。


「ラウダとカイスさんの恋物語が聞きたいのですけど、ときめきで不整脈を起こしてしまうから禁止されてて……」


「不整脈……ええと、代わりに私の恋物語をお聞かせしましょうか?」


「いえ、大丈夫です」


真顔でズバッと拒否されたが、カイス殿の恋物語と一体何が違うというのか。むしろ粘着質で陰湿なカイス殿の恋愛事情よりも、こちらの後腐れない恋物語のほうが気楽に聞けそうだと思うのに。

試しに、「では…カイス殿の情け容赦ない脅しの数々は知りたいですか?」と尋ねれば、花嫁の顔はたちまちパァと輝き、振り返ってアズハル様を伺っている。

喜色満面な様子の花嫁に優しい表情を浮かべたアズハル様はもちろん反対などするはずもない。


「ハルク、その話題は小出しで頼む。イリリア、ゆっくりと慣らしていこう」


「はい。不整脈が起きなかったら恋物語に挑んでもいいですか?」


「そちらも慎重に…様子を見ながらがいいだろうな」


ツッコミどころが多い会話を聞きながら、本当に話しても良いのだろうかと背後のラウダさんに視線をやれば、目が合ったことで軽く頬染めつつ、にこ…とよそ行きの表情で微笑み返されてしまった。

これはいよいよ報復がやばそうだと思っていると、アズハル様がさらに特大の爆弾を投下してくる。


「これまでの出来事もあり、花嫁の周辺に置く人材は慎重に見極めたいと思っている。ゆえに暫くは、花嫁との関わり方も含めて報告を上げてもらうつもりだ。ハルクに関する報告はラウダに任せることにしている。報告の場にはカイスを同伴させるから、命が惜しいなら色々と慎むように」


「……別に報告必要なくないですかね?」


「問題ないと判断すれば早々に切り上げる。サディオの報告はシャイマとルゥルゥが担うから不公平ではないだろう?」


カイス殿を同伴させる時点でとても不公平だと思うが、サディオ殿は娘と妻(しかも厳しいと有名な元女官長殿)から言動を見られるのだから、ある程度公平なのかもしれない。



それから暫く離宮の警備体制や王宮関係の話をし、殆ど聞き役に徹していた花嫁の意識が落ちかけたところで解散となった。

昼休憩のあとから離れの警備に付くよう指示を受け、このまま短時間の午睡に入る花嫁を抱えて寝室へと消えていく背中を見つめる。


滲む幸福の向こうに、それを脅かさんとする者の影を一身に引き受けようとする健気さを垣間見て、改めて身を引き締める。


花嫁の離れを出たところで、不穏な気配を纏ったカイス殿と鉢会わぬよう全力で兵舎へ戻ったのは言うまでもない。













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