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22.5(幕間)巣立ちと協働

▽シャイマ視点





緑豊かな土地で、手を繋いで歩く若いおふたりの姿を遠巻きに見る。


日差しよけのベールを被った少女は、低木の実りを指さして首を傾げた。

隣を歩く高貴なる姿の男性が、身を屈ませて指さしの先を確かめている。



「この実も食べられるんですか?」


「熟したものは甘いから問題ないだろう」


ひょいと少女が摘み上げたのは真っ赤な実。

「あ。」と男性が呟いたのと、少女がその実を口に入れたのはほぼ同時だった。


「すっぱい!!」


舌先で実を潰してしまったのか、口を開けた少女が小さな悲鳴をあげる。


「あああ……ラナー、水を持ってきてくれ」


男性は胸元から手拭きを取り出すと実を吐き出すように促し、侍女に水を取りに行かせた。少女は手元に届いた水をひとくち飲むと、「酸っぱかったです」と不満そうに呟いた。文句を言われた男性は腹を立てるでもなく困ったよう微笑んでいる。


「赤いのを食べたからな…赤い実は未熟な果実で、熟れると黒くなるんだ……これはどうだろうか」


男性が摘み取ったのは黒々とした実で、少女は「食べれるんですか?」と僅かに警戒を見せたが、男性の目をじっと見たあとにぱくりとその実を口にした。


「甘い………でも、種が苦渋いです」


「ん?そうか?味覚の違いかもしれないな……」


飲み込んだあとに小さく顔を顰めたらしい少女に首を傾げながら、男性も黒い実を口にする。

種族によって味の感じ方に違いがある可能性が浮上し、口にするときには注意が必要そうだなと頷いている。

一度離していた手を繋ぎ直して、再びゆっくりと歩み始める。

少女が「アズハル様」と男性の名を呼ぶと同時に指さした草を見ながら、男性は「惜しいが違う草だな」と優しく微笑んだ。


「よく似ているのに…」


「その隣の草が探しているやつだな」


「見分け方があるんですか?」


「葉の裏の色が少し違うんだ…こちらも食べてみるか?」


「……甘いですね。隣の葉っぱより甘いかも」


もぐもぐと差し出された細長い葉を躊躇いなく口に入れる少女に、いつでも吐き出せるよう男性は再び手拭いを用意する。咀嚼を終えて、甘くて美味しかったですと頷いたことで、やはり味覚に多少の違いがあるのだと結論づけた。


「これは竜人からすれば物凄く甘い部類だ。昔ルトフが食べた時は、甘すぎて悶えていた」


「アズハル様も苦手なんですか?」


「悶える程ではないな…甘いものは好きだし、子どもの頃から噛んでいたからな…」


草を摘んで口元へ「あーん」と差し出してくる少女に、男性は溶けるように甘い眼差しを向けている。



本日の予定を聞いた際に「草を食べに行く」と聞いた時は耳を疑ったが、散歩をしながら思い出の草を食べるために此処へ来たのだと説明された上に、実際にその光景を目の当たりにしたからには信じないわけにはいかない。


シャイマは隣に立つ、自分と同じ背丈の少女に目を向けた。

成人してからまだそう経たないのに、短い期間でさまざまな経験を積んだのか、最後に見た日よりもずっと大人びた表情をして見える。


「……随分と仲睦まじくお過ごしなのね」


「距離が近く思えるかもしれませんが、おふたりにとっては適切な距離感ですので見咎められませんよう…」


その言葉に、再び視線を元に戻す。

陛下がよく王妃殿下を南にお誘いになるのはおそらく、こうした安穏とした時間をお過ごしになりたいと思っての事だろう。けれども残念ながら、王妃殿下はあまり、こうした時間を楽しまれる方ではない。


(草食の獣人でもないのに草食デートにお付き合いなさるというから、王族相手に媚びているのかと思いもしたけれど…)


考えすぎだったわね…と、全身に幸せを滲ませるふたりの姿に小さく肩を竦める。


夕焼けの鑑賞で身体が冷えてしまい熱を出した花嫁は、昨日は丸一日寝台で過ごした。

熱が下がった今日は午前中にデートを済ませ、午後に礼儀指導。

明日の午前中に竜車で離宮へ戻り、半日ほど休んだのち、翌日に衣装や儀式についての打ち合わせを済ませ、謁見当日を迎える。


あまりに過密なスケジュールに難色を示したのは隣に立つ少女で、花嫁の主治医を務める彼女は「ご無理なさいませんよう」と何度も念を押していた。

プライドの高い王妃殿下であれば、いい加減うるさいわねと一蹴されるであろうところを、第二王子の花嫁は「心配してくれてありがとう」と穏やかに受け止めていた。


第二王子であるアズハル様も花嫁の体調をしきりに心配するため、何か懸念でもあるのかと事情を伺えば、これまで幾度も体調を崩し、時には命の危険さえ感じることもあったという。

吐血したことも眼底出血により二週間程視力を失ったこともあると聞き、そういう事ならふたりが過分に心配するのも致し方ないかと思ってしまう。

むしろそのような困難に見舞われながらもよく、天上まで至ってくれたものだ。


「お母さんは……」と隣の少女が口を開く。


職務中ですよと咎めようかと思ったものの、先ほどアズハル様が「会うのは正月以来だろう?目は離さないで欲しいが、親子の時間を過ごすといい」と言い残して離れたため、今は母親としてその声掛けに応じることにした。


どうしてもまだ子どものままのように思ってしまうが、主治医として花嫁の体調と向き合ってきたのであれば、横顔が頼もしくなった事にも納得がいく。

娘のルゥルゥからの問いかけは、何故王宮を離れて南の離宮に来たのかという事だった。


「私がお花様の主治医になると決めたから来てくれたんだよね…?もしかしてそれって、お花様が人間だって聞いたから?」


「……そうね。もし、気難しい人物であれば、行儀指導のなかで矯正していけるものもあると思ったのは確かだわ。でも、それだけじゃないの……お父さんの事が羨ましくなったのよ」


「……お爺ちゃんのこと?」


そういえばルゥルゥの前では、夫のことも『お父さん』と呼んでいたことを思い出す。

情けないことに、子どもを産んだあと、王妃殿下からの要請で王宮へ戻ってからはあまり母親として接する時間を持ってあげることができなかった。


ルゥルゥにもわかりやすいよう、お爺ちゃんと言い直す。

お爺ちゃんの何が羨ましいのだろうと不思議そうに首を傾げる娘に、小さく苦笑を返した。


「私もサディオもお婆ちゃんも皆、王宮勤めだから、あなたをお爺ちゃんに預けて行くことが多かったわ。あなたにも女官として王宮で働いて欲しいと望んだこともあったけれど……結局、お爺ちゃんの影響で医者の道を選んだでしょう?

アクラム様のご子息であるアクル様の花嫁の主治医になってくれれば或いは…と思っていたけど、アズハル様の花嫁が先においでになったから…」


自分勝手な主張だとは理解しているものの、自分の娘が不遇の王子の近くにいる事を危ぶむ気持ちはずっと持っていた。ただ、自分たちはあまりに陛下や王妃に近すぎて、娘を王宮の近くに置いておくと政治的な陰謀に巻き込まれる可能性が非常に高かったのだ。

第二王子の周辺は陛下によって厳重に警備が固められている。スハイルから、儂が預かっておくのが最も安全じゃろうと説得されて娘の安全の為にと預けていたけれど、花嫁を見つけたアズハルから主治医になって欲しいと請われてそれを承諾したと聞かされた時は気が遠くなる思いだった。


(私が王妃殿下の近くにいる以上、もう二度と…娘と会えない可能性だってあった…)


第二王子やその花嫁の動向次第では、王太子らと敵対しかねない。そうなれば、娘と顔を合わせる数少ない機会さえ失われる可能性もあった。


ひやりとしたのはつい先日のこと。王太子殿下の派遣した女官のせいで、第二王子の花嫁の身に危険が及んだという報告を受けた時だ。

わざわざ王宮を訪れたアズハルが、女官が花嫁に不適切な指導をしていると不満を告げに来たその日に事件は起きたようで、王子の不在を狙ってぶつけられた悪意の顛末を聞かされた時、血の気が引く思いだった。


まだ花嫁が天上に至っていないのであれば間に合うと思い、スハイルに掛け合って『ルゥルゥを花嫁の主治医にするのは断って欲しい』と告げたものの、お前たちも自分の好きな場所で好きな仕事をしているのだから話し合いも説得もなしにルゥルゥの目標を取り上げることは許さないと拒絶され、頬を思いっきり叩かれた心地だった。


「自分の仕事は好きだし誇りを持っていたけれど、あなたがこの先も目の届かないところに……お爺ちゃんの隣に居続けるのだと思ったら急に寂しくなって、お爺ちゃんのことが物凄く羨ましくなってしまったのよ」


引退するには早いと言われたけれど、子どもの成長を見るには遅すぎたくらいだ。


「長い間、寂しい思いをさせてごめんなさいね」と今更ながらに謝れば、

「うーん…医学書とお爺ちゃんの医者仲間から聞くお話のおかげで、あまり寂しくなかったかも」と返され、身勝手な物寂しさが胸に去来する。


「それに同世代の友だちはいなかったけど、アズハル様も気にかけてくださったし、南の離宮へ移ってからはラウダも話しかけてくれたから…」


「でも小さい頃は確かに、毎日親に会える子のことがちょっと羨ましかったかな」と付け加えられて、娘が幼い頃の自分を客観視できるくらいに大きくなっているのだと改めて知る。

失った時間を取り戻すことはできないけれど、それでも、この先何か支えになれることがあればと思ってしまう。



第二王子とその花嫁は散歩がてら滝雲を見に行くことにしたようだ。その後ろ姿を見失わないよう程よい距離を保ったまま同行する。

山際に立って滝雲を覗き込もうとする花嫁を懸命に引き留めようとする王子の姿が何とも平和だったが、心臓に悪いからと早々に草地へ戻ることにしたらしい。


岩の隙間に生えている苔や地衣類の説明も難なくこなす王子に、花嫁は尊敬の眼差しを向けている。

王宮で何度か耳にした『棘を抜かれた温室育ち』という嘲笑混じりの評価を思い出す。

催事などで見かける第二王子の目はいつも虚ろな色をしていたから、こんなにも穏やかに優しく笑う様は想像したこともない。



「実はね、アズハル様には三十年くらい前から、花嫁の主治医になって欲しいって声を掛けてもらってたの」


「三十年前って……貴女まだ未成年じゃない」


「そう。ちょうどお爺ちゃんに習って医学の勉強を始めたくらいの頃……もちろん、ただの口約束で、他に仕えたい人が見つかればそちらを優先して良いって言われてたし、私ならきっと王宮でも通用する良い医者になるだろうって励まして貰えたけど……」



「お母さんはアズハル様と王太子殿下の賭けのことは知ってる?」と言われ、いいえと首を横に振る。

異母兄弟のふたりは仲が悪いわけではないものの、政治的な理由で親密な距離感で接することはなかったはずだ。ましてや賭けをするなど、内容によっては大問題になりかねない。

賭けというか一方的な約束かな…祝賀の席で、殿下も随分とお酒を召されていたらしいんだけどね…と前置いたルゥルゥは、成人の儀で竜人族の中から花嫁を見つけることが出来たら王宮に部屋をやろうって言われたそうなのと口にした。


「それは……あまりに酷ではないの?それに、あの一族の血筋が王宮内に住むなんて、王妃殿下がお許しにならないでしょう」


「その辺の事情は私にはわからないけど……ずっと僻地で蟄居させられていたアズハル様からすれば、すごく魅力的な言葉だったんだろうね。儀式のために王宮へ向かう日は朝からとても緊張しておいでで……戻られた時の落胆っぷりはすごかったもの」


それはそうでしょうね…とあまりにも酷い賭けの内容に眩暈さえする。

よく諍いにならなかったものだわ…と、王妃殿下の元に長く居た者としてその時の危うさをひしひしと感じる。

陛下が密かに仲介に入られたのかもしれないが、万が一にも恨みを募らせて王太子への叛意を抱いていたならば、王宮内は今よりもずっと殺伐荒涼としていた事だろう。



花嫁から抱っこを求められたのか、躊躇いなくその身を抱える王子へ視線を向ける。

不遇と称されながらも、王宮から離されていたため実際にどのような境遇に身を置き、どのように育ったのかはあまり知らない。

誰も彼もが陛下の耳の届かぬところで悪意を囁くのを聞き流しながら、そんな王子の元に自分の娘が居ることを気にするばかりだった。



「天上どころか霊峰中探しても花嫁が見つからなくて……半分くらい諦めてしまっているアズハル様を見ていたら、どうにかしてお支えしたいって気持ちが強くなったの。

侍女になろうかと思ってお爺ちゃんに相談したら、医者を目指すのはどうだろうって助言をもらって。そしたら、花嫁が見つかった時に誰よりも助けになれるからって。

お母さんには悪いけど、私はずっとアズハル様の花嫁の主治医になるために頑張ってきたの。だからたとえアクル様の花嫁が先に見つかっていたとしても、王宮に行くつもりはなかったよ」


「そう……」


娘から女官ではなく医者を目指していると聞いた時、それならばアクル様の花嫁探しの前に一人前になれるわねと思ったのは、全て自分勝手な思い込みだったのだと思い知る。

最初から第二王子やその花嫁のために学んでいたというのなら、ルゥルゥは今まさに、目指していたところに辿り着いたところなのだろう。



娘の本当の夢を知らなかった事を恥じるよりも、夢が叶った場所で、共に居られることを嬉しく思うべきだわと姿勢を正して視線を上げる。



花嫁を抱え続けている王子が救いを求めるようにこちらを向いた。よく見れば、空いている方の手で懸命に花嫁の背中をさすっているようだ。

慌てて駆けて来たラナーの顔も切羽詰まっている。



「ルゥルゥ…!イリリア様が吐きそう…!色んな草食べすぎたって!!」


「大変!行ってくる…!」



大慌てで花嫁の元へ駆け出したルゥルゥは、小さく振り向くと「言い忘れてた!」と声を上げた。


「お母さん、私も、一緒に居られるようになって嬉しい!」


声はすぐに風に流れてしまったけれど、胸が苦しいほどに熱くなる。


気持ち悪そうに俯く花嫁を診察する娘の横顔は頼もしいばかりで、王子からも花嫁からも信頼を寄せられている姿に、安堵と喜び…そして僅かな寂寥感を抱く。


「………あの人が見たら泣いてしまうわね」


王宮で陛下の近衛を務める夫の事を思いながら、知らぬ間に大きく成長していた娘の姿を目に焼き付けた。






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