21. 出迎えの雷鳴と星見の揺籠
▽視点の変更あり
▽イリリア→ルゥルゥ→イリリア
「………。」
重い目蓋を押し上げる。
見上げた天井は僅かに見覚えがあった。
どこで見たんだっけ……と朧げな記憶を辿りながら、小屋で寝ていたベッドよりも柔らかな布地の寝具たちに身を委ねる。
(そうだ………また、大滝雲を遡って……)
ひとまず再順化は済んだものの、珍しく天候が荒れているとかで遡上する機会がなかなか得られなくて……
難しい顔をしたアズハルが、何度も上空や滝雲を見つめていたように思う。
結局、小屋付近の天候も暫く荒れるだろうという予測になったため、アズハルが少し強引に雲を動かして安全を確保しつつ、大滝雲へ挑むことになったのだ。
最初の時よりも順化は万全で、リヤーフたちのお陰で体力も付いていた。
気流の乱れによって雲の中が想定外の状態にならないか……それだけが、懸念事項だった。
(………何だか一瞬、お花畑を見たような…)
荒天の雲中は初めて挑んだ時よりも厚い雲が重く垂れ込め、身体にのしかかる圧と息苦しさが増していた。
とはいえイリリアは目を閉じて身を委ねるだけで、アズハルにお任せ状態であることは変わらない。
ただ、不穏な気配と共に、耳元で唸るような低い風音と、遠く意識の向こうに紫の花が点々と咲く場所を見たような気がした。
そこに座していたのは、白い………
「……イリリア様?」
目が開いていることに気づいたのか、覗き込むようにラウダの顔が現れた。
思考は霧のように散り、代わりにここは天上の離れなのだと思い至る。
「………おはようございます」
「おはようございます。ああよかった…!六日もお目覚めにならないので本当に心配いたしました!」
晴れやかな表情になったラウダは、背後に声をかける。
ハキハキと喋る姿が何だか懐かしい。
「ラナー、アズハル様にお声かけを」
「呼んでくる…ます!」
姿は見えなかったけれど、ラナーの可愛い声とパタパタ駆けて行く足音が聞こえる。
ちゃんと天上に居るんだなぁと思えば、ふぅと全身の力が抜けていく。
ラウダの横からひょこりと顔を出したのは、順化の間ずっと寄り添っていてくれた主治医のルゥルゥで。
「お加減はいかがですか?」
「ルゥルゥ……どこかで雷が鳴りませんでしたか…?」
不思議な夢でも見たのかしらと問いかければ、ルゥルゥは少しだけ困った表情で頷いた。
「実は、大滝雲を遡上している最中に、雲の一部が電気を帯びまして…」
「……感電した?」
「いえ。雷雲に触れぬようにと少し速度を上げたため、ご負担が大きくなってしまったかと……」
申し訳なさそうに謝ってくれたけれど、ルゥルゥやアズハル様が怪我をしていないのであれば問題ない。とはいえ、五日以上眠り続ければ命の危険もあると言っていたから、気を揉ませてしまったのは確かだろう。
(雷の音…まるで咆哮みたいだった……)
唸るような風の音と低く轟く雷の声。
今回は雲を抜けた後も目覚めることなく眠っていたせいか、初めて天上へ至った時のような感動は湧き起こらなかった。どちらかといえば、生き残ったなぁとしみじみ感じるくらいだ。
ラナーと共に寝室へ入ってきたアズハルは、寝台で目を開けているイリリアを見て深い安堵の表情を浮かべた。
「おはようございます」
「おはよう。よかった……目覚めないし寝返りも打たないから心配した」
寝返りで判断しないでって言ったのに……という小さな不満と同時に、ちゃんと戻って来れて良かったという思いが胸に満ちる。
(アズハル様を見ていると胸が和らぐわ……)
触れられるのも好きだけれど、その眼差しを受けるだけでも心が柔らかくなる。
ふぅ……と深い息を吐く。
寝台の横に置かれた椅子に腰を下ろしたアズハルが、そっと手を握ってくれる。
白い髪が揺れて、記憶の奥底の白と重なった気がした。
(寝ているあいだにアズハル様の夢でも見たのかしら……)
竜に変じた姿を見たことはない。
けれども、想像上の竜を白くして瞳の色を濃紺に変えれば、こんな感じかなと竜になった姿を思い描くことはできる。
(竜の姿にも個体差はあるのかしら……)
身に宿す色彩と体格差以外に、個人を見分ける方法はあるのだろうか。
そんな取り止めのないことを考えながらまだ重い身体を柔らかな寝具に沈める。
気づけば、意識は再び眠りの底へ沈んでいた。
▽
二度目の遡上は、記録で見た一度目に比べると遥かに多くの困難に見舞われた。
霊峰の山頂付近で珍しいくらいに悪天候が続き、大滝雲の行き来が困難な状況が続いたのだ。
お花様の支度は十分に整えられていた。
『滝壺』付近での順化は既に終えており、食事量も十分であった事から体力面での懸念は少なかった。
問題はいつ天候が戻り、雲を遡れるかということだけ。
アズハル様が細やかに雲の動きや空模様を追っていらしたものの、今後はより一層荒天になるだろうという予測で。
小屋に留まるうえで心配事がひとつ。暫くのあいだ天上へ戻れていないため、このままでは食事である霊草が尽きてしまうということ。
竜人の食事量は比較的少ない方だが、さすがに滝雲を昇る前にはある程度満たしておきたいし、お花様にとって霊草の不足は致命的になりかねない。
苦渋の決断で、悪天候の隙間を縫って遡上することに決めたけれど、滝壺は風雪と氷雨で荒れ、飛び込んだ雲の中は暗澹としていて視界は不良。
天上で生まれたルゥルゥにとって、滝雲の遡上はこれが二度目の経験だった。
天上への侵入を拒むかのように厚く重く垂れ込む滝雲へ挑むのは当然ながら初めてのこと。
危険を感じた場合は一度戻るようにと言付けられていたものの、アズハル様の竜影を追いながら必死に付いて行く。
途中、暗雲の中で小さく電気が迸った。
お花様を抱えたアズハル様は速度を速め、電気を貯め込んだ雲の塊を避けるように大きく蛇行する。
随伴を諦め自身の安全確保を優先して、押し潰されそうな圧のなか、流れの激しい滝をぐんと昇る。
命からがら上へ到着すると、先に着いていたアズハル様が懐に納めていた布で丁寧にお花様の顔を拭っているところだった。
人型に戻り、ふらふらの身体を叱咤しておふたりの元へ近寄る。
お花様の名前を呼びながら頬を撫でたり濡れた衣服の上から背中をさすったりしても、その目が開くことはない。
俄かに顔色を悪くするアズハル様の隣に腰を下ろして脈を取る。
遡上の際、命を守るために生命活動が限りなく小さくなることは記録として残されている。指先に集中して耳を澄ませれば、皮下に僅かに脈動を感じた。
「脈はあります」
「わかった。一度父上の実家の方で着替えを済ませ、休息を取ろう」
正直、もう立つことすら億劫だが、ここで座り込むわけにはいかない。
時間差で昇るようにと指示されていたドルバが滝雲を突き抜け、人の姿に戻るとアズハル様の元へとやって来る。アズハル様は先ほどの指示をもう一度口にされると「先に行く」とお花様を抱え上げて足早に歩み始めた。
追いかけようにも脚が棒きれのようだ。今にも座り込みそうなルゥルゥの身体をドルバが支えてくれる。
「大丈夫か?さすがに抱えるだけの体力は残ってないが、肩を貸そう」
「ありがとうございます……やはり王族の方の飛翔力は違いますね…」
「初めて滝雲を遡上なさった初代竜帝陛下の血筋だ……白き髪を継ぐあの方々でなければ到底、花を天上へ至らせることは出来ないだろうな」
順化の最中の霊草の調達に、花を抱えての大滝雲の遡上。
もしもルゥルゥが自分の伴侶を抱えたまま雲中に飛び込めと言われたら……途中で力尽きて落下するのは必至。
大滝雲を上りきったあとにすぐに動けてしまう王族の体力と飛翔力には感服するばかりだ。
ドルバに支えて貰いながら霊草の茂る小道を歩く。
付き添ってくれるのはありがたいが、護衛役が護衛対象から離れたままで良いのだろうかと思っていると「あの速度で行かれてはどう頑張っても追いつけない」と首を横に振られる。
アズハル様の父君でもある竜帝陛下のご実家は霊峰の南端にあり、滝雲の始まりにほど近い所に位置する。
幼少期をここで過ごした彼にとっては我が家も同然の場所で、周辺を哨戒する警備隊士の中には顔見知りも多い。陛下のご両親と縁深い者たちで中心に編成された警備隊は、なかなかの実力者揃いだ。
天上へ着いたら彼らを伴いつつ屋敷に戻ると事前に告げられていたようで、「私はルゥルゥを助けるよう言われている」とドルバは引き摺らないよう歩調を合わせて歩いてくれる。
一度目の遡上で同行したカイスも、アズハル様の護衛を周辺の隊士に託し、ラウダを支えて離宮へ戻ったそうだ。
ルゥルゥも主治医としてお花様のそばに居るべきところだが、今は立っているだけでもやっとの状態。
ただ、医者としての職務以外にも、お花様の身なりを整えるなど男性には任せられない仕事もあるため、出来る限り早く向かわなければと気が急いてしまう。
途中で行き合った警備隊士のひとりが、アズハル様は他の隊士を伴って先に屋敷へ戻られた事を教えてくれる。
それから、今日は見張りの人員が足りているからとルゥルゥの身体を横抱きに抱え上げてくれた。
不意の出来事にオロオロするルゥルゥに、ドルバは「気にせず甘えておけ」などと言う。
隊士は「落とさないから安心してくれ」と小さくウィンクをした。
「スハイル爺さんの孫娘だろう?爺さんには昔から世話になってる」
「すみません…滝雲を遡るだけで体力が殆ど尽きてしまって」
「それが普通の反応だよ。今日は雲の機嫌も悪いようだし、落ちなかっただけ良かった。屋敷には侍女がひとり待機しているから、お嬢さんは着替えたあとそのまま休息に入っていいと伝言を受けている。相変わらずお優しい方だな」
花嫁が心配で堪らないだろうに、ルゥルゥに休んで良いと言ってくれるところがアズハル様らしい気遣いだ。
結局、抱えたまま部屋の前まで送り届けてくれた隊士に礼を告げて、身体を拭いて着替えを済ませると、少しふらつきながらお花様の寝所へ足を向ける。
同じく着替え終えたのか、廊下を歩いていたドルバから「休まないのか?」と聞かれたため、お花様の診察をしてから休みますと告げておく。これからアズハル様に報告へ向かうのであれば、ついでに伝えてくれるだろう。
お花様に宛てがわれた部屋の扉を一定のリズムでノックすれば、ラウダが顔を出した。
「あら…休んでいいという伝言を聞かなかった?」
「聞いたけど、必要最低限の診察だけでもしておかなきゃと思って」
「助かるわ……出来る限り記録は取ったけれど、わたくしでは見落としがあるかもしれないから」
室内に入れば、温かな布地の衣装に包まれたお花様が姿勢良くベッドに横たわっている。
その顔は白く、意識を失っているだけだと分かっていても、万が一を考えると背筋が冷たくなる思いだ。
ラウダの取ってくれた記録を読み、お花様の状態を確認しながらより詳細な情報を書き足していく。
ひと通りの診察を終えるのを見計らって「少し休んで行きなさいな」と白湯と椅子を用意してくれたラウダ気遣いに甘えて腰を下ろせば、彼女も隣の椅子に腰を下ろした。
「わたくしはお花様のお顔を拝見するのは、吐血なさったあの日以来でしょう?今は眠っておられるし、何だかあの日の延長のように思えてしまって……下ではどんなご様子だったか聞かせてくれる?アズハル様とは和解なさった?遡上を躊躇うような素振りはあったのかしら…」
不安気に揺れるラウダの空色の瞳を見ながら、ポツポツと下での事を話す。
とはいえ、お花様の心を聞き出したのは自分ではない……臨時で来てくれたリヤーフという青年だ。まだ成人前と聞いたけれど、自身の役目をしっかりと把握して必要な振る舞いをする姿は、頼もしいばかりだった。
「アズハル様とは細やかに話をされたようで……これまで誰にも伝えておられなかったお花様の地上での生活のことも、多く共有なさったみたい。ふたりのご様子は仲睦まじいばかりで、身体の回復も順調で、順化や遡上を嫌がる様子は見られなかったかな」
「そう……よかったわ……嫌がるお花様を無理やりお連れしたとなれば、どんな事情があれどやはり、アズハル様は気になさるでしょうから」
「アズハル様はご自分の事を傲慢で身勝手だと責めておられたけど、お花様がアズハル様を強く拒絶するお姿は見なかった。遡上に対しても比較的前向きに過ごされているようだったし、どうやら天上でデートをする約束をなさっていたみたいで」
「デート?」
「お出かけの約束かな。お花様から改めてお誘いを受けたこともあって、アズハル様は今、その約束を果たそうという使命に燃えておられるみたい」
「あらまあ、それは張り切ってしまうわねぇ」
くすっと笑ったラウダに、笑い返す。
お花様は決して底抜けに明るい方ではないけれど、アズハル様の気持ちの向きを変えることに非常に長けておられる。慰めるばかりでなく、甘えるように甘やかすのが得意なのだろう。
「離宮へ戻ったらラウダの恋物語を聞きたいと仰せだった」と告げれば、「わたくしの!?」と驚いたラウダは、なぜか夫のカイスとの話ではなくルトフ様へ片想いしていた頃を振り返ったようで、恥ずかしいわ…あの頃は若かったのよ…と頬を染めた。
ついでに滞在用の小屋でルトフ様にお会いしたことや彼がラウダの事を覚えていたことなどを話せば、目元を染めて静かに大興奮していた。
翌日に離宮へとお連れしたものの、お花様は一向にお目覚めにならなかった。
四日経っても目覚めの兆候すら見られないことにアズハル様は不安を募らせておられたし、私も最悪のケースを想定してしまっては、何度もお爺ちゃんへ相談しに行った。
そして六日目、ようやくお目覚めになったイリリア様に、皆が皆、胸を撫でた。
ラナーが大急ぎでアズハル様を呼びに行き、私は簡単な診察を済ませる。
瞼は開いているものの、まだどこか夢うつつのようで、身を起こすほどの元気はないのか横になられたまま滝雲の中での出来事をぽつりぽつりと質問される。
やがて部屋を訪れたアズハル様が深く安堵の息を吐くのを眺めながら、記録を書きつけようとした時だ。
「………イリリア?」
案じるような困惑するようなアズハル様の声に、「どうなさいました?」とラウダが尋ねれば、困り顔のアズハルが半身振り返った。
「いや……また寝てしまったようだ」
え?とラウダと共に覗き込めば、アズハル様に手を握られたまま再び目蓋が閉ざされている。
呼吸は安定していて、脈も体温も正常。気絶ではなく休眠であると判断する。
殆ど言葉を交わせなかったアズハル様は少しばかり寂しそうだったが、一度目の時も覚醒後あまり時間を置かずに寝てしまったそうで、暫くは傾眠状態が続くかもなと納得されていた。
それから幾日かを経て。
「………おはようございます」とまだ眠そうな目をどうにか開きながら身を起こしたお花様に、おはようございますと返す。
けふん、と咳をなさったため、湯呑みに白湯を入れて手渡す。
「すごくたくさん……寝ていた気がします…」
「遡上後六日目にお目覚めになったのは覚えていらっしゃいますか?」
「雷の話をしたような……」
「その二日後にお目覚めになった事はどうでしょう」
「全然覚えてません」
「おはようございますとご挨拶をして、白湯を飲まれたあと、アズハル様が来られる前にまたおやすみになりましたので……」
六日の眠りから覚めたはずのイリリア様が再び眠り続けていることにそわそわしていたアズハル様は、二度目の目覚めを告げに来たラナーをひょいと持ち上げ大急ぎで離れへとやって来た。
…が、イリリア様は再び夢の中に戻っており、言葉を交わすことすら出来なかった。
「今は……」とぼんやり周囲を見渡すイリリア様に「遡上して十日と半日経っております」と告げれば、少し困ったように眉を下げられてしまった。
「……アズハル様が泣いてそうな気がします」
「かろうじて泣いてはおられませんが、気を揉んでおいでですね…お呼び致しますか?」
問いかけと同時に、お花様のお腹からきゅうぅぅ…と哀愁に満ちた悲鳴が聞こえた。
天上へ来てから十日と半日、白湯以外を口にしていないのだから当然のことだ。むしろ、よく体力が保ってくれたものだと、長く続いた休眠状態を奇跡のように感じてしまう。
「その前に…ご飯を少し食べたいです」と気恥ずかしそうに告げたお花様に「ご用意致しましょう」と微笑みかける。
アズハル様をお呼びしたい気持ちもあるが、再び傾眠状態に陥る前に少しでいいから食事をしてもらいたい気持ちの方が勝る。
ちょっと渋い顔で「なんだか懐かしい味…」と霊草を食べ、絶望的な顔で栄養価の高い霊草の搾り汁を飲まれたあと、ようやくアズハル様とのご対面となった。
ラナーを小脇に抱えて走ってきたらしいアズハル様は、身を起こして白湯を飲むお花様の様子に何度目かもわからない安堵の息を吐く。
そんなアズハル様をベッド脇に呼び寄せたお花様は、手を伸ばして白い高貴なる髪を遠慮なくわしゃわしゃと撫でた。
ツノを隠す竜人にとって、頭を差し出すことは身を委ねることに等しい。
ましてや王族だけが持つ白き髪は尊いものとされ、櫛を通す役目を許されることさえ最上級の誉れとされる。
そんな高貴なる髪を両手で乱雑に掻き乱し、撫でるように手櫛で整える姿は、一般的な竜人にとっては到底信じられない光景。
初めて拝見した時は喉から心臓が飛び出るほどに驚いたものだが、リヤーフから「霊峰に来た最初の頃からやってますよ」と聞いて、おふたりの大事なコミュニケーションなら……とどうにか納得し、飛び出した心臓を収めた次第だ。
今は隣に居るラウダが目をひん剥いて硬直しているから、後ほど説明しておいた方がいいだろう。
むしろラナーが何の反応も見せていないことが凄いとさえ思える。
しばらく頭を撫でられていたアズハル様は、気恥ずかしそうな顔をしながらイリリア様の頬を指の背で撫でた。
その距離感も、竜人から見ればひどく親密だ。
「また後ほど改めて枕を持って来るが……今夜は共寝の許しをもらえるだろうか。今度は何があっても、決して出て行かないから」
「……私が破廉恥に襲いかかっても出ていきませんか?」
「ん!?」
「今日はたっぷり触れ合いたい気分なので…」
小首を傾げたお花様に、苦笑しながら「それは困ったな…」と呟いたアズハル様は、「どうかお手柔らかに頼む」とその額に唇を寄せた。
おでこに口付けを受けたイリリア様は至極嬉しそうに微笑まれて。
幸せそうなおふたりの様子に嬉しさが募る一方で、一般的な竜人族ではありえない距離感と触れ合い方にどうにも気恥ずかしくなってしまう。
そっとおふたりから視線を外せば、隣のラウダの顔がすごい事になっていた。
(驚きと恥じらいと喜びと……興奮?)
感情の大渋滞が起きているラウダの隣に居るラナーは相変わらずのポーカーフェイスで。
この顔ぶれでこの先お花様をお支えしていくのよね…と思えば、何だか小さな笑いが込み上げてしまった。
▽
「一晩で艶々になるものですね…お花様がお目覚めになるまでは萎びた葉っぱのようでしたのに」
しみじみとしたラウダの呟きに、そんなにしょんぼりしていたんだなと昨夜久しぶりに共寝をしたアズハルのことを思う。
二度目の遡上のことやイリリアが眠っているあいだの事などを聞きながら、心配をかけてしまったお詫びに頬や目元に何度か唇を寄せ、当然ながら花印のある胸元にむぎゅっと抱え込んで眠った。
明け方には、久しぶりに盛大な寝返りをうったイリリアを見て過分に喜ぶアズハルへ説教を施し、服が捲れたついでにと背中の花印と少しばかりの触れ合いをしてもらったあと仲良く二度寝に至った。
ラウダが起こしに来るまで深くしっかりと眠っていたアズハルは、艶々ご機嫌な様子で執務棟へと向かって行った。
王子様でありながら萎びた葉っぱと表現されてしまうところがなかなかアズハルらしいと思いつつ、朝食を終えたイリリアは、まずはラウダとラナーとルゥルゥに、吐血騒動によりたくさん心配を掛けてしまったことを謝った。それから、今後もよろしくお願いしますと改めて天上での生活を支えて欲しいとお願いをした。
三人ともそれぞれに優しく受け入れてくれて、ホッとひと安心したところでまた強い眠気に襲われ、その日は殆どを寝て過ごした。
覚醒時間を徐々に伸ばしながらも、数時間起きているのがやっとな生活を十日ほど繰り返し、ようやく半日以上起きていられるようになった頃、アズハルからとても嬉しい提案があった。
「ラウダ、今日一日起きていられたら、アズハル様が明日お屋敷に招いてくれるそうです」
「まあ。ではお屋敷のほうを整えておかなければなりませんね。ですが、一日中起きているのはまだ…」
「朝昼二回の一刻程度のお昼寝は許容範囲らしく、ひとまず三度の食事をとれたら合格だと言われました」
随分妥協されているとわかっているが、それでも今の自分にとってはクリアできるかギリギリのところだ。
昼寝のつもりで目を閉じたまま夜中まで寝続けてしまうこともあり、そんな日は大抵、寝室の続き間である私室のカウチでアズハルが眠っている。
いつでも許可状態なのだから勝手に寝台へ上がって良いと言っているのに、お作法を重視するアズハルにとっては譲れない一線があるようで、かといって離れて眠ると吐血事件の恐怖が蘇りうまく眠れないらしい。
困った人だなぁと思えど、それだけ心配して大事にしてもらえる事が嬉しくもある。
「お屋敷では何かご予定がありますか?」と問われたため、かねてから約束していた星見をするのだと告げる。
「外で見るのは寒いからと、天窓越しに星を見せてもらう約束をしていて。そのままお屋敷に泊まって良いと言われているのですけど…」
「天窓のお部屋には寝台がありませんので……おやすみになるのは客間とアズハル様のお部屋、どちらが宜しいでしょう?」
答えなどわかりきっているだろうに、それでもお茶目に聞いてくれるラウダに、マナー違反にならないのであればアズハルの部屋がいいと正直に伝える。
王子様なアズハルがこれまでどんな部屋で過ごしてきたのか、とても気になるところだ。
「お屋敷の方は今はあまり使っていないと聞きました」
「そうですね……今は執務の合間の休息時間も眠る時もこちらへおいでですから、殆ど使われていないかと。スハイル翁や一部の部下は、屋敷の方に一室を貰って過ごしている者もおりますよ」
「ラウダとカイスさんは一緒に暮らす家があるんですか?」
「お屋敷のそばの離れをひとつ整えて下さいました。とはいえ互いの仕事柄、そちらで過ごすことは少ないですわ」
アズハルの護衛隊士であり今は離れの警備にも就いてくれているカイスさんと、ルゥルゥが加わったとはいえ多くの時間をイリリアのそばで過ごしてくれているラウダとでは、ふたりの時間が重ならないのは当然といえば当然なのだが。
何だか申し訳なく思っていると、もう少し落ち着いて人員の整備が整えば、揃っての休みを頂く機会も訪れるだろうとフォローしてくれる。
「顔を合わせる機会も多いですし、休憩中に会話をする事もありますから、さほど困っておりませんよ」
優しく微笑んでくれているものの、職場では手を繋いで歩いたりスキンシップを取ったりは出来ないだろう。儀式を終えて落ち着いた頃にでもラウダたちに揃いの休暇をあげたいと、アズハルに相談してみるのも良いかもしれない。
そうしてギリギリで眠気を耐え切った翌日、アズハルは約束通り私邸に招いてくれた。
早めに夕食と寝支度を済ませて、寒くないようにとたくさん毛布で包んでもらい、抱き抱えられたまま廊下を移動する。
執務棟と私邸、離れを結ぶ三叉路に着くまでで随分な距離があり、これを歩けるようにならなければ王宮に向かえないんだなぁと思うと道のりが遠く思えてしまう。
時間がある時に練習がてら一緒に歩いてくれますか?と聞けば、いつでも付き合うとにこやかに了承してくれた。
そして辿りついた私邸の前で、イリリアは思わずぽかんと口を開けてしまった。
「立派なおうち……」
平屋建ての家屋は、左右を見ても端が見えないほどに大きい。
一度おろしてもらい、ぐるぐる巻きだった毛布から解放されて門を潜る。聳え立つような玄関扉にも立派な装飾が施されており、圧倒されながら「お邪魔します…」と大豪邸に踏み込んだ。
右を見ても左を見ても、廊下が果てしなく奥へと伸びている。
迷子にならないよう手を繋いでもらい、ゆったりとした歩調で目的の部屋を目指して足を進める。
「かつて南の離宮を管理していた王族は、侍女や使用人を多く置いていたようでな…部屋数は多い方だ」
「アズハル様は成人してからずっとここに住んでいるんですか?」
「成人する少し前からだな。それまでは南の端にある父上の実家で暮らしていた」
「甘い草の生えているという?」
「ああ。緑豊かな場所だ」
どうやら初回も二回目も大滝雲を遡った後は一旦そのお屋敷に運ばれて寝かされたらしいが、残念ながらイリリアには全く記憶がない。
竜帝陛下のご実家にいきなり人間を運び込んで大丈夫だったのだろうかと心配になったけど、ちゃんと事前に花嫁を運び込むと申告したうえで、ラウダを待機させていたという。
二度目の遡上のことを知っているのは、陛下と実家の警備に当たっている隊士の一部、そして南の離宮の者だけで、既に陛下によって厳重な箝口令が敷かれているらしい。少しでも弱味を晒さない為だろう。
二度目の遡上の事実はないものとされ、南の離宮に許可なく踏み込んだ者が居たという事実を公にしたうえで、イリリアは身を隠しながら療養していることになっている。
「竜車に乗れるようになったらそちらへ連れて行こう…山際に近く景色も良いから、また夜明けの空を見ようか」
「楽しみです。他にも素敵な景色があるなら見てみたいかも」
「ああ……では、夕焼けも良いかもしれないな。滝雲のそばからであれば、恐ろしいほどの絶景が見える」
「恐ろしいほどの…?」
「あまりに赤々と染まるものだから……私は幼い頃、地上は毎日燃えて生まれ直すものだと思っていたくらいだ」
苦笑するアズハルに「じゃあ地上にいた私も毎日燃えていたかもしれませんね」と言えば、「燃えなくてよかった」と繋いだ手をきゅっと握られた。
角を二回ほど曲がって辿り着いた部屋の扉には、小さな星の装飾が施されていた。
迷いなく扉を押し開けたアズハルの後ろから、ドキドキする胸を抑えて部屋に踏み込む。
「わあ……かわいい」
一番に目についたのは床に敷かれた大きなラグだ。毛足の長い厚手の織物で、幾何学的で素朴な柄に温かみを感じる。その上にはいくつものクッションが重ね置かれ、背もたれにして天上を見上げられるようになっている。
もちろん寒くないように、厚手の毛布が畳まれてラグの端っこに置かれている。
ラグの真ん中あたりを指差して、ここに座ってくださいとお願いする。
遠慮して一番良い場所を譲ってくれようとするアズハルをちょっと強引に座らせて、大事なところを潰さないよう気を付けながら膝のあいだによいしょと腰をおろした。そのままリクライニングのように、アズハルの胸元へ背を預ける。
「なるほど…」
「特等席でしょう?」
「ああ…これはいいな…」
背後からイリリアの腹に腕を回しながら、アズハルはしみじみと呟いた。
下の小屋でも目が見えない時はよく座椅子になってくれていたけれど、あくまでお尻の冷えを阻止するため(とイリリアの視界を補助するため)だったし周りに人も居たから、こうして背中を預けて深く凭れかかることはなかった。
寝る時はよく背後からぎゅっと抱き込んでくれるけれど、座ったまま後ろから抱き込むスタイルもお気に召したようだ。アズハルの動きに合わせて頬にさらりと当たる髪が擽ったい。
ふふ…とアズハルを見上げるイリリアが目を瞑っていることに気付いたのだろう。
どうした?と聞かれたため、まだ天窓を見上げないよう頑張っているのだと伝える。
「見ていいよって時になったら声をかけてください」
「ああ……では、電気を消して来よう。離れるから転げないようにな」
背もたれが離れてしまったため、お行儀良く座って待つ。
目を閉じて音だけを聞いていると視力を失った時の事を思い出すけれど、そこに恐怖は伴わない。アズハルはいつでも万全に補佐して助けてくれていた。
やがて電気が消えて、毛布を持ったアズハルが戻ってきてくれた。背後に陣取り、膝から胸に毛布を掛けると苦しくない体勢で凭れかかっていいと優しい言葉をくれる。
「重くないですか?」
「軽いくらいだ。……ほら、もう目を開けていいぞ」
耳元で囁くように合図をされて、擽ったく思いながらそっと目を開く。
天井を大きく切り取ったかのような天窓には、濃紺色の夜空が広がり、色とりどりの星が闇を掻き消すように瞬いていた。
「すごい……」
白磁、白藍、白緑、象牙、灰白、薄紅…
様々な色で煌めく星の共演に、思わず言葉なく魅入ってしまう。
「星ってこんなに色が違うんですね……」
「今夜は月が昏いからよく見えるな」
「霊峰はとても高いけど、流れ星が落ちて来ることってないんですか?」
「記録上は無いな……空に彗星が走ると、なかなか迫力があるのは確かだ」
イリリアは彗星を見たことがないけれど、長生きなアズハルは二回見たことがあるという。
尾が消えるまで目で追っていたという子ども時代の話に癒されながら、アズハル様はよく夜空を見上げていたんですね…と半身振り返り、小さく息を呑んだ。
暗い部屋の中に浮かぶような白い髪は幽幻で、夜の色よりも優しい瞳に星の煌めきが反射している。
「………イリリア?」
「アズハル様の目が……星空みたい」
「イリリアの瞳もキラキラしている」
綺麗だと言われ、人生初ともいえる言葉に気恥ずかしくなる。
堪らずぎゅっと厚い胸に抱きついて顔を隠せば、アズハルの声が一層に甘く優しくなった。
「困ったな……あまりに可愛くてこのまま離したくない」
「ここで寝ますか?」
「風邪をひいてはいけないから、寝台で寝よう」
「アズハル様の部屋に泊まりたいとラウダにお願いしたんです」
「ああ、それなのだが……」
と言いにくそうに口を開いたアズハルは、特別なものが何もないから期待はずれかもしれない…と申し訳なさそうに眉を下げた。
「父上のような賓客も泊まれる豪華な客室があるから、そちらの方がいいのではないか?」という気遣いに、小さく首を横に振る。
「私たちはもう夫婦ですけど、恋人のように仲良しですよね?」
「ん?」
「地上で生きていた頃、恋人の部屋を訪問するのに憧れていたことがあって…」
本当に小さな憧れだったように思う。自分には決して起こり得ない奇跡のようなひと場面。思い描いて夢想しては……現実に打ちのめされ、全て諦めていた。
もし嫌じゃなければ…と見上げたアズハルからぎゅっと抱き込まれて、好きなだけ寛いで構わないと言ってもらえる。
「恋人の部屋で何かしたい事はあったのか?」
「………キス、とか?」
心底困り顔になってしまったため、じゃあ手を繋いで眠って欲しいとお願いする。
共に夜を越して、幸せのなかで目覚めたいと言えば、蕩けるような微笑みで了承してくれる。
再び背中を預けて天窓からの景色に目を凝らす。
飲み込まれそうなほどの星空は神々しく煌めき、人間ひとりが願いをかけるにはあまりに壮大。自分という存在の小ささを改めて知りながら、叶わず諦めた願いの数々を思う。
「………アズハル様にもありますか?憧れていたこと…」
「……いくつかあるな」
沁みるような呟きのあと、「だがもう叶ったものもある」と背後からそっと抱き込まれる。
「花印に触れること……花嫁と共寝をして朝を迎えること」
囁くような言葉たちはどれも、イリリアが叶えてあげたものだ。
月が昇るたびに御池を覗き込みながら祈り続けていた望みが叶ったとき、アズハルはどんな気持ちだったのだろうか。
(そういえば……出逢いの時も初めての共寝の時も、思いっきり裸体を晒してしまったわ……)
目の前で破廉恥なものを晒されて、せっかくの感動が薄れてしまったかも…と思えば、とても申し訳なくなる。
出会った当初の自分の振る舞いを無言で反省していたら、眠くなったか?と心配される。
「花印の位置が腕とかだったら、もう少し困らせずに済んだのかな…」
「ん?……やはり胸元に触られるのは嫌か?」
「私は嫌じゃないんですけど、アズハル様に不名誉な評判が付いてしまうんじゃないかと」
「もともと名誉も何もないからなぁ…」
そういえば『不遇の第二王子』と称されているんだったと思い出す。それなら、おっぱい大好き王子と呼ばれる方が何だか不憫さは和らぐ気がする。
自分はそんな王子のお嫁さんという立ち位置になるが、胸は唯一無二の長所だからまあ良いだろう。
納得したところで、背後から「何か変なことを考えてないか?」と言われたため、笑って誤魔化しておいた。
「そろそろ寝ようか……昨日は、今夜の為にと頑張って起きていただろう?」
今日はお昼寝の時間を多く取ってもらえたけど、実は先ほどから時々目蓋が閉じそうになっている。
もうちょっと星見デートを楽しみたかった気持ちと、アズハルの部屋で温かな布団と優しい腕に包まれて眠りたい気持ちとがせめぎ合う。
気に入ったのならまた来よう、と抱え上げてくれたアズハルに身を委ねて、天窓のある部屋を出る。
揺籠のような腕の中に居ると、意識が徐々に徐々に夢の中へと引き込まれてしまう。
「お部屋が……見たいのに……目が開かない……」
「明日、いくらでも見て回って構わない」
だから眠って大丈夫だと低い声で甘やかされて、目蓋はすっかり幕を下ろしてしまう。
憧れのお部屋探索にはしゃぐのは明日に持ち越しのようだ。
遠い意識の向こうで揺籠から下ろされ、柔らかな布に背中が沈む。
おやすみ…と、掠めるように額に口付けが落とされた。
▽アズハル視点
⭐︎21.5(幕間)星見前日⭐︎
執務室の扉を開けて入ってきたラウダに、アズハルは静かに立ち上がった。交代の報告にはまだ早い時間であるし、その表情はどこか急いているようにも見える。
執務室の主とばかりに一番大きな机を占拠しているのは他でもないユスリーだが、彼は一度だけちらりと目線を上げる以外に反応はない。来客対応はアズハルや他の者に丸投げだ。
「アズハル様、すぐに離れへ共寝伺いに来てくださいませ」
共寝伺いという言葉と共に枕を押し付けられる。よくわからないが急いだ方が良いのならと、執務室を出て歩きながら事情を問う。
「何かあったか?」
「お花様が今にも寝てしまいそうなのです」
「ん?」
「午前と午後でお昼寝もなさいましたが、早めの夕食を終えた頃から眠気が強まっておられるようで………ですが、今日一日起きていないと星見に行けないからと懸命に意識を繋いでいらっしゃるのです。
あんなにも愛らしい努力を無為にしてはなりません!
まだ夜には早い時間ですけれど、明日のために今すぐ共寝伺いをなさってください!」
「わ、わかった」
気圧されながら頷き、枕を持って花嫁の私室に入る。
椅子に座りどこか鬼気迫る表情で床を睨んでいたイリリアは、「アズハル様が共寝伺いにおいでになりましたよ」という声に、パッと顔を上げた。
先程までの気迫は消え去り、喜びと安堵の混じる表情が可愛くて胸が綻ぶ。
「イリリア、今日も共寝を許してくれるだろうか……それと、明日は約束通り星見をしよう」
立ち上がりかけてよろめいたイリリアに素早く手を差し伸べながら、共寝伺いと星見の約束を済ませる。
再び喜色を浮かべたイリリアはそのまま倒れ込むように意識を失った。胸に受け止め、すぅすぅと聞こえる寝息に安堵する。
振り返れば、心配そうに見ていたラウダも同じように安堵していた。
「そんなにも楽しみにしていたのか?」
「それはもう…………ただ、まだ体調が安定しきっていない時に、あのような条件を付けるのは感心いたしませんわ」
「すまない。せっかくならば新月の夜の方が綺麗に見えるかと思って……また来月でも良かったのだが」
口ではそう言いながらも、共に星を見る時間をこんなにも待ち望んでくれるとは思わず、申し訳ないと同時にむず痒い気持ちになる。
抱き上げて寝室へ運ぶ身体は軽い。
顔色は随分と良くなってきたが、王宮を歩けるほどの体力がつくまで今暫くかかるだろう。
「明日はお昼寝の時間を多く御用意致しましょう。就寝のお部屋はアズハル様の私室が良いとのご希望でしたので、そちらを整えさせて頂きますよ」
「私の部屋か?客間の方が色々と整っているだろう」
「だとしても、お花様がそちらを望んでおられるのです」
再び強めの圧で言われ、「わ、わかった、それでいい」と堪らず観念する。
「それでいいのだが……自室で共寝伺いをするというのも変な心地だな……」
「どのようなお部屋かと楽しみにされておいででしたよ」
「………………何もないが」
「ええ………さすがに、何もありませんよとは言えませんでした」
侍女としてアズハルの部屋を整えていたラウダも、その内装の簡素さは知っている。
イリリアの部屋も、花嫁の好みに合わせて物を増やそうと思っていたため充実しているとは言い難いのだが、アズハルの部屋は本当に離宮の主人が住む部屋か?と首を傾げたくなるほどに簡素で物が少ない。
気まずそうなラウダから「何か………隊士が巡回中に見つけて来た綺麗な鉱石などを飾っておきますか?」と言われたものの、これは何だと問われたときに逆に困りそうだと首を横に振る。
「いや……ありのままを見せよう……面白味がないと思われるかもしれないが」
「不思議ですね……お花様であれば、どんなお部屋でもお喜びになる気がしますわ」
ラウダの言葉に同意しながら、穏やかな寝息を立てる花嫁を大きな寝台の真ん中にそっと下ろした。
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