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19. 真相と極意

▽リヤーフ視点





父さんからの提案で、イリリアの話し相手として俺だけ五日ほど小屋に残ることとなった。


翌朝目覚めて事情を聞いたイリリアは驚きながらも嬉しそうにしていて、

「一生分喋る」と息巻いていた。



痩せ細っていても目が見えなくなってもリヤーフからすればイリリアはイリリアで、その口から聞かされる話は相変わらず呆れそうになるものばかり。

そもそも今回の騒動が、アズハル様の不貞?疑惑から始まったと聞いた時に「無いだろ」と端的に否定してしまった。

王族のしがらみとか、急に登場した儚げな美人雷鳥や豊満美女についてゴチャゴチャと説明されたけど、「アズハル様だぞ?」と言えば、「リヤーフ強い…勝てない!」とよくわからない完敗宣言をしていた。

曰く、リヤーフのような鋼の心が欲しいとの事だったが、別に俺の心は鋼鉄製じゃない。

どう考えてもそんな女たちをアズハル様が好むとは思えないと言えば、押しに弱いのかなと思って……と唇を尖らせる。

花嫁であるイリリアからの押しには弱いだろうけど、他の女性から同じことをされて喜ぶとは思えない。



イリリアは行商のハウラ姐さんが以前見せてくれたゼンマイ仕掛けの人形のようで、元気なときはたくさん喋り比較的元気に過ごすが、巻きが終わるとコテンと倒れるように眠りについた。


ルゥルゥさん曰く、特別に強い効能の薬を使ったため、その反動がまだ出ているとの事で。

イリリアが天上から下りてそろそろ十日になるそうだ。

そもそもが意識不明で運ばれて来たうえに、高熱で数日間寝込み、ようやく数時間続けて起きていられるようになったのが現状。

それでも、霊薬に加えてお喋りの最中にクッキーをたくさん食べてくれるおかげで体の回復は早く、あと数日で目の治療にも至れるだろうという見立てだった。


母さんお手製のクッキーは、カモシカ族の集落にいた頃から「特別に美味しいわけじゃないのに何故か食べてしまう…」とポリポリ齧っていたし、座談会の時は大体用意していたから喋りながら食べるのが癖になっているんだろう。


ひとつ訂正するとすれば、母さんのクッキーは美味い。

作る過程を見ていればわかるけど、あれだけ薬草練り込んでるのに何で苦くならないのか不思議だ。イリリアが「直接食べるのはちょっと…」と避けていた苔も入っているけど、そこは黙っておこう。



霊峰に来た当初からアズハル様との共寝を嫌がる素振りのないイリリアは、小屋でも、くっついた方が温かいからとひとり用のベッドでふたり並んでぎゅうぎゅう詰めになって寝ている。


早朝に部屋を出てくるアズハル様は鱗の内側に熱が籠っているのか少しのぼせたような顔をしているが、冷やせば治まるからとどこまでもイリリアを甘やかしている。



そんなアズハル様は今日、朝から諸用で天上へ戻っている。

後ろ髪引かれる様子で昼前には戻ると仰っていたから、どうしても外せない用なのだろう。


ルゥルゥさんには、オーバーワークを心配したイリリアから一日休息を取るようにと指示が出されており、今は隣の部屋で寝てもらっている。

いくらリヤーフが信頼に足るとはいえ、殿方と二人きりにするわけには…と渋るルゥルゥさんに、イリリアが冗談混じりに「じゃあこちらの部屋のベッドを使いますか?それとも雑談中に膝枕をしても良いですよ」と言ったせいで、真顔なアズハル様から「隣の寝台で休んでくれ」と頼まれ、隣室に下がるという経緯があった。

見えていないイリリアは「アズハル様もあとで膝枕します?」なんて呑気に膝を叩いていたが、夫婦の寝台と花嫁の膝を死守せんとする表情はなかなかに鬼気迫るものだった。



俺はいつも通り、イリリアの部屋に白湯と焼き菓子を持ち込み茶卓を囲む係だ。

まわりに同年代の同族が居るわけでもないし普段の俺は家族以外とあまり喋らないんだけど、イリリアの話し相手をするようになってからは物凄く喋っている気がする。


座談会を始めるにあたり、手探りで湯呑みの位置を確認しているイリリアにひとつだけ確認しておく。


「今日アズハル様から、戻ったあと座談会に同席していいかって聞かれたから、良いですって答えたけど…良かったよな?」


「いいよ。何か話したいことでもあるのかな?」


「というか、自分が居るのに嫁が他の男とばかり話し込んでたらどう思うか…って事なんだろうけど」


「ああ…なんだ、そういうことか」


話すの終わり!にするんじゃなくて、同席させて欲しいってところがアズハル様らしいねというイリリアに、まったくだと深く頷く。


「俺がこうしてふたりきりで話すのを許されてんのは、イリリアが花印に誓ってるからだからな?そうじゃなきゃ多分、父さんでも許可されない」


「ルトフさん妻帯者だし、子どもまでいるのに」


「父さん、天上に居た頃はモテてたって噂だから」


「モテモテなルトフさんの話聞きたい…!でも、ラシャちゃんの恋の話も聞きたい」


「ラシャは……父さんが色々嗅ぎ回ってるって知って、すごい怒って喧嘩してた。お父さんなんかお母さんにフラれちゃえ!って」


「あらら……ルトフさん落ち込んだだろうね」


「父さんが調べ回ってることラシャに教えたの俺だけどな」


「ここに黒幕が居た……」


母さんに言わなかっただけマシだろと言えば、でもリームさんは既に気づいてそうじゃない?と言われる。

どうだろうか…母さんはラシャの想いには気づいてるけど、父さんが嗅ぎ回ってることまでは把握してないと思う……あれでいて、あまり周囲に細やかに気を配る人じゃないから。


「仲良し家族も喧嘩するもんなんだねぇ」としみじみ言うイリリアが、まるで他人事のような口調だから、彼女の家族はどうだったのだろうかとふと気になった。


「イリリアも父親と喧嘩したことあるのか?」


「うち?喧嘩どころか……存在ごと無視されてたから、話した記憶がない」


男性至上主義の家に生まれたから家の中の序列が底辺だったと言われ、そういう家もあるのかと驚いてしまう。

竜人族は基本的に男女に差はない。子どもの数が少ないというのもあって、授かった命はどれも大切にすべきだと考えるからだ。


母親とは?と聞けば、ちょっと皮肉めいた笑みで「私のことを一番憎んでた」と告げられる。

イリリアが掻い摘んで話してくれた『実家』の話は、異種族結婚ながらも円満な家庭に生まれ育ったリヤーフには衝撃的な内容ばかりだった。



「売られるの前提だったから…多分ご飯与えて生かしてくれたのも、家畜が死なないようにって感じだったんだろうね…」


「闇深い家だな……そういえば家出したって言ってたもんな」


「うん。恋愛結婚より親の決めた相手に嫁ぐのが主流な社会だったから、そもそも結婚に夢も希望も持ってなかったんだけど……いざ売られるのが決まった時にさ、十代の小娘には受け入れがたいあれやこれやな事があってね……色々積み重なった結果、気付いたら持てるもの持って逃げ出してた」



憂いを孕んだ瞳には諦観がよぎり、どれだけの闇を覗き見たものか普段の明るい振る舞いとは真逆の、沼に引きずり込むような仄暗さが宿る。

けれど次に肩を竦めたときにはその薄暗さは霧散しており、彼女は再びあっけらかんと告げた。


「まあ家を出たところで行き先はなかったから、野垂れ死にほぼ決定だったんだけど」


「……それで花呼びしたのか」



確か以前聞いたときには「誰か助けてー」という気持ちで湖でバシャバシャやった…みたいなことを話してたよなと記憶を探る。

それをアズハル様に報告したとき「確かに彼女は…何らかの救いを求めて私に呼びかけてきた」と神妙な面持ちで頷いていたのを覚えている。


最悪な環境から抜け出せたのなら良かったなと言おうとして、ふと、イリリアの花印は胸にあることを思い出した。

積極的に晒すような場所ではないものの、身内であれば偶然目にすることもあるかもしれない。


「胸に花の痣があれば目を惹いたんじゃないのか?よく家族に秘密にできてたな?」


「うーん……」


そんな難しい質問をしたつもりではなかったが、腕組みをして本気で悩み始めてしまったイリリアに、「言いにくい事なら別に話さなくていいからな」と告げておく。

家族の話には良い思い出がないようだし、この話題自体が嫌というなら他の話に切り替えればいいだけだ。


たっぷり思案したあと、イリリアは「というかね…」と悩ましげに口を開いた。


「すごく申し訳ない気持ちでいっぱいになるというか……」


「申し訳ない……?」


「………リヤーフって、アズハル様がどのくらい花嫁を探し続けてたか知ってる?」


「成人なさってからだから五十年近くだな」


「だよねぇ。…………私の花が浮き始めたのって、花呼びをする二日くらい前からで」


「二日!?」


我ながら素っ頓狂な声が出てしまい、咄嗟に「悪い」と謝れば、驚きだよねぇと苦笑いで返される。

年齢から考えて五十年に満たないのは当然だが、さすがに二日前は予想外すぎた。

つまりイリリアは、花が浮かんですぐに花呼びしたということになる。


一旦落ち着こうと白湯に手を伸ばしたところで、ふと扉向こうに気配を感じて、ちらりとそちらに視線を遣り………どうしたものかな…と頬を掻く。

イリリアはその気配には気づいていないようで、苦笑しながらクッキーを齧っている。


「あー……花印が現れたのって、何かきっかけとかあったのか?」


「うーん……」


再び悩ましげに首を捻ったイリリアの答えを今度は口を噤んだまま待ってみる。


花印が浮かぶ理由や条件は謎とされている。

生まれた時から浮かんでいる者も居れば、気づいたら浮かんでいたという者も居る。

今の王太子妃は、王太子の成人祝いの席で、目が痛むなと思い確認したところ瞳に星花印が刻まれていたという。


イリリアは理由を考えているというよりも、話して良いものか悩んでいるように見える。


彼女はしばらく考えたあと、花印があると思われる左胸の上部にそっと指を添えて、感情の伴わない静かな声で呟いた。




「………………刺したんだよね」




静かな、静かな声だった。


だからこそ、それは誤魔化しでも何でもなく…事実を口にしているのだと理解する。




「家から逃げ出したものの、彷徨い続けて疲れちゃって………お腹も空いてたし、行き場もないし………色んなものが不足していると、考えって後ろ向きになるよね。

次第に、お金と引き換えだとしても、買ってくれる人がいるならそこに行ったほうがマシなんじゃないかなって思い始めて………そしたら少なくとも、この身体が使えるあいだはそれなりに生きていられるわけでしょ?」



自分事の筈なのに、まるでその辺に落ちている木の葉の行く末を語るような口ぶり。

きっとイリリアにとって、地上での人生は何ら価値を見出せないものだったのだろう。

家に戻れば生きられるかもしれない……という考えは、すぐさま、生きていてどうなるのだろうという疑問に変わったそうだ。



「どうせ望みがあって生きてるわけでもないし、森の中で野垂れ死ぬか、地獄のような場所で狂い死ぬか……どっちもどっちかなって」



「そんな事を考えてたら………すごく綺麗な湖に辿り着いて」



「青々とした木々に囲まれていて、澄んだ水が本当に綺麗でね……その湖のほとりに同じくらい綺麗な大きなガラス片が落ちてたから……」



刺した場所のことは今も覚えているのだろう……再び左胸の上部に指先が触れる。

イリリアは悲しげな笑みを浮かべると「まあ結局、死ぬほど深くは刺せなかったんだけどね…」と明るく肩を竦めてみせた。


彼女が触れている場所は確かに心臓に程近い場所で、ふくよかな胸に阻まれたのだとしても、確実に死に触れようとしてガラス片を振り下ろしたのだと理解できる。



「治療も出来ないし放っておいたら死ぬかなって思ってたら、傷が塞がって痣になって………花になった」



「………どうして生きてるんだろう」



「今でも時々、ここは死んだ私が見ている夢で………いつか目覚めて全てなくなるんじゃないかって、思うときがあるよ」



目覚めれば彼女は、大地に横たわりひとりきりで息絶えているのだろうか。



どこか他人事で夢うつつな語り口に、イリリアはずっと、自分が生きているという『今』を信じられないでいるんだなと理解する。


ひと月以上も一緒に居て、なんだかんだとお喋りをして、知ったつもりでいた相手の知らない一面を垣間見る。

それでも……これまでの経験上、自分が彼女にどんな言葉をかけたらいいかは、なんとなく理解できていた。

神妙な空気を壊すとわかっていても、肩を竦めて呆れた様子で、困ったやつだなぁって軽く応じてやればいい。

イリリアはきっと、俺に同調されることを望んではいないから。



「夢にしては、倒れたり血を吐いたりと散々だけどな」


「確かに。でも色んな人に優しくしてもらえるから、地上にいる頃よりずっと幸せ」


「じゃあ、ここに来て良かった?」


「うん……あの時、刺して良かった」



目を閉じて笑みを浮かべた顔は、確かに『今』の継続を望むものだ。


先ほどから言葉なく入り口に佇んでいる人物へ視線を送ったところで、その人は大股で部屋に入り、イリリアの隣に腰を下ろすなり全力でその身を掻き抱いた。

勢いと加減を間違えたのか「ぅ、……っ、」とイリリアの口から呻き声が漏れる。

目が見えない彼女からすれば、何がなんだかわからないだろう。


「え………巨大な岩にぶつかられた…?」


「アズハル様だな……ちょうど戻られたところで今のをお聞きになられたっぽい」


「聞いちゃったかぁ……てかリヤーフ、アズハル様が戻ったときから気づいてたでしょ」


「俺の口からは報告しづらい内容だったから直に聞いてくれて助かったかな」


悪びれもなく肩を竦めた俺に、イリリアは「確かに」と頷く。


「私も改めて聞かれたとしても、どんな調子で話せばいいかわからないや」


「ひとまずアズハル様用の白湯をゆーっくり持ってくるから、少しの間ふたりで過ごしな」


「うん」


イリリアを腕に閉じ込めたまま顔を伏せてしまったアズハル様を気遣い、腰を上げる。

「どうか泣かないで………泣くなら私の目が治ってからにしてください」と、それはどうなんだろうなぁと言いたくなるような言葉で慰めているイリリアを置いて、部屋の扉を後ろ手に閉めた。



二歩三歩扉から離れ、しゃがみこんで深い深い息を吐き出す。



(重かった……!)




「……大丈夫ですか…?」


案じる声に顔を上げると、寝台のある個室から出て来ていたらしいルゥルゥさんが床に座ってこちらを見ていた。

天上から戻ったアズハル様から受け取ったのか、手には薬草の入った袋を持っている。

話し声までは聞こえていないようだが、アズハル様が扉の横で立ち尽くしていたことも、一気に室内へ踏み込んだことも知っているのだろう。

心配そうな視線を受け、リヤーフは苦笑しながら「イリリアが今アズハル様に抱き潰されているところです」と告げる。


「少しふたりきりにして差し上げようかと……五分ほどしたら、白湯を持っていきます」


「……今日のお話の内容は、あまり楽しいものではありませんでしたか?」


「まあ………気楽に話してくれるから、つい気楽に尋ねてしまうけど、思ったより随分と重たいものを抱えていたなと……」



二度目のため息を吐き出す。


父から『話し相手』として留め置かれたということは、自分の役目はイリリアの本音を探ることだと理解した。

霊峰で暮らすことをどう思っているのか、様々な苦しみを経験した今、再び順化をおこない天上へ至ることをどう思うのか……地上へ帰りたいと悲嘆に暮れていないか。

負い目のあるアズハル様ではなかなか聞き出せないであろう、ありのままの気持ちを雑談の中から探ろうと思っていたのは確かだ。

けれど正直、ここまで重い話が出てくるとは思いもしなかった。


帰りたいと思うどころか、どうして生きているんだろう…と不思議そうに呟いた彼女の言葉は、これまでの順化の過程すら夢の一端と捉えていたのではと思えるほどに現実から乖離して聞こえた。


(警戒心が薄いものだと思っていたけど、ずっと死後の夢を彷徨う心地だったのなら……)


刺して良かったと言った彼女は地上でどれだけの絶望に身を浸し、どのような最期(おわり)を覚悟していたというのか。



(それに、何ていうか……アズハル様との相性が抜群のような気がする……)



与えられるべくして与えられたのか、与えてはいけないもの同士が結ばれたのか。


自分の命を重く見ないイリリアは、どんな苦慮に立たされようとアズハル様の望みを叶えようとするだろう。

天上で他に守るもののないアズハル様は花嫁であるイリリアを大事に大事に囲い込み、半ば縋るように抱きしめたまま……ふたりの世界はそれだけで完結してしまう恐れすらある。


(だからって第三者が、どうにか出来るわけでもないけど……)


花印が繋ぐ運命を無理やり引き剥がせばどちらかが壊れることになる。

だったらせめて、ふたりだけの世界に閉じ籠ることになろうとも、互いが幸せであるよう周りは支えていくしかないのだろう。



黙り込んでしまったリヤーフに、ルゥルゥさんが白湯を注いで渡してくれた。

ありがとうございますと礼を言って湯呑みを受け取る。


ここに母さんがいたら、気の利く素敵な娘さんだからお嫁さんとして迎えたらどうかしら!?と目を爛々と輝かせていたことだろう。

昨日、話の流れで彼女の容姿を普通に褒めたら、イリリアも似たような反応をしていた。


竜にとって二十年程度の差はほぼ同年代扱いだ。とはいえ、成人しているかしていないかの違いは大きい。

成人して花嫁の主治医という重要な仕事を任されている彼女は、リヤーフから見れば立派な大人の女性で、恋愛対象というより尊敬に値する人物という感覚だ。



近くに座り直したルゥルゥさんが、クッキーが二枚乗ったお皿を置いてくれる。

それを「少しお話ししませんか」という意思表示だと受け取って、ありがたく一枚を摘み上げてサクリと噛んだ。



「……これまではあまり、イリリア様の境遇には触れて来られなかったのでしょうか」


「見るからにワケありって姿で連れて来られたから、話してくれたら聞くけどこちらからは追及しないでおこう……みたいな空気ではありましたね。悲嘆に暮れるでもなく、ちょっとの事で喜ぶから、前を向いているのならいいかと俺たち家族もそっとしておいた感じです」


「アズハル様とも最初から仲睦まじいご様子だったと伺っていますが」


「まあ概ね……そもそもイリリアには全く竜人族の知識がなくて、アズハル様も強引に行く方ではないので、お互いに遠慮が多くて手探りな状態でしたけど」


花印への口付けが婚姻相当だってことも知らなかったんですよと言えば、え!?と過分に驚かれてしまう。

そうなんだよな……いくらアズハル様の見た目が良いからって、知らずに胸元へ口付けを受けるってどうなんだろうって俺も思ったもんな。

雷鳥共みたいに相手の見た目や肩書きを重視し誉れとしてるのかと思えば、そういう素振りもないし。


今考えると、イリリアは多分、触れられる場所に頓着せず、「口付けたいならどうぞ」と深く考えないまま差し出した可能性が高い。或いは、夢なら何が起きてもいいやと思っていたか。



「知らない間に結婚していたことに驚きはしていましたけど、夫婦になった事を嫌がる素振りはなかったですね………というか霊峰に来るまでのあいだもアズハル様に抱えられたまま寝ていたそうで、警戒心をどこかに捨てて来たのかなと思ったくらいで」


「まあ………」


驚きすぎて言葉を失っているルゥルゥさんに「アズハル様で暖を取る不敬者ですけど、目溢ししてあげて下さい」と告げておく。一緒に居ると暖かいし羽織や布団代わりにちょうどいいなと思っているであろうイリリアに、アズハル様は怒る素振りすら見せない。



とはいえ、気を抜くとまたため息が出そうになる。

アズハル様は最初から、問題なければうちで花嫁の順化を…と望んでいたけれど、イリリアの生育環境を知っていれば彼女を我が家に預けるのがどれだけ酷な事か理解できた筈だ。


「……ルゥルゥさんの家族って仲良しですか?」


「そうですね……父も母も王宮に勤めておりますので私は祖父に預けられることも多かったのですが、仲は良好ですよ」


「異種族婚は破綻しやすいなんて言われてるけど、ウチもなかなかの仲良し夫婦なんで………親に疎まれるってどんな感覚かよくわからないんですけど、親の愛を知らないまま仲良し家族の中に放り込まれたら……俺ならめちゃくちゃ卑屈になりそうだなって」



妬んだり目を逸らしたりせず、一歩引いたところでニコニコと微笑んで見守ってるのはどういう気持ちなんだろうかと考えたら、少し胸が痛む。


順化のあいだイリリアは確かに我が家の一員だった。


掃除や配膳といった小さな仕事を探しては動き回ろうとするイリリアに、動かなければ気が済まない性格なのかと思ったけど、彼女なりに我が家の生活(かぞく)を壊さないようにと気を遣っていただけかもしれない。


順化中のイリリアの様子を察したルゥルゥさんが、悲しげに呟く。


「………諦めていらっしゃるのかもしれませんね……そうした、愛に恵まれることを」



閉ざされた扉の向こうでは今、どんな遣り取りがされているんだろうか。


アズハル様がイリリアのことを心底大事に思っているのは明らかで、イリリアもその気持ちを疑っているようには見えないけれど、それでも誤解やすれ違いは生まれてしまう。


(その身を委ねているように見えて、肝心なところは話そうとしないからな…)


アズハル様も花嫁に苦労はかけまいと全て自分ひとりで背負おうとするから、常に許容量いっぱいで周囲を見回すほどの余裕がない。


(今は罪悪感もあって、肝心な話を切り出すきっかけを失っておられるだろうし)


体調が落ち着いてからにしよう、目が治ってからにしよう……そうやって機会を伺い続けるよりも、勢いや流れで聞いてしまう方が案外簡単に済んでしまうこともある。


お前は残ってお支えしなさいと言った父がどちらを支える対象として見ていたかは知らないが、リヤーフに出来ることは、会話を通してイリリアの思いや考えを把握することくらいだ。

となればもう一つ、聞いておかなければならない事がある。



もう、五分どころか十五分は経っただろう。

口の中のクッキーの粉を白湯で流し、ふぅとため息を吐き出して気合いを入れ直す。


「もうひと踏ん張りしてきますか…」


ルゥルゥさんに礼を告げて立ち上がり、食器類を片付けるついでにアズハル様用の湯呑みを持って、扉を叩く。


中から「はーい」というイリリアの呑気な返事と共に「あ、こら…!」とアズハル様の焦ったような声が聞こえたため、扉を開けるのを十秒くらい待つことにした。


ちょっと隙間を開けて「入りますよ?」と改めて尋ねれば「もう大丈夫だ」と返事が返ってくる。

扉向こうのアズハル様は少しばかり困ったような顔をしている一方で、イリリアは至って普段通りの様子だ。

おおかた、慰めるついでに花印に触れ合うか何かしてたんだろうな…(そして服が乱れたままなのにイリリアがノックに返答したんだろうな)と予想しつつ、茶卓にアズハル様用の湯呑みを置く。


続けようにも何の話をするかな……と、ひとまずアズハル様に「天上はどうでしたか」と聞けば、「離宮の人員整理が難しいな」と苦笑された。


それもそうだろう。

アズハル様を慕う者すべてが人間であるイリリアを許容できるとは限らない。

父さんが言っていたけれど、天上には血統主義者と呼ばれる、竜人族のなかに異種族の血が混じることを好まない連中がいるそうだ。


リヤーフは、もう千年以上も昔のことなんだから人間への悪感情など薄れているものだと思っていた。実際に竜人族は天上でうまく暮らしているし、人間は霊峰の下に侵入することはあっても中腹より上まで来たことはなく、容易く退けられるほどに脆弱だ。


けれど、脈々と語り継がれた恨みというものは見えないところで深く残り続け、悪意というものは何にだって紐付いて何倍にも膨れ上がるものだと父さんは悲しそうに口にしていた。



ただ、誰がどのような主張をしようとも、王族には『運命に選ばれた花』が存在する。

異種族婚を認めないと声高に叫ぶことは、その時代の竜帝の花嫁を否定することにもなりかねない。


(それでも、強引な手段を使って『純血』を維持しようとするから、きっとアズハル様たちは苦労なさるだろう、と……)



今の王太子もその御子も、両親は共に竜人族だ。

ならばそちらにすべて任せれば良いと思うのだが、権力を求める者たちが余計な反発を続けており、第二王子を政争の道具に仕立てて王太子に対抗しようと目論む一族が居るらしい。


おそらくはイリリアも、自身とアズハルの立場の危うさを肌で感じているのだろう。

それでも彼女がここに留まるのは、他にもう行き場がないからだろうか。



(だとしたら花として選ばれたのがイリリアで良かったのかもしれない……帰りたいと叫んだところで、竜は花を決して手放せないから)



願わくばすべて円満であって欲しいけれど。



アズハル様を背もたれにしたまま「何の話がいいかな…ラシャちゃんの恋物語?」と呑気な様子のイリリアに、アズハル様にお聞かせするものじゃないだろ…と呆れてしまう。

だが、座談会初参加なアズハル様は不思議そうに首を傾げた。


「そうか?普遍的な恋愛の始まりがどのようなものか、興味はある」


意外な事を口にしたアズハル様に顕著な反応をしたのはイリリアだ。

アズハルも恋の話に興味があると知って、見えない目をキラキラさせている。


「え?アズハル様にも、普通の出会いをしてみたいとか、一般的な恋愛をしてみたいとか、そんな願望がある感じですか?」


「私にはイリリアがいるから出会いは不要だ……ただ、部下たちの色恋がそれぞれ十人十色だから、面白いものだなと眺めている」


イリリアからさらに「初恋は?」「どんな恋に憧れます?」と聞かれ、困りながらも生真面目に答えている。

リヤーフはそんな様子を眺めながら、アズハル様が聞きたいのはこの辺かなと予想しながら口を挟む。



「イリリアは恋愛経験あんの?」


「ないかなぁ。この身体にいくらの値がつくのかな…って思うことはあったけど…」


「イリリア……」


悲しそうなアズハル様からぎゅ…と抱きしめられたイリリアは「借金の金額を考えると結構良い値がついたみたい」と追い討ちまでかけている。


「さっきもそうだけど、重いことをポロッと言うよな」


「もう過ぎたことだし、アズハル様がいっぱい大事にしてくれるから少し吹っ切れたのかも。これまでは故郷のこととか家族のことはあまり口に出したくなかったんだけど、話さないでまたすれ違うのも嫌だから…」


明るい話は微塵もないんだけどね…という表情は少しばかり皮肉めいて見えたが、吹っ切れたんなら良かったなと言えば、うんうんと頷いている。



「なんで自分は死ななかったんだろうって思ってたけど、大滝雲を抜けた時に、不思議と、ああここに来るために生かされたのか…って思ったんだよね。念願叶ったというか、辿り着くべき場所に辿り着いたって感じで」


「じゃあ、また天上行くぞって言われたら、どうよ?」


「え?行かないの?」


びっくりしたように顔をきょろきょろさせたイリリアに、アズハル様は少し迷ったあと、覚悟を決めて問いかけた。


視力を失っているイリリアにその顔は見えていないけれど、まるで人生の分岐点に立ったかのような真剣な表情は、少なくとも座談会の雑談中に浮かべるものではない。



「…………イリリア、もう一度、共に滝雲を抜けてくれるだろうか」


「いいですよ」



決死の問いかけに対するイリリアの軽すぎる返事に、思わず「あっさりしてんな…」と呆れてしまう。

アズハル様はあまりに軽く了承されたことにどう反応していいか戸惑っておられるし、イリリアは話は終わったとばかりに白湯へ手を伸ばしている。


(なんか父さんと母さん見てるみたいだな……)


生真面目で慎重な性格のルトフと、いざという時に思い切りのよいリームに通じるものがあって、リヤーフは目の前のふたりを眺めながら白湯を飲む。


「無理をしていないか…?」とアズハルは尚も慎重にその心を探ろうとしているが、イリリアの返答は変わらず軽い。


「他に行くとこないですし、霊峰の途中に居るよりずっと天上のほうが過ごしやすかったから………それに、葉っぱを食べに行くってデートの約束もしていますから。ね?」


「………ああ。必ず連れていく」


「一緒にお星さまを見る約束もしているし、儀式が終わったらいっぱいキスしてもらうつもりで………あ。」



急に言葉を止めたイリリアを見れば、何事か考え始めたようだ。

アズハル様は不安そうにしているが、リヤーフから見れば何か余計なことでも思いついたのかなと思える表情で。

考えがまとまったのかひとりでに小さく頷いたイリリアは「もう一度順化をするにあたってアズハル様にお願いがあります」と口にした。


「この試練をクリアしてもらわないと、天上へ行く前に萎れてしまうかも」


どんな試練だろうかと息を呑むアズハル様の横で俺は白湯を飲む。

どうせくだらない内容だろうと思えば、案の定な内容だった。



「私がとっても頑張った日には、アズハル様からおでこにご褒美のキスをしてください」


「ん!?」


「頑張った日だけで良いので」


「だ、だが、イリリアは毎日頑張ってくれているだろう…?」


「じゃあ毎日してください」


自ら墓穴を掘りに行ったアズハル様に、イリリアはぐいぐい迫っている。

この迫り方は多分母さんからの教えに則っているなぁと思ったけれどそこは口を噤んだまま、もはや押し倒される寸前のアズハル様と、全体重をかけてアズハル様を押し倒しに行っているイリリアを眺める。


(体重軽すぎてあまり重しにはなってないけど…)


最終兵器な胸(花印付き)を持っているから、それを押し付ければどうにでもなるだろう。


「クッキー切れたんで、座談会はこれまでにしましょう。あとはごゆっくりどうぞ」と腰を上げる。


茶番は平和の証だなぁと先ほどの重苦しさとは対照的な気持ちで扉を開ければ、薬草の仕分けを終えたルゥルゥさんが首を傾げながらこちらを見たため、空っぽになったお皿を示して「座談会はお開きです」と告げる。



「イリリアは元気そうにしてるので、診察とかはもう少し後で大丈夫だと思いますよ」


「ええ、ですが……中ではまた何か大変なお話でも…?」


「アズハル様が出てこないのはイリリアから襲われているだけなのでご心配なく」


「え!?」


冗談めいた言葉にも生真面目にオロオロする様子はアズハル様とよく似ている。



のちほど草臥れた姿のアズハル様に抱えられて出て来たイリリアは「おでこか花印にキスしてもらえる事になったよ」と満足げだった。


どうやらアズハル様は自ら試練のハードルを上げたらしい。

服の上からだからとか色々言い訳なさっていたが、布越しだろうが素肌だろうが胸に唇を押し当てる成人男性って図式でアウト寄りな気もする……まあ、完全合意なうえに積極的に胸を押し付けてくる嫁が相手だから問題ないんだろうけど。



「そういえば母さんがイリリアに、奥手な竜人に対する極意?的なものを伝授したらしいので、問題ない内容か確認なさった方がいいかもしれませんよ」


「極意!?」


発情期の凄さを知っているのかアズハル様は蒼白になったが、父さんが乗り越えられているくらいだから大丈夫だろう。



迎えが来るまであと三日。

さあ、明日は何を話そうか。






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