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17.5(幕間)省察と変態

▽アズハル視点



感情を剥き出しにしたせいか、ヒバの葉を使った治療薬の副作用が出始めたのか、イリリアは昨夜から高熱を出し、朦朧とした日々を送っている。


こちらから見れば覚醒時には目蓋がしっかりと開いているし、白眼に走る赤が痛々しいものの、眼球の動きから「起きているな」とわかるのだが、

本人は熱で朦朧としているうえに視界がずっと暗いため、寝ているのか起きているのか判別が付かないようで、たまに「寝過ぎて目が溶けた…」「そろそろ心眼が開きそう…」などと夢現に呟いている。


不思議で可愛いなと思っていると、額面通りに受け取ったルゥルゥが真面目に心配し始めたため、半分寝惚けている時は気にしなくて大丈夫だとイリリアの寝言事情を説明した。


交代で休憩を取りながら看病を続けているが、ルゥルゥの顔にも取れない疲労が滲み始めている。一日私が請け負おうと言っても、責任感の強い彼女は決して首を縦に振ろうとはしない。



「熱は下がっただろうか……」


「熱は高いままですが、今は落ち着いて眠っておいでです。一度お目覚めになり、白湯を飲まれました」


「そうか………冷静であれと思っていた筈なのに、責めるような尋ね方をしてしまった……あのような言葉を言わせてしまうとは本当に情けないばかりだ」



アズハルも一度王宮で、何故お生まれになったのかと言われたことがある。

その発言をした者は竜帝の子を否定したとして追放処分を受けていたけれど、たった一度の言葉が長らく胸に残り、やがて自分は道具だなどと卑屈な思いを持つきっかけにもなった。

けれどもイリリアは、生まれてからずっと否定され続けたという。

売られるために生かされ、死ぬために唯生きていたという言葉を聞いた時、自分の花嫁がそのような扱いを受けていたという憤りを覚えるよりも先に、小さくなって震える背中を包まなければと思った。

本物の羽織物になれたなら、震える背中をずっと温め続けることが出来るのにと、両腕を伸ばして出来る限りその華奢な身体を抱き込んだ。


もっと早く見つけてやれば良かったと思うのは傲慢なことなのだろう。

それでも、失意に沈む彼女を思うと胸が締め付けられるようだ。



ルゥルゥはタオルを冷やし直しながら、困ったように微笑んだ。

スハイル翁から医者としての知識を授かりながら穏やかに育てられた少女は、まだ成人してから間もない。

彼女のことは小さい頃から見知っているし、スハイルから散々孫自慢を聞かされたため、医者としてイリリアの隣に寄り添う姿を見ると大きくなったなと感慨深く思ってしまう。


(大きく、頼もしくなった……)


緊急事態とはいえ大滝雲の下にまで連れてきてしまった事を改めて詫びれば、「お花様の主治医になるのですから当然です」ときっぱり告げられる。

それからルゥルゥは精一杯怒ったような表情を作ってみせた。


「目に負担をかけないようにとお伝えしておいたのに、お花様の負担を増すようなことをなさって。ラウダがここにいたら烈火の如く怒っていたでしょうね」


「それは怖いな……」


ラウダの説教は迫力が段違いなんだと言えば、今度からそこにウチの母も加わりますよと言われて絶望した。

ルゥルゥの母親は先日まで王宮の筆頭女官をしていた傑物だ。ラウダとは違う方向性で厳しく叱られることは間違いない。

イリリアの教育係として置くにはこれ以上ない人材だが、どれだけのお叱りを受けるかと考えれば顔も渋くなるというもの。


(だが私も……成長しなければならない)


ルトフが言っていたように、この先は否が応でも政治に巻き込まれる。

父上や兄上との顔合わせでは王宮に参内する必要があり、そこでイリリアが過分な悪意に触れないよう……その身を守れるよう、多くを学ぶ必要がある。


(父を盾にするだけでなく、兄を真似るばかりでなく、私の力として身につけなければならない…)


まだ父と母のことは話せていない。

アズハルが父から、母であるナスリーンの事をどう思い、どのような意図で自分が産み落とされるに至ったかを聞かされたのは、生まれて三十年にも満たない幼子の時だった。

愛も恋も知らぬ子どもに生々しい真実を告げた父のことを嫌いだとは思わなかった。

ただ、五十年近くも年上で、憧れつつも慕わしく思っていた兄にとって、自分という存在は政敵(邪魔者)でしかないという事実が酷く悲しかった。

そして、何かと理由をつけて私と接触しようとする母やその一族が…得体の知れない化け物のように思えて恐ろしかった。


(恐れて隠れているばかりではいけない……かといって、堂々と立ち向かうための大きな武力も、相手を屈服させられる権力も、ない)



ないものだらけの自分がどうやって花嫁を守れるか……ひとりで考えても思いつかないならば、周りに居る頼もしい者たちに意見を仰ぐのがいいだろう。

アズハル様は不思議と人望だけはありますからねと、かつてユスリーに言われたことを思い出す。

一方で、騒動の手引きをしたハイファのように、私を慕う一方で人間(花嫁)を厭わしく思う者が居ないか、今一度自分の周辺を見直す必要があるだろう。



陛下との謁見で居住の許可が得られれば正式にイリリアに護衛を付けることができる。

その人選の前に、近衛の増員を願い出て離宮の警備を強める必要もある。

中域と高所警備隊の中から有望で安全な人材を選び、王宮との連絡係もしていたハイファの後任を考え……次から次に課される課題に、頭が破裂しそうだ。


だが、他でもない花嫁が命懸けで耐えてくれているのだから、自分が弱音を吐くのは間違っている。



目元にタオルを充てられたまま眠るイリリアの頬に触れれば、指先に伝わる体温が彼女の生存を教えてくれる。



「…………随分と痩せた」



出会った時も細かったが、リームのお粥を食べるようになって次第に血色が良くなり、集落を出る頃には見違えるほど健やかになっていた。

中腹を超えるまでは携帯食とはいえ食事もしっかりと食べ、時々頭の痛みをリヤーフに伝えたり、寒いとブルブル震えたりしながらも、よく眠り元気に過ごしているように見えた。

口数が減ったのは、彼らと別れてからか……。



「ルトフたちと共に居た頃は、もう少し笑っていたように思う……順化で負担がかかっているのかと思い、天上でゆっくり休ませればまた元気になると思っていた」



合わない階層に長く留めてしまった事も要因のひとつだが、まさか心にあれほどの負荷をかけられているとは思わなかった。


兄の付けてくれた女官ばかりを責められる筈もない。

信頼して付けていた侍女が、アズハルの居ない場所では彼女を徹底的に無視するような態度を取っていたと知らされたとき、愕然として言葉も出なかった。

アズハルを気遣いハイファの無礼を黙っていてくれたのだとすれば、イリリアに苦痛を強いたのは他ならぬ自分だ。



噛みついてごめんなさいと布団の中で泣き続けていた彼女の苦鳴を忘れることはない。

共に見た朝焼けの景色に瞳を潤ませていた横顔も、

凍らぬ湖に向ける透き通るような眼差しも、

痛みの中にあっても変わらず自分に向けてくれる柔らかな微笑みも。


彼女はどれだけのわだかまりを抱えて…どれほどの覚悟で天上へ行く決意を固めてくれたのだろうか。




「……ルゥルゥ」


「はい」


「花嫁の主治医として意見を聞かせて欲しい………イリリアは、再び天上へ戻ることは可能か?」



これほどの状態にしておきながら、それでも上へ連れて行くのかと……通常であれば責められることだろう。

だが、竜人族にとって、天上へ導くことはそれだけの価値がある。


ルトフのように自ら望んで霊峰の頂から下りる者は極稀だ。

ツノを折られ大滝雲を登れなくなった者か…或いは警備という『仕事』で一時的に離脱する者は居ても、天上を故郷と認識する竜たちにとって、上へ…と望む気持ちを捨て去ることは出来ない。


何より、天上へ連れて行かなければ、アズハルたちはこれ以上『先』へ進むことが出来ない。


花への口付けで繋がりを得ただけの現状では、個人的に結びを得たに過ぎない。

竜帝より天上に住まう許可を受け、双方の誓いを唱える儀式を経てようやく、イリリアはアズハルの妃であると広く認められる。


ルゥルゥは医者としての立場と、竜人族としての価値観を天秤に掛けたのだろう。

どこか苦しそうにしながらも、小さく頷いてみせた。


「……今の症状がすべて落ち着き、再順化が済めば天上へお連れするのは問題ないかと」


「前回は順化を再開してから十日前後で大滝雲へ至った……今回は療養の期間も含め、ひと月程度と見れば良いだろうか…」


「はい………ですがそれは、肉体的な問題です。イリリア様の心が再び上を向かれるかは……わかりかねます」


ルゥルゥの補足に、「……そうだな」と返す。

イリリアがもう天上へは行きたくないと言ったなら、自分はどうするだろう。


視力を失い、こんなにも痩せ細り痛ましい姿になった花嫁を前にしても、

天上へ迎え入れ儀式を執り行わなければ…という思いが消えずに心に在り続ける自分があまりにも酷い存在に思えて、嘲笑が零れる。


「……蛇人族の老翁がよく、竜人族は傲慢だと言うが…こういうところなのだろうな」


「………ゆっくりと話し合われてください。イリリア様はきっと、アズハル様の願いを無碍にする方では御座いません」


「…ああ。私が請えば、無理をしてでも天上へ行くと言ってくれるだろう……何故だろうか、彼女はいつだって私の立場を優先してくれようとする…」



命を省みず、傷を負うことを厭わず。



何故だろうかと考えたことはある。

それだけ深く自分を想ってくれているのだろうかと自惚れた思いを持ったこともある。

だが…もしも彼女が、自分にはその程度しか出来る事がないからと、諦観と共に許容しているだけだとすれば……。



彼女が勇気を出して「やっぱり嫌だ」と言ったとしても……自分は結局、彼女を説得して天上へ導こうとするのだろう。


(残酷なことだ……)


残酷で、身勝手で、どれだけ恨まれどれだけ罵られようと……変えることのできない願望(本能)

このまま何も聞かず、何事もなかったように再び天上へ導けばいいと卑怯な考えが過りもする。だが、そのような不義理は許せるものではないし…再びすれ違いの原因となるくらいなら、一方の望みを潰す結果になるとしても、向き合って話し合う必要があるのだろう。



「寒いや眠いという弱音は聞いても、痛くて苦しいという言葉はあまり自発的には口にしない……ルゥルゥ、私が聞けないその言葉を、取り零さないよう努めてくれるか」


「はい」


「熱が下がったら、彼女が信頼を置いている者たちを呼び寄せよう。彼らと会って、少しでも気持ちが上を向いてくれると良いが……」



熱く荒い息を吐き出す姿に、胸は痛むばかり。

償いを…と強く望む心は、浅ましくも彼女からの赦しを求めている。



熱を吸い上げすっかりぬるくなったタオルをルゥルゥに手渡す。

むむ…と眉間に皺が寄ったかと思えば、睫毛の先が震えて、まぶたが開いた。

赤く充血した目は痛々しく、見えない瞳では視線はゆらゆらと細かく彷徨うばかり。


「………………ぁつい、」


「イリリア………白湯を飲めるか?」



声を掛け、慎重に上体を起こしてやると、汗ばんだ身体がふらりと揺れる。


「アズハル、さま」


「ここに居る。何か………して欲しいことはあるか?」


「んー…」と寝ぼけたような声を出したイリリアは、思いついたように「くっきー」と呟いた。ん?と細い声に耳を澄ませる。



「………たべられるようになったら、リームさんの、クッキーたべたい……」


「貰って来よう。少しずつなら、食べても大丈夫だろう」


「……あと、」


舌っ足らずなうえに、ぼんやりとしていて言葉はゆっくりだ。

根気強く続きを待っていると、宙を彷徨った手に服をぎゅっと掴まれた。



「いっしょに寝たい……」



あついけど一緒がいい……と付け加えられて、思わず泣きそうになった。



今居る小屋には一人用のベッドがあるばかり。

それでも以前はぎゅっと寄り添って寝ていたのだから眠れないことはないけれど、今、熱が籠ってしまっては身体によくないだろう。


本当は隣で寝たいという心を押し殺して「熱が下がったらにしようか」と告げると、唇を尖らせたイリリアから「うそつき」と詰られた。


「布団にも安全ベルトにもなるっていったのに…」


「言ったが…今は熱が高いから、密着しては余計に体温を上げてしまうことになるだろう?」


「寝たくないわけじゃない?」


「寝たいが、我慢している」


「さむくなったら一緒に寝てくれる……?」


「ああ。……だがその前に、枕で叩いて貰わなければ」


「………へんたい」



返された言葉に「ん!?」と驚いた時には、イリリアは夢のなかへ戻っていた。

「変態か…?」とルゥルゥに問えば、前置きがなければただの変態ですと真剣に頷かれる。


「しっかりとお目覚めになったときに改めて『共寝を中断した罰として枕で存分に叩いて欲しい』とお願いされてはどうでしょう」


それはそれで何か言われそうだな…とは思ったものの、罰は罰なので受けないわけにはいかない。


かつてラウダは夜中に仕事で出動せざるを得ず寝室を抜けたカイスを、骨が折れて立ち上がれなくなるほどに枕で滅多打ちにしたという。


イリリアはどうだろうか……と一瞬不安に駆られたが、すべて粛々と受け止めようと頷いた。




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