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2. 疑念と誓言




人間の足では遠いからと、抱きかかえられてどれくらい移動したのだろうか。

少し目を瞑っていて欲しいと言われたあと、周りの景色が見えないくらいの物凄い速さで走り出したことは覚えているけれど、乱暴に揺らされるでもなく包むように抱えてくれる優しさにすっかり安心して、すやすやと眠ってしまったのだ。


目覚めたとき、困ったように微笑む美丈夫の顔がすぐ近くにあって、寝惚けたイリリアは一瞬だけ、自分は死んで、天からの使者に迎えられたのかしらと思ったくらいだ。



「目を瞑っていてくれとは頼んだが、まさか眠っていたとは……道中とても静かだったから心配した」


「すみません、すっかり寝ていました」


「私が言うのも何だが……出会ってさほど経っていない男に抱えられた状態で、よく眠れるものだな…」


「最近ずっと気を張っていてうまく眠れなかったので……悪さをするつもりでした?」


「まさか。だがあの短時間で、無防備なまま身を委ねるほどに信頼を寄せてもらえるとは思わなかった。……気分が悪いとかはないか?」


「快適な乗り心地でした」


おかげ様でぐっすりすやすやだったと頷くと、苦笑したアズハルが慎重に降ろしてくれる。

自分の足で立ってようやく、そこがなかなか岩の多い山岳地帯であるのだとわかった。

頬にあたる空気はひやりと冷たく、周囲には薄い霧がかかっている。



「……ここが竜人族の住む土地ですか?」


「いや、ここは霊峰の中腹にあたる。我らが住むのは霊峰の(いただき)。ここよりもさらに五千メートル以上高い場所にある」


「そんなに!?」


今居る場所も随分と高い気がするし、アズハルの言葉に出てきた『霊峰』とは確か、地上で最も高い、天に伸びる山のことだった気がする。

(いただき)は常に雲に隠れて見ることが出来ず、神の住まう山として、山そのものが信仰の対象にもなっているくらいだ。



「ここにはカモシカ族の集落がある。身体を高所での活動に慣れさせるために、これからおよそ一ヶ月間、彼らの集落で生活してほしい」



どうやら竜人族が住む天上と呼ばれる土地は人間が住むには過酷な環境であるため、その前に多少の時間をかけて身体を高所に馴れさせる必要があるのだという。

突然そんなことを言われて、イリリアは少しだけ困惑した。


(……カモシカに囲まれて生活するのかしら)


装備も何もないまま、山の中腹で野生の獣と共に暮らせと言われたらどうしよう。


そんなイリリアの懸念は、すぐに晴れることとなる。

アズハルが案内してくれたのは、小さな山小屋のような家がポツポツと数軒立ち並ぶ牧歌的な集落で、彼はその中の一軒の家の戸口を迷いなく開いた。


中に居たのは穏やかそうな男性で、グレーがかった髪と垂れた目尻がその表情に優しさを追加している。

黒に近い濃紺色の瞳がイリリヤたちへ向けられ、「おや」と微笑まれてしまった。



「ルトフ、今いいか」


「アズハル様、ようこそおいでくださいました」


立ち上がってゆっくりと礼をしたルトフと呼ばれる男性に、アズハルは鷹揚に頷くと「順化の手伝いを頼みたい」と告げた。

ルトフの至極丁寧な物言いとアズハルの態度から、イリリアはアズハルがそれなりに高貴な人物なのだと改めて認識する。

ルトフはゆったり頷くとその優しげな眼差しをイリリアへ向けた。



「勿論でございます。ご挨拶申し上げても宜しいでしょうか」


「許す」


「竜人族のルトフと申します。今は故郷を離れ、妻子と共にこの霊峰の中腹にて暮らす者です」


「ご丁寧にありがとうございます。私はイリリアです。人間で、ええと……」


「我が妻であり、花印(かいん)を持つ花嫁だ」


アズハルからの補足説明に、ルトフは表情を明るくした。

「やはり、花印を有しておられるのですね…!」と至極嬉しそうに言い、アズハルへ向けて深々と頭を下げた。


「アズハル様、この度は誠におめでとうございます」


「ああ」


「イリリア様、詳しくは後程ご説明致しましょう。先に妻子の紹介をさせてください」


まさか自分にまで尊称を付けてもらえるとは思わず、イリリアは少しだけ恐縮してしまった。

アズハル…様、って、何者なのだろう…と隣を見上げると、ルトフよりも明るい夜色の瞳がイリリアに向けられる。



「彼の妻君はカモシカ族の女性で、もともと高山帯に住む者だ。ルトフは婚姻を機に、天上を離れ妻君の住む集落に根を下ろした」


「竜人族は、異種族との婚姻が盛んなのですか?」


カモシカ族と呼ばれる種族は初めて聞くが、この世界には幻といわれる竜人族の他に獣人族と呼ばれる種族が居るとされる。

おそらく、ルトフの奥さんも獣人族の一種なのだろうが、同族婚を基本とする人間からすると、竜人族が他の種族と婚姻を結んでいるという事に驚きを禁じ得ない。


(私も人間だけど、普通に花嫁として受け入れて貰えたし…)


イリリアの疑問に対しアズハルは、天上と呼ばれる霊峰の頂に住めるのは竜人族だけであるため基本的に同族婚が多いものの、霊峰やその近辺に住む獣人族とも交流があり、そちらの集落で相手を見つける者も居るのだと教えてくれた。

ルトフはもともと霊峰を見回る警備隊に所属していたが、その際にカモシカ族の女性と出会い、恋に落ちたのだという。



奥へ行っていたルトフが、彼と同じく優しげな瞳を持った柔和な雰囲気の女性と、イリリアと同じくらいの背丈の少年、そして見るからにまだ幼い少女を連れて戻ってきた。

少女の額には小さな角のような突起が二本あり、頬には鱗のような模様が薄らと浮かんでいる。


「妻のリーム、息子のリヤーフ、娘のラシャでございます」


ひとりずつ、名を呼ばれるとぺこりと会釈をしてくれる。

ラシャと呼ばれた少女は母親の片脚にしがみついたままだったが、ルトフから「ほら」と促されてとても小さく頷いてくれた。


「皆、アズハル様の花印をお持ちのイリリア様だ。粗相のないように」


花印という言葉に、奥さんの表情が一層に柔らかくなり、皆に視線を向けられたイリリアは慌てて「はじめまして、よろしくお願いします」とお辞儀をした。



「この度は誠におめでとうございます。順化のことは主人より聞いておりますので、お手伝いさせて頂きたく思います。イリリア様も、どうぞ気を楽になさって」


リームからゆったりと話しかけられ、その穏やかな物言いに少しだけ肩の力が抜ける。

ルトフは母親の脚にしがみついたままのラシャに一度視線をやると少し困ったように眉を下げてから、息子のリヤーフへ視線を向けた。


「ラシャはまだ幼く、人化も礼儀も十分ではありません。リヤーフを補佐として付けさせていただいても宜しいでしょうか」


その申し出に、難色を示したのはアズハルだ。

イリリアからすれば、ルトフによく似た面立ちの快活そうな少年に何の問題も感じない。



「男児ではないか……」


「いけないんですか?」


渋面になったアズハルは、イリリアとリヤーフを交互に見遣ると、小さな声で呟いた。


「…………きみと恋仲になっては困る」


「恋仲!?え……私、貴方のお嫁さんになるんじゃないんですか?」


「そうだな。イリリアは我が妻。それは間違いない。だが……」


「……もしかして、浮気するって思われてるの…?」



思わず眉を寄せてしまったイリリアの言葉に、アズハルはハッとしたあと俄かに青褪める。

だがイリリアとしては、アズハルの言葉は不本意極まりないものだった。

自分はそんなにも尻軽に見えるのだろうか…と思えば、自然と表情も険しくなるというもので。


「違うのだ、だが…」と言い淀むアズハルに抗議の眼差しを向けていると、その様子に困ったように微笑んだリームが「アズハル様、少しお散歩をされてはいかがです?」と助け舟を出した。


「あまり長く歩き回るのは危険でしょうが、景色を眺めるだけでも気持ちが整われるかと。そのあいだにお茶のご用意を致しますわ」


「そうさせてもらおう……その、構わないか?」



確かに初対面の人たちの前でこれ以上険悪な空気を晒し続けるのも迷惑な話だろう。

渋々ながらに頷いたイリリアに少しホッとした様子のアズハルから促され、外へ出る。


移動中のほとんどの時間を眠っていたため知らなかったが、今はもう水浴びをした夜から二日経った昼頃なのだという。

花印が広がったことで体力を使ったのだろうというのがアズハルの見立てだが、逃亡生活に疲れ果てていたのも事実。

しっかり休めたおかげか、どことなく体が軽い。

けれども高山帯らしく空気は薄いようで、数歩歩いただけで、はぁ…と息が苦しくなる。


足場が悪いからと差し出してくれた手を取って、ルトフの家から少し離れた岩場に立つ。

周囲は見渡す限り薄い霧に覆われていて、岩場から少し身を乗り出して下方へ目を向けると、濃い霧の向こうにゴツゴツとした山肌が見えた。

視界は悪いのにいつもより強く感じる陽射しに、本当に山に居るんだなぁと思った。



「……………。」


「………………その、先ほどのことだが、イリリアを疑っているわけではなく……」



歯切れ悪く切り出された話題に、イリリアは静かな瞳を向ける。

不貞淑な女だと思われているのなら否定したいし、それでも認識が覆らないというのなら、彼の妻になることは考え直すべきなのかもしれない。


言葉を探すアズハルの様子からは、わざとイリリアを貶めようとする意図は感じられない。

だとすると、もしかすると人間と竜人族とで、考え方の違う部分もあるのかもしれない。


無言で続きの言葉を待つイリリアに、アズハルは懸命に伝えようとしてくれる。



「心配、しているというか………私もずっとこの集落に留まれるわけではない………だが、イリリアは可憐で魅力的だろう?他の男にも目を付けられてしまうかもしれないと心配で……」


リヤーフは竜人族なのだという。カモシカ族とのハーフだが、竜人族は(いでんし)の力が強いため、片親が竜人族ならば生まれた子は必ず竜人族になるそうだ。

そしてまだ未成年で少年と青年の境にあるものの、外観年齢でみてもアズハルよりもイリリアと歳の頃が近く見える。

だからこそ余計に心配になったのだと、しどろもどろに説明するアズハルにイリリアは心の中で頷いた。


……そういえば、純情だったわ。


こんなにもボロボロでお世辞にも綺麗とは言えない格好をしているイリリアを「可憐で魅力的」と言うあたり、アズハルは本当にイリリアの事を悪くなく思ってくれているのだろう。

きみは可愛いから他の男を近づけさせたくないと言われて、不愉快に思う筈がない。

イリリアが「わかりました」と伝えれば、アズハルは如実にホッとしてみせた。

その様子が可愛く思えて、ついつい愛でたい欲求が膨らんでしまう。



「……頭を撫でますので屈んでください」


「撫でる!?」


「竜人族は頭を撫でられてはいけないという決まりがあるのですか?」


「そんなことはないが………いきなり、どうしたんだ」


「可愛く思ったので」


「可愛く??」


盛大な疑問符を浮かべながらも「屈んでください」と再度お願いすれば、ゆっくりと上体が屈められた。

白い髪がさらりと揺れ、絹糸のような美しい髪に触れることに罪深さを覚えながらも、両手をわしりと差し込んで遠慮容赦なく頭を撫でる。

絡まないよう何度かもしゃもしゃと撫でたあと、手櫛で乱れを整えた。


身を起こしたアズハルの目元は赤く染まっていて、気恥ずかしそうに視線を彷徨わせている。

そんな様子もまた可愛く思えるし、美丈夫が恥じらう姿は、何というか背徳感がある。



「そういえば、ツノとかは無いんですね」


ラシャには、額の生え際あたりに小さな突起があったように見えた。

だがアズハルやルトフ、リヤーフにはツノっぽいものは見られない。

幼い頃だけなのかな?と思っていると、アズハルはどこか慎重な口調で問いかけてきた。


「………ツノを、探していたのか?」


「探してはないですけど、あるのかなと……ラシャちゃんの頭にはそれらしき出っ張りがありましたし、お伽噺の中では竜には立派なツノと髭があるので。もしかして、あっても触ってはいけない部位でした?」


「いや………だが、竜は不用意にツノや鱗を晒すことはない。ラシャのように隠す能力が未熟なうちは基本的に家のなかに隠して育てる」


「へえ…大事な部分なんですね」



ラシャが母親の脚にしがみついて顔を隠そうとしていたのも、ツノや鱗を晒したくなかったからかもしれない。

挨拶のためとはいえ申し訳ないことをしたな…と思っていると、そんなイリリアの様子をじっと見ていたアズハルは悩ましげな顔で突然謝罪した。



「すまない……確かにきみを疑ってしまった」


「浮気するかもってことですか?」


「いや、そちらではなく……きみが私や他の竜のツノを狙っているのではないかと」


「ツノを狙う?」


よくわからなくて首を傾げると、苦笑しながら、昔むかしの話を教えてくれる。


かつて竜人族がまだ地上に場所に住んでいた頃、竜のツノや牙、爪……ヒゲから(きも)に至るまで、良い素材や薬になるという噂が広まり、人間たちに執拗に狙われたのだという。

竜の姿でいると獣のように認識され、襲われる危険が高かった。ゆえに身を守るため、竜としての姿は滅多に見せず人間に似た姿で過ごすようになった。


頭を撫でられ「ツノがない」と言われたアズハルは、一瞬だが自分のツノが素材として狙われたのではないかと疑ってしまったらしい。

それを謝罪され、イリリアはむしろ、かつての人間たちの強欲な振る舞いを恥じた。



「それは……むしろすみません」


「いや、人間という括りだけで疑い警戒してしまった」


「そんな事があったのなら警戒しても仕方がないと思います。でも私は、ツノを見てみたいとか触ってみたいと思う気持ちはありますけど、もぎ取りたいとは思いませんので、そこは信じてくれますか?」


「勿論だ」


力強く頷いてくれたため、じゃあリヤーフとは浮気をしないということも信じてくれますか?と追加すれば、そこは何か譲れないものがあるのか、悩ましげに黙り込まれてしまった。


「どうすれば安心してもらえます?」


「こんな事を言うのは心苦しいが……すまない……私のことを裏切らないと、一度でいいから誓ってくれないだろうか」



信じきれない何かがあるのか、或いは信じるためのキッカケが欲しいのか。


そんなにも悩ましく思うなら補佐役なんて不要だと言ってあげたいところだが、右も左もわからない集落で生活する以上、やはり誰かの手助けは欲しい。

同じ女性であるリームが補佐に宛てがわれないのは彼女が竜人族ではなくカモシカ族であることが理由かもしれない。それに、同性だからといって顔を晒したくないラシャを無理やり引っ張り出すわけにもいかない。

既婚者であるルトフなら問題ないだろうかと思ったが、彼には霊峰を見回る警邏の仕事があるため難しいのだという。


そもそも浮気するつもりはないし、誓うだけで安心できるなら構わないけど…。


ひゅうと風が吹く。

さらりと揺れる白髪と真っ直ぐに向けられる真摯な眼差しに、イリリアは服の上からそっと胸元の痣を押さえた。



「貴方を裏切るような真似はしません……この花に誓って」



「この上ない言葉だ……ありがとう」



堪らずというように破顔したアズハルの美しさが、網膜の裏に焼きついた。




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