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14.5(幕間)巾箱の寵

▽ラウダ視点




アズハル様のお屋敷を整える仕事に就いたのは六十年ほど前。

そろそろ成人が近いからと竜帝陛下のご実家を出られて南の離宮に居を移されたアズハル様に、自身の輿入れを機に仕えることとなった。


ラウダの夫であるカイスはアズハルから深い信頼を寄せられている護衛隊士だ。かつては『竜帝陛下付き』という肩書きのもと、アズハル様に貸し出される形で護衛役を務めていた。

離宮へ移るにあたり「成人したら正式に私の近衛になって欲しい」と請われたそうで、陛下の許可が下り次第、正式に赴任する手筈となった。


不遇の第二王子と陰ながらに呼ばれるくらいには、アズハルの立ち位置は難しい。

夫であるカイスから「公私でお支えしたい」と頼まれたラウダは、任せて欲しいと胸を叩き、アズハルの私邸に仕える侍女となった。



だから、この六十年の間のアズハルのことは十分に見知っている。


成人の儀式で花嫁が見つからなかったときの落胆具合も知っているし、意気消沈しながらも毎夜、庭の御池に映る月へ祈りを捧げる姿も知っている。

そして明かりの灯らない花嫁用の離れを見ては、その瞳に諦めの色を滲ませていることも。


だから、御池での祈りの最中に突然竜に変容して姿を消したときは心底驚いたし、そのまま三日も帰らなかったときには心配しすぎて夜も眠れなかった。


結局、三日後の朝には何事もなく戻ってきたのだが。


花嫁からの呼びかけがあったから大急ぎで地上に下りて、そのまま霊峰中腹のルトフの元に預けて来たのだと言うアズハルを皆で寿ぎ、ひとしきりお祝いを言い終えたところで庭に正座させて懇々とお説教をした。


地上のような恐ろしい場所をひとりで駆け抜けたというのがまず信じられない。

花嫁を抱えての移動は、負担にならない程度の速度しか出せなくなる。万が一にも人間たちに見つかり囲まれて襲われたらどうなっていたことか。

地上や霊峰の下方には凶暴な人間がウロウロしているのですよ!?と叱ったラウダに、「だが……見つかった花嫁は人間だ……」と告げたアズハルの顔は完全に拗ねた子どもだった。



それからアズハルの私邸を整えるラウダの仕事は少しばかり減った。

なぜなら彼は毎夜カモシカ族の集落へ赴き、花嫁と共寝をして戻ってくるようになったからだ。

朝になると律儀に天上へ戻り、陛下への報告や花嫁を迎える準備を含めた必要な執務を済ませ、再び共寝の為に中腹へ戻って行く。


毎朝毎晩数千メートルの垂直移動を往復でして疲れないのですか?と聞けば、花嫁のそばに居ればそれだけで疲れは吹き飛ぶからとご機嫌だった。

たまにヘロヘロになって戻る日もあり、そんな時は大抵、花嫁からの過分な愛情表現を受けた後だった。



南の離宮に仕える古参の者たちにとって、アズハルは末っ子のような存在だ。

王子であり敬愛すべき存在だが、同時に慈しみ庇護すべき存在でもある。

ラウダにはまだ子は居ないけれど、すでに大きな子どもを抱えているような気持ちだった。



そんなアズハルが大事に大事に抱えて慈しむ花嫁は、今にも折れてしまいそうなほどに華奢な娘だった。



初めてその姿を拝見したのは、王宮から派遣されたという女官らの企みにより、花嫁の心と身体が大きく傷つけられた事件のあと。

珍しくも憤然とした様子でハイファを侍女から解任したアズハルは、花嫁を迎え入れるために整えていた離れを一時的に閉ざし、ラナーを私邸に控えさせたうえでラウダを下の拠点へ向かわせた。


ベッドで意識を閉ざす少女のあまりの儚さに、ラウダは泣きそうになった。

人間だというから、もっと苛烈な印象を抱いていたけれど、これまでの道中にどれだけの苦労を重ねたものかすっかり弱りきった身体は骨が浮くほどに細く弱々しく……ふくよかな胸に宿る三連の竜胆だけが艶やかに輝いていた。

そして、背中に一面咲き誇る圧巻の花の印に目を瞠る。

アズハルから事前に聞いてはいたものの、実際に目にすれば信じられないほどに美しく、感動で涙が滲んだほど。


ラウダは満開の竜胆を背負う朝露のような少女を、そっと柔らかな寝間着で包んだ。



アズハルが保護する前にも空腹を持て余していたという少女は、愚かな雷鳥のせいで発露した食事への渇望を抑えきれず、七日ものあいだ、泣いては苦しげに呻めき続けた。

激情のままにアズハルの腕に噛み付いたあとは発狂したように泣き狂い、殻に閉じ篭るように布団を頭から被って顔さえ見せてくれなくなったという。


さすがに憔悴するアズハルの背を、カイスと共に支える。

優しく宥めて慰めるのが夫のカイスの役割であるならば、ラウダの役割はその背を叩いて鼓舞することだ。

ここで貴方が折れてはこれまでのお花様の努力を全て無駄にすることになりますよ!と叱り、お花様には貴方しか居ないのだから顔が見えなくとも寄り添い続けるようにと、何度も口煩いほどに言い聞かせる。


霊草以外はもういらない…と涙を流しながら食事を嫌がる花嫁の様子を陰ながらに見ては、どうか命だけは捨てないで……と身勝手なことを願いもしたものだ。


そんな花嫁は、ちゃんとアズハルと向き合い、心に折り合いをつけて再び顔を上げて天上への道を歩んでくれた。


王妃様よりお貸し頂いた小屋で待機している最中、アズハルの降参するような弱りきった声が何度か聞こえたのは空耳ではないだろう。ヘロヘロになって部屋から出てくる姿にあらあら困ったものねと思いながらも、先日までの悲壮な状況に比べれば随分良くなったと胸を撫でる。



大瀑布を遡る行為は、さすがに竜人であれど負担になる。

アズハルが顔色を変えず何度も行き来する姿を見ては王族の血筋を感じ、彼が白髪を持つ意味を思う。

初代竜帝の高貴なる血を引く白き髪を持つ者は、飛翔能力が抜群に高く、誰もが畏敬を抱く存在。


そんな第二王子の妃として、長らくの順化を終えてようやく天上へ迎えられたイリリアという名の花嫁は、離宮に着いてからも暫く目を覚まさなかった。


到着直後は一時的に意識が戻ったというから、今は休眠のなかで身体を天上の空気に慣らしているのだろう。

当然のようにアズハルは連日連夜心配そうに寝台の傍に付いていたが、今朝方、くたびれた顔で安堵したように微笑んだ。


「昨夜から小さく寝返りを打ち始めたから、目覚めが近いかもしれない」


寝返り…?と思ったものの、確かに時折、ころりと半身ひっくり返ろうと動いている。

完全にうつ伏せになることもあるしコロコロ転がるようにしてベッドから落ちそうになることもあるが、それが元気の証なのだと聞かされ、人間は不思議な生き物ね…と一応頷いておく。


それから暫くしてラナーの呼びかけで寝室へ顔を出せば、儚い少女がベッドの上で静かに身を起こしていた。

こちらをぼんやり見る目に敵意や害意はなく、むしろぼうっとしすぎていて大丈夫かしら…と心配になるほど。

不安そうな表情ではあるが「おはようございます」「ありがとうございます」と丁寧に返答してくれることに胸を撫でる。


いつまでも心配そうに花嫁のそばに張り付いているものだから、今朝方「お目覚めになったらお伝えするので少しは休んでください」と追い出したはずのアズハルが時間を置かずに離れへ戻って来たことには呆れたものの、待ち望んだお相手との再会を邪魔するつもりはなかった。


一体どんなやりとりをするのかしら…と不敬にならない程度に扉横で様子を伺っていると、なんとまあ、穏やかすぎるふたりがのんびり言葉を交わしたと思えば、花嫁は迷いなく両の細腕をアズハルへと伸ばし、アズハルも躊躇いなくその身を優しく抱き上げた。


(あらまあ。異種族のお花様はもっと……大変だと聞いていたけれど……)


西の離宮に住む、竜帝陛下の妹君でアズハルの叔母にあたるヌーラ様の花婿は、それはもう大変だったと聞いた。今でこそ少しは落ち着いているけれど、天上へ至った当初は我こそはとばかりに威張り散らし、我儘三昧だったと西の知人からは散々愚痴を聞かされたものだ。


それがどうだろう。

腕に抱えられたまま寄り添って散策する姿は、平和そのもの。


知らず強張っていた肩から力が抜ける。

本当に善き良き相手に巡り会えたのね……と喜ばしく思っていると、不意に半身振り返ったアズハルから「寝所へ運ぶから整えてくれ」と声を掛けられた。

びっくりしてその腕の中を覗き込めば、すっかり身を委ねた花嫁が、可愛らしく小さな寝息を立てている。


「おやすみになられたのですか?」


「抱えているとよく眠る……愛らしいばかりだ」



白き髪を持つ王族と運命の花は、見えない糸で繋がっているとよく表現される。

竜は花に寄り添えば癒しと幸福を得ることができ、花は竜に添うことで生命と安寧を得る。

抱えられてすやすやと眠る花は、竜の傍らで深い安寧を得た証だろう。


手早く寝台を整えると、アズハルはまるで宝物を置くかのようにそっと花嫁を寝かせた。

途端、ころんと半身ひっくり返って、それを見たアズハルが幸せそうに笑う。


「安らいでくれているのなら良かった」


「僅かな時間でしたが、お目覚めになられて良かったですね。

このラウダ、花の来訪を心より歓迎いたしますと共に、悲願成就を深くお祝い申し上げます」


「ありがとう。道中の支えも助かった」


「いいえ。それにしても……アズハル様へ躊躇いなく両手を伸ばされた時は驚きました」


「移動を手伝って欲しいときや寒いときはよくある」


「あら……お花様は人間でいらっしゃいましたよね?」


「時々ナマケモノ族に転向しようなどと冗談を言っているがな……他の種族と同じで、高所では息苦しさや頭の痛みをよく感じるようだ。あまり大きな刺激を与えるのも、激しく動かすのも良くない。身体に負担がかかる作業を控えるよう、注意して見ていてくれ」


「畏まりました」


「ラウダも知っての通り…王宮女官らの企みで心身に負荷がかかった……今は出来るだけ静かな環境で、身を馴染ませることを優先して欲しい」


「はい。何か好まれることはありますか?」


「のんびりと茶をしながらお喋りするのは好きなようだ。気兼ねなく話せる相手がいると喜ぶ。あとは……これから少しずつ好きな事を見つけていくだろう。気質はおそらくラナーに似ていると思うが、大きな声では叱らないように」


「まぁ……」


寡黙で終始マイペースな姪を思い起こし、似ているかしら…?とベッドで眠る儚げなお花様を見遣る。

お花様を叱ったりしませんよと言えば、ラウダは私のことも遠慮なく叱るじゃないかと眉を寄せられてしまったが、それはアズハル様が叱られるような事をするのがいけないのだ。


「程良い距離感で構わないが、あまり距離が遠いと寂しがるだろうから…ラナーには多少の目溢しをしてやってくれ」


言葉が崩れたり多少態度が気安くても、イリリアが嫌がっていなければそれで良いと寛容な言葉をもらい、わかりましたと頷く。

中腹でもルトフの息子のリヤーフと仲良く過ごしていたというから、ラナーともそのように過ごして欲しいと思っているのだろう。

正直、ラナーを侍女に登用すると告げられたとき絶対に無理だと思ったのだ。けれど、アズハルなりに考えがあるというのならば従うまで。



もう少し寝顔を見てから戻ると言うアズハルを寝室に残し、隣の続き間へ下がる。

護衛として立つ夫のカイスの横に並べば、「どうした?」と視線で問われた。


「お幸せそうで安心しました。それに何だか、急に頼もしくなって……」


あれほどにか弱い花であるのだから、アズハルの中にも守らなければという使命感が生まれているのだろう。

お花様と顔を合わせてまだ半刻にも満たないが、ラウダの中にも早くもその感情が芽生えつつある。


「こういう言い方は無礼なばかりですけど、苦労してきた末っ子が一生懸命、鳥の雛の世話をしているような…そんな微笑ましさがありますわ」


そうか……と頷いた夫は、端正な顔を寝室の扉へ向ける。


「鳥の雛は脆い。アズハル様が悲むことがないよう、よくよく目を掛けて助けて差し上げるように」


「努めますわ」


この夫から八十年ほど前に、自分に群がる女たちを蹴散らして隣に並んでくれと言われた時は、何を言ってるのだと横っ面を引っ叩こうかと思ったくらいだ。


群がる女共が煩わしいのなら自分でどうにかするべきであるし、ラウダは当時人気を二分していた警備隊の隊士のうち、カイス派ではなく断然ルトフ派だった。

彼がカモシカ族の女性の為に天上を下りたと聞いたときは部屋に閉じこもって連日連夜枕を濡らしたものだし、諦めきれずに自分も追いかけようかしらと思った程だ。

そんなラウダを見舞いに来たと言いながら壁際に追いやって囲ったまま、ルトフのことはもう忘れろ…などと言われた時にはその腹に渾身の拳を叩き込んだ。


多くを喋らないくせに、それでこちらに問題なく伝わると思っているところが腹立たしい。

ルトフの魅力には及ばないものの周囲の女性が騒ぐくらいに容姿が整っているのも何だか癪に触る。


口喧嘩はよくするが、ラウダが何を言っても糠に釘状態であるし、いつでもどこでも自分のペースを崩そうとはしない。我ながらよくも伴侶として選んだものだと思う。



(けれどまあ…お花様をお迎えしたからには、暫くは揃ってのお休みを頂くのは難しいでしょうし……)


そう考えると少しばかり寂寥感が沸くのだから、本当に困ったものだ。

小さくため息をついたラウダにカイスはちらりと視線を向ける。


「…なにか?」


「いいえ。そろそろお呼びしないと……放っておけば一日中お花様の寝顔をお見つめになるでしょうからね」


これまでに、カイスの隣に並ぶよりも困難であった事はない。

交際してもいない頃から取り巻きの女たちに目の敵にされていたラウダは、ある事ない事で文句を言われるのが面倒くさくて全部蹴散らして回った。結果、竜帝陛下と第二王子の前でプロポーズを受けるというとんでもない出来事に見舞われた。本当によく、受け入れたものだと思う。



「おふたりを引き裂くような邪魔者は、たとえ誰が来ても私が蹴散らしてみせましょう」と勢い込むラウダに、カイスは「力加減を誤らないようにな」と小さな助言を贈った。






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