人間らしさを忘れないために
AIが進化する時代に、私たちの感情や想いはどこへ向かうのだろう。
この文章は、便利さの裏にある静かな問いかけを見つめた、小さな記録です。
AIがめざましい速さで進化している今、
「便利になる」「効率が上がる」という声が、あちこちから聞こえてきます。
感情に左右されず、常に最適解を出し続けるAI。
株の売買でも、業務の判断でも、感情を挟まない分、成果は安定しているようです。
だけど、私はふと思ってしまいます。
【その完璧な判断の先に、「人間」はちゃんといられるのだろうか?】と。
歴史をふり返ると、私たちはずっと同じことを繰り返してきました。
時代の流れにうまく乗れた人たちは、恩恵を受けて豊かになっていきます。
でも、その裏には、うまく乗れなかった人、乗ることを望まなかった人たちがいて、
気づけば彼らが「仕組みの下」に押し込められてしまっている。
農民が職を失い、職人の技が見捨てられ、
情報を持たない人が騙される構造すら、珍しいものではありません。
AIが入っても、それは変わらないかもしれない。
いや、もしかすると、もっと見えにくくなるかもしれません。
私はAIを否定したいわけではありません。
むしろ、人間とAIはきっと共存できると信じています。
でも、共存には前提があるはずです。
誰かだけが得をして、誰かが声も出せずに搾取されるような世界は、共存ではない。
そして、そんな世界が来てしまう危険は、たしかにある。
なぜなら、社会が大きくなればなるほど、個人の想いや願いは摩耗していくからです。
「ちゃんと未来のことを考えている人」はたくさんいます。
けれど、組織や経済という大きな歯車に飲み込まれれば、
その声は小さくされてしまうこともある。
気がつけば、効率や利益という“正しさ”だけが優先され、
誰かの痛みが「ノイズ」として処理されてしまう。
それでも、私は信じたい。
人間の感情には、意味がある。
誰かの想いには、力がある。
「おかしい」と感じるその心が、時代を止める鍵になる。
AIが未来をつくっていくこの時代にこそ、
私たち人間が人間らしさを手放さずにいられるか。
それが本当の分かれ道になるのだと思っています。
たとえ小さな声でも、
たとえ少数派でも、
「忘れないこと」「感じること」「問い続けること」を、
私は選びたいです。
あなたは、どう思いますか?