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「心の痣」+「色彩」

色彩

作者: 鈴音

優しくて勇気の出ない彼。どんなことがあっても想いは変わらない。

 俺は目の前の貴女が好きだった。笑顔がとても可愛くて一緒にいると安らぐ存在。他にはこんな感情を抱く人はいなかった。だから「親友」というラベルを付けた。狡いことをしていることは分かっていたけど、ラベルを付けたことに後悔もしていた。貴女はいつからか突然変わってしまった。何も言ってもあしらわれる。真面目な言葉も空の彼方へ消えていく。何故かも分からないまま時は過ぎて行く。何故か聞いてもはぐらかされた。そうかと思えば、色々な形でアプローチをしてきたりする。目の前の貴女が分からなくなってきた。それでも貴女のことが好きで堪らなかった。今までのどんな人よりも特別な存在。今日は気合いを入れて想いを伝えようとしていた。


「じゃあね」

「また今度ね」

 結局、いつも通りに別れてしまうのか。でも、今日は言うと決めたのだから呼びかけようとした。その時貴女が振り返った。微妙な距離感と変な空気。息が上手く出来なかった。でも、これが一世一代のチャンスだった。

「今日も楽しかった?」

「楽しかったよ」

 と貴女が手を振りながら答える。当たり障りのない会話をしたら言う機会を逸してしまった。どうしようかと考えていたら、突然貴女が走り出した。ヒールが取れて裸足になっても走り続けて、とうとう転んでしまった。地面にへたり込んだ貴女は急に泣き出してしまった。慌てて追いかけて慰めるしかなかった。慰めながら、自分は貴女のことを何一つ分かっていなかったことを悔やんだ。きっとあの雰囲気にトラウマがあったんだろう。そうだとしたら、なんてことをしてしまったんだと己を責めた。ようやく落ち着いたみたいで足の汚れを払って立ち上がった。脚は怪我だらけだった。あまりにも痛々しい姿に胸が痛くなった。


 その時、貴女は一言こう告げた。

「さようなら」

 頭が真っ白になった。目の前は真っ暗になった。あんなにも一緒にいた貴女からそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。気が付くと情けなく項垂れていた。目の前の貴女の姿がどんどん小さくなっていく。気が付くと走り出していた。ここで呼び止めないと二度と会えない気がした。待って、と貴女の腕を掴む。でも、その手は無常にも解かれてしまった。もう追いかけることは出来なかった。その場で立ち尽くすしかなかった。頬に涙が零れた。あの時、力を入れて解かれないようにすることも出来たのに。何故そう出来なかったんだろう。分からない。どれだけ考えても分からなかった。きっと貴女とはもう会えないのだろう。「さようなら」と呟いてみた。また、涙が出てきた。


 往生際の悪い俺は「大丈夫?」と平静を装ってメッセージを送ってみた。いつまで経っても返信が来ることはなかった。家に向かうことも出来たけど、そんな勇気は持ち合わせていなかった。全てが終わった瞬間だった。結局のところ、俺の不器用さが全てを壊してしまった。あの時、すぐに好きだと言えていたらこうはなっていなかったのだろうか。いや、きっとまたあしらわれていただろう。どんな可能性を考えても良い結果は出なかった。


 なのに、何で俺は必死に伝えようとしていたのだろう。怖がりで勇気のない俺が。とにかく大好きだった。あの笑顔も、眼差しも、泣き顔も、喧嘩した時も。全てが好きだった。貴女と出会った日からずっと好きだった。「親友」というポジションに隠した「好き」は泡となって消えてしまった。


 あの日から毎夜、別れてしまったあの場所に通うようになった。柵にもたれかかって街の景色を眺める。煌々と光る観覧車、橋から見える車のテールランプ、そして大きな月と星達。全てが乱反射して目の前の川に光を注いでいた。この景色は二人で見たかった。ここに毎夜通っているのは貴女がここに来るかもしれないという僅かな希望を持っていたからだ。会ったところで何も出来ないのに。それなのに何故僅かな希望に縋りついているのだろう。来ても悲しみが積もっていくだけなのに。


 新しい人を見つければ楽になると人は言うけど、そんな気にはなれなかった。どうしても貴女しか考えられなかった。たまに言い寄ってくる人はいるけれど、何一つ嬉しくなかった。むしろ虚しさが募るだけだった。他の人を考えるにはあまりに貴女と一緒に居た時間が長すぎた。もう全て貴女でいっぱいだった。会いたい。会えない。過去にもこんなことがあった。勇気がなくて見送った恋人。でも、今回は離したくなかった。ただ見送るだけなんて出来なかった。ただ、それでも貴女は去ってしまったのだけど。そんな時にどうすれば良いのか分からなかった。仕事と違って、イレギュラーが起こるとすぐに頭が真っ白になって動けなくなる。


 不器用だった。今まで誰のことも幸せに出来なかった。一番幸せを分け合いたかった貴女ももういない。きっと俺は表面しか見ることが出来ていなかったのだろう。内面まで見る余裕がなかった、というより見るのが怖かった。自分に自信がなかった。ヘマばかりする俺を迷惑だと思っていたのではないか。表面しか見ていなかった俺に気付いていて呆れられていたのではないか。突然変わってしまった頃に良い人が見つかって、それの練習台として使っていただけかも知れない。貴女はそんな人じゃないと分かっているのに、考えが浮かんでは消えていく。今、見守ってくれるのは目の前の景色だけだった。


 あの日からずっと上の空だった。仕事はしっかり出来ている。でも、ふわふわとしていて生きた心地がしなかった。昼食もまともに摂れず、体重はゆっくりと減っていった。昼休みに同僚にどうしたのか、と声を掛けられたけど大丈夫としか答えられなかった。私用で重要なことは皆には言えなかった。特に今回は絶対に言えなかった。いつものように同僚と他愛のない話をして昼休みが終わった。順調なのは仕事だけだった。いや、むしろ仕事をしていないと気が狂いそうだった。


 今日も仕事を終えるとあの場所へ足を運んだ。景色だけは何一つ変わらなかった。川も気持ちもまた乱反射している。あの日を繰り返し思い出すだけの日々。最早、生きる力を失っていた。ここまで貴女の存在が大きいとは思いもしていなかった。景色がぼやけていく。悔しさは日を重ねる毎に強くなっていった。その時、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。今は雨なんてどうでも良かった。雨は勢いを増し、周囲の音をかき消す。世界に取り残された気分。それでもずっと街を見ていた。もうずぶ濡れになっている。街の明かりが消えても帰れなかった。いや、一歩も動けないでいる。早く気持ちを切り替えないといけないのに、どんなに試しても駄目だった。寒い。寒い。寒い。全身も心もガタガタと震えている。今日は帰ることにした。家に帰って、あたたかいお風呂に入ってベッドに飛び込む。ふかふかで柔らかくて全てを分かっているような肌触りだった。


 そのまま寝てしまったのだろう。目が覚めると頭も身体も重かった。熱が出ていた。ずぶ濡れになったのだから当たり前だ。幸いにも今日は休日だった。柔らかな毛布に包まりながらホットミルクを飲んだ。味はしなかった。何の味も。膝を抱え込んでまた俯く。こんなに一つの物事に引っ張られるのは初めての経験だった。貴女は今何をしているのだろう。考えても結果が出ないことをまた考えていた。未練しかない。会いたい気持ちはずっと変わらなかった。熱くて寒い。解熱剤を飲んでため息をついた。色を失った世界に何の意味があるのだろう。眠ったまま目覚めなければ良いのに。流石にそれは言い過ぎだ、と首を振る。頭は相変わらずドクドクと痛かった。


 アラームの音で目が覚めた。今日も仕事は休み。仕事に穴は開けたくなかったからホッとした。解熱剤のおかげか体調はかなり楽になっていた。その内に昨日出来なかった家事を一通り行なう。それが終わるとまた毛布に包まった。静かな部屋の中。前までは賑やかだったのに。また自分を責めた。責めることしかもう出来ることはなかった。スマホにある沢山の写真を眺める。どれも楽しそうに写っていた。貴女は本当に楽しんでいたのだろうか。それとも俺の空回りに付き合ってくれていただけなのだろうか。答えはもう聞けない。メッセージを送ること自体は出来るけれど、出来る訳がなかった。貴女は今頃何をしているんだろう。元気ならもう十分だった。解熱剤を取ろうと立ち上がると、フラフラしてそのまま倒れ込んで起き上がれなくなった。明らかに栄養失調なのは分かっている。いつも着ている服はとっくにブカブカになっていた。そこから記憶がない。


 次に記憶が戻ったのはドアを激しく叩く音だった。倒れてから何日経ったんだろう、と呑気なことを考える。ドアを開けると必死な様子の同僚が立っていた。心底ホッとした顔と同時に驚いた顔をしている。当たり前だ。こんなにやせ細っているのだから。同僚は慌てて走っていった。しばらくすると息を荒らげた同僚がコンビニ袋いっぱいの食料を持っていた。食べられないのに。ぼーっと立っていると部屋に押し戻された。そして、テーブルには沢山の食料が並べられる。同僚は

「少しでも良いから、絶対何かは食え」

 と言って会社に電話をかけ始めた。どれも食べる気にはなれない。美味しそうだという感覚も失っていた。電話を終えた同僚は、何も食べられていない俺を見て呆れた顔をした。死ぬぞ、と言われてもピンと来ないし何も思わない。考える力は壊死していた。目も死んでいた。何より本当の意味で死にかけていた。とうとう同僚の声も聞こえなくなる。しばらくすると担架が部屋に入ってきた。そのままそこに載せられる。外には赤く光る車が待っている。


 病院に着くとそのまま栄養の入った点滴が繋げられる。これが生命を繋ぐ最終手段らしい。無機質な機械音が耳障りだった。ここでは眠ることしか出来ない。ある程度体重が戻ったところでやっとご飯を食べることが出来た。そんな時でも、一緒に食べられたらもっと美味しかったのにと考える。身体は回復していくなか、心はどんどん割れていくのを感じた。ようやく感情が戻った瞬間、涙がボロボロと止まらなくなった。これが本音なんだろう。夜の病棟で声を押し殺しながら泣いた。


 ようやく退院の日が来た。同僚と上司まで来ている。同僚は飛びついてきて良かった、と咽び泣いている。上司も少し目が潤んでいた。やっと仕事に帰れる。仕事場に着いて謝罪行脚をした。誰もが口を揃えて「気にするな」と言ってくれる。ありがたかった。溜まっていた仕事を消化するためにパンを食べながら取り組んだ。当たり前だが一日で終わる量ではない。残業をして帰る。かなり遅い時間になっていた。そういえば、長らくあの場所に行っていなかったことを思い出した。ずっと貴女のことを考えていたけれど、流石にもう手遅れだ。あんな素敵な人の横に誰かがいるのは容易に想像がついた。でも、最後にあの場所に行ってこの気持ちにケリをつけたかった。


 いつものように柵にもたれかかって景色を眺める。辿り着いた時には遅い時間だったはずなのに、観覧車が煌々と輝いていた。川にも乱反射した光が満ちている。その時、ヒールのコツッという音が聞こえた。振り向くとずっと会いたかった貴女がいた。信じられなかった。こんなことがあるのかと驚いた。驚きのあまり動けなくなっていた。あの日のような距離と空気感。怖かった。貴女が次に紡ぐ言葉が。聞きたい。聞きたくない。そんなことを思っていると、目の前の貴女の手足が震え始め、目には涙が見えた。観覧車は俺の脈と正反対にゆっくりと回っている。まるであの日にタイムリープしたかのようだった。今度こそ想いを伝えなければ、本当に会えなくなる。直感で分かっていた。でも、どうしても怖くてしばらく俯いてしまった。ただ、今は怖がっている場合じゃない。なけなしの勇気を握りしめて顔を上げた。


 ゆっくりと貴女に近づく。とうとう今までにない距離まで辿り着いた。ここまで来るともう後に引けない。

「俺じゃ駄目かな」

 目の前の貴方からとめどなく涙が溢れた。

「貴方じゃないと嫌だ」

 自己満足の言葉を並べたのに貴女は精一杯の言葉で返してくれた。俺は本当の貴女を見ることに怯えていた。奥にある感情を覗くとそこに俺はいない気がして。「親友」というラベリングをしたのは俺自身だったのに。責任も取らずに貴方の優しさに甘えていた。喜怒哀楽全てを見てきたのに、貴女の本当の気持ちは見る勇気がなかった。貴女にどうしても嫌われたくなかった。楽しそうなところを調べて、そこで楽しそうに笑う貴女を見るのが精一杯。タイミングはいくらでもあったはず。でも、抱いた感情を貴女に打ち明けることは怖かった。どんな時も勇気のなさが邪魔をする。あの日、弱さが仇になるなんて思いもしていなかった。貴女を傷だらけにしてしまったうえに、失ってしまった。最悪のシナリオ。でも、ようやく答えに辿り着けた。最初から怯える必要はなかったのだ。貴女には表面と奥なんてなかった。俺に向けてくれたものが全て。それなのに、奥があると思っていた。貴女を一番信じていなかったのは俺。わざわざ「親友」というラベリングで貴女を縛り付ける必要はなかった。


 その間にもずっと見つめ合っていた。貴女の目がとろりと溶けていく。あまりにも妖艶だった。その目に吸い込まれるように俺の目も溶けていく。気がつくと今までの時が嘘かのように求め合った。香水が混ざり合って本当に一つになった感覚だった。もう逃げられないように頭に手を回す。まるで獲物を得た獣のように互いを貪った。何もかもを食べて食べられて今にも崩れ落ちそうになるほどに。あれからの空白を埋めるかのように、息が上がってもずっと続けた。クラクラと眩暈がする。初めての感覚だった。こんなにも終わりたくないと思ったのは初めてだ。ずっとこうしていたかったけれど、流石にお互い限界だった。息も絶え絶えだったが、貴女のその姿を見るともう一度愛でたくなってしまう。あまりにも愛おしかった。

「好きだよ」

 と気付いたら口の端から零れ落ちていた。

「好き」

 と目の前の貴女はまだ目の焦点が合わないまま答える。今度は優しく甘い味を一つあげた。そうすると今まで味わったことの無い程の甘さをくれた。


 そこで、やっと貴女はいつもの笑みを浮かべた。さっきのことが幻だったかのように、いつもの空気に帰っていた。貴方が手を差し出す。その手を出来る限り優しく握った。歩きながら貴方が「不器用でごめんなさい」と言う。とても驚いた。器用なイメージしかなかった。「お互い様だったんだね」と笑顔で返すしかなかった。すると貴女は可笑しそうに笑っていた。お互いが素直になれればそれで済む話だったのに、長い遠回りをしてしまっていた。辛かった日々を思い出して、滑稽さに笑った。手はずっと繋いだままだった。


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