表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/42

悩める怒り1

 リグランの村に戻ったとき、空気は思った以上に冷たかった。


 気温の話ではない。

 空は晴れていて、雲もなく。陽光も降り注いでいた。

 なのに、村の中に差し込む光は、どこか色褪せて見えた。


 タクマは、村の通りを歩きながら、無言の視線を感じていた。


 開かれた窓が、彼の姿を確認した瞬間に閉じられる。

 門扉が、軋みを立てて内側からかたく閉ざされる。


 話し声は消え、子どもの遊ぶ姿も、なくなる。


(歓迎されてないのは……知ってた)


 それでも、これほどまでにあからさまな“壁”を突きつけられると、

 胸の奥が、ざらつくように軋んだ。


 


 ◇ ◇ ◇


 


「……ねぇ、ちょっと、あれ見て」


 リシェルの視線の先――家の前で箒を持っていた老女が、

 タクマの姿に気づいた途端、吐き捨てるように言った。


「また来た……!」


 その声に、近くの家々でも“動き”が起きる。


 窓が閉まり、ドアが施錠される音が響いた。


 リシェルが眉を寄せる。


「何これ……まるで“疫病の運び手”みたいな扱いじゃない」


「……俺が、“怒った”から、だな」


 タクマはぽつりと言った。


「スキルで、魔物を倒した。

 だけどそれが、ここの人たちには“爆発的な何か”に見えたんだろう」


 セレナが、淡々と口を挟んだ。


「視覚的影響と魔力波の急上昇は、一般人に強い恐怖心を与えます。

 感情系スキルは“理解できない力”として、恐れられる傾向が高い」


「なるほど、数字で説明されたら納得しかけたわ」


 リシェルが皮肉めいた口調で言うが、セレナは応えない。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 そのとき――


 とある家のドアが、半分だけ開いた。


 中から顔をのぞかせたのは、初老の男だった。

 ギルドの雑用係として見かけたことがある。


「……あの、すまない。あんたたちに悪気はないのは分かってる」


 彼は、おそるおそる言った。


「でも、どうしても……“あの時”の光景が頭に焼きついてるんだ。

 魔物が吹き飛ばされて、爆発のように煙が上がって……」


「怖かったんですね」


 セレナが、静かに言った。


 その言葉に、男は目を伏せた。


「怖かった。……自分の隣で、何か得体の知れないことが起きるのが、こんなにも怖いとは思わなかった」


 その言葉を、タクマはじっと聞いていた。


 怒りは――湧いてこなかった。


 責めたいとも、反論したいとも思わなかった。


 ただ――


(なんで……こんなに、胸が苦しいんだ)


 怒っていないのに、息が詰まる。

 怒りを出す余地すらないほどの、“拒絶の空気”。


 感情に蓋をされたような、どこにも吐き出せない思いが渦巻いていた。

 



 ◇ ◇ ◇




 そしてその日の午後。

 日が傾き始めた頃、タクマは一人、村の裏手の小道を歩いていた。

 人目を避けるようにして歩いていたわけではない。

 ただ、ギルドから少し離れた空き地に足が向いていた。


 そこには、古びた井戸と、苔むした石垣がある。

 村の子どもたちが、時折遊びに来ていた場所だ。


 そして――いた。


 井戸の縁に腰かけ、膝を抱えていた小さな影。

 あの時、ギルドでタクマを見て怯えていた少年だった。


 少年も、タクマに気づいた。

 だが、逃げなかった。


 タクマはゆっくりと距離を詰め、数歩離れた位置にしゃがみ込んだ。


「……よう」


「……」

 少年は答えなかった。

 ただ、少しだけ、顔を上げた。


 その頬には、まだ薄く赤い跡が残っていた。


(……泣いた跡だ)


 タクマは、何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。


「おれ……あの時……」

 少年がぽつりと口を開いた。


「こわかった……すごく……

 でも、おじさんが魔物をやっつけたの、わかってた……

 助けてくれたのも、わかってたのに……」

 そこまで言って、また黙る。


「……なあ」

 タクマが静かに言った。


「俺は、怒ってない。お前が怖がったことに、怒ったりなんかしてないよ」


「……うん。でも……それが、よけいに、こわかった」

 その言葉に、タクマは少しだけ、視線を落とした。


 怒っていない。

 だけど、それでも怖いと感じさせる“何か”が、自分にある。


(……社長だったころも、あったな、こういうの)


 部下に怒ってないのに、怒ってると思われて、距離を置かれた日々。


 声を荒げなくても、視線を鋭くしなくても、

 “存在そのもの”に圧があると言われたことがあった。


(また、同じなのか)


 あの時と同じ、“誤解される力”を、また抱えてしまった。

 少年が、小さな声で言った。


「ごめんなさい……こわいって思って、ごめんなさい……」

 その言葉に、タクマは苦笑した。


「俺の方こそ、ごめんな。……怖がらせたのは、こっちだ」


 しばらく、ふたりは沈黙していた。

 風が吹き抜け、木々がざわりと鳴る。


 と、その背後で。


「……やさしい人ほど、怒りが苦手よね」

 ふと、リシェルの声が届いた。

 いつの間にか、近くの石段に腰かけていた。


「でもね、タクマ。

 本当の“やさしさ”って、時には怒ることなのよ。

 相手のために、本気で怒ること」


「……でも、今回ばかりは、怒れなかった」


「知ってる。でも、怒れなかったからこそ、あなたの中に“痛み”が残ってる。

 それが、あなたがちゃんと“人”だって証拠よ」


 少年が、そっと顔を上げた。


 そして――ほんの少しだけ、微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ