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怒りの影1

 朝。リグランの村は、ひんやりとした空気に包まれていた。

 霧は出ていないが、土の匂いが濃く、夜の冷気がまだ村の端に残っている。


 宿の前で、タクマは深呼吸した。

 胸の奥に、静かに“熱”が残っているのを確認する。


 昨日、自分が怒りの拳で何を得たか。

 今日、何を“選べるか”。


「朝から難しい顔してるね」

 声がして振り返ると、リシェルが荷を軽く背負って立っていた。

「……そんな顔してた?」

「うん。見事に“考えすぎてる人”って顔。

 そろそろ出るわよ。セレナは、もうギルドの前にいる」


 予想通りだった。


 神殿の監視官――セレナ・エルフォルト。

 彼女は今日から正式に“同行観測者”として動く。


 監視でも、付き添いでも、今のタクマにとっては関係ない。


 自分の“怒り”がどう受け止められるのか。

 それを、自分で確かめるだけだ。


 


 ◇ ◇ ◇


 


「本日の依頼内容を確認します」

 ギルドの前に立つセレナは、紙を広げて告げた。

「リグラン南方、旧山道の通行確認および魔物痕跡調査。

 依頼内容は偵察、危険度区分D。報酬金100リラ。所要予定半日」

「シンプルね。いいわ、確認した」

 リシェルが素早く応じる。

 セレナはタクマにも一瞥を向けた。


「……君は?」


「……ああ、問題ない」


「では、観測を開始します。感情スキルの発動反応はすべて記録します」

 無機質な言葉に、ギルドの受付嬢がちらりとタクマたちを見たが、

 何も言わずに頭を下げた。


 三人の最初の“共同作業”が、こうして始まった。

 旧山道へ続く獣道は、鬱蒼とした林の中にあった。

 陽光はまだ届かず、空気は冷たく、鳥の鳴き声すら聞こえない。


 三人は並んで歩いていたが、微妙に距離があった。

 リシェルとタクマの間には少し会話があった。

 だが、セレナはほとんど口を開かなかった。


「この道、だいぶ使われてないな」


「そうね。最近は北側の新道の方が安全って言われてる」


「じゃあなんでここを調査する必要が?」


「王国の通商路整備の一環で“すべての旧道も状態確認を”って命令が出てるのよ。

 ちゃんと国家から依頼が降りてる。……セレナがついてきてるのも、それが理由でしょ?」

「そう。監視任務だけでなく、神殿は王国からの偵察案件も兼任しています」

 唐突な声に、タクマは少し驚いた。

 セレナの声は変わらず無感情だ。

 だが、内容は意外に“任務に忠実”というよりも“政治的に通じてる”印象を受けた。


「王国と神殿って、仲いいのか?」


「形式上は協力関係。だが、利害は常に交錯しています。

 王家は感情スキルを“制御可能な兵器”とみなしたがっている一方、

 神殿は“制御できないもの”と見て危険視している」


「……俺みたいなやつは、板挟みだな」


 そう呟いたタクマに、セレナは静かに言った。


「あなたのような存在こそ、歴史における“例外値”として観測されるべきなのです」


「観測観測って、あんたの辞書には“信じる”って単語はないの?」


 リシェルの声が、少しだけ刺さる。


 セレナは数秒の沈黙の後、平然と答えた。


「“信じる”とは、事実ではなく仮定に基づく行動です。

 観測者が主観を持ち込むことは、記録を歪ませる要因となる」


「……あんたって、いつもそんな感じなの?」


「はい」

 即答だった。


 タクマは、二人のやり取りを見ていた。


 リシェルの声は明るいが、どこか本気だった。

 セレナの声は静かだが、どこまでも硬かった。


(この二人、絶対交わらないわけじゃない。

 でも、交わるには“何か”が必要だ)


 タクマは、その“何か”が――“感情”だと直感していた。

 それはまだ名もない火種だが、必ず大きな動きになるとー


 そしてそれは旧山道に入り、30分が過ぎた頃に起こった。

「……止まって」

 リシェルの声に、タクマとセレナが同時に足を止める。

 森の奥から、乾いた枝の折れる音が響いた。

 鳥の鳴き声が消えたことにも、誰もが気づいていた。


「気配、2体。……狼型魔物、《斑影獣》」

 セレナの口調が一段階引き締まった。

「体高は1メートル弱。俊敏で、群れる性質あり。視覚に頼らず、感情反応に“引かれる”傾向がある」


「感情に?」


「そう。怒り、恐れ、興奮……刺激が強い感情波を感じ取って、襲いかかってくる」


「なるほど“怒ったら”こっちが誘導されるわけか」


 タクマが小さく息を吐く。

(俺に、向いてる相手じゃないな)

 ガサリ、と草むらが動いた。


 一瞬で跳び出した二体の斑影獣が、真横から斜めに滑るように襲いかかる。


「行くよ!」

 リシェルが最初に飛び出した。

 風を読むような足運びで前へ出て、剣の一閃を入れる。

 一体が切り裂かれ、悲鳴を上げて転がった。


 だが、もう一体が――タクマへ、まっすぐ突っ込んでくる。


「タクマ!」


「くっ――!」


 タクマは、一瞬立ちすくんだ。


 心の奥に、ふっと“熱”が湧き上がるのが分かる。

(怒れ。怒れば、力が出る)


 だが――


(違う、違う……そうじゃない。怒っても、“今は違う”)

 拳を握る。

 だが、燃やさない。

 タクマはわずかに踏み込んで、魔物の進路を誘導し、

 後方のリシェルの攻撃タイミングを引き出す。

 魔物が横をすり抜けた瞬間、リシェルの剣が音もなく振り抜かれた。


 もう一体も、沈黙する。


 静けさが戻った。

 タクマは深く息を吐いた。


 その拳には、血も炎もなかった。

 だが、胸の中には――押し殺した“怒りの気配”が、まだ残っていた。


「……制御、確認」

 セレナの声が落ちる。

 記録帳を開いて何かを記しながら、彼女は呟くように言った。


「スキル反応波、閾値ギリギリ……だが未発動。

 “怒り”は認識されたが、本人が制御……評価:良」

 タクマは、その声を聞きながら、


 ただ空を見上げた。


 雲が、ゆっくり流れていた。

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