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進むということ2

 夕方。

 灰の区の空は赤く染まり、静かな時間が流れていた。


 宿の裏手、小さな中庭に、三人の姿があった。


 タクマ。

 リシェル。

 そしてセレナ。


 ロメオはリグランの薬師に預けられ、しばしの安息を得ていた。

 残った三人は、束の間の落ち着きを得て、火を囲んでいた。


 リシェルが口を開く。


「――あの魔性、感情喰いの“悲しみ型”。

 戦いの記録をギルドに送っておいたわ」


「助かる」


「それと、セレナの結界……あれは本来、王都でも禁術に近いでしょ?

 まさか“喰らわせる結界”まで張れるとは思わなかった」


 セレナは少しだけ眉を寄せたが、すぐに笑みを浮かべた。


「限界ぎりぎりでした。でも、誰かの心が泣いていたら……

 私は、それを見過ごせない性分なんです」


 タクマは、その言葉に心当たりがあった。

 誰かの心の奥底にある“痛み”――それが、彼女を動かしているのだろう。


「お前も、怒るんだな」


「はい」


 セレナは小さく頷く。


「私にも、“怒る資格”はあると思っています。

 ……怒りは破壊の火種にもなるけれど、同時に――光にもなれるから」


 リシェルが火の棒をくるくると回しながら呟いた。

「怒るって、さ。……怖くない?」


「怖いさ」


 タクマがすぐに答えた。


「だから、俺は――“怒らないようにしよう”ってずっと思ってた」


「……でも、怒ってくれた」


「ああ。誰かが死ぬのを見た時、子どもが泣いてるのを見た時……

 その時は、止まんなかった」


 セレナが火の明かりの向こうから、静かに言葉を差し込んだ。


「止めなくていいんです、タクマさん。

 “怒り”は抑えるものじゃなくて、“持って進むもの”です」


「……持って?」


「ええ。大切なのは、自分の怒りを“どう扱うか”。

 相手にぶつけて壊すか、自分の手に留めて“何かを守る力”に変えるか。

 それを選べるのは、自分自身だけです」


 タクマは息を呑んだ。

 それは――前の世界では決して教わらなかったことだった。

 感情を抑えろ。管理しろ。周囲に影響を与えるな。

 そんなことばかりを刷り込まれてきた。


「……社長だったんだ、前の世界で」


「え?」


「分かる?社長って…?」


「お店とかの偉い人でしょ…?」


「まぁ、合ってる」


「社員を叱る時、怒りと恐怖を“混同”してた。

 俺の“怒り”は、あいつらにとって“怯え”だったんだよ」


 リシェルも驚いたように、火の棒を止める。


「俺は、怒るのが下手くそだった。

 でも今――“怒ってよかった”って思えた瞬間が、初めてあった」


 その言葉に、二人の女性はしばらく黙っていた。


 そして。


 リシェルが、ふっと笑った。


「じゃあ……あんた、これからが“初めての人生”ってやつかもね」


「……そうかもしれん」


 セレナが、結界に使っていた細い紐をくるくると指に巻きながら、言った。

「怒りを“手放さず”に歩くのは、勇気がいります。

 でも、それを“抱きしめて”歩けるなら――それはもう、ひとつの強さですよ」


 火が、ぱちんと音を立てて弾けた。


 タクマはその音に、なぜか――

 自分の鼓動と同じリズムを感じていた。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 広場の端、倒れかけた屋台の影に、ティノが座っていた。


 腕を膝にかけ、ぼんやりと中央の噴水を眺めている。

 視線の先には、子どもたちに囲まれたタクマの姿。


「……あの人、また“怒ってない”のに、みんなに好かれてる」


 ぽつりと呟いたその声に、隣から応じるように小さな声がした。


「……怒る、だけじゃない、のかも」


 ロメオだった。

 今ではほんの少しだけ話せるようになったが、まだ言葉数は少ない。

 それでも、その一言には“自分の中で咀嚼した”意志が宿っていた。


「はん。お前がそれ言うとはな」

 ティノはふっと笑った。


「ま、でも……そうかもな」


 そのとき、背後から声がかかった。


「――あんた、やっぱり“見てる”のね」


 振り返ると、リシェルが立っていた。

 銀の髪を後ろでまとめ、街の様子を見回った帰りらしい。


  ティノはぶっきらぼうに返す。


「見てるだけだよ。オレには、あんな風に怒るとか、無理だし」


「……でもね、怒れる人って、実は少ないのよ」

 リシェルはティノの隣に腰を下ろした。


「感情ってのは、出した時点で、もう“責任”になるから。

 あんたみたいに“出す前に考える”やつのほうが、よっぽど危ないのよ。だから――」


 彼女はまっすぐティノを見た。


「――あんた、戦えるわよ。ちゃんと、怒れる。あんたのやり方で」


 その言葉に、ティノは少しだけ、目を見開いた。

 口は開きかけて、でも結局、言葉にはならなかった。


 代わりに、ロメオが小さく呟く。


「……かっこいい、と思った」


「は?」


「タクマ。怒って、怖かった。でも……それで誰も、壊さなかった。だから……すごいと思った」


 言葉に詰まりながらも、ロメオの目はまっすぐだった。

 その姿を見て、ティノは思わず鼻を鳴らす。


「お前までそんなこと言うようになるとはな……変わったな、ロメオ」

 ロメオは照れくさそうにそっぽを向いた。


 リシェルは、二人のやりとりを静かに見守ったあと、そっと立ち上がった。


「“怒り”ってさ、誰かを壊すことだってある。

 でも、誰かのために“持ち続ける”こともできる。

 あんたたちなら、たぶん――ちゃんと選べると思う」


 そう言って、彼女は軽く手を振った。

 そして、セレナの待つ広場の方へと歩いていく。


 二人の少年だけが、屋台の影に残った。


 空を仰ぐと、風が吹いた。


 ティノが呟く。


「……オレ、怒ってもいいんだな」


 それにロメオは返さない。


 ただ――


 ティノの隣に、黙って座っていた。


 


 しばらくの静寂。

 街の音、遠くで笑う子どもの声、鍋をかき回す音。


 そんな穏やかな午後を破るように、空を一羽の鳥が横切った。

 翼に小さな筒をくくりつけた、伝令の鳥――王都からのものだ。


 それが、ギルドの建物へと滑るように飛び込んでいくのを見て、ティノはつぶやいた。


「……また、なんか動くな。たぶん」


 その予感は、静かに、けれど確かに――胸に火を灯した。

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