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進むということ1

 灰の区の朝は、まだ少し冷たい。


 数日前の戦闘の痕は、今も街の隅々に残っている。

 割れた石畳、焼け焦げた屋根、吹き飛んだ看板。

 けれど人々の表情には、ほんの少しの余裕が戻っていた。

 魔性が去り、“怒りの拳”がそれを退けたという噂が、確かに彼らの間を流れていた。


 タクマは、木造の長椅子に腰掛けていた。

 隣には、ミレアが座っている。

 いつものように、彼女は言葉を持たない。

 けれど、笑顔だけは揺るがなかった。


 タクマが小さく呟く。


「ミレア……お前は、喋れなくても強いな」


 少女は、はにかんだように笑った。

 けれどその微笑みには、揺るがぬ意志が宿っている。


 誰にも届かなくても、生きてきた。

 誰にも理解されなくても、笑ってきた。


 ――その姿に、タクマは“もう一人の少年”を思い出した。


 声を奪われ、涙を流し、拳で怒りをぶつけた自分の前で――

 泣き崩れていた、あの少年。

 声を奪われ、涙を流し、拳で怒りをぶつけた自分の前で――

 泣き崩れていた、あの少年。


 小さな噴水のそばに座り込むタクマは、ようやく息をついていた。

 拳に残る微かな熱。

 あの魔性を砕いたときの余波が、まだ皮膚の奥に残っている。


「……やりすぎたかもな」


 独り言に返事はない。

 がらんとした路地は、まるで傷を負った街のように、静かだった。


 そんなタクマをミレアは不思議そうな顔で見つめた。

 気恥しさを感じ苦笑いを浮かべる。

 タクマは立ち上がろうとして、ふと気づいた。

 ミレアの手元、開かれたノートのページに、稚拙な字が並んでいた。


 「ありがとう」


 まっすぐに書かれたその言葉に、タクマの胸が熱くなる。


「……こっちこそ、だよ」


 ぽつりと返すと、ミレアはまた笑った。

 そんな彼女に軽く会釈を返し、タクマは噴水のほうへと歩き出した。


 その光景を、ほんの少し離れた場所から見ている人影があった。


 ティノだ。


 影に紛れるようにして、噴水の裏に背を預けていた彼は、

 誰にも気づかれないまま、小さく呟いた。


「……怒ったくせに、誰も壊さねえのかよ。すげえな、アンタ」


 拳を握っていた。

 けれど、それは誰にも届かない。自分の中だけで燃えて、消えていく火だった。



 翌朝。


 灰の区の空は、久しぶりに雲が切れていた。

 タクマは少年と向き合っていた。


「……名前、あるか?」


 少年は一瞬、顔をこわばらせた。

 だが――ゆっくりと、唇が動く。


「……ロメオ」


 その言葉に、セレナが静かに目を閉じる。

 結界が、ほとんど力を使わずに解かれていった。


 タクマは頷いた。


「ロメオ。お前の声は、もう“ここ”にある。だから……怖がるな」

 ロメオは泣いた。

 声を取り戻した少年は、ただ、泣いた。

 叫びも、謝罪もなく、感情のままに涙をこぼした。

 セレナはそっと、少年の頭を撫でた。

 その仕草には、“聖女”でも“結界術士”でもない、ただの人間としての優しさがあった。


 リシェルは言った。


「ようやく、“声”を届けられたのね、あの子」


「……遅かったかもしれないけどな」


「違うわよ。あの子は、声じゃなくて、“誰かが怒ってくれること”を待ってたのよ」

 タクマは、その言葉に答えられなかった。

 けれど、確かに心のどこかで――“報われた”という感覚を、初めて覚えていた。



 その光景を、またも遠くから見つめるティノ。

 人混みから少し離れた石段に腰を下ろし、膝の上に紙切れを広げていた。

 そこには、歪な文字で、何かが書き込まれている。


怒った日

→ 人が泣いた

→ オレが黙った

→ でも、あの人は……怒ってた

→ でも、だれもにげなかった


 それは、日記ではない。

 “感情の記録”だった。


 ティノは、ぽつりと呟く。


「オレだって……怒れるんだろうか」


 拳を握る。

 でも、それは誰にも見せない。まだ、見せていいかもわからない。


「怒るのって、あんなに……誰かのためになるんだな」


 ティノは言葉を詰まらせた。

 そして、ほんの少しだけ笑った。


 空は晴れていた。

 けれど、ティノの胸には、まだ雲がかかっている。


 その雲をいつか、自分の拳で吹き飛ばせる日が来るかもしれない――

 そんな予感だけが、確かに残った。


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