怒りの進む先
翌朝。空気は冷たく澄んでいた。
宿屋の食堂でパンと薄いスープを口にした後、タクマとリシェルは村の中央通りを歩いていた。
「今日は、ギルドで登録を済ませましょう」
リシェルが言う。
「本来、転移者は王都で正式にスキル登録するのが原則だけど……。
さすがにそこまでの道のりは遠いから、この村のギルドでも“仮登録”ができるはずよ」
「仮、か……まあ、ないよりマシだな」
タクマは頷いたが、少しだけ胸の奥に引っかかるものがあった。
(俺の“スキル”って……どう扱われるんだ?)
◇ ◇ ◇
ギルド支部は、木造で年季が入っていた。
中に入ると、受付とカウンター、その奥に依頼掲示板が見える。
数人の冒険者が朝の報告を済ませているところで、ざっと視線がこちらに向いた。
リシェルが受付に歩み寄り、慣れた様子で話しかける。
「仮登録をひとり。私が同行者で保証人」
「リ、リシェルさんが……保証人?」
受付の女性が目を丸くする。
彼女の視線がタクマへ移る。やはり“異質な者を見る目”だった。
「……確認します。氏名とスキルの確認をお願いします」
タクマが名を名乗り、スキル欄の記入を求められる。
だが、その場に紙はなかった。
「この村では、“簡易鑑定術式”を使っています」
受付の女性がそう言い、掌に輝く魔法陣を展開した。
「手を、ここに」
タクマが掌を差し出すと、淡い光が彼の手を包む。
次の瞬間、彼女の手元の紙に自動的に文字が浮かび上がった。
「……っ!」
その場の空気が、一瞬固まった。
「“怒炎変換”?」
受付の女性が戸惑いの表情を浮かべる。
怒炎変換という言葉はさっき脳内で響いた気がした《スキル発動:怒炎変換》と。
「怒炎変換はいわゆる派生よ。感情スキルの持ち主は様々な感情をスキルとして使える。
さっきの戦いで怒りの感情からスキルが芽生えただけ。
本質はもっと深い。」
「使いこなせるのか…俺に」
「いわゆる『感情具現』これがあなたの根幹のスキルなはず。
まあちゃんとした鑑定をしないと分からないけどね。」
頭の整理が追い付かないタクマだが、周囲の様子は騒がしくなっている。
「感情スキル……? まさか、そんな……」
「前にもいたな……感情系は暴走しやすいって……」
「うわ、距離取っとこうぜ……」
小声が、広がっていく。
タクマは無言だった。
受付の女性が視線を伏せながら言った。
「……仮登録、完了しました。ランクは仮初級。依頼は危険度Eまでに限定されます」
「了解しました」
リシェルが静かにうなずく。
「ありがとう。行きましょう、タクマ」
ギルドを出た後、タクマはポツリと呟いた。
「やっぱ、こうなるか……」
「……気にしないことね」
「気にするだろ、そりゃ」
「でも、あの受付の人――『完了しました』って、きちんと言ったわ。
否定も拒絶も、しなかった。それだけで十分」
その言葉は、予想外だった。
タクマは、リシェルの横顔をもう一度見た。
彼女の言葉には、不思議な芯があった。
(……この人、何度も“否定される側”だったのかもしれないな)
ギルドを出たあと、二人は昼下がりの村を歩いた。
空は明るい。だが、村の空気はよそ者に対してどこか閉じている。
タクマの足取りは重かった。
リシェルは気にしない様子で、道沿いの花壇を見たり、焼き菓子を売る露店に目を向けたりしていたが、タクマは浮かない顔を隠せなかった。
そんなときだった。
「いたッ!」
甲高い子どもの叫び声が響いた。
二人が振り返ると、広場の一角で、男の子が地面に倒れていた。
膝を擦りむき、泣きじゃくっている。
近くで遊んでいた他の子どもたちは離れていき、大人の姿も見当たらない。
タクマは自然に足を向けていた。
「大丈夫か?」
しゃがみ込んで声をかけると、少年はびくっと震え、顔を背けた。
「こっち来んな……」
「……え?」
「おまえ、スキルが……変なんだろ……! 怒ると、爆発するやつ……!」
タクマの胸が、ぎゅっと痛んだ。
彼は何も言わず、そっと少年の足元に落ちていた包帯の切れ端を拾い、そっと差し出した。
「ほら、これ、巻けるか?」
少年は受け取らなかった。
代わりに、離れたところで様子を見ていた老女が近づいてきた。
「……あんた、触らんでくれるかね。この子はうちの孫だ」
「……はい」
タクマは素直に身を引いた。
だが、その背中を向けたとき、老女が小さく呟くのが聞こえた。
「また黒髪か……厄介な存在ばっかり……」
言葉の端が、鋭く突き刺さった。
◇ ◇ ◇
リシェルは何も言わずに横を歩いていた。
少し離れたところまで来てから、タクマが呟く。
「なあ、俺……やっぱり、いない方がいいのかもな」
「何言ってるの」
リシェルの声は、いつもより強かった。
「たしかにあんたの力は怖い。でも、“見ずに怖がる”ことと、“知ったうえで選ぶ”ことは違う」
「……」
「私はあんたの怒りを見た。怖かった。けど、誰かのために動いた姿は、嘘じゃなかった。
それだけは、私が保証する」
その言葉に、胸の奥で何かが揺れた。
怒りが、また少し、意味を変える気がした。
夜。
宿の部屋で、タクマは窓辺に座り、静かに外を見ていた。
昼間の子どもの怯えた目。
老女の冷たい視線。
ギルドでざわめいた声――それらが、脳裏にこびりついていた。
拳を見つめる。
指の関節にはまだ痛みが残り、皮膚には戦闘の傷痕が生々しく残っている。
(怒ったから、力が出た。
でも、怒ったから――“怖がられた”)
使い方を間違えば、この拳はまた誰かを傷つける。
その恐怖は、たしかにある。
けれど――。
(でも……それでも)
誰かのために怒れるなら、
誰かの涙に、心が熱くなるなら――
それは、武器としての価値があるはずだ。
怒りは感情だ。
誰かのために動く“感情”なら――。
「なら、俺は……それを、選ぶ」
タクマは拳を握った。
ぐっと噛み締めるように、決意を刻み込む。
その夜の空は、雲ひとつなく澄んでいた。
月が、宿の屋根を銀に染める。
誰も気づかない。
風に紛れるように、ひとりの少女がその屋根に腰掛けていたことに。
白いローブ。銀の髪。
表情は静かすぎるほど静かで、目だけが鋭く、冷たい光を宿している。
その瞳が見つめる先――それは、タクマの部屋の窓だった。
「怒炎変換。発動の痕跡、明確に確認」
呟きは風に溶け、夜に吸い込まれていく。
「感情系スキル……分類:危険度・高。観測対象、継続」
少女は一瞬だけ目を閉じた。
「……タカクラタクマ。あなたの“怒り”は、神の理に触れうる」
その言葉は、まるで宣告のように淡々と響く。
そして彼女の胸元には、淡く光る神殿の紋章が刻まれていた。
――セレナ・エルフォルト。
神殿より派遣された、“感情スキル監視官”。
そして彼女自身もまた、ひとつの異端を抱える者だった。