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影の名を呼ぶ者1

 夜が、異様な静けさをまとっていた。


 灰の区の一角にある小さな宿屋の一室。

 その窓辺に立ち尽くしたまま、タクマは身じろぎもせず、外を見つめていた。

 風はない。だが、どこか“空気が重い”。

 空を見上げれば、星はある。けれど、いつもの夜と違う。

 まるで、空そのものがこちらを“見下ろしている”かのような感覚。


 そして――


「……聞こえたんだ、あの声が」


 ぽつりと、タクマが呟く。

 先ほど、霧の中で戦った“仮面の魔性”。

 あの魔物を砕いた瞬間、確かに“誰かの声”が脳裏に響いた。

 それは言葉ではなかった。

 感情の塊のような、湿った囁き。

 そしてその“響き”に、タクマはなぜか既視感を覚えていた。


「……“黒巫女”って言葉が、ふっと浮かんできた」


 宿の隅でうたた寝をしていたセレナが、ゆっくりと顔を上げた。

 その名前を聞いた瞬間、彼女の身体がわずかに震える。


「……その名は、どこで?」


「いや、誰かに聞いたわけじゃない。

 ただ、“感じた”んだ。あの魔性が砕けた時、脳裏に――」


 セレナは、タクマの言葉を最後まで聞かず、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、真剣な眼差しで彼を見つめた。


「それが本当なら……あなた、感知してるのかもしれない。

 “黒巫女の波動”を」


 タクマは首をかしげる。


「“波動”? それって……スキルの一種か?」


「違う。あれは……呪いにも近い、“存在の余波”」


 セレナの口調が、微かに震えていた。

 普段、あれほど冷静な彼女が――怯えている。


「神殿では、黒巫女という存在は長らく“神の敵”として封印されてきたわ。

 でも、記録の大半は削除され、正確な姿や名も残っていない。

 ただ一つ、確かに伝わっているのは……“黒巫女は感情を憎む者”だということ」


 タクマが眉をひそめる。


「感情を……憎む?」


「ええ。怒りも、悲しみも、喜びも、すべて“弱さ”だと断じて――

 “感情そのものを呪いに変える術”を使う者。

 それが、黒巫女」


 部屋の中の空気が、重くなる。

 外では犬の遠吠えが遠くに響いていた。


「神殿の古記録には、こうもあるの。

 “感情が最も揺らいだとき、黒巫女は囁く”と」


 タクマは無言のまま、窓の外を見た。

 目を細める。


 さきほど、一瞬だけ――“影が揺れた”のを見た気がした。


(まさか……)


 そしてその時。


 もう一度、聞こえた。


『――怒るのは、疲れるだろう?』


 声。


 誰にも届かない、誰にも知られないはずの、名もなき声が。

 タクマの内側から、深く深く、ゆっくりと湧き上がるように。


 だが、彼は怯えなかった。

 その言葉が、タクマにとって**“自分でも昔思ったこと”**だったからだ。


「……ああ。確かに、疲れるさ」


 彼は静かに呟いた。


「でも、それでも怒れるってことは――

 俺がまだ、“誰かを守ろうとしてる”ってことだ」


 風が吹いた。

 窓の外で、影が静かに散る。


 けれどその背後で、黒巫女という存在は確かに“こちらを見ている”。


 セレナは、静かに瞼を閉じた。


 部屋の灯りが揺れている。

 蝋燭の火が不意に波打ったわけでもないのに、

 影がどこか――“曖昧に、にじんでいた”。


「……黒巫女の話を、ここで本格的にするつもりはなかったの」

 ぽつり、とセレナが言う。

 その声は淡々としていたが、どこか自分自身に言い聞かせているような、

 あるいは、“逃げ道を残そうとしている”ようにも聞こえた。


「でも、あなたがその名を“思い出した”なら……もう、そうも言っていられない」


 タクマが眉をひそめる。


「……思い出した、って?」


「黒巫女の名前は“禁忌”よ。

 神殿でも、一定階級以上でなければ閲覧すらできない。

 なのにあなたは――誰にも教えられずに“その名”を浮かべた」


 タクマは黙った。


 思い出した、というよりも。

 あの時、**“名前が勝手に浮かんできた”**という表現のほうが正しかった。

 そしてその直感に、強い嫌悪感や恐怖ではなく――

 妙な親しみすら感じてしまった自分がいたことに、気づいていた。


「私……黒巫女と、昔どこかで……」


 セレナがそう呟いた時。

 扉が静かにノックされた。


「起きてる?」


 リシェルの声だった。


 部屋に通すと、彼女はすぐに部屋の灯りに目をやり、

 少しだけ顔をしかめた。


「この光……少し揺れてるわね。妙な“気”が充満してる」


 彼女は冒険者だ。

 しかも“戦術解析”という冷静な観測を本能とするスキル持ち。

 場の“空気の歪み”には、誰よりも敏感だった。


「何があったの?」


 タクマとセレナは視線を交わし、簡潔に“黒巫女”の話を伝えた。

 しばらくの沈黙。

 そしてリシェルは腕を組み、ぽつりと漏らした。


「この前の魔性――“感情喰い”だったけど、違和感があったの。

 私のスキルで、魔力の流れを全部読んでも……“中心がなかった”」


「中心が、ない?」


「ええ。普通、魔物には“核”があるのよ。

 魔力核、意思核、支配核、何かしらの主導がある。

 でもあの魔性は……“何かに反応して動いてるだけ”だった」


 その言葉に、セレナが反応する。


「黒巫女の術……“感情への干渉”ができるなら、

 あの魔性は“誰かの怒りをトリガーに”生まれた可能性があるわ」


 タクマは息をのむ。


(……まさか)


「じゃあ……あの少年の……?」


 あの夜、怒りで叫んだ少年。

 声を失い、涙を流し、それでもなお叫ぼうとした。

 彼の“感情”が、魔性を呼び寄せたのか?


 その問いに、セレナは沈黙したまま答えなかった。

 だが、表情はすでに――確信に近い警戒に染まっていた。


 リシェルが静かに言う。


「この先、あたしたちが使ってる“感情スキル”……

 それ自体が、狙われるかもしれないわね」


 感情を力に変える者たち。

 それはこの世界において、未解明で、制御の難しい“境界領域”。


 だからこそ。


 “境界の器”と呼ばれたセレナ。

 “怒りの具現”を宿したタクマ。


 二人の存在は、否応なく、黒巫女という“対話を拒む者”に近づいていく。


 蝋燭の灯りが、ふっと揺れた。

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