確実な歩み3
灰の区支部の朝は、決して騒がしくない。
静けさは、働く者の集中力を保ち、必要以上の言葉を避けさせる。
けれどその日――控えめな空気を切り裂くように、セレナの声が支部全体に響いた。
「これは……本当に、届いていた依頼ですか?」
彼女の手には、一枚の依頼書。
古びた羊皮紙に、かすれた文字でこう綴られていた。
【依頼名】子どもたちの声が消える
【場所】ロウゼル村・旧教会跡地
【概要】三日前より村の子どもたち数名が突然“話さなくなった”
診療師による診察でも原因不明。魔力反応なし。
大人たちは“呪い”の可能性を危惧。
【ギルド評価】危険度D相当・精神系の異常を含む可能性あり
【報酬】銀貨12枚(※交渉可)
【備考】2週間以上、未受理状態。情報更新なし。
セレナの声に、ティノが顔をしかめながら振り返る。
「それ、ずっと放置されてたやつだろ。
“声が出ない”なんて、魔物でもねぇ。地味すぎんだよ」
「そういう“地味な異常”にこそ、見落とされた危機が潜むのです」
セレナの目は真剣だった。
タクマも無言でその依頼書を手に取った。
紙の端には、何度も貼り直された痕跡があった。
誰かがそれを掲示しては、外され、また戻していた。
「……誰にも引き受けてもらえなかったんだな」
ぼそりとつぶやいたその声に、支部内が静まる。
リシェルが腕を組みながら言う。
「場所も地味。報酬も安い。
正直、A級でもB級でも動かないわね。
でもそれって……ギルドがその依頼の“価値”を見誤ってるってことでしょ」
「それに」セレナが続ける。
「“声を奪う異常”は、神学的に見ても危険信号です。
……魂の反応が閉じられる現象は、“魔性”の兆しですから」
その言葉に、タクマが視線を上げた。
「だったら、やるべきだな」
「……即決ね」
リシェルがわずかに驚いたように言うと、タクマは言葉を重ねた。
「誰も受けなかったから、受ける。
“俺が強いからやる”んじゃない。
“誰かが放っておいたから、行く”んだよ」
その言葉は、ゆっくりと支部全体に染み渡った。
グランも、記録帳の端に文字を走らせながら、小さく呟いた。
「……“無視された声を拾う者”。
それは、定義上の英雄ではない。だが、確かに必要とされる存在だ」
その日、灰の区支部はひとつの決断を下した。
“声が消えた子どもたち”のもとへ向かう。
それは、正義のためではなく――応答のための旅だった。
ロウゼル村へ向かう道は、草原と雑木林を抜ける静かな街道だった。
人通りは少なく、馬車も通らない。
それは、まるで“誰からも見つけられない村”へと向かう道に思えた。
タクマとセレナは、先行する形で並んで歩いていた。
風が静かに吹き抜け、彼らの間に心地よい“距離”を作っていた。
「……不思議ですね」
唐突に、セレナが口を開いた。
「昔の私だったら、この依頼は“無視する”べきだと判断していたと思います。
“神意に関わる兆しがない”という理由で」
タクマは横目で彼女を見る。
「今は違うのか?」
「はい。いえ……違うというより、“揺らいで”います」
セレナは、記録帳を胸元に抱き直した。
「あなたと出会ってから、私の中で“感情”という概念の重みが変わったんです。
以前の私は、“感情”を“神聖な意志を濁らせるもの”と認識していた。
でも、あなたは――その“濁り”にこそ、人の本音があると教えてくれた」
タクマはふっと笑った。
「濁り、ね。
俺自身、そんな高尚なこと考えてたわけじゃないさ。
ただ、“目の前で泣いてる子ども”を見て、
黙っていられる人間にはなりたくなかっただけだ」
セレナの歩みが、少しだけ止まる。
「“感情で動く”ということを、私は恐れてきたんです。
自分が聖職者である以上、それは“私欲”や“自己満足”だと……」
「でも」
彼女の声が、少し強くなる。
「あなたの怒りは、“私の心を動かした”。
他者のために拳を握る姿を見て、私は初めて――“感情を肯定された”気がしたんです」
風が吹いた。草の波が揺れ、空の青がひときわ深くなる。
タクマは言葉を探すように、一拍置いてから答えた。
「それなら……これからのあんたの感情も、大事にしろよ。
俺が言うのもなんだけどさ、
“誰かの役に立つ感情”って、絶対にある」
セレナの目が、ふと柔らかくなった。
「……それが、聖なることだと信じられたら、素敵ですね」
その一言が、まるで祈りのように響いた。
そして、道の先――
小さな丘を越えたところに、ロウゼル村の姿が見え始めていた。
だがその村には、人の気配が、あまりに少なかった。
ロウゼル村は、想像以上に静かだった。
昼過ぎにもかかわらず、家々の扉は閉ざされ、煙の上がる民家も少ない。
畑にも道にも、人の姿がほとんど見えない。
まるで、村そのものが――**“話すことをやめた”**ようだった。
支部一行は村の中心にある広場まで足を進めた。
井戸の脇に、老人が一人、椅子に座っている。
「……お客さん、か」
かろうじて発せられたその声が、ようやく“言葉のある場所”であることを証明した。
セレナが一歩前へ出て、丁寧に頭を下げる。
「ギルド・灰の区支部より参りました。ロウゼル村の依頼を確認しています。
“声を失った子どもたち”について、お話を伺えますか?」
老人はセレナを見つめたあと、目を伏せ、ゆっくりと頷いた。
「ああ……あれは、“病”ではない。
“恐怖”だ。口が閉じられたんじゃない、“心が閉じた”んだよ」
タクマが静かに訊ねる。
「何があったんだ?」
老人の声は、わずかに震えていた。
「三日前の夜。古い教会跡地に、子どもたちだけで遊びに行ったらしい。
最初は隠れて肝試しでもしてたんだろうと、誰も気にしてなかった。
でも、帰ってきた子どもたち全員が……声を出さなくなった」
リシェルが険しい顔で問う。
「その夜、何か見たの? あるいは、“聞いた”?」
老人は首を横に振った。
「いや……“聞いてない”んだよ。
子どもたちは、“何も話せない”んじゃない。
“話す気力がない”んだ。まるで、“心を握られてる”ような……」
その言葉に、セレナの顔色が変わった。
「……“沈黙の呪い”」
皆が彼女を振り向いた。
「これは古い教典に記された精神干渉の一種。
“言葉を封じる”のではなく、“語りたいという意志そのもの”を奪う魔性――」
タクマの拳が、静かに握られる。
「……それが、子どもたちに?」
その時、広場の奥、民家の縁側に一人の少女が姿を見せた。
年のころは八、九歳。痩せた体に、怯えた目。
そして――彼女は、何も言わずにタクマたちを見ていた。
タクマが一歩近づこうとしたその時、少女がビクリと肩をすくめた。
まるで、“声をかけられることそのもの”に怯えているようだった。
タクマは立ち止まり、深く息を吸う。
そして、遠くから、そっと言葉を投げた。
「おはよう」
少女は答えない。
けれど――その目が、ほんのわずかに動いた。
その瞬間、タクマは確信した。
この依頼は、“魔性退治”じゃない。
“閉じられた心”と向き合う旅になる。
そしてそれは、タクマにとっても――
かつて自分が閉じた“声なき後悔”との再戦だった。




