確実な歩み2
その男が支部に現れたのは、午前の光がまだ鈍く差し込む頃だった。
銀の髪に黒のロングコート。背には一振りの細身の剣。
冒険者というより、戦場帰りの軍人――あるいは、処刑人といった風貌だった。
「ギルド本部より派遣された補佐官――グラン・セディアスです」
口調は淡々としており、表情は終始変わらない。
だが、リシェルがその名を聞いた瞬間、空気が変わった。
「……なんで、あんたが来るのよ」
リシェルの声には、明確な警戒があった。
タクマは視線を交錯させながら、様子をうかがう。
グランは目だけをリシェルに向ける。
「私は命じられただけです。君の感情を測る任ではない。
ここにいる“記録対象”――高倉タクマ氏の“観察”が任務です」
その瞬間、タクマの中で何かがピンと張った。
「……観察?」
「ええ。スキル未登録者の中で、危険性のある異能を使用した者には、
一定期間、“行動記録と精神傾向の追跡”が義務付けられています。
あなたは、その対象に指定されています」
リシェルがすぐに割り込む。
「タクマのスキルは、人を守るために使われた。
そのどこが“危険”なの?」
グランはまばたきすらせず、静かに答えた。
「“誰かを守る”という行動ほど、理由の解釈が分かれるものはない。
私の仕事は“信じること”ではなく、“記録すること”です」
その言葉は、淡々としていた。
けれど――冷たかった。
セレナが、ふっと息を吸って言う。
「剣の記録者――それが、あなたの通り名でしたね。
“戦場を観察しながら、誰も助けない者”。それで、A級になったと聞きました」
「記録者は、判断してはいけない。
剣は、必要な時にしか抜かない。それだけです」
タクマは、椅子に腰をかけながら、拳を膝に乗せて言った。
「なら聞く。……俺の“怒り”を見て、あんたはどう記録するつもりだ?」
グランの返答は――静かだった。
「感情に価値はない。
だが、感情が力に変わるのなら、その構造を記録する価値はある」
そう言い切った“剣”に、タクマは心のどこかで、確かな火が灯ったのを感じた。
――こいつは、敵ではない。だが、味方でもない。
冷静な目が、こちらの“怒り”を丸裸にしようとしている。
この支部に、また一つの“異質”が加わった。
グランが支部に滞在してから、まだ一日も経っていない。
だが、空気はすでに変わっていた。
彼は常に無言で動く。無駄な質問をせず、干渉もせず、ただ“見ている”。
けれどその目は――まるで鋭い刃が、心の奥を透かしてくるようだった。
昼過ぎ、倉庫の整備を終えた後の休憩室。
タクマが水を飲んでいると、グランが唐突に口を開いた。
「――前世で、あなたは“経営者”だったと記録されていますね」
タクマの手が止まった。
「……どこでそれを」
「王宮筋の記録から、断片的な報告が届いています。
“社会性と判断力の高い転移者”――その一文だけが、あなたを“生かす理由”になっている」
タクマは、しばらく何も言わなかった。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「経営ってのはな、“理屈だけじゃ回らない”。
でも、“感情だけでも崩れる”。
……毎日がそのバランスの綱渡りだったよ」
グランは瞬きもせず、続ける。
「あなたが“怒り”を力として顕現させたのは、最初の転移直後。
だが、本質的には――それ以前に積み重ねた“怒りの構造”が起点になっている。
……そう仮定しています」
“怒りの構造”。
その言葉は、タクマの中の何かを引っかいた。
「なぁ、グラン」
「はい」
「お前みたいなやつが、“怒り”を見たとき、何を記録するんだ?
発動時間? 魔力濃度? 状況と結果?」
「それらも含まれますが――
最も重視されるのは、“怒りの発火点”。
つまり、何に対して怒ったかです」
タクマは、ほんの一瞬、視線を伏せた。
その背中に、わずかな重さが滲んだ。
「……怒った理由、か」
拳を見下ろす。あの日、壊したもの。失ったもの。守れなかったもの。
怒りは、ただの力じゃなかった。
それは“願いの裏返し”であり、“諦めの残響”でもあった。
「じゃあ、記録しとけ。
――“守りたかった”。ただ、それだけだってな」
グランは初めて、わずかに目を見開いた。
「……了解しました」
その言葉に、タクマは何かを伝えた気がして、少しだけ息をついた。
だが、それと同時に――
彼の中で“まだ誰にも話していない過去”が、
じわじわと、表層へとにじみ始めていた。
夕方。支部の外、わずかに日が差す石畳の裏路地。
風の匂いが変わり始め、空の色は夜に傾き始めていた。
タクマは、その場に立ち尽くしていた。
背後には誰もいないと思っていた――が、声が届いた。
「“怒りの発火点”――その言葉、何か引っかかってましたね」
グランだった。
物音を立てずに現れ、淡々と問いかけてくる。
タクマは答えず、代わりに問い返した。
「……記録者ってのは、相手の“心の傷”まで掘り起こすのか?」
「傷口に触れない限り、“本質”には届かない。
私はそれを“記録する者”です」
タクマはしばらく黙っていたが、やがて、ぽつりと語り出した。
「前世でな……怒鳴らなかった日があった」
その声には、いつもの熱や苛立ちはなかった。
静かで――苦かった。
「部下の一人がいたんだ。若くて、不器用で、でも頑張ってたやつ。
ミスが続いててさ、正直、怒鳴ろうと思った。
でもその日は、“言葉で支える方が大事だ”って思って……何も言わなかった」
拳が、ゆっくりと握られていく。
「次の日、そいつは出社しなかった。
残されたのは一通の手紙。
“怒ってほしかった”“ちゃんと向き合ってほしかった”って」
沈黙。
「俺は“怒る”ってことを、自分のために使ってたんだ。
他人に怒るってのは、自分の感情をぶつけることだって――そう思い込んでた」
「でも違った。
本当は、怒ることで、誰かの“間違い”に踏み込むことができたはずだった」
風が吹いた。
その目には、悔しさと痛みと、どこか遠くの光。
「俺が怒るのは、“力”でも“爆発”でもない。
ただ、“向き合いたい”だけなんだよ。
誰かのために、ちゃんと叫びたいだけなんだ」
グランは黙って、しばらく立ち尽くしていた。
そして、記録帳を開く。
「……では、記録します」
『対象は、“怒ることを選んだ”。
それは破壊ではなく、対話の入り口として。』
ページが、音を立てて閉じられた。
その夜、タクマは初めて、怒りというスキルの“出発点”を、
自分の言葉で他人に語った。
――それは、力の物語ではない。
後悔から始まる、“再起の物語”だった。




