戦い方の種類3
灰の区を出て、王都の南へ。
誰にも読まれなかった依頼を手に、タクマたちは小道を抜けていく。
リグランの森とは違い、この道はほとんど整備されていなかった。
馬車の轍も、荷物を落とした痕跡も、ほとんどない。
「……本当に、誰も来てないんだな」
タクマの言葉に、リシェルが頷く。
「“報酬がない”ってだけで、この地域の依頼は切り捨てられがちなの。
まして、発行者不明となれば、リスクばかり。だから――」
「依頼自体が“なかったこと”にされる」
「そう」
ティノは背中に小さな布袋を担いで、とぼとぼとついてきていた。
「……なあ、なんで俺も来てんだ?」
「“現場の空気”は現場でしか知れない。
お前がそれを“知っている側”なら、一度ぐらい見ておけ」
タクマのその言葉に、ティノは鼻を鳴らす。
「……ほんと、主人公気取りだな、あんた」
それでも、帰らなかった。
セレナは道中ずっと、斜線付き札と記録帳を交互に確認していた。
すでに、この“拾われなかった依頼”は神殿の“記録補助”として正式に保存申請が通っていた。
言葉にできない叫びを、記録し、拾う。
それが“誰かの心を繋ぐ糸”になるなら、無駄ではない。
やがて、丘陵を越えたところに、開けた地帯が現れた。
古びた採掘跡。
積まれた岩石と、崩れかけた柵の影に、何かが残っていた。
「……これは」
リシェルが剣の柄に手をかけた。
そこには――腐敗した狼の死体が転がっていた。
だが、ただの狼ではない。
その額には、魔力瘤。
体表には、黒くねじれた紋様。
異常進化――“魔性化”の兆候だった。
「これは、ただの魔物じゃない」
セレナが息をのむ。
「“怒り”を浴びた魔物の特徴と一致しています。
感情スキルの波動を浴びることで、一部の個体は進化する――」
タクマの拳が、わずかに熱を帯びた。
「つまり……“放置されてたこの場所”で、誰かがずっと怒ってたってことか」
「痕跡は、最近じゃない。数日前……いや、一週間以上前のものだわ」
リシェルが死体の硬直具合と腐敗の進行から判断した。
体毛には斬撃痕も、焼痕もない。死因は不明。だが――
「この狼、死ぬ寸前まで“暴れていた”。
ここを拠点にしていた可能性があるわ」
ティノが、すぐそばの壁を指さす。
「なあ、これ……字、じゃないか?」
タクマが駆け寄ると、そこには削れた岩肌に、震える手で刻まれた跡があった。
『こわい たすけて』
『でも みんな いなくなった』
『わたしが みてる』
小さな手の跡が残っていた。
「……子供か」
セレナが静かに祈るように言った。
「この場所に……“誰かの恐怖と怒り”が、ずっと残っていたんですね」
そしてそれが、魔物に伝播した。
誰にも拾われず、誰にも気づかれずに。
それが――魔性化。
タクマは、拳を見つめた。
(この拳も、あの狼と似たようなものかもしれない。
怒りが力になる。でも、その怒りを誰も見なかったら?
俺は、魔物と何が違う?)
その時、リシェルが剣を抜いた。
「来るわ。……生き残り」
洞窟の奥から、低く唸るような気配。
ただの群れではない。
音もなく、殺気だけがこちらに這い寄ってくる。
セレナが詠唱に入った。ティノは、わずかに後退。
そして、タクマはゆっくりと足を踏み出した。
「“怒っている”のは、向こうも同じだ」
その声は、静かだった。
怒鳴るでも、叫ぶでもなく。
ただ、真正面から――対峙する声だった。
唸り声とともに、洞窟の奥から姿を現したのは――
一頭の巨大な灰色狼だった。
片目を失い、体は瘦せ細っている。
けれど、その全身にまとわりつく魔力は、まるで“泣いている”ようだった。
「……これが、“怒りを受けた魔物”」
セレナが詠唱を止めた。
狼の目には、もはや理性がない。
だが――その奥に、強烈な執着があった。
誰かを守りたかった。
誰かを探していた。
誰かの声に応えたかった。
それを誰にも拾われず、ただ“暴れ続けた”結果が――この姿。
「俺と、同じだ……」
タクマは、小さく呟いた。
拳が熱を帯びる。
皮膚の下で、魔力が波のように揺れた。
だが、その時――タクマは、自分の胸に手を置いた。
(違う。俺は、“怒り”だけで戦わない)
(誰かの声を“拾う”って決めた。なら……)
「怒るぞ。だけど、それは――お前のためだ」
爆発的な魔力が、足元から吹き上がる。
だが、それは暴力ではなかった。
拳が灯った。
まるで、“祈り”のように。
「終わらせる。お前の怒りも、孤独も、ここで……!」
タクマの拳が、狼の額に届いた瞬間――
音もなく、魔力が砕けた。
灰のようなものが、ふわりと舞った。
そして――狼は、崩れるように倒れた。
その瞬間、空気が変わった。
風が流れ、洞窟に漂っていた“重さ”が、ゆっくりと消えていく。
「……やったのか?」
ティノがつぶやく。
「いや、“終わらせた”だけだ」
タクマは拳を下ろし、ゆっくりと目を閉じた。
「これは、戦いじゃなかった。“記録されなかった願い”を、
俺たちが拾っただけだ」
セレナは、崩れた狼のもとへ近づき、静かに祈りを捧げた。
「記録完了。“人知れず存在した怒り”、ここに収めました」
ティノはその様子を見ながら、ぼそりとつぶやいた。
「……バカみたいに真面目だな、みんな」
だが、その表情に、かすかな笑みが浮かんでいたのを――
誰も指摘しなかった。




