戦い方の種類2
ギルド支部の朝は、相変わらずの沈黙から始まった。
受付に人はおらず、ロビーに椅子はない。
誰も挨拶せず、誰も言葉を交わさない。
“仕事”はあるのに、“労力”が向けられない場所。
その日、タクマは一人、ギルド内の文書庫に足を運んでいた。
昨日見せられた“裏方部屋”の奥。
ヘルツの許可をとり、空席者用雑務として放置されていたクエスト札の山を覗いたのだ。
(これが……“依頼だったはずのもの”)
タクマの手のひらに、ぼろぼろになった札がある。
湿気で紙が波打ち、文字がかすれて読めない。
その札の裏側――誰かの手で、黒インクで斜線が引かれていた。
「処理済み」でもなく、「受理不能」でもない。
ただ、“誰にも渡されずに黙殺された”ような、鈍い痕跡。
「……これは、何?」
後ろからセレナの声が聞こえた。
彼女もまた、記録帳を持ってこの部屋へ来ていた。
今では、彼女の記録行動が“支部の誰よりも丁寧だ”と噂になっている。
「クエスト札。だけど、“受けた記録”も、“却下の判”もない。
つまり、ここで“無視された”依頼だ」
「……そんな」
セレナが息をのむ。
手にとった別の札には、かすかに文字が読めた。
『南街区・廃屋に魔物の気配あり。老夫婦が退去できず』
『娘が行方不明です。魔物ではなく人間の仕業かもしれません』
『父が病で倒れました。薬草取りの護衛を探しています』
どれも、些細で、緊急でもなく、報酬も安い。
けれど――**“確かに誰かが書いたSOS”**だった。
「これを……処理せずに放置したと?」
「いや。処理“すら”しなかったんだよ。
この紙が訴えてるのは、“黙殺”って感情だ」
タクマは、まるで自分の感情を映すように、札を握った。
「俺は……こういうのが、一番許せない」
「怒り、ですか?」
「……いや。
怒りじゃなく、“悔しさ”かもしれない」
その時、ティノの声が響いた。
「はは、なにそれ。“正義の目覚め”ごっこ?」
廊下の影から、ティノが覗いていた。
相変わらず、笑っていた。
「……ティノ。お前、これ知ってたのか?」
タクマが問いかけると、ティノは片目を閉じて応えた。
「知ってるもなにも、俺が分別してたんだぜ。
この札、どれが“誰にも読まれなかったか”ってな。
けっこう見分けつくんだよ。文字の濃さとか、紙の触り心地でな」
セレナが、札を見つめながらぽつりと言った。
「これは……神殿記録に再登録できます。
依頼者がまだ生きていれば、“再承認”が通る可能性もあります」
「“可能性”ね」
ティノの声が、急に冷えた。
「それがさ、一番ムカつくんだよ」
タクマとセレナが、わずかに眉を寄せた。
「“何かできるかも”って目、されるとさ。
“自分が拾われなかったこと”を、また思い出すんだよ。
ああ、自分は“可能性にすら届かなかった存在”だったんだってさ」
「ティノ……」
「だから俺は、そういう“善意の顔”が一番怖い。
怒ってくれる方が、まだいい。
見て見ぬふりする奴の方が、むしろマシだ」
その言葉に、タクマは一瞬、言葉を失った。
でも――すぐに、前を見て言った。
「それでも俺は、お前のその言葉を、無視しない」
「……は?」
「“怖い”って言ったよな。
だったら俺は、そうならないために、“やる”って決めてる」
タクマは、斜線の引かれたクエスト札を丁寧に紙の束に揃えた。
「お前が“誰にも気づかれなかった札”を手に取ってたってことは――
お前自身が、“それを無視しきれなかった”って証拠だ」
ティノが一瞬、目を見開いた。
その一瞬を、誰も見逃さなかった。
タクマは、そっと手にした札を胸に当てた。
「拾われなかった声を、“拾う”のが俺たちの役目なら――
誰かに認められなくても、それをやる価値はある」
その言葉に、セレナがそっと記録帳を開いた。
「……この札たちは、“記録されるべきもの”です。
神が直接見ていなかったとしても、
私は“ここにあった”という事実を、記録します」
ティノは、しばらく沈黙していた。
笑わなかった。
皮肉も言わなかった。
ただ、黙って――一枚、別の札を拾い上げた。
「……一つだけ。まだ札に文字が読めるやつがある」
「どこ?」
タクマが受け取ると、そこにはこう書かれていた。
『南部斜面・採掘路にて、人喰い狼の影。
街に下りる前に、駆除をお願いしたい。
報酬は出せませんが、お願いします』
紙の端は千切れかけ、インクはにじみ、誰の名前も残っていない。
けれど――**「誰かが、誰かを守ろうとした痕跡」**が、そこにはあった。
タクマは、ゆっくりと頷いた。
「この依頼――俺たちで、やる」
「え?」
「誰も報酬くれなくていい。
だけど、これを“なかったこと”にはさせない」
リシェルが、後ろでふっと笑った。
「ようやく、“灰の区の冒険者”らしいことを言い出したわね」
セレナもまた、静かに記録帳に記した。
『第一任務:塗りつぶされた依頼の再調査・再受注』
『発行者不明、報酬なし――だが、確かに願いがあった』
ティノは小さく、鼻を鳴らした。
「……バカみたいだな。
でも、ちょっとだけ――嫌いじゃない」
その言葉に、タクマはかすかに笑った。
拳を握る必要は、なかった。
怒声も、正義も、叫びも必要なかった。
ただ、“誰にも気づかれなかった声”に、耳を傾けること。
それが、灰の区で始まる“最初の反撃”だった。




