戦い方の種類1
翌日。
タクマたちは灰の区の中央、かろうじて“行政区画”と呼ばれている一角にいた。
その建物――ギルド支部は、王都にある他のギルドとはまるで違っていた。
古びた石造り、半壊した窓、崩れた看板。
だが、なによりも異様だったのは――人の気配がまったくなかったことだ。
「……営業中、なんだよな?」
タクマの問いに、リシェルが小さく頷いた。
「一応はね。でも“灰の区”のギルドは、もう機能してないって噂もあるわ」
扉を開けた瞬間、タクマは思わず鼻をしかめた。
空気が濁っている。紙と、湿気と、焦げた油と、怒りの残り香のようなものが混ざり合っていた。
受付カウンターには誰もいない。
資料棚はほこりをかぶり、掲示板のクエストは破れたまま貼られている。
「……なにこれ、“死んでる”じゃないか」
セレナが記録帳を開きながら、無意識に喉を鳴らした。
「この場には、神の気配がありません……“祈りの空白”が続きすぎている」
数秒後、背後の扉が音を立てて開いた。
「用件は?」
現れたのは――中年の男だった。
目は眠たげ、口元はひねたようにゆがんでいる。
背筋は伸びているが、どこか“何も期待していない”姿勢だ。
「灰の区支部、責任者。ヘルツ=マイドナーだ。
君たちが、例の“感情スキルの転移者”か?」
その言葉に、タクマたちの動きが一瞬止まった。
リシェルが一歩前に出る。
「……その言葉、どこで聞いた?」
「言っておくが、神殿経由でもギルド本部でもない。
“この区の外”から来た連中が最近、こっそり口にしていた。
“異端の転移者が、王都で力を見せた”と――。それだけだ」
「“噂”でそこまでわかるのか?」
「私の仕事は、“沈黙すること”だ。
だが、沈黙するには、“知っている必要がある”」
セレナが、わずかに記録帳を握りしめた。
その反応は、「情報が漏れている」ことを示していた。
「用件は何だ? 面談か? 査察か? それとも――“理想論”か?」
「……状況の把握と、空席者への待遇確認だ」
「はは、いいな。理想論だったか。
君は――何も“知っていない”目をしている。
そういう目が一番、罪が深い」
その瞬間、リシェルが剣の柄に手をかけた。
が、タクマがそれを止める。
「話を聞くだけだ。剣じゃなく、“話せる怒り”を使う」
ヘルツはかすかに笑い、背を向けた。
「なら、ついてこい。腐ったものを、腐ったまま見せてやるよ」
ギルド支部の裏手に通された部屋は、薄暗く、湿気のにおいが立ち込めていた。
雑然と積み上がったクエスト札、破れかけた報告書、黴の浮いた帳簿。
まるで、この支部が“見てはいけないもの”を溜め込んできた空間だった。
その隅に、少年がいた。
薄い服、擦り切れた膝、かすかに土で汚れた指。
黙々とクエスト札を種類ごとに並べ直しているその姿は、まるで“ただの道具”だった。
「……ティノ」
タクマが名を呼ぶと、少年はふり返った。
「なんだ。視察か。
それとも、俺が“どこまで飼いならされてるか”のチェック?」
笑っていた。
その笑みは、いつも通り。
だが、その奥には――“期待していない”色が濃くこびりついていた。
「ここで、何してる?」
「見てわかんない? “裏方仕事”。
クエスト札の分類、魔物素材の再整理、報告書の写し……
空席者スロットに割り振られた“雑務”ってやつさ」
「給料は?」
「あるわけないじゃん。俺、“冒険者登録されてない”んだぜ?」
「…………」
ヘルツが部屋の外で言った。
「彼は“職員”ではない。“義務労働者”という扱いだ。
スキルがない子供に課される、“街への奉仕枠”。
古い制度だが、ここでは“実働人員”として機能している」
「それは……搾取だろ」
「言葉の使い方は自由だ。
だが、代わりの人間を誰が送る?」
その場の空気が凍った。
ティノは笑いながら、クエスト札を一枚ずつ丁寧に並べた。
「俺はここで“必要とされてる”。
たとえ、それが“都合のいい存在”としてでも。
そういう形ででも、“居場所”があるなら――それでいいって、思った」
「お前、それで本当に――」
「いいのか?って顔してるけどさ。
あんたも言ってたろ? “この街はおかしい”って。
だったら、おかしい世界に合わせて、俺が歪んだ方がマシなんだよ」
タクマは、言葉が出なかった。
拳を握った。
けれど――殴る相手が、どこにもいない。
ヘルツの冷静さ。
ギルドの体制。
街の制度。
そして何より――少年が“自分を守るために選んだ笑顔”。
リシェルが、ぽつりと言った。
「私も、昔の私も、こういう子を見て見ぬふりをしたのよ。
“目立たないから”“文句を言わないから”って――」
セレナは、記録帳を閉じた。
「これは“記録に残すべきもの”です。
ただの制度の話じゃありません。“人がどう生きているか”の問題です」
タクマは、ゆっくりとティノの前に膝をついた。
「……俺、お前の笑いが嫌いだ」
「へぇ、突然の告白?」
「違う。
“誰にも期待してない笑い方”って、俺……知ってるんだ。
昔、俺もしてたから」
ティノの手が止まった。
「だから俺は……お前に、“それ以外の笑い方”を思い出させてやりたい」
「――どうやって?」
「わからない。
でも、もし“この街で誰かを変えられる言葉”があるなら――
それを、“お前に向けて”使いたいって、今は思う」
その言葉に、ティノは初めて――目を逸らした。
「……無理だよ。
この街は、“怒った奴”から壊されていったんだ」
その言葉が、タクマの心に深く刺さった。
でも、同時に――
**“だからこそ”**という想いが、胸に灯った。
怒りは、壊すものじゃない。
怒りは、守るために使える。
そのために、自分はここにいる。
その夜。
タクマはギルド支部の外に立ち、ゆっくりと拳を握った。
(誰にも殴れないなら――殴らないための怒りを育てる)
それが、タクマにとっての“戦い方”だった。




