表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/42

怒りが燃えた、その夜に1

 意識が戻ったとき、世界は土の匂いに満ちていた。


 湿った草の感触。頬を打つ柔らかな風。

 そして――遠くで、獣のような唸り声。


「……っ、ここは……どこだ?」


 男はゆっくりと身を起こす。

 鋭く乾いた痛みが、後頭部から背中にかけて走った。


 周囲は、木々に囲まれた鬱蒼とした森だった。

 どこまでも深く、どこか異様に静かだ。


 高倉タクマ――三十代半ば、元経営者。

 数時間前まで彼は、確かに日本にいた。


(……死んだ、のか?)


 記憶は断片的だ。

 会社のオフィス。天井のライト。


 次の瞬間の記憶は何もない。


 だが、今こうして目覚めた身体は、見慣れない服に包まれ、

 筋肉の密度も明らかに“前の自分”とは違っている。


「まさか、本当に……転生?」


 そう呟いた声が、自分でも信じられなかった。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 数分後、森の中を慎重に歩いていたタクマは、

 自分の胸が異様に高鳴っていることに気づいていた。


 草を踏みしめる音。

 木の葉が揺れるざわめき。

 何かが……いる。


 緊張の糸が張り詰める。


 ――そのときだった。


 森の奥から、叫び声が聞こえた。


「……っきゃあああああっ!!」


 若い女の声。

 何かに襲われている。苦鳴というより、絶叫に近い。


 タクマの足が、反射的に走り出していた。


(やめろ……行くな……これはお前の世界じゃない……!)


 心が警鐘を鳴らしていた。

 だが、それ以上に何か熱いものが、内側から突き上げてくる。


 走りながら、ふと頭の片隅に浮かんだのは――


(なんで……“怒ってる”んだ、俺……?)


 そう思った瞬間、自分の拳が無意識に強く握られていることに気づいた。


 そして次の瞬間、タクマは“それ”を見た。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 倒木の前、少女が魔物に追い詰められていた。


 灰色の体毛、鋭い牙、禍々しい目つき。

 四足歩行の魔獣――おそらくこの世界の“狼型魔物”だ。


 3体。そのうち1体が少女の腕をかすめていた。


「くっ……!」


 少女は銀の髪を振り払って構える。

 その姿は明らかに只者ではない。

 装備は冒険者風、だが服に血が滲んでいる。


 その少女が、タクマの視線に気づいた。


「――そこのあなた! 動けるなら援護を!」


「は、はあ!?」


「早く!」


 問答無用だった。


 だがタクマは、叫ばれたその瞬間、全身に何か“熱”が走るのを感じた。


(ちがう……これは……)


 怒り、だ。


 理不尽な状況。

 戦える者がたったひとりで戦っている。

 自分には何もない。武器も、知識も、力もない。


 けれど――


(この手が、ある)


 握った拳から、微かに熱が立ちのぼるような感覚。

 心臓が脈打つたびに、身体の奥がうずいた。


 


 ――怒っていた。


 “なぜこんな状況にいるのか”ではない。

 “なぜ目の前の誰かが、苦しんでいるのか”に対して。


「こっちに引きつけます! その隙にっ――!」


 少女が地を蹴った。

 その瞬間、二体の魔物が一斉に彼女へ向かって飛びかかる。


 だが、彼女の手にはすでに短剣と光の紋章。

 詠唱と共に、剣が淡く輝く。


「《バーストエッジ》――っ!」


 跳躍の勢いそのままに、斬撃が魔物の喉をかすめた。

 一体目が呻き声とともに地に転がる。


 だが、もう一体が背後から牙を剥く。


「しまっ……!」


 咄嗟に振り返る。だが間に合わない。


 タクマの脚が、勝手に動いた。


 頭が真っ白になる。


 怒りというより、“熱”が全身を駆け巡っていた。


(……どけ)


(どけよ、この化け物があああッ!!)


 その瞬間だった。


 拳に、火が灯った。


 いや――火ではない。

 だが、それは確かに“燃えていた”。


 


 《スキル発動:怒炎変換》


 


 空気が爆ぜた。


 拳が放たれた。


 その拳は、魔物の顔面を正面から叩きつけ、

 “バキィッ!”という生々しい音と共に、獣の頭部を砕いた。


 魔物の身体が、吹き飛ぶ。

 その質量は、明らかに人間の一撃で成せるものではなかった。


 


 ◇ ◇ ◇


 


「…………」


 しんと、森が静まった。


 残った魔物一体が、怯えたようにタクマを見て、唸る。


「ぐ……ぁ……」


 だが、その目が、“狩る者”ではなく“獲物を見る目”に変わった。


「逃げた……?」


 少女――リシェルは驚きに声を漏らす。


 そして、呆然と立ち尽くすタクマを見た。


「あなた……さっきの、その力……」


 タクマの拳は、わずかに焦げたように黒ずみ、皮膚の一部が裂けていた。

 熱も、痛みも、今さらになって押し寄せる。


「が、あっ……!」


「座って、無理はしないで。応急処置できるわ」


 リシェルが近づき、傷を見て目を見張る。


「この火傷……ただの打撃じゃない。

 あなたの体から、魔力が逆流してるような痕跡……これ、まさか……」


 その声に、タクマが小さく答える。


「……怒って、たんだ。誰かが、目の前でやられそうになって……。

 止めたくて……」


「怒り、で……?」


 リシェルが目を細め、そして口にした。


「まるで……“怒りが力に変わる”ようなスキル。そんなの、存在するの……?」


 その言葉に、タクマは言葉を返せなかった。


 だが、彼の胸の中では、ひとつだけはっきりしていた。


 ――確かに、怒っていた。

 誰かのために、何かが爆発した。


 そしてそれが、拳になった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ