新しい怒り そこから
王都ライゼンベルクへと向かう馬車は、昼過ぎの陽を背に受けて進んでいた。
木々が穏やかに揺れ、空は澄んでいる。
けれど、タクマの胸の内は、そう穏やかではなかった。
横に座るセレナは、記録帳を開いている。
その筆先はいつも通り淡々としていて、揺れも乱れもない。
だが、彼女の指の動きだけが、ほんのわずかに震えていた。
向かいにはリシェル。
窓の外を眺めながら、何も言わない。
けれど、いつでも抜刀できるよう、背中の剣には軽く手が添えられていた。
「……落ち着かないな」
タクマがぼそりと呟いた。
「王都が、か?」
「いや。……たぶん、俺自身が、だ」
セレナが記録帳から視線を外す。
「何が引っかかっていますか?」
「この力を“見せに行く”ってことが、どこか違う気がしてな。
別に、戦うために持ってるわけじゃないんだ。
でも、王族に呼ばれて、力を見せろってのは……」
「それは、“あなた自身”を評価しようとしているのではなく――
“あなたの力が社会にどう影響するか”を量ろうとしているからです」
「だろうな。……それが気に食わない」
リシェルがぽつりとつぶやく。
「怒ってるわけ?」
「たぶん、怒ってる。
けど、その怒りが正しいかどうかは、まだわからない」
セレナが、記録帳にそっと一文を書いた。
「怒りが正しさと一致するとは限らない。
だが、“正しさを問い直すきっかけ”にはなり得る」
タクマは、その記録帳を覗き見ようとはしなかった。
ただ、拳を軽く握りしめた。
その手には、ほんの少しだけ汗が滲んでいた。
馬車が丘を登る。
視界が開け、遠くに――王都の城壁が見えてきた。
石造りの巨大な街。
陽光に照らされ、白銀の塔が空を裂くように聳えている。
その姿に、思わずタクマは息を呑んだ。
「……これが、王都か」
「ライゼンベルク。七神の塔のひとつ、“月の神ルナフィア”の聖域がある」
セレナが補足する。
「王宮はその東。政治と信仰が、入り混じる都市です」
リシェルが窓の外を見ながら、ぽつりとこぼす。
「いろんな意味で、剣だけじゃ通用しない場所よ」
「それ、嫌な予感するな」
「して当然よ。ここからは、“感情”だけじゃ生き残れない」
その言葉に、タクマは静かに頷いた。
怒りだけでは、届かない世界がある。
それを知るための旅が、今始まるのだと――拳の中で、確かに感じていた。
馬車が王都の南門を抜けた瞬間、世界の“密度”が変わった。
人の数、建物の高さ、空気に漂う魔力の質。
どれもが、リグラン村とは桁違いだった。
街路は石畳で整えられ、整然とした店の並びが続く。
街角には騎士団詰所が点在し、通行人たちはどこか張り詰めた目をしていた。
「……空気が硬い」
タクマがぽつりとつぶやく。
「“治安がいい”んじゃなくて、“監視が行き届いてる”って感じだ」
「正確ね。ライゼンベルクは“自由”ではない。
王と神殿とギルド――三者の“均衡”の上に立つ街」
セレナの声も硬い。
「均衡が崩れれば……一瞬でこの街は火種になる」
王都の中心には、七神を祀る神殿がある。
だがその背後にそびえるのは、王家の本拠・蒼月の宮殿。
その場所で、今――二人の王子が、対話を交わしていた。
宮殿・応接の間。
装飾は最低限で、余計な煌びやかさはない。
第一王子、レオナール・アークレインは、剣を腰に立ったまま窓の外を見ていた。
短く刈られた金髪、軍服のような騎士装束。
その背には“王”という肩書きが自然とあった。
「……転移者ではなく、感情スキル保持者だと?」
「はい。私が派遣した神殿調査官、セレナからの報告によれば」
第二王子、ライクス・アークレインは、机に記録書簡を並べながら答える。
年はレオナールより三つ下。長髪を緩く結い、眼鏡越しの視線は常に冷静。
「ええ。“黒髪の感情スキル持ち”というだけで十分に敵を作れます。
しかも――魔力の波長が、王都系統のいかなる分類にも該当しませんでした。
外部魔力属性との混合反応も確認されています。……異界系の可能性、排除できません」
「……怒りを制御し、黒髪で、異国の礼儀」
「本当に“この国の者”か?」
「記録上は地理的照合ができません。聖印の反応もない。……だが」
ライクスは一度、言葉を止め、目線を下げる。
「我々の記録にすらない力。それが“この世界のもの”でない可能性……視野には入れておくべきでしょう」
レオナールは、静かに頷いた。
「見えているものの裏に、“もっと大きな理由”が隠れている気がしてならん」
「もし彼が――本当に“あちら”から来た者なら。
それを今、言葉にしてしまえば、彼を“焼かせる者たち”が騒ぎ出す」
「だからこそ、今は沈黙だ。見極めるまでは、“守る者”でいたい」
「兄上がそこまで気を遣うとは意外です。
……私のことを“王に向いている”と、また仰るつもりですか?」
「俺は、政治は不得手だ。だが、お前には“人の裏”が見えすぎる」
「兄上には、“人の真っ直ぐさ”が見えすぎるようですね」
二人の会話は、どこか刺のない毒に包まれていた。
だがそれでも互いを――兄弟として、王子として――“信頼”している空気があった。
「……いずれ、選ばねばならぬ」
レオナールは窓の外を見たままつぶやいた。
「この国の舵を、誰が握るべきか。
そして、“何を切り捨てる覚悟”があるか」
ライクスは答えなかった。
ただ、記録帳に視線を落としながら、内心で思う。
“感情を武器にする者”を、我らは初めて迎える。
それが“災厄”か“希望”か――それすら、まだ計れない。




