怒りの邂逅2
異変は、ぬいぐるみのあった地面の下だった。
リシェルが魔力の流れを読むために足を一歩踏み出した瞬間――
空間が、ゆがんだ。
「リシェル、下がれっ!」
タクマの声よりも早く、地面から“黒い茨”のようなものが弾ける。
魔力の結晶体。
だが、それはただの魔力ではなかった。
感情魔素――それも、“抑圧された怒り”を強制的に再現する呪具だった。
「っ――!」
リシェルが跳んだが、足首に茨の先が絡む。
まるで生きているように締めつけ、皮膚に焼けつく魔力を刻み込む。
「チッ……!」
彼女は即座にナイフを抜き、茨を切り離した。
だが、魔力の毒素が血に混じったのか、顔が苦痛に歪む。
タクマが飛び出す。
「おい、大丈夫か!」
「平気よ……少し熱いだけ……!」
「少しって顔じゃねえだろ……!」
セレナが即座に補助魔術を発動。
解毒と再生の術式を最小構成で展開し、リシェルの足元に術光を灯す。
「毒素は弱め。だが、感情干渉がある。リシェルの怒りに“引火”していたら、危険だった」
「……あぶねぇな、ほんと……!」
タクマの視界に、もう一度あの“黒い茨”が映る。
すでに地面に崩れ落ちていたが、その根の部分はまだ微かに動いていた。
タクマの中で――熱が灯る。
けれど、前のように、燃え上がるものではなかった。
熱は、胸の奥に溜まり、凍りついたように“圧縮”されていく。
(怒ってる。確かに、怒ってる。
でも――何かが違う)
燃えるのではなく、削られていくような感覚。
怒りが“芯”に沈み、拳ではなく、心を冷やしていく。
セレナが、その様子を見ていた。
観測者の視線ではなく――人間の目で。
(この人の怒り……“燃える”ものじゃなくなりつつある)
(それは――)
(“剣”ではなく、“刃”のように……静かに、鋭く、冷たく)
タクマが一歩、黒い茨の残骸に近づく。
そして、拾い上げた。
焼け焦げたそれを、ただ、静かに見つめて言った。
「誰だよ、こんなもん作ったのは……」
その声は、低く、震えていた。
だが、それは恐怖でも怒声でもなく――
“許せなさ”が凝縮された、芯からの声だった。
タクマの手の中で、黒い茨の残骸が砕けた。
破片が、かすかな音を立てて地面に落ちる。
それだけで、森の空気が揺れたように感じた。
セレナが一歩、彼に近づいた。
「……タクマ。今、あなたの怒り波動が“圧縮状態”にあります。
このままでは……反動で暴走する可能性がある」
「わかってる」
タクマは、ゆっくりと言った。
「でも、今回は“爆発させたくない”。
俺の怒りは、誰かを守るために使いたい。
誰かを“壊すため”じゃない」
その言葉が、セレナの胸を打った。
静かな、でも確かな決意。
感情を、ただ“放出するだけのもの”と見ていた自分には、なかった視点。
「……けれど、感情は流動体です。制御しきれないときが来ます」
「そのときは、止めてくれ」
「え?」
「セレナ。あんたが、“観測者”としてじゃなく、“人”として、
俺を止めたいって思ったときは――ちゃんと止めてくれ」
セレナは、返答できなかった。
記録ではなく、“判断”を求められたのは初めてだった。
リシェルが少し離れたところから、静かに口を挟んだ。
「タクマは、今“本物の怒り”を抱えてるの。
ただの激情じゃない。“許せない”って気持ちが、静かに燃えてる」
「その火は、止められますか?」
「たぶん、止められない。
でも、“その火が向く方向”は変えられる。
あんたが、タクマに寄り添えるならね」
セレナは、しばらく何も言わなかった。
そして、記録帳をそっと閉じた。
「……了解しました。私が、“そのとき”を見極めます」
「……ありがとう」
そのとき、タクマは初めて、セレナの顔を真正面から見た。
彼女の表情は、ほとんど変わっていなかった。
それでも、瞳の奥にある何かが――
“今までと違う温度”を持ち始めていた。
森の奥、古びた祠の跡地。
陽が届かぬほど木々が生い茂る空間に、異様な魔力の気配が満ちていた。
そこに、いた。
黒いフードの人物――背は低く、体格は子どものよう。
だが、その手には、明らかに人のものではない“感情の波”が絡みついていた。
「止まれ!」
リシェルが前に出て叫ぶ。
「この場所で何をしている? あなたがこの村で感情魔素を撒いた張本人なのね?」
フードの者は、静かに顔を上げた。
その顔は幼い少女のようだった。
だが、その目は――感情という概念そのものを拒絶したように、空洞だった。
「怒ってるの?」
その声は、問いというより“観測”だった。
「お姉ちゃん、怖かった? 嫌だった? 苦しかった?」
「なにを言って……」
「それがいいのよ。“感情”って、とても綺麗」
少女が、指先を振る。
その動きに呼応して、空気中の魔力がぐにゃりとねじれた。
黒い糸のような“感情素”が、爆ぜる。
「避けてっ!」
リシェルが飛び出し、斜めに跳ぶ。
爆ぜた魔素が木を砕き、岩を焼く。
セレナが叫ぶ。
「この術式――“感情の模倣”。対象者の怒り・悲しみを読み取り、物理現象として顕現させている!」
「つまり、俺たちの怒りを“武器”にしてるってことか……!」
タクマが、拳を握る。
だが、怒らない。
今この瞬間の彼には、“怒りに引かれる者”を前にして、自分の感情を燃やす余裕はなかった。
(これ以上、怒りを“餌”にされてたまるか)
そして――タクマは一歩、少女に近づいた。
「……お前、一体……誰の意思で動いてるんだ……?」
少女の表情が、ぴたりと止まった。
「……その問い、すき」
「わたしは、“祈ってる人の声”を聞いて動いてるだけ」
「それが、“あの人”の祈り」
その言葉に、リシェルがわずかに反応する。
セレナは記録帳に静かに記した。
「この使徒が従っている存在は、未確認。だが、“祈る者”が背後に存在する可能性……」
少女の術が再び展開する。
タクマは拳を構えた。
だが、その拳は――燃えていなかった。
その代わり、“静かに沈んでいた”。
リシェルが横に並び、セレナが後方を固める。
三人は、ついに“この世界の影”と、最初の刃を交える。




