怒りの邂逅1
朝霧が、森の入り口に溜まっていた。
木々の合間を縫うように、淡く白い靄が揺れている。
その中を、タクマ、リシェル、セレナの三人が歩いていた。
目的は、昨日見つけた“魔石の転移痕”の出所を追うこと。
リシェルが手にした探索符が、微かに青く脈動していた。
「反応はある。……でも、なんか変」
「変?」
タクマが問い返す。
「魔力の流れに、濁りがあるの。
普通の転移痕なら“魔法の波形”が残ってるはずだけど、これは違う。
“魔力の温度”が不規則。……まるで、誰かの“感情”が染みついてるみたい」
セレナが、静かに補足した。
「高濃度の感情魔素は、魔術に干渉しやすくなります。
“怒り”や“恐怖”のような尖った感情は、魔力の流れをねじ曲げる」
「じゃあ、これって……誰かの感情が、魔法に乗ってるってこと?」
「その可能性は高い」
森の奥へと進むにつれ、空気が変わっていくのがわかった。
温度は低くない。風もほとんどない。
けれど、肌に触れる空気がどこか“ざらついて”いた。
タクマの胸の奥で、何かがざわりと揺れた。
怒りではない。だが、それに近い。
もっと深く、もっと原始的な……不安のような違和感。
「……なんか、思い出すな」
ぽつりと、タクマが呟いた。
「前の世界でも、こういう空気を感じたことがある」
「社長時代?」
「うん。理不尽が、空気みたいに蔓延してる場所。
“ここに長くいると、正気じゃいられなくなる”って、そんな感覚」
リシェルが足を止めた。
「ここ。魔力の反応、急激に強くなってる」
そこは、木立の間にぽっかりと開けた小さな空間だった。
地面には、規則的に並んだ焼け跡が残っている。
魔術陣――の“残りかす”。
「これ……」
セレナが、ひざをついて確認した。
「“感情連結式”。……これは、感情魔素を外部と共有する術式です」
「つまり?」
「感情を、“誰か”に送っている。
ここにいた誰かが、“怒り”や“恐怖”を、別の誰かへ流していた」
リシェルが、息を呑んだ。
「そんなこと……誰が、何のために?」
そのとき。
タクマの胸の奥が、ズキリと痛んだ。
(これは……)
拳を握る。
だが、今回は怒りが“燃え上がらなかった”。
代わりに、“冷たい圧”のようなものが、内側からじわじわと広がっていた。
セレナが、記録帳を取り出しながら呟いた。
「観測:対象地において、感情魔素の残滓を確認。
外部伝導式と推定。タクマの反応:沈静。怒りの波動、通常とは異なる方向に偏移」
彼の“怒り”が、今までと違う形に変わりかけていた。
その場所を離れてさらに10分ほど、森の奥へと足を踏み入れると、
空気の質が変わった。
匂いはない。風もない。
なのに、皮膚に纏わりつくような圧が、じわじわと体を締め付けてくる。
「……タクマ、少し下がって。セレナ、今、魔力波が……」
リシェルが警告を発する前に、セレナの足がふらりと傾いた。
タクマがすぐに支える。
「おい、大丈夫か?」
「……はい。問題ありません。少し、思考に“干渉”されただけです」
セレナはそう言って、記録帳を開いた――が。
手がわずかに震えていた。
「“思考干渉”って、幻覚か?」
「感情に接続する魔術は、意識下に“幻視”を生じさせることがあります。
今の私は、おそらく“誰かの怒り”に一時的に触れました」
「……それって、どういう“怒り”だった?」
セレナは数秒沈黙し――小さく息を吐いた。
「……子どものものです」
「え?」
「怒りと、悲しみ。混じりあったまま、行き場を失って、閉じ込められていた感情。
抑圧されすぎて、爆発すらできなかった……静かで、強い怒り」
リシェルが、足元の枯れ葉をかき分けて何かを見つけた。
そこには、小さな“ぬいぐるみ”の切れ端が落ちていた。
片耳がちぎれ、焦げ跡が残っている。
「……これ、魔力が残ってる。しかも、“共感式”を通された痕跡」
「感情を、意図的に“刻んだ”ものかもしれません」
セレナは、それを見ながらそっと手を伸ばしかけ――だが、触れなかった。
タクマが、低く呟いた。
「怒りが、“記憶”として残ってるのか……」
その瞬間、セレナの胸の奥が、わずかにざわついた。
彼の声は静かだった。
怒っていなかった。叫んでもいなかった。
けれど――
(……この人の怒りは、“形”を変えてきている)
観測者としての距離を、少しだけ保てなくなりそうになった。
その自覚が、セレナの指先を震わせた。




