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第7章 進路相談をしよう!

体育祭のときのブロックやクラスごとの応援アートって、学校により形式はさまざまですよね。

これまで見たことあるのは立て看、大漁旗とかかな。横断幕とかもあるけどあれは文字主体か。どれも素人から見ると描きにくそうに思えるのに、見事に仕上がってるものが多くて惚れ惚れしますね。

あれって腕に覚えのある人が自ら手を挙げて引き受けるイメージだったけど、特にやりたい人がクラスにいない場合やっぱり美術部の生徒とか。絵が巧いって周知されてる人に自動的にお鉢が回ってくるものなんでしょうか。主人公の直織は性格的に後者のパターン、名越は両方かな…。周りから推されるけど本人も自分が描くのは当然と考えてるんでしょうね。なんか合唱コンのピアノの伴奏を思い出す話だ。


思ったより手もかかったし最終的にばたばたしないこともなかったけど。大きなミスや手違いもなく、うちのブロックの体育祭の立て看は何とか無難に完成して行事当日を迎えることができた。

よそのブロックの立て看と較べるといかにも我がクラスの制作したそれはデザインが異質で、体育祭本番のグラウンドにずらりと並んだ他のブロックの派手派手しい勇壮な絵柄の中で、何とも微妙に浮いて目立っていた。

「…へぇ、これが笹にゃんの描いた4組の看板かぁ。なんか、らしいね。体育祭の概念の否定者じゃん」

ださい体操着姿にオレンジの鉢巻きで、うちのFブロックのブースの前で仁王立ちするユラ(こと、峯田由楽)。偉そうに胸を張って腕を組みふむふむ、と自分の背より大幅に高い看板を見上げてるけど。身長が150㎝もない小柄さのせいで、子どもが精一杯そっくり返って威張ってるようにしか見えない。

「別に、アンチ体育祭的な題材でも絵柄でもないと思うけど…。五月の行事だから鯉の滝上りだし、すくすく健康的に育て的な意味しかなくない?不穏な要素感じるか、これに?」

まるでわたしが学校行事の意義に異を唱えてる反逆分子みたいな言いようでは。

運動は得意とは言えないし正直好きでもなくテンションも上がらないが、そこまで不満を溜め込んでもいない。そんなに陰険なやつだと思われてたら心外だ。

むくれてそう訊き返すと、ユラは笑ってこちらの背中を慰めるように軽くぱん、と叩いた。

「そういう意味で言ったんじゃないよ。単純にデザインとして体育祭っぽくないなぁと感じただけ。でもテーマはちゃんと場に合致してるじゃん?」

鯉の滝上りなんて、この季節の運動会に相応しい題材だもんね。まあ誰でも思いつくというか、ありがちだけど。と付け加えて再び最後に要らん毒を吐いた。

わたしが考えたわけじゃないんで、そこを手厳しく突っ込まれても別にへとも感じない。

「クラスで話し合って決まったんだよ。そんなに悪いとは思わないけど、テーマなんて何でも要は描きようでしょ」

肩をすくめてそう言うと、ユラはわかるぅ〜!とやけに受けた様子で同意した。

「ありふれた平凡な題材与えられたからデザインで個性主張してやるって、そういう我が出てるとこがらしいなぁと。しかもなんかやたらとお洒落じゃん?なんかテキスタイル的というか。タペストリーデザインっぽいよね」

あんたのその評の方がお洒落だよ。

わたしもそこそこ本は読む方だけど、ユラは半端ない量を猛スピードでこなす桁外れの読書家で常に学校の図書室や市立図書館に入り浸ってる。

どうせいつもいるから、という理由で去年に引き続き今年も図書委員に立候補した剛の者だ。だからかときどき、普通の高校生の駄弁りじゃあんまり耳にしない語彙が平然と飛び出してくることがある。まあ、小動物みたいなキュート寄りの見た目によらずかなりの博識といっていいと思う。

いやあ見てて楽しいわこれ。と呟いてしげしげと改めて上から下まで鯉が跳ねまくってる看板を眺めている。お世辞とも思えないくらい真剣にじっと見てくれているので、何だか照れて面映い気分になり間が持たずについ言い訳がましく説明を加えてしまった。

「ちゃんとセオリーに則った、鯉どーん滝ざばーっていういかにも強力そうな構図も案に出したよ。クラスのみんなが選んだのがこれだっただけで…。ちょっとアクセントに変化球なやつ入れといたらそれが受けちゃったっていうか。正直選ばれるとは考えてなかったからさ」

ユラが気に入って布とか壁紙のデザインみたい、と評する通りそれは確かにちょっと独特の絵柄なのかもしれない。周りの他の看板と較べると体育祭らしくなさは際立ってるかも。

うんうん、と頷いて彼女はじり。と看板ににじり寄って目をすがめて呟く。

「確かに。こういう応援の看板としては色合いも大人しいし絵柄も細かいし、ぱっと見他のブロックのと較べると地味って感じそうなのにね。あまりにも周りのと雰囲気違いすぎてかえって目立ってるかも。…ふぅん、この鯉たちが泳いでる青いライン、水の流れかと思ってたけど。間近でよく見ると細い布が翻ってるんだね。このカラー、もしかしてFブロックの鉢巻きの色?」

「当たり。チームカラー水色に決まったときから、看板にどうにかして取り入れようと。鯉の滝上りってどんぴしゃのテーマになって、結果的によかったなぁって」

看板の縦横斜めとリボンのように鉢巻きを走らせて、そこに絡めるように鯉を何匹もリズミカルに泳がせた。さっきユラが言ってたように、確かに全体としては布地や包み紙の柄みたいに見えなくもない。

鉢巻きと鯉が張り巡らされた模様の背後に、薄く大きくFの文字を描いたので一応応援看板としての体裁は成してると思う。けど、他のブロックの立て看みたいに大空に舞う龍とか大鷲とか、虎とか狼みたいな強者感ある動物がどーん!炎や大波がばーん!ってかっこよくてドラマチックな絵面と見較べると。確かに個性的というか、奇を衒ってると思われてもおかしくないかも。

「いや、小洒落ててなかなかいいよ。わたしは好き。…なるほど、発想の転換だね」

ユラはちょっと上目遣いになり何かを思い浮かべる顔つきで呟いた。

「テーマがカモネギとかふざけてるときは大真面目に力強く躍動感溢れるデザインで描く。逆に鯉の滝上りっていう真っ当で無難なお題を与えられたら、ちょっと真っ向勝負から外した洒落た紋様にアレンジしてみる。…なんか、性格出てるよね。そういうとこある、笹にゃんって」

「…何度も言うようだけど。わたしは案出しただけで、その中から選んだのはクラスのみんなだから。今回も中学んときの鴨葱も」

こっちはいくつかのデザイン画の中に、ちょっとおまけで外した絵柄を混ぜ込んだだけだし。と一応言い訳したけど、ユラは小さく肩をすくめただけだった。

「だから、外した案を必ずひとつは仕込むとこがあんたらしいってこと。…この鯉も一匹一匹、なんか表情というか個性があっていいな。味がある絵柄だね」

褒めてるつもりかもしれないが。わたしはちょっとだけむくれた。

「味があるって、画力に問題あるときにしか使わない表現のような…。やっぱあんま巧くない?あっちの絵と較べて」

わたしが顎で軽く示したのは三ブロック間に置いた先にある6組作成の立て看。

そこに描かれてるのは麒麟だ。アフリカにいるあの黄色にまだら模様の首長のじゃないやつ。東洋の瑞獣の方、某ビールのラベルでお馴染みの。

ドラゴンとか虎だってリアルな感触をもって描くのはそりゃ、難しいけど。よりによってあの、空想上の存在を題材に選んだのに。

ちゃんと目の前にモデルがいて、それをそのまま描き写したんじゃないかと錯覚させるほどの実在感。

そうか、麒麟ってこういう生き物だったんだな。とうっかり思い込まされる。ほんと、めちゃくちゃ巧いんだこれが。

他のブロックの立て看だって、ほとんどのはすごく上手だ。わたしのより巧いんじゃないのと内心思うやつも結構ある、正直なところ。

それでも2年6組が制作したBブロックのは中でも別格。見るからにレベルが違う。どうして現実に存在しない想像上の幻獣を、あんな風に動物園でスケッチしてきました。みたいな感じで写実的に描写できるんだろう。

「6組?…ああ、あれか。Bブロックのビール会社のやつね」

やっぱりみんな、あの柄で最初に思い浮かべるのはそれだよね。

「幻獣事典に出てきそうなの。東洋の縁起物だからまあ、体育祭のパネルの題材に選ぶのは頷ける」

「実際に選択する描き手はほとんどいないよ。描いてみればわかる、難易度半端ないって。大体、現実に存在する何の生き物を参考にすればいいのかわかんないんだからさ。想像力だけであれだけのもんを描き上げるのは力技もいいとこだよ」

何故か憤然となってわたしがまくし立てると、ユラはまあまあ。と面白そうに宥めて、今度はしげしげと三つ向こうのブロックの方を遠巻きに眺めながら独りごちた。

「麒麟ね。確かに、本物を見てて描いたんだなぁって錯覚しそうなくらい巧いわ。遠目に見ると写真みたい」

「ね。訳わかんない、何だよ麒麟の写真って」

口を尖らせるわたしの方へにやにや笑みを浮かべて視線を投げるユラ。

「笹にゃんがそこまで目の敵にするってことは、作者は例のあの人か。えーと、…何だっけ。確かクラちゃんがやたらと褒めそやしてたやつ。顔を」

「名越。下の名前は忘れた。…どう思う?やっぱ、ものが違うというか。段違いに巧いよね。…頑張って日々努力はしてるけど。どうやってもあそこまではいけないなぁ…」

思わず、素直な敗北の弁がぽろっと漏れる。

そうだねとか、そりゃ仕方ないよ。才能の差だねとか容赦ない答えが返ってくると思ってた。

だけど意外なことに、ユラは首を傾げてそうかなぁ。と小声で呟いてからわたしのその弱音に遠慮がちに異議を唱えた。

「何だろ。…なんか、あえて較べる必要ないんじゃない?向こうは向こうでそりゃすごい技術だなとは思うけど。…うーん、わたしはあんたのこの絵の方が何となく好き、個人的に。そういう人他にも結構いると思うよ。何も張り合うことないんじゃない?」

「絵の好みは人それぞれだから?蓼食う虫も好き好き、下手うまにも五分の魂…」

そういう生半可な慰めは大体予想ついてるから。と自嘲気味に言い返しつつ、ふと何だろうこの感じ。と微かに記憶の端っこを引かれる感覚を覚えた。

そりゃあの子はすごく巧いし、誰でも努力すればあんな風に描けるとはいかないのは確かだけど。それはそれとしてわたしは直織ちゃんの絵好きだよ、お世辞とかじゃなく。なんか惹きつけられるものがあるよね。

脳内で再生された声はそう、大河原先生だ。ずいぶん前にそんな風に言われた。

最近はわたしもあえて先生の前でじくじくと名越と自分を較べて卑下することもなくなったから、今は彼女がどう考えてるかはわからないけど。まるで同じような台詞がユラの口からぽんと出てきて、久しぶりに先生のあのときの言葉を思い出すことになるとは。

時間と場所を置いてまるで交流のない別々の立場の人物からほぼ同じニュアンスの台詞が出てくるとは思わなかった。ただの偶然なのか、それともこの事実になんらかの意味があるってことなんだろうか?

やや冗談めかしたわたしの自嘲に乗らず、ユラは生真面目な顔つきできっぱりと首を横に振ってみせた。

「そういう、極私的な自分だけの話ってだけじゃなくてさ。多分わたしみたいに考える人、そんなに少なくもないと思うよ。まあ普通の感覚で見たらそりゃ、あっちの絵はわあ圧倒的な画力だとかすごーい本物みたい、まるで写真?とか言われるだろうし。この各ブロックの立て看がずらっと並ぶ中でも目立ってはいるよね。けどそれって、高校の体育祭ってシチュだからこそって面もあると思うんだ」

「ん?…『麒麟』って題材が場にどんぴしゃだからってこと?」

いきなり出された条件の意味がよくわからない。

あんまり長いこと自分のブロックの立て看の前で友達を仁王立ちさせとくのも変に目立ちそうなので、小柄なユラを引っ張って控え席の脇へと移動した。彼女は引かれるままについてきながらわたしの要領を得ない質問に対して頭を振る。

「じゃなくて、描いた作者が確実に高校生だからってこと。全員高校生って決まってる中で、あんな玄人はだしの絵がどんとあったら。シンプルにその腕前がまずすごいってなるじゃん。だから当然この並びの中でも目立つ。まあ、描いた人物が元から人気者ってこともあるけどね」

ユラの言ってる通り、さっきからちらほらとBブロックの前で女の子たちが立ち止まってはわあすご〜い、これ名越くんのでしょ?とか美術部なのほんとだったんだ。とか騒いでるのが風でこっちまで流れてくる。看板を背にしてピースで写真を撮りあってるのも目に入るし。

と、考えてるそばからわたしが描いたうちの看板にスマホを向けて撮ってる知らない男の子が視界に入った。

見たとこ一年生かな。誰がこの立て看の作者かももちろん知らないだろう。けど写真に撮っておこうと考えてくれたんだなと思うと、彼は軽い気持ちでしたことなんだろうけどこちらとしては何となくほっこりする。

などと他所ごとに気を取られてたら既にユラは話の先を継いでいたようなので、慌てて耳と意識をそっちにチューニングした。

「だけど、学校って身内の学生だけで構成された大人のいない箱庭じゃん。そこから外れて例えば、あんたのこの鯉の絵(と、顎で軽く示す)と名越の麒麟が美術館の同じ展示室に掲示されてたらと想像すると。必ずしも向こうの方がよりみんなの視線を集められるかっていうと決してそうとは言い切れないと思うよ。わー巧いね本物みたい、馬鹿だな麒麟に本物とかねーよ。とか言われて普通にさっと前を素通りされるかもしれないよ」

そうかなぁ…。

例えがまだぴんと来なくて首を捻るわたしに、ユラは一応周囲を憚って声を落としてさらに解説を加えて聞かせる。

「なんていうかね…。えっと、美術館の絵だったら概ねプロの画家の作品なんだからそもそも巧いのは売りにならないじゃん?この人の作風はリアル系なんだなぁって感じ。スーパーリアルは突き詰めれば写真になるし、よくて図鑑の絵でしょ。わたしはあれ、結構好きだけど」

「図鑑って、写真じゃなかった?動物とか植物の」

子どものときの記憶をたぐりつつ頭を傾げる。

「写真も載ってるけど基本は絵だよ。多分その方が特徴を見せやすいんだと思う。図鑑の図版はそれ専門のプロが手掛けてるはず。彼の絵はね…、すごいテクニックだと思うんだけど。ちょっとそういう匂いがするんだよな。もちろん個人の感想だし、他の作品見て認識変わったらごめんだけど」

反省と謝罪が軽いなぁ…。まあ、本人に直接言ったわけでもないから。それはどっちでもいいんだけど。

「思えば、前に描いた中学んときの立て看とかポスターも笹にゃんに写真で見せてもらったことあったじゃん。この看板も含めて、あんたの絵ってなんか、身近に置きたくなる感じなんだよね。これ待ち受けにしたいなとかポスターにして部屋に飾りたいなとか、絵葉書売ってたらちょっと買っちゃうとか。軽い気持ちかも知らんけど、これって一応購買意欲じゃない?」

「うーん…、まあ、ありがと。嬉しいけど、そう言ってくれるのは」

半分以上お世辞だろう。と割り引いて考えながらもわたしはお礼を言った。

世の本職の画家に言わせたらポストカードなんて買ってもらっても腹の足しにもならないんだよ!ってことかもしれないが。わたしはそれで生計を立てるわけでもないから、単純に自分の絵を身近に置きたいとか欲しいって言われたらそれがどんな形でもまだすごくありがたいって感覚。

そんな考えがもしかしたら顔に出てたのかも。ユラは横目で、Bブロックの前でねぇー名越も一緒に、ここで写真撮ろーよぉ!と女の子の集団がきゃいきゃい言いつつやつに呼びかけてる様子を見ながら肩を軽くすぼめて結論づけるように話の先を付け足した。

「つまりさ。画力とかテクニックで圧倒されるってことは当然あるけど、それと絵として惹かれるかどうかはまた別の話ってこと。ましてこの狭い高校って舞台を出れば、描いた当人にまつわる属性とかはただのノイズでしかないでしょ。高校生にしては巧いとかも意味を為さなくなる。…で、情報抜きのシンプルな絵そのものの魅力って面ではあんたの方が彼より劣ってるとはわたしは全然思わないよ。なんかこれ、変な風に癖になるんだよね。…この鯉の何とも言えない表情とか。鉢巻きのうねりのリズムとかね」


体育祭が終わってやれやれひと段落。と思ってたら、速攻放課後名越が教室に迎えに来て美術室に拉致された。

「七月にはもう文化祭だよ。油断してるとあっという間だって。合間に中間テストもあるし、遊んでる余裕なんかないんだよ」

わたしはぶすっとして指示されるままに木枠を組み立てる手伝いをしながら、無駄な抵抗と知りつつ今さらな反抗を見せておく。

「別に間に合わなきゃ間に合わないでもわたしは。何も絶対に文化祭展示に出したいってわけじゃ…。そもそも、本当に出していいの?真面目な話、わたしってまだちゃんと部員にカウントされてるのかどうか」

「それは大丈夫。五月の連休前に出展予定のあるなし確認のアンケートが来て、俺と笹谷の名前を書いて提出しといたから」

きっぱり言われて、すげなく諦めた。口だけじゃなくこいつなら間違いなくそのくらいやる。

提出する前に本人に一応声かけろよ!とか今さら過ぎて文句言う気も起きない。しかしわたしもすっかり名越のやり口に慣れて流されるままになりがちだな。こんなことでいいのだろうか。

今回も、未だにキャンバスを張るのに今ひとつ慣れてないわたしの分もまとめて一緒に手早く手伝ってくれてる。何だかんだぶうたれつつも結局従っちゃうのは、彼がわたしに求めてることがシンプル極まりなく、裏心がないってわかってるからだろう。

すなわちとにかく新しい絵を描け。次から次へと新しいことに挑戦して、彼が見たことのない新作を生み出してさえいれば他には何の見返りも求めない。

それが名越の何の衒いもごまかしもない本心であることはもうこちらもとっくに疑っていない。

絵を描くのは好きだし、新しいスキルや知識を身につけるのは自分のためになることだから結局受け入れといて損した、ってものはない。絵画教室に通うのも美術部に入るのも、最初の頃は何でそこまで。と不満ぐちぐちだったけど結果的にはよかったように思うから。今回文化祭に出展する羽目になったのも、最終的にはまあよかったなって結論に落ち着きそうな気はする。

しかしそれはそれとして、何でもかんでも相談なしに勝手にわたしのことを決めるなよ。というのはやっぱり引っかかるんだよな…。そこは何とか改善する気はないんだろうか。

「…いや、いいなぁこのくらいのサイズってやっぱり」

完成した60号キャンバスを二枚並べた前に立ち、テンションの上がった様子でうきうきと話しかけてくる名越。

「でもこれだと等身大にはちょっと足りないから、いつかは100号描いてみたいよね。今回は場所取りすぎるって言われて却下されちゃったけど。…ああ、でも笹谷の身長だったら。まあまあ等身大?」

横に立つわたしの方に目をとめて余計なことを言いやがった。しょうもないからかいなんだから相手にすることない、とは思ったけど。完全スルーも愛想がなさ過ぎるかと無表情のまま一応手短かに返事はしてやる。

「60号って高さ130センチくらいだからさすがにわたしの方が大きいんですけど。同じくらいに見えるのはイーゼルに載せるからでしょ」

「そりゃそうか。笹谷って身長何センチ?」

のんびりした声で尋ねてくる。そんなこと訊いて何になるんだろ。まあ、秘匿事項でもなんでもないからいいんだけど。

「155だったかな。四捨五入してぎり160」

「150センチ台半ばを160っていうやついないだろ…。ふぅん、でもなんかもっと小柄に見えるな。150センチそこそこかと思った」

それでも60号よりは全然でかいよ…。

それきり身長の話は終わり、再び悦に入った様子でうんうん。と二つのキャンバスを嬉しそうに眺めてる。

どうやらこれから新しい絵に取りかかる!って思うとテンションが上がって何だか楽しくなっちゃって、口が軽くなった勢いでどうでもいいこと訊いちゃったってだけみたいだ。と判断してすんと落ち着いてるわたしの横で、彼はふぅむ。と腰に片手を当てて考え込みながら話を振ってきた。

「あのさ、真っ白なでかいキャンバスに何描こう?ってあれこれ考えてるときが一番楽しいよね。笹谷、これに何描くか題材もう決めた?」

こっちにいきなりお鉢が回ってきた。わたしはうーんと唸りつつ腕組みして、そこで改めて真剣に考える。

「いくつか案は考えてたけど、実際どうしようかなぁ…。さすがにこの大きさは初めてだから。あ、でも考えてみたら立て看とかに較べたら全然ちっさいよね。けど油絵の具とペンキやポスターカラーを一緒にはできないか。ふぁ、考えてみたら。絵の具代やばそう…」

「何だそんなの。俺の使えばいいよ。どうせ一緒に描くんだし、大して不便でもないだろ。必要な色あれば補充するよ?」

まるでそんなの当たり前、何を遠慮してるのかわからない。みたいなきょとんとした顔つきで言われてしまった。ふん、このブルジョワめ。

「いや、…まあ、部活で必要なんだって言えばさすがにうちの親も出してくれるよ。ちゃんと頼めば大河原先生んとこの月謝だって、今のところ文句も言わずに払ってくれてるし…」

画材って確かに高いんだけど、運動部とかだってユニフォームとか道具とか交通費とかかかるし。多分楽器が必要な音楽系の部活に較べたらまあまあなんてことないと思う。それはそれとして親には感謝だが。

わたしのその台詞を聞いて、名越はやや生真面目な顔になってそうか。と改まって腕を組み直し独りごちた。

「家の人が無理って言うんなら、月謝は俺が持ってもいいと思ってたのに。てか、今からでも出そうか?あんたが興味なさそうだったのに強引に連れてったのは俺の方だしさ」

「いやそれは、…さすがに」

紐じゃないんだからさ。と内心どん引きでご遠慮申し上げる。

てか、お金を出す方が男性でもらう方が女だと『ヒモ』とは言わないんだろうか。その場合何?妾?

いや性的関係が介在しないとそういう呼称にはならない気が…。まあなんでもいいや。とにかく、同級生にそこまでしてもらうのはおかしいのに変わりない。

「そんなにめちゃくちゃ高価なわけでもないし。今は他に何の習い事もしてないからまあこのくらいは…って親も言ってるから、大丈夫だよ。それに先生についてることで得してるというか、おかげで上達してるのはわたしのスキルなので。そっちには何の得もないから」

得るもの何もない側がお金払うのは筋としておかしくない?と匂わせる。彼はしげしげと白いキャンバスを眺めつつ、気のない声でそっかぁ。と呟いた。

「じゃあ、俺としてはそっちに回す分の金額がまるまる浮くってことだよね。そしたら今度の夏休み、美術予備校の短期講習とか顔出してみる?まだ二年だから本格的ではないけど。どういう講義やるのかとかはざっくり体験できるよ」

「いや…、何でまた?」

めっちゃナチュラルにとんでもないこと言い出した、こいつ。

「美術予備校ってことは、美大受ける人向けの講習ってこと?それ、受験する気がなきゃ意味ないじゃん。講習代が高いとかいう以前にまずそこから…。てか、それってわたしにだけ行けって言ってるわけじゃないんでしょ。名越…、くんも。一緒に通おうってこと?」

「名越でいいよ。匡親でもいいけど」

いや、全然そんな関係性じゃないじゃんわたしたち。何故このタイミングで下の名前呼びを推奨してきた?

それよりちょっと意外って言えば意外かも。わたしは気を取り直し、用心深く尋ねてみる。

「名越はさ。もしかして、まじで美大志望ってこと?」

「変かな。無理そうだと思う?」

気を悪くした風もなく無邪気な顔をこっちに向ける。そう正面から尋ねられると。

あまりにストレートな反問に面くらい、わたしは口ごもりつつ急いで頭をフル回転させて何とか正直な返答を絞り出した。

「…全然無理とは思わない。てか、名越が無理なら美大に受かるやつなんて存在しないってことになるじゃん。あんたなら藝大だって普通に行けるんじゃない?」

「T藝大はまたちょっと難しいんだ。巧いだけで受かるとこじゃない。デッサン巧い順にずらっと並べて上から受かるならもちろん、行けるとは思うけど」

「それで行けると思うのがさすがだよ…。わたしならその選抜方法だと一生無理」

余計なことと思いつつもつい、自嘲する言葉が漏れる。案の定名越は真面目くさった目をこちらにまっすぐ向けて、そんなことないよ。と満更お世辞でもない様子でフォローした。うん、あんたはそう言うね。あんただけだけど。

「藝大受けるには基本巧いのは当たり前なんで、その上で他にはない光るプラスアルファというか。特別な個性がないと…。デッサン力だけで突破できるほど甘くはないよ。だから、受かる人は一体どういう作風なのかとか。一回見てみたくない?」

過去の合格者の作品とか見られるよ。とわくわくした気持ちを隠しもせずに水を向けてくる。もしかして本気で進学したいっていうより。野次馬根性、面白半分なのか?

「見たいってだけならまあ、見てみたくはあるけど。受験するわけでもないのにわざわざ受講料払ってまで通うの、意味なくないかな。お金勿体ないし」

「何でだよ、どうせ俺のだし。勿体ないとか考えなくていいのに」

もう自分が払うつもりでいやがる…。これだから金持ちの坊は。

彼は自分の鞄の中からスケッチブックを取り出して机から引き出した椅子にすとん、と腰かけた。どうやら下絵の構想を練りながら会話を続けるつもりらしい。

わたしもつられて自分のスケッチブックを取り出し、彼の斜向かいに座る。名越は鉛筆をさらさらと紙の表面に走らせながら、気負いのない口調で何気なく言った。

「あんたなら頑張れば充分藝大行ける素質あるよ。もしかしたら俺より向いてるかも。あそこは同じ年に同タイプの受験生は二人取らないって話だし、誰とも被らない個性を持ってるやつが有利なんだから。笹谷ならきっと、そういう意味で勝算あると思う」

「うーん…」

どのくらい真面目に言ってるのかどうにも測りかねる。口先だけのお愛想なら、適当に受け流して終わらせておけばいいんだろうけど。

「現状そこまで力がないのもあるけど、そもそも志望してるわけでもないからね…。てか、わたしはともかく。名越が美大志望なのはちょっと意外だったな」

スケッチブックにいくつか、ざっと図案を描きだしてはある。このうちのどれにしようかな、と思案しつつ手を入れながら口では何となく暇つぶしに雑談を続けた。

「そう?割と子どものときから、結構熱心にずっと描き続けてる方だと思うけど」

「それはよく知ればそうだったね。でも話すようになった最初の頃、自分はバンドもやっててボーカルも楽器もできる。みたいなこと言ってて、本人の中では美術はたくさんある特技のひとつって認識なのかなと感じてたから」

美術と音楽、趣味としてはフラットでどっちがより大事とか好きとかはないよって態度に見えた。それに。

「友達から噂で聞いただけだから実際のとこは知らないけど。名越って勉強も順位一桁台だって話だし、確か運動神経もいいんでしょ。変な言い方かもだけど何でも出来て何でも持ってるんだし、その気になれば超難関大学にだって普通に受かるんじゃないの。なのにあえて美大行きたいんだ…とは思った。勉強できるなら、普通の学部受けろって家の人からは言われないのかな。って」

「あー…。笹谷んちの親御さん、そう言う?」

言う。…まあ、親は子どもの将来を心配してのことだし。学費を出す身としてはそりゃいろいろ、言いたいことがあるのは仕方ないと思ってるけど。

わたしはさらさらと鉛筆を走らせながら、目線を合わせてない気楽さで思いつくままに考えてることをぽんぽんと口にした。

「親はやっぱり本音のとこでは、将来子どもが独り立ちして何とかやっていけるようになって欲しいと考えてるのが一般的だろうし。好きなことをしていられれば生活が立ち行かなくても仕方ない、とはさすがに割り切れないんじゃないかな。そういう観点で言えばまあ、美術をやるよりは普通に勉強でよりいい大学に進んで欲しいと思ううちの親は言うほど毒親でもないと思う。その方がちょっとは就職も有利だろうしね。女で文系って時点で既にハンデあるけど」

自分で全部学費出すって啖呵切れるならまだしも。と言いかけてそれは飲み込んだ。こいつの前でそれ言うと、何だそんなの俺が出すよ。とか平気で言い出しかねない。

美大の四年間の学費ってどんだけだよ。と考えるのも怖い。さすがに実際にそれが出てくるのは名越の親の懐からだろうから、常識で考えてそこでストップがかかるはずだけど。

それはそれとして今、こいつはそれ言う。話が進まないから余計な振りはしないに限る。

名越は自分もスケッチブックに視線を落とし、忙しく手を動かしながら茶化した風もなくわたしのその台詞に受け応えた。

「笹谷は結構成績は上の方だろ。そしたら親御さん、いい大学に進むの期待するよな。それは無理ないと思うよ」

「…うん」

なんだ、普通にまともなことも言えるじゃん。

ちょっと考えては手を止め、再び鉛筆を走らせる。それが言葉を絞り出してる間なのか、それとも単純にスケッチの図案を構想してるせいなのか。俯くその表情からは読み取れない。

「…うちはさ。まあ家の事業を継ぐことはまるで期待されてないこともないけど、姉がいるからな…。結構経営向きの性格で父親にも評価されてる。だから俺はまあ、やる気があるならひとつ二つくらいの部門を引き継げばいいんじゃないの?程度に思われてると思う。美大行きたいって言っても特に反対もされなかったし」

「そうか、もうご両親承知済みなんだ」

理解のある家庭で羨ましい。いやそこまでわたしは本気で大学で絵をやりたいわけじゃないけど。

わたしは考え考え、出来るだけ茶化さずに思うところを誠実に述べようと心がけた。

「…描くのはもちろん好きだし、テクニックを習得して描けるものや表現できることが広がっていくこと自体は楽しいけど。これを本職にしたいと芯から思ってるわけじゃないから、美大に何がなんでも行かなきゃとまでは思えないんだ。普通の暮らしの傍ら趣味でこつこつ描いていければ特に不満はない。…でも、名越なら全然そういう場で実力で戦っていけるだろうし。本人がその気ならいい進路じゃない?わたしの分も頑張ってよ。将来個展やるときは是非案内の葉書でも送ってくれたら充分」

「…でも。それだとあんたの絵を世界に広めて一人でも多くファンを増やすには。全然足りないんだよなぁ…」

やけに声を落としてぼそぼそと呟く。下を向いてるせいもあって、こちらからは細かいところがよく聞き取れなかった。

「…ん、何?一人でも多く、何が足りないって?」

「いや、…それはまあいいよ。いろいろとやり方を考える。これから時間かけてじっくりと」

よくわかんないけど。…なんか怖。

そう感じたこちらの内心を読み取ったのか、彼はふと顔を上げた。さっきまでまとっていた生真面目さとは打って変わった悪戯っぽい光を瞳に宿らせて、ふざけたような口調で付け足す。

「…まあ、そういうことなら。あんたは社会科見学って感覚でいいよ。二年の時点ならまだ、夏期講習に来る連中も全員がち勢ってわけでもないし一人や二人、お試しで参加するやつがいても目立ちやしないって。…こう見えてさ、俺って実は人見知りなわけよ」

嘘だあ。

そこまで図々しい口から出まかせが通ると思われるとは。わたしも舐められたもんだぜと憤然となるわたしに、彼は冗談めいた口振りのままぽんぽんと言いたい放題な台詞を重ねた。

「だからさ、自分だけで知らない人たちに混じって講習受けるなんてとっても無理。緊張しちゃうからさ…。そういうわけで笹谷、どうにか都合つけて俺に付き合って一緒に受講してくれない?そっちは本気じゃなくてもいいよ。けど、美大受けようってレベルの高校生が一体どんなもんか。それはちょっと、興味なくもないよね?」


わたしたちは文化祭までの間、そうやってぽつぽつと美術室に通った。中間試験期間も挟んだからその間は休みつつ、だけど。

最初のうちはまだ、一人だと他の部員の手前ちょっと気後れするな。中途半端な時期に入部した上にほとんどこれまで通ってもいなくて、顧問とも顔合わせづらい状態だし。と考えてなるべく名越と時間を合わせて行くようにしてた。

だけど、しばらくそうして美術室に入り浸るうちに他の部員ともちょくちょく顔を合わせる機会も増えて、仲良くなるとまではいかないでも普通に挨拶くらいは交わせるようになっていった。

落ち着いて観察してみると、最初の頃に名越が言ってた通りで部員が美術室を使うタイミングは人によりだいぶまちまち。

しょっちゅう鉢合わせる部員もいれば、週に一度くらいしれっと現れて風のように去って行く人もいる。そしてあくまでわたしが見る範囲でだが、部員名簿にある人数よりは美術室で見たことあるメンバーはだいぶ少ない。

つまり、部室に来て活動してる人たちはいうほど多数派じゃないってこと。そして全然顔を出さない部員もほとんどは、文化祭に出展はする予定らしい。

「だから言ったじゃん。みんな各々、自分が制作しやすい場所でやってるだけで部室に顔出すかどうかなんて誰も気にしてないって。自宅で描いてるやつもいれば通ってるアトリエで制作してるのもいるよ。自分ちを汚したくないやつ、作品がでかくて持ち運びが難しいやつは普通に部室使うけどね。つまり今回の俺たちとか」

うん、まあ。自宅で60号を描き上げて本番前にここへ搬入するのは正直つらいな。名越なら平気でパンでも使って運転手に運ばせるだろうけど。

そんな状況だってことがだんだんわたしにもわかってきたので、他の美術部員に対して引け目を感じることもなくなった。日が経つにつれ約束のない相方が遊びに行ったときでも、ちょっとあそこ手を入れとこう。とか、今日は用事なんもないから帰り際に少しでも進めとくか。と、気軽に一人で顔出せるように。

美術部の気風はおそらく他の部に較べると圧倒的にハードボイルドで、あんまり部員同士つるんできゃっきゃしたりする様子もない。みんなそれぞれ単独でさっさとやってきて必要なことして、帰るタイミングも全然周りのこと気にしない。えっもう帰るの?とかあの人最初からずっといるけどまだ帰らないんだ…みたいな感じ。そしてお互いまるで突っ込まない。

それでも顔見知りが増えるにつれ自然と多少は会話などするようになって、部の外で会ったらお互いああ。と頭くらいは下げる。

まるで知らんぷりというわけでもなく、これはこれで案外と友好的な方なのかも。と少しずつ思うようになってきた。

べたべたした人間関係はない一方で別に丸無視というわけではなくて普通に認知し合ってはいるし、それぞれが自由で互いに不干渉だ。これって実は結構、風通しがいいと言えるんじゃないか。

そうと納得してからは名越頼り一辺倒を卒業して、割と自由に美術室に出入りするようになっていた。

「…あの、笹谷さんてさ。もしかしてこの前の体育祭、立て看のデザインしてた?」

ある日の放課後。今日はクラスの連中とカラオケ行くから俺は帰るけど、と言う名越にオッケー。こっちのことは気にせず楽しんできて、と軽く受け流してわたしは一人美術室に赴きぺたぺたとキャンバスに絵の具を塗りたくっていた。

まだ油絵を手がけるようになってから一年は経っていないけど。大河原先生のところでもデッサンだけでなく、水彩を経て最近は油画も描かせてもらえるようになってる。

だから、初めてここで林檎を持った女の子の絵を描いた頃よりはだいぶ絵の具の扱いにも慣れてきたように思う。頭の中でイメージしたものを完璧に描写できてるとはいかなくても、多少は近づけてるかな…と感じることも以前よりは増えてはきた。

それでも、ここで描いてる他の美術部の人たちに較べるとまだ使いこなせてない気がする。もっと研鑽を積まなきゃ、と試行錯誤しながらせっせと日々励んでいるわたしに、その日背後から声をかけてきた部員が。

振り向くと既に顔見知りになってた同学年の女の子だ。一度もクラスが同じになったことはないけど、文系コース同士だから選択授業で顔を合わせることもあり何となく当たり障りのない会話をする程度の仲にはなっていた。

振り向いたらばっちり目が合い、彼女はそれにちょっと怯んだ様子で慌てて早口に喋りだした。

「あ、ごめんね。集中してるときに邪魔して…。勝手に後ろから見ちゃったけど、大丈夫?」

何のこと?と思ったけど。彼女の視線から推測するに、ああ。…この描きかけの絵か。

「全然へいき。どうせ文化祭で公開するための絵だし。大体、見られたくなかったらここで描かないよ。家とかでこもって描くし」

しっかり振り向いてそちらに目線を据え、大真面目に答えると。彼女(確か、9組の棚田さん。だったかな)は少し和んだ様子でふふ。と小さく笑った。

「このサイズを自分ちで仕上げるのはさすがにきついよ。結構な豪邸ならともかく」

わたし、そういう家に住んでる人ひとり知ってる。話だけで実際に見たことはないけど。

お墨付きが出てリラックスしたらしい棚田さんは、今度は遠慮なく腕組みしてわたしの後ろからしげしげと半分くらい塗りたくられたキャンバスを検めてる。

「…いや、ごめんね。こないだふと笹谷さんのこの絵が視界に入っちゃってさ。なんか見たことあるタッチだなぁと、ずっと意識の端で引っかかってて…。今ふっと思い出したんだけど、あれこの絵柄って、体育祭のときのあの看板じゃん!と急にぱっと閃いたんだよね。ね、鯉と鉢巻きのやつだよね?確かブロックはF、だったっけ?」

「えーよくわかるね。今描いてる絵と全然タイプ違うじゃん」

横から口を出されてびっくりした。見ると棚田さんとよく一緒に行動してるのを見る別の女の子がいつの間にかそこに。この子は山内さん、だっけ。

「いやわかるよ。この水の流れのうねり方とかさ。あっちの鉢巻きの感じと何となく似てる。鯉の表情もこのリスと共通点あるし。独特の癖というか、雰囲気あるよね。…やっぱ巧いよねぇ、牧氏に目をつけられるだけあるわ」

美術部のみんな、牧先生について言及するとき微妙な物言いだなぁ…。それぞれ、なんか遠慮のない口利かれてむっとしたり面食らった経験あるんだろうな。とうっすらその辺の経緯が偲ばれる。

「棚田さんも立て看やってたでしょ。確か蛙が相撲取ってるやつ…、あれは鳥獣戯画リスペクト?」

たまたま体育館で彼女がクラスの人たちと一緒に制作してるとこを見ていてよかった。と内心ほっとしながらそう話を振ると、棚田さんは満更でもない表情でまあね。と肯定した。

「ほぼほぼ模写のパロだから。外に出す作品じゃないからまあいっかってね。あ、考えてみたら。あれさすがに著作権切れかぁ」

「なかなかかっこよかったよ。棚田ってああいうの得意だよね。何でもさっとめちゃめちゃ器用に模写出来るんだよね」

作家のタッチの癖を掴むの上手いんだよ。と山内さんは友達の特技を得意そうに教えてくれる。なるほど、そういう特別な目があるから全く似ては見えないわたしの別々の作品の中にも共通する特徴を見出せるのか。

一旦手を止めて向き直り、二人は美大志望?と尋ねると、棚田さんはいやいやいや。と大袈裟に謙遜する手振りで否定した。

「あたしは小器用なだけだからさ。オリジナリティがからっきしなんだ。だからまあ、趣味でちゃかちゃかとSNSで描いた絵上げたりとかしていこうかなと。そっちこそ著作権気をつけないとだけどね。まあ、あからさまな模倣しなきゃ何とかなるかなって」

「わたしは出来たらO芸大行けたらなって。まだ漠然と希望してるだけどね。今はいろいろ調べてるとこ。ここってまあまあ普通に進学校だからさ。美術系進む人少ないんだよね」

山内さんはそう言って肩をすくめた。多分それはちょっと、って言われるな。と考えつつ駄目もとで提案してみる。

「よく知らないけど。確か牧先生がO芸大卒だって聞いたような…。受験のこととか大学生活についてとか、体験談教えてもらえるんじゃ?」

彼女がさっ、と目を剥いて手をぱっと横に振り即座に否定するスピードはさすがであった。

「ないない。てかあの人、まじで油画専門過ぎて他の科のことは眼中にないんだから。わたしね、プロダクトデザインとかやってみたいんだ。でもそんなこと言ったらまるっきり興味のない顔でふーんとか流されそう…」

「あ。…なるほど」

そうかもね、とか安易に同意するのもどうかと思いつつ、本心が滲み出てむにゃむにゃしてしまった。

そういえば謎の摩訶不思議なオリジナルピクトデザインをみっちり並べた作品がこの教室の外の廊下に掲示されてるけど、あれってこの子の名前が添付されてたような。…なかなか個性的だなぁ、ここの美術部も。

そんなことをつらつらと考えていたら棚田さんにふとやや遠慮がちな声で尋ねられ、我に返った。

「…あの、笹谷さんって。いつも名越くんと一緒にいるじゃん。やっぱり彼も一緒に、芸大受ける仲間だから?」

「ああ。…めちゃくちゃ巧いもんね、あの人」

山内さんも納得の表情で深く頷いてる。まあ、そう思われるよなぁ、美術部の人たちから見たら。

「わたしはさすがに…。そこまでのレベルじゃないし、親に認めてもらうのも難しそうだし。あの人の方はまあ、どうなのかな。家の人には特に反対されてはいないみたいだね」

自分のことはともかく他人の進路について勝手に暴露するわけにいかないので適当にぼやかした。

「でもだいぶ成績も上位みたいだし、名越ならどこでも行きたいとこ行けるんじゃないの。本人に聞かないと実際のとこはわかんないけどね」

「ああ、…そうなの?わたしはてっきり」

「ね?二人は付き合ってて、揃って美大受けようって約束して一緒に目指してるのかと」

さり気なく、でも興味津々なのを隠しきれない口振りで彼女らにそう水を向けられてわたしは思わず筆を手から取り落としそうになった。

「いや…、それはない。けど。全然」

「そう?でも、割といつも一緒に行動してるし。学校外でも同じ画塾に通ってるんでしょ?それに、この前確か一緒に芸大受けよう。みたいな話してるのちょっと聞こえちゃって…」

棚田さんが申し訳なさそうに弁解する。いや、あのときか。それは悪かった。

「口から出まかせにしょうもないこと喋りながら描いてるときあるから。手も目も集中してて上の空だし、適当なことしか言ってないかも…。てか、すいません。作業中にうるさくしてて」

筆を握り直して小さくなるわたしに、棚田さんはいえいえ。と焦って話を遮った。

「勝手に話聞いたのはこっちだから。…でも。そっかあ。何だかいつも二人一緒だし。進路も同じみたいだから、きっと付き合ってる同士なのかななんて。ごめんね、決めつけて」

「でもいっそ付き合っちゃえばいいのに。いつ見ても仲いいし、気も合うみたいだし。二人ともどちゃくそ絵が巧いし」

山内さんがほとんど冗談。といった顔つきで横から口を挟む。簡単に言ってくれるなぁ。

「何でか絵についてはいろいろと親切にサポートしてもらってるのは事実だけど。言うほどわたしたち仲良くはないんだよ。美術と関係ないプライベートでは全く絡みないし、個人的な交流とかまじで何にもない」

きっぱりと断言すると、二人は意味ありげに顔を見合わせた。

「…そうなの?ま、笹谷さんのその様子だと。嘘言ってるようには見えないけど…。でもそれが本当なら早めに周りにわかりやすいように否定アピールしておいた方がいいかも」

どういうこと?

ちょっと面白がってる気配がなくもない山内さんのその台詞のあとに、人の良さそうな棚田さんのおずおずと気後れしたような忠告が続く。

「なんか、これは噂でぼんやり聞こえてきただけだから…。誰がどういうつもりで言ってることなのか、あたしにはわかんないんだけど。名越くんってあんな風に女の子を取っ替え引っ換えして何人も付き合ってるようだけど。…本命は別にいて、それが笹谷さんなんだ、って」

何てこった。

今ここでこの子に反論してもしょうがない。とわかってはいても反射的に憤然と言い返したくなる。彼女はその兆候を察したのかまあまあ、と手でわたしを制して、ちょっと迷った末に一気に続きをぶちまけた。

「あなたが一向にその気にならないから、気を引くために画塾に一緒に通ったり美術部に入部させたりあれこれと頑張ってる、っていう噂。絵に関することならちゃんと反応があるからっていう話なんだけど…。あえてそのために芸大まで目指すのか?って美術部でもいろいろ言われてる。ただねぇ、名越くんと笹谷さんなら。そんな志望動機でも意外と受かっちゃうんじゃない?とは。冗談混じりに言われてるけど、半分は。冗談とは言い切れない気がするんだよねぇ…」


「あれ。…うん、完全に噂になってるよ、二人のこと。まさか本人は知らなかったの?」

お弁当箱の蓋をぱか、と開きながらクラ子はあっけらかんとわたしの問いに答えた。

お昼の時間、教室の片隅で。今年から同じクラスになった友達二人と合わせて普段は四人でいつもご飯を食べているんだが、今日は彼女らが朝お弁当用意できなかった!学食行ってくるねーと言って出て行ったので。

久々にクラ子と二人きりになった機会に、ちょっと尋ねにくいことを声を落として思い切って口にしてみたら。案の定これだよ。

「…何で言ってくれなかったのよ。わたしはてっきり、どうやらあいつら何でもないんだな。とだんだん周りは様子見て察するようになってきたから。最近は誰にもなんも突っ込まれないんだな、と」

名越は知っての通り、わたしとは関係なく普通に女の子と出かけたり遊びに行ったりしてるみたいだし。

一方でわたしと行動する場合は全て美術絡み。外から見てもどう考えても、個人的感情で繋がってる間柄とは思えないはず。実際に何か匂わされたこともないし、こっちも隅まで隈なく裏返しに全てひっくり返されても疾しい気持ちはかけらも出てこない。隠すところ何もない健全そのものの関係だからとすっかり油断しきっていた。

不満げに文句を言うわたしをよそに、クラ子は自分の弁当箱から箸で卵焼きを摘み、あんぐりと開けた口に放り込んで満足そうに飲み下してから呑気極まりない口調で答えた。

「だって。あれで周りから何とも思われてないと考える方がやばいよ。彼がどんなに忙しくても必ず週に二回だか画塾に通うのはあんたに合わせてるからでしょ?文化祭に展示するために、ずっと顔出してなかった美術部にまた行くようになって制作し始めたのも笹谷のためだって。みんな遠巻きに見ながら何となく察してるよ。あの何にでもほどほどにしか打ち込まない名越くんが、この子のためなら結構何でもするんだなって」

「いやいや…、何でもはしないよ。てかまじで、絵を描く以外のことで絡みはなんもないし、わたしたち」

すぐ近くで見てるはずのクラ子にまでそんな風にごかいされてたとは。と心外なあまりつい声も大きくなりそう。

ぐっと堪えて声を抑え、努めて冷静に説明を付け加える。まあここでクラ子にだけ納得してもらっても、世間に流れる風評被害がなくなるわけではないんだが。それでも友達にまで勘違いされたままになってるよりはずっといい。

「だってさ。一応友達の範囲にはいるとは思うんだけど。わたしあいつのこと何も知らないんだよ。どういう曲が好きかとか、好きな食べ物は何かとか。どんな本を読むのかとか漫画なんか読むのかなとか、家族とは仲良いのかなとかどういう風に育ってきたのかとか(まあ、うっすらとは。知識ゼロではないが、ちゃんとまともに家庭のことを話されたことはない)。普段つるんでる仲間は外から見て漠然と知ってるけど、やつの口から友達の話とか聞いたこともない…。本当にまじで、美術と絵のことだけなんだ」

あいつが好きな画家はしっかり知ってる。オディロン・ルドンと松本竣介と長谷川潔。ちなみにわたしの好きな画家はルネ・マグリットとカラヴァッジォとピエロ・デッラ・フランチェスカ、アンドリュー・ワイエスだ。そういう話ならいくらでもする。けど。

何が好きで何が嫌いだとか、これまで辛かったことや悲しかったこと、何が彼を喜ばせて心の底から幸せにするのか。そういう個人の心の綾みたいな部分に触れたっていう感覚というか手応えが、名越についてはこれまでまるでない。

いつも人を食ったような余裕たっぷりの顔つきで心の奥の肝心な部分には立ち入らせない。それが不満だって言ってるんじゃないよ?自分の方だってそうしてる自覚あるし。通り一遍の普通の人間関係ってそういうもんだと思ってるから。

友達って言ったって何でも知らないのは当たり前だし、深い心の芯の部分に触れたことがあるとは感じないのは別に悪いことじゃない。むしろそっちの方がよほど普通だと思われるので、名越が極端に距離感が遠いわけでもないし。これまで違和感を感じたこともなかったけど…。

そこまで心の距離が近い仲の友人なんてそもそも…と考えかけて、胸の内にぶわっと吉村の面影が久しぶりに浮かんできた。

最近は用もないのに会うこともめっきり減ったし。そんなに顔を合わせたり話すこともないのに、やっぱり何となく距離が近いというか。こいつのことはよく知ってるっていう安心感がある。単純に子どもの頃からずっと一緒だったっていうだけの理由かもしれないが。

関係ない場面で浮かんできたその顔をさっと振り払い、わたしは改めてその先の言葉を絞り出す。

「そんな限られたことしか知らない間柄で友達とか、ましてや恋愛なんて…。お互い好きになる要素ある?としか思えないよ。側で見るよりわたしとあいつ、全然親しくないんだって。まじで絵を描く上で必要があるから一緒に行動してる時間がやや多いだけなんだから」

「うん。それはそうだと思う。けど、だからこそ彼は美術絡みの面でしかあんたと接点持たないように気をつけてるんでしょ?それ以外のとこに興味あると思われると逃げられるから」

平然とそう言うなりぱき、といい音を立ててウィンナーを噛みちぎる。まるで説得されてないクラ子の態度を前に、わたしは呆然となって訊き返した。

「いや。…それ、何の根拠もなくない?ただの言い掛かりでしょ…。誰がそんな風に言ってんの?」

なんか微妙にまことしやかな印象を与えるのがタチ悪い。けどそこまでわたしとあいつの間のことを知ってる人間なんてまずいないはずだ。想像で尾鰭をつけた勝手な妄想話に過ぎない。

クラ子は肩をすくめてあっさりその疑問を片付ける。

「さあ?けどわたしたち笹谷側の友達連中はそんな話しないから。向こう側の周りの人達が言い出したことじゃない?まあ、普通に考えてただ一緒に絵が描きたいってだけでなかなかあそこまで献身的にはできないもんね。だから目的というか本星は絵の方じゃなくて、あんた当人を狙ってんだろう。って疑われてるんじゃないの?」

「いやそんな…、理由は。多分ちゃんとあって」 あいつが。…それだけ本気で、わたしの絵を好きだから。

そういう言葉が喉まで上がってきて、でもそのまま口に出すのは躊躇する。

なんか、そんなこと自分から言うとさすがに自惚れが過ぎないか?そこまで大した絵なのか、お前の作品は?

そう突っ込まれそうでこれまであんまり真面目に考えてこなかった。自分でも正直今でも半信半疑ではあるし。

けど、名越が最初からあそこまでわたしに執着した理由なんて。薄々と感じてはいたけどどう考えてもわたし本人にあるわけじゃなくて。わたしが創り出す絵そのものにある、っていうのはこちらからすると疑うべくもない事実だとしか…。

女の子当人が目的じゃなくて、単にその作品のためだけにそこまでする?っていうのが。客観的に見ると恋より度し難くて仮説としては阿呆みたいだ、ってのは同意だし。すぐさま信じられないっていう人たちの気持ちもわからないではないけど…。

それでも、そこまでの絵かよ。自惚れてるんじゃないのと嘲笑われたとしても、要らん憶測で陰でひそひそ噂話を撒き散らされるよりは。自意識過剰な頭でっかちの絵描きと思われる方がまだ少しはましなんじゃ。

焦りつつとにかく言い訳をしたい、と口を開きかけたその瞬間。

「ねえ、ちょっと。…あなた」

背後からひやりとするような、じっとりと冷たい声がかかった。

知らない女からいきなり『あなた』とか呼びかけられる心当たりはない。と思いつつも距離的にこれはわたしに向けられた呼びかけだろう。と判断して後ろを振り向くと、別のクラスの女の子たち三人が思い思いの姿勢で立ってこちらを見ていた。

制服姿であるのは当たり前だが、その髪型や化粧なんかからいかにもうちの学校のレベルでは珍しいイケイケ型の女子だ。とはいっても下品さはなく、いつも華やかで目を惹くようしっかり見た目に気を遣ってる。というタイプ。

顔に見覚えはないけどいかにも名越の周りにいそうな子たち。…うん、そうだよね。これは多分間違いなくそっち絡みの『用事』だよね。

ついに恐れていたことがやってきた、と戦々恐々に見上げるわたしに、一番前に立っていたお洒落なパーカーを羽織った女子が冷ややかな目線を投げてゆっくりと言い放つ。

「このあと時間ある?…ちょっと、あなたと一度ゆっくり話したいことあるんだけど。それ食べ終わったら、落ち着いて話せるとこに。移動しない?」


《第8章に続く》

彼らも二年生、そろそろガチの進路の話がちらほら出てくる頃合いです。

地方の高校生は実家を出て下宿するか自宅から通える大学を選ぶかもあるので、ここは真剣な決断を迫られるところです。近年は学費高騰、生活費と家賃の高騰と親世代の暮らしも楽じゃないの三重苦で昔ほど気軽に当然上京して進学、って選択できないのが創作の世界にも影響してるような気がします。

だって、主人公が上京するって筋を書くときこの家の経済状況大丈夫かな?お父さんは結構収入多い方なのかな、お母さんは働いてる?下の子の進学も計算に入れないと…とついこっちが考えてしまいます。余計なことかもしれないけど。

この話については主人公が地元を離れることに意味がある展開なので。選択の余地なくご両親の経済力をちょい盛り目にするしかないのですが…。いや、世知辛い世の中になったものです。昔の創作物なんてお前は何しに高い学費払って東京の大学に通ってるんだよ!みたいなやつばっかだったのにね。

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